カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


カテゴリ:周辺ニュース

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索

このページは、暫定ページです。
掲載情報は、最下段にある分類カテゴリ:ひきこもり周辺ニュースに基づき各ページに保存します。

「ひきこもり周辺ニュース」掲載の仕事 
不登校・引きこもり質問コーナー・部外者回答編

Icon-path.jpg メインページ > 北海道 > さいたま市 > 周辺ニュース
所在地 北海道さいたま市
TEL
FAX
 

目次

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 SEPY倶楽部親の会 東京都豊島区 (当事者の会・自助グループ・東京都、  )
第355回 SEPY倶楽部親の会
日時:2021/6月25日(金)午前10時30分~午後1時
場所:自遊空間SEPY4階(南大塚1-49-7)
内容:不登校、ひきこもり、非行、発達障害などの子どもの心の問題についての体験発表とグループディスカッション
募集人員:40名
料金:2,000円
申込み:電話かファクスで「当倶楽部
【電話】3942-5006、
【FAX】5940-4030」へ
※先着順。
〔広報としま 令和3年6月11日号〕

周辺ニュース

ページ名 青森市のコミュニティ・スクール 青森県青森市 (コミュニティ・スクール )
【特集】地域とともにある『次世代の学校』コミュニティ・スクール
コミュニティ・スクールとは、学校と地域・保護者等が協力し合い学校運営に関わることを通じて、子どもたちの豊かな学びと育ちの環境づくりを行う仕組みです。
「学校運営協議会」という組織を設置し、《地域とともにある次世代の学校づくり》を目指します。
■青森市のコミュニティ・スクールの特色
(1)小・中学校で一つのコミュニティ・スクールを設置
「9年間で目指す子ども像」を学校と地域が共有し、中学校区の特色を活かした教育活動を推進します。
(2)学校関係団体を一本化
学校評議員、学校施設開放運営委員会等の組織を整理し、「学校運営協議会」に一本化することで、学校業務の効率化と教職員の負担軽減を図ります。
■コミュニティ・スクール導入でこう変わる!
▽学校課題の解決(学力向上、いじめ、不登校、教職員の多忙化解消等)
保護者・地域住民が積極的に子どもたちの教育に携わることで、“顔が見える”関係となり、地域の理解と協力を得た学校運営が実現します。
▽地域課題の解決(地域貢献、防災、防犯、キャリア教育等)
大規模災害時の緊急対応等、地域課題の解決に向けて、学校と地域が一体となって取り組むことができます。
■コミュニティ・スクールの立ち上げに携わった
元教育部長・現油川中学校区
学校運営協議会
工藤 裕司 委員
本市のコミュニティ・スクールは、小・中連携教育を一層推進していくため、地域内の小・中学校によって構成しているという特色を持っています。
各校では、自校の課題について協議し、地域と一体となった防災教育、運動・文化活動、児童生徒の見守り、キャリア教育等について、子どもたちへの愛情が感じられる取組がなされています。
今後も小・中学校を俯瞰(ふかん)した活発な取組が継続されていくものと期待しています。
■コミュニティ・スクールはこんな活動をしています
現在、本市では、8中学校区(28校)でコミュニティ・スクールを導入しています。
この中から、東中学校区、浦町中学校区の地域特性を活かしたユニークな活動をご紹介します。
▽東中学校区(東中学校、東陽小学校、原別小学校、野内小学校)
~避難所運営を体験!~
地域との関わりを学び、率先して避難所運営に関われるよう、東中学校と防災・福祉関係団体や、地域住民が協力し、感染症拡大防止に対応した避難所運営を体験しました。
また、感染防止対策を示した絵文字(ピクトグラム)の作成が高く評価され、「ぼうさい甲子園」の特別賞を受賞しました。
▽浦町中学校区(浦町中学校、堤小学校、莨町小学校、橋本小学校、浦町小学校)
~地域スポーツクラブの創設~
部員減少によって学校単位の部活動の実施が難しいなか、中学校区を範囲としたスポーツクラブを創設し、地域のかたが指導者や補助者となって、子どもたちのスポーツ活動の支援を行っています。
■浪岡中学校区
学校運営協議会
常田 清彦 会長
コミュニティ・スクールが始まり3年目になります。
浪岡中学校区には、中学校・小学校合わせて7校の学校があります。
地域の子どもたちに思いやりの心を持ってほしいと、学校・家庭・地域で協力し「思いやりの心を育てる映画上映」を立ち上げ、地域の子どもたちを学校だけではなく地域も連携・協力して見守り、育てていこうと活動しています。
コミュニティ・スクールでは、これらの事業をはじめ、コロナ禍の状況で、学校・家庭・地域がどう連携していけばいいのか協議しています。
これからも地域の担い手となる子どもの育成に協力していきます。
■青森市立三内中学校
渡邊 諭 校長
三内中学校には吹奏楽部がありませんでしたが、学校運営協議会の意見で、三内西小学校に音楽の専門性に長けた先生が配置され、小中一貫教育のもと、小学生と共に部活動を継続しております。
コロナ禍においてもICT端末を活用し、遠隔指導を受けたり、小学生と交流したりすることで、演奏にも力が入り、吹奏楽に取り組めることに喜びを感じているようです。
問合せ:文化学習活動推進課
【電話】017-718-1384
〔広報あおもり 令和3年6月15日号〕 

周辺ニュース

ページ名 伊勢市生活サポートセンター 三重県伊勢市 (自治体福祉相談室・三重県、  )
健康で文化的な最低限度の生活保障のため 生活困窮者自立支援・生活保護制度
生活に不安を感じたら…
生活に行き詰まってしまったら…
〇生活保護制度に該当する人は生活支援課へ引き継ぎます
↓↑
〇生活保護制度に該当しない人は「あゆみ」を案内します
■生活困窮者自立相談支援~伊勢市生活サポートセンターあゆみ~
生活費、病気・健康、住まい、仕事探し、債務、ひきこもり、不登校、食べる物がないなど、生活に困り事や心配事がある人は、一人で悩まず、福祉の総合相談窓口である「伊勢市生活サポートセンターあゆみ」へ相談してください。
▼支援内容
(1)相談支援員が相談者の相談に包括的に対応し、生活課題を解決するため、伴走するかたちで支援します。
(2)就労支援員が、就職や継続就労を支援します。
(3)住居を喪失または喪失の恐れがある離職者などに、基準額以内で家賃を支給します。
(4)学習支援員が学習・進路、生活習慣への助言や支援を行います。
■生活保護~生活支援課~
コロナ禍の影響で仕事が減ったなどで困っていませんか?
もしかしたら、生活保護の制度があなたの助けとなるかもしれません。まずは相談してください。
※生活保護の受給には条件があります。
▼生活保護の目的
憲法第25条で定める生存権に基づき、生活に困窮している人に対して必要な保護を行うとともに自立に向けた支援をします。
▼生活保護を受ける要件など
売却できる物があればそれを売却して生活費に充(あ)て、働ける場合は働くなど、あらゆる資産や能力を活用し、また、年金・手当などの公的給付を受け、民法で定める扶養義務者による扶養を優先させても、なお最低限度の生活を維持できない場合に、生活保護が必要と判断されます。
※給付される生活保護費の金額は、状況によって異なります。
※生活保護受給中は生活上のさまざまな義務が生じます。
詳しくは生活支援課へ問い合わせるか、市のホームページをご覧ください。
問合せ:
⃝生活や福祉に関する困り事の相談支援など…伊勢市生活サポートセンターあゆみ【電話】63-5224【FAX】27-2412
⃝生活保護に関すること、生活保護申請の手続き…生活支援課支援第一係・第二係【電話】21-5556【FAX】21-5555
⃝生活困窮者自立支援制度、生活保護医療券・介護券に関すること…生活支援課生活支援係【電話】21-5538【FAX】21-5555
〔広報いせ 令和3年6月15日号〕 

周辺ニュース

ページ名 狛江市子ども政策課 東京都狛江市 (自治体福祉相談室・東京都、  )
子ども・若者のひきこもりに関する講座および相談会「不登校・ひきこもりにどう寄り添うか」
日程・期間:2021/7月3日(土)
会場・所在地:防災センター3階会議室
対象・資格:市内在住のひきこもりの子ども・若者等が身近にいる家族や友人の方等
■講演会
時間:午後1時~2時20分
定員:先着15人
内容:現在のひきこもりの状況やひきこもりの子への接し方(上手なコミュニケーションのとり方)等について
講師:内田良子さん(心理カウンセラー)
■相談会
時間:午後2時40分~3時40分
定員:先着6人
内容:若者のひきこもりに関する相談を専門の相談員がお受けします(30分程度)。
申し込み・問い合わせ:6月30日(水)までに、電子申請で子ども政策課企画支援係へ。
〔広報こまえ 令和3年6月15日号〕 

周辺ニュース

ページ名 ちば南部地域若者サポートステーション 千葉県 (若者サポートステーション・千葉県  )
ニート・ひきこもり・不登校でお悩みの方の相談会
日時:2021/6月29日(火)午後2時~4時
場所:市民会館 3階中ホール
対象:15歳~49歳の方とその保護者、またはニート・ひきこもり・不登校に関心のある方
申込方法:電話
申込み:ちば南部地域若者サポートステーション
【電話】23-3711
〔広報そでがうら 2021年6月15日〕 

周辺ニュース

ページ名 高尾山学園 東京都八王子市 (中学校・東京都  )
不登校の子どもたちを支援する学校などの説明会
高尾山学園や適応指導教室「やまゆり」についての説明を行うほか、利用に関する相談を受け付けます。
対象:市内在住で小・中学生の保護者
日時:2021/7月9日(金)午後6時30分~8時
会場:教育センター
申込み:電話で教育指導課(【電話】663・3216)へ
〔広報はちおうじ 令和3年6月15日号〕 

周辺ニュース

ページ名 葛飾区生涯学習課 東京都葛飾区 (自治体福祉相談室・東京都、  )
不登校について語ろう 親カフェ
不登校やいじめ、引きこもり、発達障害などで悩む親同士で話し合い、解決の糸口を探します。
日時:6月26日(土曜日)午前10時~正午。直接会場へ。
会場:亀有地区センター(亀有3-26-1リリオ館7階)
担当課:生涯学習課
【電話】03-5654-8475
〔広報かつしか 令和3年6月15日号〕

周辺ニュース

ページ名 鈴木直光『新訂版 発達障がいに困っている人びと』 (本・漫画・映画、発達障害のニュース、)
「普通」を望む親多数…「発達障がいの子ども」の進路選択
筑波こどものこころクリニック院長/小児科医の鈴木直光氏は著書『新訂版 発達障がいに困っている人びと』のなかで、発達障がいとどのように向き合うべきか語っています。
本記事では、発達障がいの子どもの進路について、実例をもとに解説します。
急増する「発達障がい」…14項目の簡易診断チェック
「専門の教育機関」の整備は進んでいないものの…
小・中学校、高校と周りの人たちと同じように勉強するだけが選択肢ではありません。
デンマークには自閉症専門の学校まで用意されていますが、日本では残念ながら発達障がいのお子さんを専門に教育してくれる学校が整備されていません。
国や自治体、教育委員会といったところも含めてまだまだ改革が必要ですが、少なからず進路の選択はできるようになりました。
最近、教室に馴染めないお子さんのために、別室で主に算数と国語の授業を少人数で受けることのできる特別支援学級が、多くの小・中学校で設置されるようになっています。
音過敏のある自閉スペクトラム症のお子さんも、うるさい普通クラスよりは少人数の静かな特別支援学級の方がいいのです。
私のクリニックへ来ている不登校の患者さんの多くは、鉛筆の書く音やイスのギーギーする「音」が嫌で行きたくないと言っています。
そういう音過敏のあるお子さんにはイヤーマフという工夫をしています。
頑なに「普通の学校」に進学させたがる親も多いが…
障がいを持った人たちが小・中学校、高校に準じた教育を受けられるための特別支援学校というのもありますし、
高校になれば、好きな時間に行って3年間で74単位をとれば卒業資格のもらえるフレックススクールや、主に家庭で学習する通信制など、いろいろなケースに合わせて学校が選べます。
このように選択の幅はあるのですが、親世代に馴染みがないこともあり「うちの子は他の子と同じように一般的な(普通の)学校に行く」と親御さん自身が頑(かたく)なになっているケースも少なくありません。
もちろんそれも選択肢の一つかもしれませんが、一般的な学校は発達障がいに関する理解が乏しく、せっかく入学したとしても、十分な支援や配慮がなされないまま不登校になってしまうケースも多いのです。
そうであるならば、より発達障がいのお子さんに理解がある特別支援学校などで社会性を身につけさせ、就職へつなげるという手もあります。
実際最終的には特別支援学校へ行った方が就職しやすかったということも多いようです。
一般的な学校であろうと、特別支援学校だろうと、大切なのは「環境」です。
自閉スペクトラム症と診断された男の子。学校の対応は
私の知っている自閉スペクトラム症と診断された男のお子さんで、幼稚園、小・中学校と、地元の公立に通っていた方がいました。
知的な発達に関して優れたところがあるというわけではなかったのですが、いい担任、園長、校長、さらにいい同級生に巡り会えたため、なんの問題、いじめ、トラブルもなく地元の中学校を卒業しました。
特に医療は定期的には受診せず、投薬治療もされていませんでした。
就学前まで言語教室には通っていたようです。
親御さんは、高校は社会性も身につくと考え、特別支援学校に通わせることにしました。
特別支援学校高等部では優秀な生徒さんで、大きな問題もなく卒業し、彼は国立大学法人の事務職に就職しました。
学校でも今までなかったことであり、国立大学側でも、初めての採用ということで、サポート体制に力を入れてくれています。
そのお子さんのように、担任と園長・校長、そして周りの仲間が発達障がいに理解のある素晴らしい教育環境に巡り会えれば、いじめなどで自尊心を落とすこともなく、成長できます。
親御さんの基準ではなく、お子さんが今どのような状態でどのようなことができるのか、そして何がお子さんのためになるのかという基準で進路を考え、導いてあげてください。
それが、不登校への予防、お子さんの未来へとつながっていきます。
鈴木 直光 筑波こどものこころクリニック院長・小児科医
小児神経学会認定医博士(医学)
幻冬舎ゴールドライフオンライン
〔2021年5/22(土) 幻冬舎ゴールドオンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 ひきこもり通所施設  (ひきこもりの動き、新型コロナ、  )
引きこもりの息子が20数年ぶりに家の外へ 自分の居場所を見つけた矢先…緊急事態宣言が招いた家族の孤立
新型コロナウイルスの感染がこれまでにないほどの勢いで拡大する中、多くの方が我慢を強いられる環境におかれています。
また飲食店だけではなく、病院や高齢者・障害者施設においてクラスターが発生したというニュースが後を絶ちません。
とくに病院や施設では誰か一人が感染すると一気に感染が拡がってしまうリスクが高いことから、感染対策はとても厳しく行われています。
こうした感染対策の強化により、いま大きな不安を抱える家族が多くいます。
取材を受けてくれたのは、愛知県在住のAさん(40代・男性)とその母であるYさん(60代・パート勤務)です。
Aさんは16歳からひきこもりの生活を送っていましたが、2019年11月にひきこもりの方を支援する通所施設に通うようになりました。
しかしその3カ月後の2020年2月、新型コロナウイルスの感染が拡大したのです。
■「これまであきらめずに頑張ってよかった」そう喜んだあの日の笑顔
Yさんの子どもであるAさんは高校生のとき同級生からの心無い言葉に傷つき、不登校となりました。
そしてその1年後、高校を中退し、外はもちろんトイレに行く以外はほとんど自分の部屋から出てこなくなりました。
YさんはじめAさんの父親、親戚はどうにかAさんを部屋から出したいと必死になればなるほど、Aさんと家族の関係は悪化していきました。
しかし2019年7月にAさんの父親が亡くなったことで、Aさんの心に変化が訪れました。
Aさんは父親の葬儀に参列することができませんでした。
Aさんは当時の心境について「父親が死んだ…。いつかは母親も死ぬ。その前に勇気を出してみようと思ったんです」と話してくれました。
そして迎えた2019年11月。
多くの方の支援を受けながら、ひきこもりの方を支援する施設に通うことが決まりました。
二十数年ぶりに自宅から外に出たのです。
このときYさんは号泣しながらAさんを見ると、Aさんの目からも大粒の涙が流れていたそうです。
Yさんは「これまで何度もあきらめそうになった。
でもあきらめずに頑張ってよかった」と心の中で何度も叫んだそうです。
■やっと見つけた居場所…しかし行くことができない
それからAさんは毎日、施設に通うようになりました。
慣れるまでは外に出ること自体を苦痛に感じることもありましたが、同じ苦しみを経験した人たちと話すことで「一人じゃない。自分にも友達がいる」と感じることができるようになったそうです。
施設に通い、将来はアルバイトをしてみたいと希望を抱いていた矢先の2020年2月に新型コロナウイルスが日本を襲ったのです。
その3カ月後、Aさんが住む愛知県に緊急事態宣言が発令され、Aさんは施設に通うことができなくなりました。
自分の居場所を見つけたとうれしそうに施設に通っていたAさんでしたが、予期せぬ出来事に落ち込み、部屋から出てくることはできるものの外に出ることができなくなりました。
「誰かと仲良くなると、必ず誰か(何か)が邪魔をする」とAさんが小さな声で記者に話してくれたことが深く印象に残りました。
■コロナ禍のいま…家族が孤立している現状
緊急事態宣言が明けたあと感染の拡大は落ち着きをみせたものの、第2波・第3波と感染の波が押し寄せ、さらに変異株といわれるウイルスが日本全国に猛威を奮っています。
こうした感染状況を受け、Aさんの通う施設も受け入れを再開してもまたすぐに受け入れを中止せざる得ない状況となっています。
「このまま施設にも忘れ去られてしまうのではないか」「誰とも話ができない日がまた訪れてしまうのではないか」と、不安を口にするAさんにYさんはどう接したらよいのかわからないと悩まれていました。
」新型コロナウイルスの感染対策を強化することは大切ですが、その一方で居場所を失い、孤立化していく家族がいます。
いま人とのつながりが重要である方々に対する支援に目を向けることも長期化するコロナ禍において大切なことではないでしょうか。
(まいどなニュース特約・長岡 杏果)
〔2021年5/21(金) まいどなニュース〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
スクールロイヤー 弁護士と教師は仲が悪い?~「現場を知らないスクールロイヤー」にならないために~ 最近、弁護士が学校教育に関して書いた本がたくさん出版されています。 これまでも弁護士が教育関係の本を出版することはありましたが、最近の傾向は少し変わってきているように思います。 数年前までは弁護士が書いた教育関係の本の大半は「学校事故」や「法教育」の本でした(弁護士による法教育の実践授業自体は現在もさかんに行われています)。 しかし、最近は「いじめ」や「スクールロイヤー」に関する本が主流になっています。また、法律論とはやや離れて、教育論について書いた弁護士の本も増えています。 学校教育はほとんど誰もが経験していますし、保護者としても学校と関係を持つので、その気になれば誰でも教育評論家になれますし、書こうと思えば誰でも本が書ける特殊な分野なのですが、法律の専門家である弁護士が教育関係の本をかなり書いていることを不思議に思う人もいるかもしれません。

弁護士が書いたいじめの本が増えたのは、2013年にいじめ防止対策推進法が制定されたことが影響しています。また、スクールロイヤーの本が増えたのは、2017年から文部科学省が予算を付けて調査研究事業を始めたことも影響しています。 もっとも、実際にはスクールロイヤーをしている弁護士も含めて、教育関係の本を書いている弁護士の多くは、教師として学校現場で働いた経験や教育学の専門的な知識があるわけではないので、経験論や実証的な学術研究に基づいた本というわけではありません。

スクールロイヤーに教師の経験は必要? ただ、私自身はスクールロイヤーには教員免許も教師の経験も必要ないという考え方もあり得ると考えています。スクールロイヤーの役割をどのように理解するかにもよりますが、法律の専門家としてあくまでも法的な視点からのみに基づいて学校現場に関わることが求められるのであれば、むしろ弁護士としての経験が豊富な人のほうがよいはずだからです。 スクールロイヤーが生半可な知識や経験で、専門外である教育や福祉、心理学などの多面的な視点を織り交ぜて学校と関わることは、かえって子どもたちや教師、ひいてはスクールカウンセラーなどの他の専門職にとって有害になる可能性すらあります。

もっとも、公立学校が税金で経験豊富な弁護士に関わってもらうのであれば、納税者である保護者の側も公費で弁護士にアクセスできる制度が整備されなければ公平とは言えないでしょう(このことはこちらの記事で紹介しています)。 また、弁護士同士でのやり取りでトラブルが迅速に解決することもあります。保護者側に弁護士が付くことで、学校側にとっても負担が少なくなるケースも少なくありません。 ただ、学校という場に弁護士が積極的に介入することが望ましいかどうかは当然議論の余地があります。

弁護士と教師は仲良くできる? 一方、どのような立場であれ、弁護士が教育問題に関わるのであれば、スクールロイヤーに限らずたとえ経験豊富な弁護士であっても、弁護士という職業が教師からどのように思われているかは一応自覚しておく必要はあると思います。 私は昨年出版した『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』という本の最初に、ベテラン弁護士の方と一緒に小学校に調査に訪問した際に現場の先生から投げかけられた言葉を紹介しています。それは、「あなたたち弁護士は現場のことを何もわかっていない」という言葉でした。

もちろん、教師にこう言われればカチンとくる弁護士のほうが多いでしょう。 しかし、それは弁護士も同じことです。弁護士が一生懸命被告人や非行少年の人権のために頑張っているのに、それを弁護士以外の人間から批判されれば、「あなたたちは人権のことを何もわかっていない」と言い返す弁護士のほうが多いと思います。

なぜ、教師は一般的に弁護士に対してあまり良い感情を持っていないのでしょうか。 それは、これまでの弁護士と学校との関わり合いが必ずしも協調的なものではなかったことにも一因があります。 むしろ、これまで学校の事件に関わってきた多くの弁護士は、校則や体罰、いじめなどが問題になれば、弁護士の常識である人権の概念からすればおよそかけ離れたコンプライアンス意識の学校教育の現実を批判し、教師と対立的な関係を築いてきたと思います。 教師の中には「わいせつ教員」のように、誰がどう考えても法の制裁を受けなければならない者が存在していることも真実です(私自身もわいせつ教員の免許は失効させるべきだと考えています)。また、そのような教師を自浄的に排除できない学校現場の構造にも問題はあると思います。

ただし、弁護士と教師が対立的な関係になっているケースの中には、見方を変えれば、弁護士が法律学の演繹的な思考の下で優先している価値判断を、経験的・帰納的に対応しなければならない学校現場の現実に押し付けているケースも少なからずあるのではないかと思います。 現場で何かあれば責任を負わなければならない教師の立場からすれば、責任を負わなくてもよい弁護士が主張する法律論を素直に理解しろと言われても、心情的には難しい面があるでしょう(私自身も教師としてはそう思うケースが少なくありません)。

しかも、実際には法律のほうが日本の学校の現実に必ずしも適合していない内容を含んでいる場合だってあり得るのです。 学校現場では弁護士の演繹的思考だけではどうにもならない現実がたくさんあります。 例えば、同じ中学2年生なのに、なぜ14歳の誕生日を迎えている中2には犯罪が成立し、そうでない中2には犯罪が成立しないのか。「法律がそうなっているから」という回答だけでは子どもたちも教師も納得してくれません。

教師が校則の根拠を合理的に説明できないこともあれば、弁護士も法律の根拠を合理的に説明できないことだってあるのです。 確かに、学校や教師の価値観は社会の動向と比べると遅れているところもあります。しかし、それはどの業界だってあることです。 例えば、学校のオンライン化の遅れを批判する弁護士もいますが、当の弁護士業界は未だに裁判の書類を送るのにメールではなくFAXを使っているのです(というより、メールで送るのは禁止されているのにFAXで送るのはOKという、不思議なルールです)。

「チーム学校」は子どものために互いの立場を理解し合うこと 前述のように、私はスクールロイヤーには必ずしも教師の経験は必要ないと述べましたが、それは法的な視点だけで学校と関わるスタンスを徹底する場合です。 スクールロイヤーの役割については様々な議論がありますが、もし、教育的視点も踏まえて学校と関わることをスクールロイヤーの特徴として重視するならば、教師の経験はあったほうがよいと思いますし、同様に、スクールロイヤーが福祉的視点も踏まえて関わるならば、福祉の専門家として活動した経験があったほうがよいでしょう。 なぜなら、そうした経験があれば、弁護士以外の専門職の立場から見えている景色が理解できるからです。

このことは、2015年に中央教育審議会が発表した答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」において、「多様な経験や専門性を持った人材を学校教育で生かしていくためには、教員が、子供たちの状況を総合的に把握して指導を行い、成果をあげている面にも配慮しながら、教員が担うべき業務や役割を見直し、多職種による協働の文化を学校に取り入れていくことが大切である。」(15頁)として、学校における「協働の文化」を創り出していくことにも関連します。 子どもたちに関わる様々な専門職同士が、お互いの立場が理解できていなければ、子どものために「協働の文化」を創り出していくことは困難だからです。 スクールロイヤーがいじめや不登校などの学校が直面する問題に対して「チームとしての学校」の一員として関わっていくのであれば、教師の経験や福祉の専門家の経験などの他の専門職の経験があったほうがよいですが、もしないのであれば、研修などを通じて異なる専門職間の立場を理解する機会を増やしていくことが必要だと思います。

神内聡 スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院准教授 スクールロイヤー。昨年度まで日本で初めて法曹資格を持つ教師として活動し、現在は弁護士で初めて教職大学院の教員に就任。学校での外部人材の効果検証や法教育などの研究活動に従事しながら、教師の経験を活かし、学校現場に詳しい弁護士として様々なスクールロイヤー活動を行っている。専門は教育法・学校経営。高校では現代社会・世界史を担当。東京大学法学部卒業・同大学院教育学研究科修了。専修教員免許取得。著書に『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)、『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版)、『Q&Aでわかる業種別法務 学校』(中央経済社・編著)など。 〔2021年5/29(土) 神内聡 スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院准教授〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
若者とコロナ 若い世代でコロナの感染拡大が続くなか、当事者となるZ世代が提言 TOKYO MX(地上波9ch)朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」(毎週月~金曜7:00~)。放送では、新型コロナウイルスが若い世代で感染拡大する現状について議論しました。 ◆若い世代も自粛しているものの止まらない感染拡大 NPO法人「あなたのいばしょ」代表の大空幸星さんは、若者も含め国民全体が自粛しているにも関わらず感染拡大が進むなか、この状況を変える鍵となるのは「感染症対策」と指摘。感染が下火になったニュージーランドを例に挙げ、「徹底したゲノム解析を含め、感染源の洗い出しも行っている。本丸の感染対策をしっかりやることが一番大事だと思う」と改めて主張します。

現在、驚異と目されている変異株。5月3日に発表された変異株のスクリーニング検査の結果は、総数649人のうち20代が193人で30代が106人。20代が全体の3割を占めるなど、やはり若者の間での感染が危惧されています。 しかし、インスタメディア「NO YOUTH NO JAPAN」代表の能條桃子さんは「この数字だけを見て若い世代だけ取り上げることは危険なんじゃないか」と憂慮し、「若い世代も自粛しているし、それでもまだ収まっていないのだから、他の方法も考えないといけない」と言います。

◆東京都が行う新たな感染予防対策…Z世代の評価は? そんななか、東京都は人気YouTubeチャンネル「はじめまして松尾です」と小池知事がコラボした感染予防を呼びかける動画を5月1日に公開。その再生回数は放送時ですでに120万回以上と大きな注目を集めています。

これに対し、キャスターの堀潤は「やれることは全部やり切ったらいい」と言い、大空さんも「各地方自治体が創意工夫し素晴らしい。これは(クリエイター側が)無償協力していて、クリエイターのみなさんも素晴らしい」と評価。ただ、「これを観ているのは、多分自粛している若者たち。街に出て、大人数でお酒を飲んでいる人たちはあまり観ていないと思う」と効果のほどが不確かで、「彼らにどう届けるかをもっと考えないといけない」と提起します。 能條さんも「動画自体は面白い」と言いつつも、「これはこれでいいんだけど、今の若い世代が求めているのは、自分の行動をなぜ変えないといけないのか。それを理解できるコンテンツやエビデンスベースの政策。例えばデータを使うなど、こういう未来のためにこういう行動をしてほしいと未来を見せることが大事」とさらなる施策を求めます。

◆オンライン授業は今後も続けるべきなのか? また、この日はコロナ禍で広がるオンライン授業の是非についても言及。番組Twitterには、「対面と併せてリモートでしかできない授業ができるといいね」、「分量はともかくオンライン授業は続けるべき。近年増えている地震や水害などの被災時にも教育をインフラとして継続できる可能性がある。不登校にも」といった意見が寄せられ、大空さんが手掛ける相談窓口にもさまざまな声が届いていると言います。 この1年間のオンライン授業で鬱のような状態になってしまった学生がたくさんいるそうで、大空さんは「学校に行きたい人は行ける、オンラインを受けたい人は自宅でオンライン授業が受けられる、そのハイブリッドが一番望ましいんじゃないか」と訴えます。

一方、能條さんは「学校の目的は、ただ知識をインプットすることだけじゃない。(友人などと)直接会って得られるものも大事にしたい」と話していました。 この日は、視聴者に「コロナが終息してもオンライン授業を続けるべき?」というテーマで生投票を実施。結果は以下の通りです。

◆コロナが終息してもオンライン授業を続けるべき? 続けるべき……832pt 続ける必要はない……657pt どちらとも言えない……513pt 〔2021年5/29(土) TOKYO MX〕 


周辺ニュース

ページ名 吃音  (発達障害のニュース、  )
名前が言えずゴミを投げられた。「吃音」の無理解に苦しむ若者たち
小学6年の頃の奥村安莉沙さん。当時吃音は「うつる」と思われ、同級生たちから避けられていたという
授業参観で音読をした後、一番仲が良かった友達の母親から尋ねられた。
「ありさちゃん、最近うちの子と話してる?」
当時小学3年生だった奥村安莉沙(ありさ)さん(29)が「うん」と答えた数日後、その友達から「お母さんに、もう一緒に遊んじゃいけないって言われた」と伝えられた。
「その病気、うつるのが心配だって」
それっきり、その子とは遊べなくなった。
「私の話し方は、周りと違うんだな」。初めて気づいた瞬間だった。
同じ音を繰り返したり、音が詰まって出てこなかったりする「吃音」。
幼児期では10人~20人に1人の割合でみられ、成人では100人に1人があるといわれる。
日本では約120万人が症状を持つとされる。
生まれ持った体質的要因と環境要因が複数関わって生じるとされ、伝染するものではない。
アメリカ大統領のジョー・バイデンや、プロゴルファーのタイガー・ウッズ、元首相の田中角栄、俳優のマリリン・モンローなどの著名人も、吃音症だと知られている。
吃音の認知はこの数十年間で広がったが、吃音のある子どもが学校でいじめを受けたり、大人になっても職場で差別的な扱いをされたりするケースは後を絶たない。
のどをカミソリで傷つけ
奥村さんも、子どもの頃から重い吃音があり、教員や同級生などからの偏見や無理解に苦しんだ経験がある一人だ。
小学校高学年になると、奥村さんは語音を繰り返す「連発」と、語音が詰まって出ない「難発」の症状が出るようになった。
朗読中に「どもる」と、クラスメートも先生も、どっと笑った。
そのうち、音読の順番が奥村さんに回るとクラス中が耳をふさぐようになった。
「当時、『吃音は伝染病で会話したらうつる、声を聞いたらうつる』と思われていました。
廊下を歩くと、同級生たちは怖がってサーっとよけていく。家族以外で、誰も私に触ろうとしませんでした」
中学に上がると、いじめはエスカレートした。
自己紹介をする時、名前の一文字目の「お」が出てこない。
口をぱくぱく開けて、10分くらい過ぎてしまう。
「そんな時間かかるなら飛ばせ飛ばせ」
後ろの席からゴミを投げられた。
クラスメートのいじめ以上につらかったのは、教員にわかってもらえないことだった。
音読で最初の言葉に詰まって声を出せないと、「集中してください」と教師に怒られた。
真剣に授業を受けているのに、誤解されてしまう。
「声が出なくなればいいと思って、カミソリでのどを傷つけたこともあります。100回くらい、死にたいと思いました」
一次面接で200社落ちた
『マイ・ビューティフル・スタッター』の一場面。
吃音の自助団体の合宿で仲間と出会い、子どもたちは吃音のある自分を受け入れ、自信を取り戻していく
地元から離れた高校に進学すると、絶望していた日常が一変した。
入学試験の面接で、吃音があることを伝えた上で合格した。
症状はさらに重くなっていたが、友人も先生も、吃音をからかう人は一人もいなかった。
「天国みたいでした」
それでも、就職活動は難航した。書類選考を通っても、一次面接で200社落ち続けた。
唯一、ホームヘルパーの事業所の採用が決まった。事業所の社長も吃音のある人だった。
ある事故をきっかけに、奥村さんは治療を決断する。
23歳の頃、訪問先にバイクで移動中、大雨でスリップしてしまった。
大型トラックの下に体ごと滑り込んだが、吃音で声が出ず「助けて」と言えない。
偶然通りかかった作業員の足をつかんだことで気づいてもらえ、大惨事を免れた。
「このままではこの先、事故で死ぬかもしれない」
恐怖を覚えた奥村さんは、交際相手の男性と一緒に転居したオーストラリアで、通院を始めた。
発話の練習をほぼ毎日、1年ほど続けると、最重度だった症状は日常生活でほとんど支障がないほどまでに良くなった。
男性と結婚後、日本に帰国。
「自分のような思いを今の子どもたちにしてほしくない」と、吃音への理解を広める活動に取り組んでいる。
吃音のある子どもたちの葛藤や成長を描いた海外映画『マイ・ビューティフル・スタッター』の翻訳を担当して日本で公開したほか、吃音当事者の体験談を集めてSNSで発信している。
先生は「みっともない」、職場でからかいも
奥村安莉沙さん。吃音を相談できる医療施設のリストを作るなど、当事者のための活動に取り組んでいる
奥村さんが吃音の体験談をSNSで募ったところ、1カ月ほどで約160件の声が集まった。
小中学生や高校生など若い世代からの訴えも多かった。
「たった一人で秘密を持つという孤独とどもりへの恐怖から、10歳に満たない頃には『自殺』という言葉が毎日頭に浮かんだ」
「授業で吃音が出てしまった時、『その話し方は何?ふざけないで。みっともないから止めなさい』と先生に叱られた」
「中学時代に、吃音症が原因でいじめにあい不登校になりました」
職場で差別的な扱いをされる人も。
「社会人になり5年目ですが、会社でもいじってくる上司がいて、つらいです」
「障害者採用でもまねやからかいは絶えず、苦しい日々を送っています」
奥村さんは、「吃音を理由にいじめられたり、先生や親から叱られたりする子どもたちがいまだにいます。
吃音の認知や理解はまだまだ足りていません」と強調する。
「育て方」のせいじゃない
「吃音は、親の愛情不足が原因だ。育て方に問題がある」
「子どもに吃音を意識させなければ治る」
「左利きを右利きに矯正することで発症する」――。
吃音をめぐり、かつてはこうした言説が広く信じられていた。
吃音の研究が進み、これらはいずれも間違いであることが分かっている。
吃音の原因はまだ解明されていないが、生まれ持った体質的要因と環境要因が関わって生じるとされている。
発話指導などを通して、症状が軽減されたり、言葉を出しやすくなったりすることがある。
九州大学病院の耳鼻咽喉・頭頸部外科の外来医長、菊池良和さんは、「外来に相談に来る患者の約6割は、小学生の頃に話し方を真似されたり、笑われたりといったいじめを受けた経験があります」と話す。
菊池さん自身も、幼少期から吃音のある当事者だ。
「中高生の患者のうち、約3割は不登校が主な訴えです。
その半分以上が、先生に吃音を理解されないことで学校に通えなくなっています。
小学校と違って教科ごとに先生が変わると、生徒に吃音があることを知らない先生も出てくる。
先生が期待するスピードで話せないと、『勉強が足りてない』と誤解されて注意を受けます。
吃音のある人が抱える困難は、本来の能力を過小評価されてしまうことにあるんです」
障害者手帳を取るケースも
一方で、菊池さんは「保護者側の意識はどんどん変わってきている」とみる。
どういうことか?
「これまで、『吃音は恥ずかしいもの』と考えたり、『子どもに意識させてはいけない』と思い込んだりして、保護者が子どもの吃音を隠すことが多かった。
ですが最近は、吃音があっても子どもが生きやすいように環境を整えようと、保護者が学校の先生などに吃音のことを積極的に伝えるケースが増えています」
吃音の診断を受けると、発達障害者支援法に基づいて精神障害者保健福祉手帳を取得できる場合がある。
菊池さんによると、保護者が子どものために早いうちから手帳を申請する事例が出てきているという。
「学校側に手帳を提示することで、先生が子どもの悩みを真剣に受け止め、からかう生徒を注意したり、必要な配慮を一緒に考えてくれたりするようになります。
吃音をオープンにしていくことは、子どもが『話したい』という意欲を持つためにも大事なことです」
必要な配慮とは?
「吃音」とひと口に言っても、症状の幅は人によって様々だ。
さらに、同じ人でも時期や場面によって症状に波がある。
具体的には、どのような配慮が必要なのか? 菊池さんが執筆した『吃音の合理的配慮』(学苑社)は、小中学校や高校、企業などに対し、吃音のある人への具体的な配慮の事例を説明するときに活用できる資料を掲載している。
学苑社のサイトから、資料のPDFをダウンロードできる。
例えば、中高生が先生にわたすことを想定した資料では、<面接時に「失礼します」「自己紹介」など、流暢に言えない><点呼に「はい」と言えない>など、困難になり得る場面を例示。
考えられる支援の例として、<寛容な聞き手の姿勢><挙手で確認>などを挙げている。
企業向けの資料では、「最初の言葉を2人で言うと流暢に言えます」「電話・館内放送が一番難しいです。
困難に思っている場合は、援助いただけると嬉しいです(例:代わりに電話、メール、FAXなど)」といった配慮の例を載せている。
奥村さんは、SNSで寄せられた体験談を踏まえ、吃音のある子どもたちへの適切な対応をまとめたガイドラインの作成を目指している。
「吃音で特につらい思いをしたことがない人に共通しているのは、『周りの人たちから理解されていた』ことでした。
本人がどんな対応をしてほしいのかを安心して伝えられ、受け止めてくれる人がいることで当事者はずっと生きやすくなります」
國崎万智(Machi Kunizaki) 〔2021年5/31(月) ハフポスト日本版〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
正しい休み方 子どもが「学校を休みたい」と言い出したらどうする? 子どもと一緒に学びたい「正しい休み方」 子どもが学校に行くのに苦しさを感じているとき、見守る大人はどのような対応をとればよいのでしょうか。 『学校では教えてくれない自分を休ませる方法』は、休む権利を子どもたちに委ねることを推奨している1冊。小学校高学年から読めるやさしい文章で、「正しい休み方」をまとめています。著者である精神科医井上祐紀先生は「サボる」や「逃げ」といったネガティブなイメージではなく、問題解決の手段として「休むこと」を提案をしています。

■■ストレスサインを見逃さないで 体の疲れに比べて心の疲れは気付きにくく、休むタイミングもわかりづらいもの。 まずは子どもに次の表を見せて、ストレスサインが出ていないかをチェックしてみてください。ひとつでも当てはまったら、少なからず子どもの心が休みを求めている証拠。反対に、しっかり休むことができたらこのストレスサインが徐々に減っていきます。

■■「自主休校」の大切さ 「休み」は誰にとっても絶対に必要なこと。会社員だったら有給休暇という制度があり、特に理由がなくても休みをとる権利が保障されていますが、子どもは基本的に病気やケガなどの理由がないと学校を休むことが許されていません。 「疲れた」「休みたい」と感じるくらいの「病気になる手前」で休むことができれば、すぐに元気になれることも多いもの。子どもが自分自身を守り、力を蓄えるためにも「学校に行かない」という選択が必要な場合もあるのです。 井上先生はそういった場合、「不登校」ではなく「自主休校」と言い表すのがよいと考えています。

■■ステップアップは少しずつ 学校を休む場合、子どもがうしろめたさを感じずにしっかりと休める環境づくりが必要、と井上先生は語ります。 大人は子どもの今の状態を知り、そしてその状態に合った目的や手段を考えてみましょう。 安全を感じていなければ睡眠や食事のリズムを整えることはできず、生活リズムが整っていなければ好きなことを楽しむことはできません。そして好きなことを楽しめなければ学校に戻るにせよ、他の道を選ぶにせよ、その準備をすることも難しくなってしまいます。 ステップアップは必ず1段階ずつ。子どもを見守る立場は、子どもの「今」に合う生活をサポートすることが大切です。

■■「ひとりで頑張る」ことを求めない 悩みやつらさは「自分一人でなんとかしなければいけない」ものではない、と井上先生は続けます。 その考えは自分に課すべきものでもなければ、子どもに求めるものでもありません。上手に休むためには誰かに相談することが必要です。 親はもちろん、学校の先生やスクールカウンセラー、習い事や趣味の活動など学校以外の場で関わりのある大人などが候補としてあげられます。 子どもにとって害のない「安全な相談者」を見極めるポイントは下の図の通り。大人から見たその人の印象ではなく、子ども当人にとってどうか? ということも大切です。 自分自身も子どもにとって「安全な相談者」であるかどうか、時折振り返ってみてもいいかもしれません。

文=小向佳乃 〔2021年5/31(月) レタスクラブ〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
15年前のいじめ被害 15年前のいじめ被害「今も夢に」 無視、机に花…高校転校 女性「学校目を背けないで」 公園で走り回る長女の姿を見つめながら、高校時代の経験を振り返る女性 「当時のことを今も夢に見るんです…」。県央在住の女性(30)は、公園のベンチで自らの震える手をぐっと握った。熊本市の県立高生だった15年ほど前。教室に入ると、自席の机に花が置かれていた。同級生からの無視や陰口にも苦しみ続けた。記憶をたぐりながら語る女性のかたわらで、長女(5)がお菓子をせがんだ。 女性が同級生から嫌がらせを受けるようになったのは、高校に入学した2006年の夏休みが明けたころ。学級委員長だった女性が、「クラスメートが複数の同級生に無視されている」と、担任教諭に相談したのがきっかけだった。無視の対象が女性に代わり「ちくり」「偽善者」と陰口をたたかれるようになった。インターネットの掲示板「学校裏サイト」にも中傷の言葉が並んだ。

学校を休みがちになり、修学旅行にも参加しなかった。同級生が修学旅行に出発した日、自習のために登校すると、教室の最前列の自席には、どこかでつんできたような花がいくつも置かれていた。黒板には「私たちだけで楽しんで来るね」という趣旨の言葉が書かれていた。 それまで無視や陰口を「ひどい嫌がらせ」と受け止めていた女性は、初めて「いじめ」だと確信した。その場に母親を呼び、複数の教諭も机上の花と黒板の文字を目にした。ただ、ある教諭は「これが百歩譲っていじめだとしても、いじめられる方にも問題があるんじゃないですか」と言った。

そのひと言で限界に達した。精神的に追い込まれながらも、「大学進学のために」とできる限り登校してきたが、2年生の途中で通信制高校へ転校した。大学へは行かなかった。 それから14年。ずっと胸の奥に押し込んでいた経験を、熊日の「SNSこちら編集局」(S編)に、語ろうと思ったのには理由がある。自身が通った同じ高校で、在学時にいじめを受け転校を余儀なくされた男性(22)の記事を目にしたからだ。学校の一連の対応が「いじめ問題から目を背けている」と自分の経験と重なったからだという。 記事の男性は15年に同校に入学。同級生から髪のことをからかわれたり、机やバッグを汚されたりして不登校になり、2年時に転校した。高校側は同級生の行為と不登校の因果関係を否定し、調査情報を開示しなかった。

このため、男性と母親(56)は18年、県弁護士会に人権救済を申し立て、20年12月、いじめ防止対策推進法の「重大事態」と判断された。県教育委員会も今年に入ってようやく、調査委員会の設置を決めた。 女性は仕事と子育てに追われる日々の中、今も高校時代の記憶に苦しみ続けている。「娘が大きくなったとき、自分と同じような被害に遭ってほしくない。同じ思いをする人を一人でも減らすためにも、学校側にはいじめと、その加害者にきちんと向き合ってもらいたい」と訴えた。(原大祐、澤本麻里子) 〔2021年6/1(火) 熊本日日新聞〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
ミュージカル「ムッちゃんの詩(うた)」 結核患い防空壕で孤独死 「ムっちゃんの詩」ドラマ化 コロナ禍の今こそ 終戦直後、結核を患い大分市の防空壕(ごう)で隔離されたまま孤独死した12歳の少女ムッちゃんを描いたミュージカル「ムッちゃんの詩(うた)」がドラマ化され、公演チケットサイト「カンフェティ」で配信されている。新型コロナウイルスが広がる中、人とのつながりや「生」をテーマに、他人に対する優しさやいたわりを問いかける。【柳瀬成一郎】

【3度の緊急事態、どこが違う?】 原作は、京都府木津川市の中尾町子さん(82)が疎開先の防空壕でムッちゃんに出会い実体験をまとめた児童文学「ムッちゃんの詩」(1982年)だ。当時、関西を中心にミュージカルなどに出演し、ダンス講師をしていた女優の京町(みやこ)さん(61)=東京都=が書店でこの本を見つけ、ダンスを通じて知り合った聴覚障害者に「耳が聞こえなくても楽しめるお芝居に」と求められ、手話を交えたミュージカルにした。

85年7月に京町さんの出身地、神戸で上演を始めた。一時中断した時期もあったが、京町さんは「ムッちゃんには中尾さんが喉の渇きを覚えた時に大切な水を分けてくれるなど、病気で差別されながらも人を思う優しい気持ちがあった。その姿に自分の求める女優人生があると」改めて感じ、2019年7月に26年ぶりに東京で公演を再開。ところが新型コロナが直撃し、20年は公演を延期せざるをえなかった。 そんな京町さんと長女で女優の土肥亜友美さん(23)に昨年夏に中尾さんから手紙が届いた。「コロナ禍の今だからこそ、ムッちゃんを演じてほしい」。新型コロナで舞台活動が制限される中、中尾さんの思いを酌んだ土肥さんが母のミュージカルを現代風にアレンジし、約70分の「しあわせ色の青い空~ムッちゃんの詩もう1つの物語」に仕上げた。

物語は東日本大震災で被災し、宮城県から京都府に引っ越した不登校の男子中学生が、担任らにミュージカル「ムッちゃんの詩」を演じることを呼びかけられ、友人や家族とつながりの大切さを学ぶ内容だ。 ドラマで監督と中尾さん役を務める土肥さんは「差別やいじめははびこり、コロナ禍で孤独な人も増えている。作品を通じて他者に寄り添う人が増えてくれれば」。中尾さんは「23歳の若者が演じてくれるのがうれしい。立場の弱い人をいたわる心が社会に広がれば」と話す。 チケットは視聴のみで1000円。22年の大分公演に向けたDVD付の応援チケット5000円もある。カンフェティのサイトで「しあわせ色の青い空」で検索を。予約・配信は30日まで。

◇ムッちゃん 大分市の防空壕(ごう)で太平洋戦争の終戦直後に一人寂しく亡くなった12歳の少女。横浜に住んでいたが、空襲で家族とはぐれた。1人で大分市の縁者を頼ったが、肺結核を患い、隔離されて防空壕でひっそり暮らしていた。中尾さんが1977年、壕内でムッちゃんと出会った悲話を毎日新聞に投稿し、大阪本社の故福井逸治記者が記事にして世に広めた。 〔2021年5/17(月) 毎日新聞〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
貧困強制社会 コロナ禍でシフトを減らされ、手取り14万円「貸付金で借金清算」行政に救われた発達障害男性 発達障害や性的指向のことを考えると「最後は独りで死んでいくんだろうと思います」と語るナルミさん。それでもこの1年は行政とつながることで希望も見えてきた

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。 今回紹介するのは「長く勤めていますが、他の人が当たり前にできることが自分にはできません」と編集部にメールをくれた、27歳の男性だ。

■勉強はできるが、単純作業は苦手 「ここまで数値に差があるのは初めて」 ナルミさん(仮名、27歳)は1年前に初めて成人用の知能検査「WAIS(ウェイス)―Ⅳ」を受けた。このとき、結果を見た臨床心理士からそう驚かれたことを、覚えている。 WAIS―Ⅳとは、発達障害を診断する際の参考にされる検査のひとつ。「言語理解」や「処理速度」といった4つの指標を数値化することで、得意なことと不得意なことの凹凸のあり方などをとらえることができるとされる。この数値の差が20~30あると、相当の生きづらさを抱えているといわれる。ナルミさんは、言語理解は「141」だったのに対し、処理速度は「68」。なんとその差が「73」もあったのだ。

検査についてもう少し説明しよう。 言語理解とは語彙力や抽象的な思考力を測る指標。この数値が高いと、学校の勉強ができたり、言葉で説明することが得意だったりする人が多い。一方の処理速度とは単純な作業を正確に素早く行う力を測る指標。この数値が高いと、マニュアルに沿ったデータ入力やルーティーンの作業をこなすことが得意な人が多い。 たしかに取材で会ったナルミさんは語彙も豊富で、受け答えも的確で、一見発達障害の診断を受けているようには見えなかった。しかし、現在アルバイトをしている倉庫内作業では「軽度の知的障害を持つ同僚のほうが僕よりも仕事はできます」と打ち明ける。このように得意なことと不得意なことの凹凸はすぐにはわかりづらいうえ、時に「甘えている」「手を抜いている」といった誤解を招くこともある。

一方でナルミさんが子どものころには、発達障害を持つ子どもの早期発見や専門的な支援はそれなりに進んでいたはずだ。発見が早いほど発達障害の特性によるトラブルや、それに伴ううつやひきこもり、自傷行為といった二次障害の予防につながるといわれる。 実際のところ、ナルミさんは「小さなころから普通とは違う子どもだった」。起床してから出かけるまでに2時間以上かかるのはざら。小学校に通う途中で見つけたシロツメクサとアカツメクサの違いが気になって何時間も道端に座り続けたり、何かに集中すると授業中に名前を呼ばれても気が付かないこともあったりした。 しかしながら学校の成績はトップクラス。ノートも取らないし、宿題も提出しないので教師との折り合いは悪かったものの、黒板に書かれていることや教科書を読めば、授業の内容を理解することはたやすかったという。「逆に先生の話は、聞いているうちに『なんの話だっけ?』となってしまいます。耳から入ってくる情報を処理することが苦手でした」。

■父が単身赴任で、子育ては母任せだった 明らかに「普通とは違う子」はなぜ支援の対象から漏れてしまったのか。 ナルミさんは「うちはずっと父が単身赴任で、子育ては母任せでした。母にしてみると、僕に障害があるとは思いたくなかった。僕が普通とは違うことを認める勇気がなかったのではないかと思います」と振り返る。 発達障害がわかるパターンとしては、保育園や幼稚園などの先生から医療機関や療育機関に相談するように言われたことがきっかけだったという事例は多い。とはいえ、ここで両親から拒絶されてはお手上げだ。

ナルミさんは「障害を認めたくない」両親からよく折檻を受けた。しかし、ナルミさんにはなぜ叱られたのかという記憶がほとんどないのだという。学校の授業と同じで、途中からなぜ怒られているのかということを理解できなくなるのだ。結局覚えているのは、たまに帰ってくる父親から顔がはれるまで殴られたことや、母親から本やおもちゃを投げつけられたことだけ。 「育てづらい子どもではあったのでしょう。でも、僕の中では『叩かれて痛い思いをした』という記憶しか残っていない。もっと早く障害がわかっていれば、あそこまで叩かれることはなかったのではないかと思います」

実はナルミさんは高校生のときに自分は発達障害なのではと思い、医療機関を受診したことがある。このときは問診だけだったものの、すぐに広汎性発達障害(当時)と診断された。ただこのときも母親から「お前は自分で自分のことを病気にしている」「甘えているだけ」と言われ、わずか数カ月で通院と服薬をやめてしまったのだという。 ナルミさんが本格的に発達障害の生きづらさと向き合うことになったのは、大学に入学してから。日雇いのアルバイトをしたとき、上司から日給を渡されながら、自分だけが「もう来ないでね」と言われたのだという。理由を尋ねると「仕事ができないから」。ナルミさんは「工場内のライン作業で、誰でもできる単純な仕事のはずでした。でも、その『誰でも』に自分は入ることができないんだと思うと、とてもショックでした」と振り返る。

カフェでもアルバイトをしたが、こちらは「遅刻の頻度がはんぱじゃなくて」3カ月ほどで辞めた。肝心の大学ではほとんど単位を取ることができず、2年で中退。「高校までは欠席が続けば学校から連絡がきますが、大学では当たり前ですが、そんなフォローはありません。計画的、自発的に取る授業を決め、レポートを提出するという普通のことが僕にはできなかったんです」。 大学中退後は、同じ会社で倉庫内作業のアルバイトとして働いている。商品の補充や片づけなどの作業には同僚の1.5倍は時間がかかっているという自覚がある。商品の種類や量を間違えるミスも多い。一度、出荷前の商品をチェックする仕事を任されたことがあるが、スピードについていけず数週間で担当を外された。不注意による怪我も絶えない。給料は手取りで月16万円ほどだったが、コロナ禍の影響でシフトカットされ、現在は同14万円ほどだという。

■2年前に家出同然で1人暮らしを始めたが… 実家では依然として両親、特に母親とのトラブルが絶えず、次第に自傷行為を繰り返すようになり、2年前に家出同然で1人暮らしを始めた。しかし、ここでは金銭管理の問題に直面することになる。カードローンや消費者金融からの借金があっという間に70万円に膨れ上がってしまったのだ。 ナルミさんは、髪は淡い茶色で、スウェットは鮮やかな珊瑚色、携帯は最新の機種だった。たしかに生活保護水準と変わらない給料では難しいおしゃれや持ち物かもしれない。また、性的指向が「ゲイよりのバイ」で、気に入ったメイク用品などを衝動買いしてしまうこともあるという。一方で自身の浪費癖については十分に自覚しており、「その場で買わないようにしようと、1、2時間かけて我慢することもあります。それでも買ってしまうときは、まるで脳内麻薬が出ているような感じなんです」と話す。

1人暮らしをしてみて気が付いたことがあると、ナルミさんはいう。「僕は人の手を借りないと生きていけないことがわかりました」。 かといって実家に戻っても、修羅場が繰り返されることは目に見えている。ナルミさんはネットなどで調べ、1年ほど前に地元の社会福祉協議会に相談をした。 ここで緊急小口資金や総合支援資金を活用するよう勧められたのだという。このとき、コロナ禍によりこれらの貸付金の上限額や使用目的は緩和されていた。ナルミさんは担当者の許可を得たうえで、貸付金で民間の借金を“清算”。続いて生活困窮者自立支援制度の相談窓口の紹介を受けた。

ナルミさんは今も継続的にこの窓口などで就労や家計の相談を続けている。ここ半年はアプリを使って家計簿をつけるようになったほか、服薬忘れや遅刻、ケアレスミスを防ぐために腕に巻きるタイプのメモを使うようになったという。 同じ時期にあらためて病院にも通い始めた。そこでWAIS―Ⅳを受け、発達障害の深刻さが客観的な数値からも明らかになった。認知行動療法にも通ってみたし、現在は障害年金の申請を行っているという。 いわゆる「公助」がうまく機能したケースといっていいのではないか。ナルミさんも「利用できる行政サービスや制度があることをもう少し早く知りたかった。望むことがあるとすれば、こうした制度の周知がもっと進めばいいなと思います」と話す。

■「言語理解」高い人に見られる共通点 本連載では発達障害と診断された人に出会う機会も多い。1人として同じケースはないが、ナルミさんのように「言語理解」の数値の高い人にはある共通点がある。文章を書くことが抜群にうまいのだ。

ナルミさんも以前、ライター養成講座に通っていたことがあるという。そこでの作品を何点か見せてもらったところ、やはり素晴らしい出来だった。意外なエピソードからの導入や起承転結の構成の鮮やかさといった技術的なことだけでなく、繊細な言葉選びはナルミさんならではのセンスだった。講師陣からの評価も「自分の世界観を持っている」「大きく花開く可能性がある」と高かったという。 ライター業に就きたいと考えたことはあるかと尋ねると、「そんな夢を持ったこともありました。でも、自分で仕事を取ってきたり、コツコツと交渉したりといったことは僕には無理だと思います」という。 ずいぶんと遠回りをしたし、今も何かが劇的に改善したわけではない。とはいえ、凹凸による特性を自覚できたことの収穫は大きいはずだ。私が取材で知り合った人の中にも、独特の感性を生かしながら、副業として執筆の仕事を始めた人もいる。

ナルミさんへのエールとしたい。 本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。 藤田 和恵 :ジャーナリスト 〔2021年5/20(木) 東洋経済オンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
岡崎家のトリプルケア コロナの入院、8日間52万円ナリ!?請求書を二度見して目玉が飛び出た 認知症×発達障害 岡崎家のトリプルケア 息子のたー君と2人きりのコロナ自宅療養生活に行き詰まりを感じたころ、両肺が肺炎となり入院していた夫のヒロさんが8日間の入院生活を終え、退院してきました。 「父ちゃんが元気になったー!」と、歓喜するたー君の後ろで「ちょっと、これ見てよ」と、浮かない顔のヒロさん。手渡された請求書には、約52万円と記載されているではありませんか! 思わず二度見して、はっと思い出しました。 ヒロさんが入院した直後に、病院の事務の人から「退院時に相当な金額をご請求することになると思います。加入している健康保険組合に、高額療養費制度などについて問い合わせてください」と電話があったっけ……。その後、たー君と私も陽性となり、すっかり忘れていたのです。

会社員で助かった 漫画・日野あかね 何も知らないヒロさんは請求額に驚き、支払い期間を延長してもらい帰宅してきました。病院の人が言っていた高額療養費というのは、限度額を超えた医療費を後から払い戻してくれる制度なのですが、前もって適用してもらうことも可能だとわかり、慌てて申請しました。おかげで支払いは約10万円まで大幅ダウン。これも後日、食費を除いた全額が戻ってくるそうです(新型コロナの医療費は公費負担となるため)。

手続きの流れは病院によって異なるようですが、最初に請求書を見たときは血の気が引きました……。ヒロさんは会社員なので、3月はほぼ欠勤しても基本給は振り込まれ、支払いを乗り切ることができましたが、フリーランスの私だったら10万円といえどもすぐに支払えたかどうか。 健康保険や高額療養費が適用される前の医療費の総額は、なんと約170万円。それだけの処置をしてもらったおかげで元気になって帰宅できたと思えば、医療スタッフの方々には、ただただ感謝です。 病棟は動けない人ばかり 両肺が肺炎となり、息も絶え絶えで入院したヒロさんですが、コロナ患者専用フロアの中で歩いてトイレに行けた患者はヒロさんともう1人だけ。あとはベッドから起き上がることもできない状態の人たちばかりだったとか。

病棟では、一、二を争う症状の軽さ(?)でも、「今回受けたダメージが一生、肺に残るかもしれない」と医師から告げられたそうです。 皆さんご存じの通り、たばこを吸う人は、コロナで重症化するリスクが高いといわれています。実はヒロさん、喫煙歴20年超のそこそこヘビーなスモーカーでした。半年ほど前から禁煙外来に通い、たばこを断っていたことを医師に伝えると、「禁煙しているときで、良かったね」と、しみじみと言われたそうです。ヒロさんいわく、「もう、あんなにツライ経験をしたら、二度とたばこを吸いたいとは思わないよ」とのことでした。

料理の味がさっぱりわからない 軽症で、自宅療養で済んだ私も、ずっとコロナの後遺症に悩まされています。それは味覚・嗅覚障害。一家の主婦にとっては、コレが地味にやっかいなのです。

味も匂いもしない中で料理を作るのが難し過ぎる。苦肉の策として、カレーをルーの箱にあるレシピ通りに作ってみたりもしたのですが、たー君から「まずい!」と言われる始末。自宅療養者に向けて行政が支給している宅配弁当の方が「おいしい」と言われたときは、心が折れそうになりました。 現在(5月上旬)、やっと味覚・嗅覚の8割ぐらいは戻ってきている感じがありますが、まだ完全に復活したとは言い難い状態です。さらに、仕事がハードだった日の翌日など、ヒロさんと私はひどい倦怠(けんたい)感で寝込むことも。その後の生活もなかなか元通りとはいかないようです。

父のワクチン接種 迷わず決断 身をもってコロナの怖さを経験した私のもとへ、父さんが入所している老人ホームから、父さんの新型コロナワクチン接種について、家族の意向を尋ねる手紙が届きました。自身が発症する前は、ワクチンには未知の部分もあり消極的でした。ですが、基礎疾患ありまくり(糖尿病、高血圧)で高齢の父さんが感染したら、ヒロさんどころではないはずです。

今の父さんの一番の願いは「母さんのお墓参りに行くこと」。その願いをかなえるため、接種してもらうことにしました。 このコラムをお読みになっているみなさんは、日々の感染予防に怠りはないことと思います。それでも、家族が、自分が、感染してしまうことがあるのです。 私も「日頃あんなに気をつけていたのに、まさか自分が!」と思いましたから……。いつ、どこからウイルスが我が家に入り込んだのかも、わからないままです。 変異株が猛威を振るう中で、皆さんもどうか今一度、気を引き締めてお過ごしください。

岡崎杏里(おかざき・あんり) ライター、エッセイスト 1975年生まれ。23歳で始まった認知症の父親の介護と、卵巣がんを患った母親の看病の日々をつづったエッセー&コミック『笑う介護。』(漫画・松本ぷりっつ、成美堂出版)や『みんなの認知症』(同)などの著書がある。2011年に結婚、13年に長男を出産。介護と育児の日々を送りながら、雑誌などで介護に関する記事の執筆を行う。岡崎家で日夜、生まれる面白エピソードを紹介するブログ「続・『笑う介護。』」も人気。

日野あかね(ひの・あかね) 漫画家 北海道在住。2005年にステージ4の悪性リンパ腫と宣告された夫が、治療を受けて生還するまでを描いたコミックエッセー『のほほん亭主、がんになる。』(ぶんか社)を12年に出版。16年には、自宅で介護していた認知症の義母をみとった。現在は、レディースコミック『ほんとうに泣ける話』『家庭サスペンス』などでグルメ漫画を連載。看護師の資格を持ち、執筆の傍ら、グループホームで介護スタッフとして勤務している。 〔2021年5/21(金) 読売新聞(ヨミドクター)〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A、発達障害のニュース、  )
発達障害の子の入学・進級 発達障害と診断されたら 小学校入学・進級前に準備するとよい3つのこと 専門家アドバイス
お子さまの小学校入学や進級で、親子とも新生活の準備に慌ただしい時期ですね。
発達障害のお子さまの保護者様の中には、「新しい環境に子どもが馴染めるか心配」「何を準備すればよいのかわからない」と不安を抱えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
そこで、特別支援教育の第一人者である小池敏英先生 (尚絅学院大学教授)に、『入学・進級に向けて、家庭で取り組んでおくとよいこと』について、お話を伺いました。
※本記事では、一般的な見解をご紹介しています。
お子さまの発達状況や、学習レベル、地域や学校によって対応はさまざまですので、詳しくはお子さまの入学・進級される学校や園にご確認ください。
―発達障害のお子さまを持つ保護者が、入学・進級前にやっておくとよい事は?
まずは、今のお子さまの「できないこと・苦手なこと」の状況を保護者がしっかり把握し、それを入学・進級先に伝えられるよう準備しておきましょう。
例えば、「じっと座っていることが苦手」「緊張すると、落ち着いていられない」といった内容です。
その際、「できないこと」だけを伝えるのではなく、「こうすればできる」という条件まで整理しておくとよいでしょう。
例えば、「15分以内なら、じっと座っていられる」「周りにいる人が5人以下の環境なら、落ち着いていられる」という風に、日頃保護者のかたが意識している工夫を、担任や学校・園側としっかり共有しておくことが大切です。
そうすることで、お子さまが「できる状態」を周囲がサポートしやすくなります。
―発達障害の特性をふまえて、学習面で準備しておくとよい事は?
語彙が苦手なお子様は、「た抜き言葉」「カルタ」などの言葉遊びに日頃から取り組んでおくのがおすすめです。
「た抜き言葉」とは?
「たぬきから“た“を取ると何になる?」「いるかから”る”を取ると何になる?」という風に、お子さまになぞなぞのように問いかけてみる遊びです。
いきなり3文字が難しければ、2文字の簡単な言葉から始めて、少しずつ文字数を増やしていきましょう。
「カルタ」遊びとは?
ひらがなが1文字ずつ書かれたカードを使い、知っている言葉を一緒に組み立てていく遊びです。
例えば犬の絵を一緒に見せながら「い」「ぬ」のカードを見せて、「いぬの“い“だね」という風に教えます。
絵とセットで教えることで、語彙の定着が深まりやすくなります。
2文字の簡単な言葉から始めていきましょう。 これらは時間をかけて繰り返すことで、徐々に言葉の定着につながっていきます。
ほかにも、「しりとり」は語彙力を高めるだけでなく、親子のコミュニケーションにもつながるのでおすすめです。
―発達障害のお子さまが新しい環境に慣れるために、保護者は何をすればよい?
これから新しい生活が始まれば、保護者の方は今まで以上に苦労が増えるかもしれません。
心配なことはできるだけ担任や学校・園に伝え、皆で一緒にお子さまをサポートしていく環境を作っていきましょう。
保護者だけで負担を抱えこまないことが重要です。
また、思うようにいかない時は、一度やり方や環境を変えてみましょう。
例えば、語彙の練習があまり進まなくなってきたら、うんとハードルを下げたところから再び始めてみてください。
どんなに小さなことでもよいので、お子さまが「できる状況」に誘導してあげましょう。
親子共に達成感を得ることが、日々の自信につながっていきます。
それでも大変に感じてしまう時は、「親」として向き合うのではなく子どもの「支援者」や「学習パートナー」になりきってみるのもおすすめです。
実際、発達障害のお子さまを支援する現場では、『一般の基準に子どもを当てはめない』『その子のペースで、できることを認めていく』という考え方があります。
保護者のかたも同様に「できる状況」を大切にしてお子さまと接してみることで、心の持ち方が少し変わるかもしれません。
まとめ & 実践 TIPS
これから新生活が始まると、お子さまにとっても慣れるまでの苦労があるかもしれません。
日々の生活においては、どんな些細なことでもよいので「できた体験」を積ませ、”うまくいったね”と言葉でたくさん伝えてあげましょう。
それがお子さまの自信となり、親子の信頼関係にもつながります。
保護者の方もあまり気負い過ぎず、周囲と一緒になって、お子さまの新しい生活をサポートしていけるとよいですね。
プロフィール 小池敏英(こいけ としひで)
尚絅学院大学 教授 東京学芸大学大学院 教育学研究科修士課程、東北大学教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
東京学芸大学教育学部 教授を経て2019年4月より現職。
研究課題は「学習障害児の認知評価と学習支援、発達障害児のコミュニケーション支援」著書に『LDの子の読み書き支援がわかる本』(2016)講談社、『読解力を育む発達支援教材』(2010)(監修 学研教育みらい)、『LD児のためのひらがな・漢字支援』(2003) (編 あいり出版)など。
〔2021年4/1(木) ベネッセ 教育情報サイト〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]] 香川県三豊市 (夜間中学校・香川県、)
夜間中学の開校に向けて
三豊市における公立中学校夜間学級の在り方を検討するため、第1回目の検討委員会が開催されました。
検討委員会は、夜間中学の元校長ら有識者13人で構成され、全国の実態を踏まえながら、今後市における在り方を検討していきます。
〔広報みとよ 令和3年5月号〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
パワハラ応援歌練習 東北の超名門高校で「パワハラ応援歌練習」元生徒が告発「絶叫強制された」 「当時は、毎日のように自殺を考えていました。今でもあの『応援歌練習』を思い出すとつらいんです……」 「応援歌練習はやめるべき」と訴えるAさん 憤った表情でそう語るのは、岩手県立盛岡第一高校OBのAさん(20代・男性)だ。 「応援歌練習」とは、同校で長年続けられてきた伝統行事。“バンカラ” な学生服に身を包んだ応援団の生徒が中心となり、入学直後の新入生に応援歌を覚えさせ、在校生としての自覚を促すというものだ。県内随一の進学校である同校をはじめ、東北の名門高校の多くでおこなわれている。 「でも、そのやり方があまりにひどいんです。竹刀を振り回す上級生に威圧されながら、応援歌を絶叫して歌うことを強制させられるんです」 Aさんは自身の経験をもとに、被害を訴えるサイトを立ち上げた。すると、在校生らから続々と告発する声が集まってきたという。

今年入学した盛岡第一高校の生徒は、「恐怖の1週間」をこう振り返る。 「入学式後に1週間ほど応援歌練習が続きました。突然、在校生の応援団員と有志が教室に来て、机や黒板を叩きながら脅すのです。 その場で入学前に歌詞を渡されていた10曲近い応援歌を歌わされ、少しでも歌詞を間違えたり、止まったりしてしまうと『どうして覚えてこなかったんだ』と罵声を浴びせられる。 約2時間、同じ姿勢を強制させられることもあります。練習中は、教師にスマホも取り上げられました」

さらに、他校の在校生からも被害の報告が寄せられた。 「カーテンを閉めた暗い教室で指導されました。うまく歌えないと、太鼓部屋と呼ばれる別室に連行されます。指導中、過呼吸で途中退出したコも……」(花巻北高校の在校生) 「応援団員が教室に来て、教室内の机を蹴り倒して女子生徒が泣いていました。『容赦しねぇ』と暴言も吐いていました」(水沢高校の在校生)

こうした指導のやり方は、前出のAさんが在校していた時代と、変わっていないという。 「練習の最終日に、これまで厳しかった応援団員が突然、優しくなるというパターンも共通していました。まさに “洗脳” ですよ」(Aさん)

水沢高校に子供を通わせる保護者の一人は、こうした応援歌練習に疑問を持ち、学校側に抗議したという。 「応援歌練習がショックで不登校になる生徒もいます。教員が直接指導しているわけではありませんが、上級生や応援団に協力しており、明らかに学校側に責任がある。しかも新入生はほぼ強制的に参加させられている。こんな応援歌練習は即刻やめるべきです」

高校側は取材にこう話す。 「創立141年を迎える本校には脈々と受け継がれてきた伝統があります。その伝統の一つが応援という文化です。(中略)受け継がれてきた伝統を継承し伝えていかなければならないと考えている生徒も多くいます」(盛岡第一高校)

ほかの高校も同様の回答で、“伝統” を大義名分にして、応援歌練習の中止を考えている高校はなかった。 『ブラック部活動』などの著者で、教育社会学を専攻する名古屋大学准教授の内田良氏は、応援歌練習について「ここまでひどいとは思わなかった」と次のように話す。

「部活と同じで、そもそも朝早い時間や、放課後の活動を生徒に強制してはいけません。授業ではないのに、生徒に応援歌練習を強制するのは大問題です。そのうえ、練習は暴力的な管理方法で、明らかなパワハラ。淘汰されてしかるべき伝統です」 バンカラ文化継承のために、パワハラが許されるはずはない。 (週刊FLASH 2021年6月1日号) 〔2021年5/19(水) SmartFLASH〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
さまざまな境遇の出演者で織りなすミュージカル 【特集】合言葉は“みんなが主役” さまざまな境遇の出演者で織りなす 誰もが輝ける舞台をー 誰もが輝けるミュージカルをつくり出す人々とは 写真:さまざまな境遇の出演者で織りなすミュージカル

2021年3月、子どもや大人、障害のある人や不登校の学生。さまざまな年齢や、境遇の出演者で織りなす、ミュージカルが上演された。“足りないものは補い合う”彼らが、舞台を通して、伝えたかったこととは…。 【特集】「客がいない…空気よりモノを運べ!」コロナ禍で鉄道・バスに広がる“貨客混載”の可能性とは? このミュージカルを企画したのは、関西大学の学生たち。2020年2月、大阪府堺市にある、関西大学、堺キャンパスでは練習が行われていた。

“脳みそ”が欲しいと願うカカシ役 “ともちゃん” 演目は、「オズの魔法使い」。ある日、竜巻に飛ばされ、家族と離れ離れになった、主人公・ドロシー。家に帰りたいドロシーは、願いを叶えてくれるという魔法使い・オズを探す旅に出る。旅の道中、ドロシーは個性豊かな仲間たちに出会う。“脳みそ”が欲しいと願うカカシ、“心”が欲しいと願うブリキ、“勇気”が欲しいと願うライオン。それぞれが自分に足りないものを求めていた。

“心”が欲しいと願うブリキ役 “けんちゃん”。 この仲間たちを演じるのは、障害のある人たち。カカシ役は“ともちゃん”、ブリキ役は“けんちゃん”。

カカシ役・ともちゃん「なるべく感情込めてんけど、言葉のところが難しい…」 演技やダンスをするのが初めてだという彼らをサポートするため、学生と2人で一役を演じることになった。

ミュージカルの発案者 “さと兄”こと、岩月聡志さん 発案者は岩月聡志さん、通称“さと兄”。 “さと兄”は、出演者を募るため、施設や作業所を一つ一つまわった。勇気のないライオンを演じる“さこやん”は、このミュージカルの一番最初に参加した出演者だ。

勇気のないライオン役 “さこやん” さと兄「僕自身、高校2年生の時に父親を亡くして、人が生きることが当たり前じゃないって感じて…。その日から、生きることが幸せになって、でも社会を見てみると、生きることで苦しさを感じていたりとか、悩んでいたりとか、挫折したりしてる人がいて、僕はこういう人たちに、もっと 生きることが幸せになってほしいなと思って。それが原動力にはなっています」

主人公ドロシー役 “あいか“ 物語の主人公、ドロシーを演じるのは、ちょっぴり内気な14歳、“あいか”。セリフの練習でも笑顔がどこか、ぎこちない。“あいか”は、小学3年生ごろから学校に行かなくなった。 ドロシー役・あいか「学校での自分のキャラが、あんまり好きじゃなくて、皆に合わせるとか…。それで苦しくなったり、色んなことの積み重ねで、やめようってなりました」 ありのままの自分を、さらけだせなかった“あいか”。学校で孤立し、居場所を失った。別室登校も試みたが、小学6年生の修学旅行を機に、学校にまったく行かなくなったという。 文部科学省のデータによると、小・中学校における不登校の理由は、不登校児童生徒数、18万1272人のうち、いじめが0.3%、いじめを除く友人関係のもつれは15.1%(文部科学省 19年度調査)と、“いじめ”だけではなく、友人関係のもつれなど、些細なことも、原因として多い。

いつも傍で様子を見てきた“あいか”のママは…。 あいかのママ「毎日泣いてたし…、『気にせんかったらいいやん』とか、そういう声掛けをよくしてたんですけど、それがね、気にする子は気にするっていう…。『気にせんかったらええやん』っていうと、『気にしてしまう自分って悪いんだ』ってとるんだって知って…。『そんなん言うんじゃなかったな』とかは、ありましたね」

大阪府堺市の、一般社団法人「しぇいくはんず」が運営する、就労継続支援B型作業所で働く、知的障害のある彼らもまた、ミュージカルの出演者だ。 作業所 施設長「今は作業所で働いていますけど、彼らは一般就労、普通の会社で、いつか働きたいという目標を持っていますので」 人生においての選択肢。障害のある人は、その選択肢が限られてしまうことも…。ミュージカルへの参加は、彼らにとって、知らなかった世界を知る、きっかけとなった。 “しぇいくはんず”に与えられた役は、ドロシーが訪れるエメラルドシティの住人達。オズの居場所を伝える、重要な役割だ。

総勢46名の劇団 「Create Our Festival」 そんな、様々なメンバーからなる、総勢46名の劇団、「Create Our Festival」。練習は毎週水曜日に行われた。 みんなで歌うのは、「虹の彼方へ」。

♪「  こころどこかに むかし  閉じ込めてた つらい過去がある 自分愛して いまは  前見て笑う 輝きとなる 」

皆と練習を重ねていく中で“あいか”は、少しずつ成長していく。 ミュージカル当日に、ハンドベルの演奏を披露する高齢者たち。この日は、練習の成果を、皆で見届ける。 ドロシー役・あいか「めっちゃ、きれいに(鳴らせていた)」

皆、笑顔で拍手を送った。 コロナの影響で舞台本番が延期に…それぞれの過ごし方 写真:“さと兄”主催のオンライン講演会に参加する“あいか”

良いことばかりは、続かない。 2020年3月、本番の1週間前に突然、コロナの影響でミュージカルの延期が告げられた。 カカシ役の“ともちゃん”、ブリキ役のけんちゃん、“しぇいくはんず”の5人など、障害のある出演者たちは、感染のリスクを考え、職場の判断で延期後も舞台に立てなくなった。 延期から2か月後、2020年5月から、ドロシー役の“あいか”は英会話に通い始めた。アルファベットを学ぶことからスタートした。 2020年7月からは、ミュージカルの練習も再開、感染拡大が落ち着いて、本番を迎えられる日まで練習を続けた。

そして、2020年9月、“さと兄”に呼ばれた “あいか”は、不登校の子を持ち悩む親たちに向け、オンラインで講演会を開いた。 さと兄「不登校を経験した中学2年生が、今、皆に伝えたいことっていうイベントを開かせていただきます。今回は、子ども目線の話を聞いて、参考になる点をいくつか見つけて、子育てとかにいかしていただけたら嬉しいです」

“あいか”は、自身が不登校になった経験やミュージカルに参加して感じたことを語った。 ドロシー役・あいか「見てくれてる方の子どもにあてはまるかは全くわからへんから、子どもに考え方を聞いてみるのもありやし、頑張ってほしいなって思います」

“さと兄”以外の学生メンバーは就職して、それぞれの道へ。この日は、久しぶりに元学生メンバー達とオンラインでの会話を楽しんだ。 さと兄「どんな気分で帰ってんの?」 元学生「暑いなーとか疲れたとか」 さと兄「いいやん、いいやん。充実してんな、みんな…」 “さと兄”は就職せず、1年間、ミュージカルに専念してきた。すべては、誰もが輝ける舞台のために―。

そんな“さと兄”へ“あいか”は、これまでの感謝の気持ちを手紙に綴った。

「 沢山の素敵な人達に会わせてくれて ありがとう!沢山の笑顔をくれて ありがとう!自信をくれて ありがとう! いままで めちゃくちゃ ありがとう! あいか より 」

コロナ禍での本番 誰もが輝ける舞台の完成形はー ことし3月、ミュージカルの本番を迎えた 延期を決めてから、1年が過ぎた、ことし3月。ミュージカル、本番の日を迎えた。会場は大阪府堺市のフェニーチェ堺。大きな劇場だが、観客は、感染対策で、出演者の家族のみ。 “あいか”のママは、娘の演技をする姿を見るのは、これが初めて。“あいか”にとっても、こんな大舞台は初めてだ。皆、緊張した面持ちで、ミュージカルはスタートする。

演目は「オズの魔法使い」。知らない場所へと飛ばされたドロシーが家に帰るため、魔法使い・オズを探す冒険の物語。旅の途中でドロシーは、脳みそのほしいカカシや、心のほしいブリキ、勇気がほしいライオンたちと出会う。そしてドロシーたちがたどり着いた先は“エメラルドシティ”。 ドロシー役・あいか「あの、私たちオズを探してるの。オズの居場所知らない?」 エメラルドシティの住人役・しぇいくはんず「君たち、すごいね、オズに会いに来たんだ!」

本番の舞台に立つことは叶わなかった“しぇいくはんず”。出演しないことが決定してからも、応援の意味で、ずっと練習を続けていた。そこで、“さと兄”の提案で、動画で出演することになったのだ。

ミュージカルは進む。自分にないものを悲観し、弱気になるカカシやライオン。そんな皆に、ドロシーは、感謝の思いを告げる。このシーンはとても印象的だ。 ドロシー役・あいか「私を仲間にいれてくれたのも、カカシちゃんだよ。すごく感謝してる」 ブリキ「あれ?目から水が…」 ドロシー役・あいか「ブリキくん、もしかして泣いてるの?」

欲しかったものは、旅の途中で手に入れていた。気づくと、ドロシーには多くの仲間がいた。

ドロシー役・あいか「ブリキくん、わたしたちは一人じゃない。どんなことも乗り越えられる」 仲間の大切さに気付いたことで、オズに会うことができたドロシー達。そして、旅は終わりを迎える。見守っていた“あいか”のママの目には涙が…。 フィナーレを迎えたステージで、“さと兄”は語る。 さと兄「誰もが人生の主役になれる、皆さんはもし人と人との間に、違いがない世界があるとしたら、どんな世界になると思いますか?僕はそんな世界、最高につまらない世界だと思います」

ドロシーを演じきった“あいか”は、何を得たのだろうか。 ドロシー役・あいか「すごい感謝の気持ちを伝えたくて、みんな、一人でもおらんかったら、ここまで変わってないし、元からの性格は変わってないけど、見た目とか、心から明るくなったし、自分から話しかけれるようになったし、一番に行動力が増えたから、それを身につけて、将来、夢をかなえられればいいなと思います」

(かんさい情報ネットten.  2021年5月5日放送) 〔2021年5/19(水) 読売テレビ〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A、発達障害のニュース、 )
発達障害で職場になじめず、いじめに。生きづらかった原因と対処法
近年、耳にすることが増えてきた「発達障害」。
ネガティブなものに受け取られがちなこの特性を「個性」と捉え、資産として活用しようと提唱するのが、発達障害(ADHDとASD)を公表し、キャリアアドバイザーとして、転職サポートを行っている銀河さんです。
発達障害であると自覚がなかった幼少期に自身が感じた「違和感」や、職場でのいじめの末、自殺を考えた20代。
また、発達障害だと診断を受けてから取り組んできたさまざまな処世術を伺いました。
社会人になるまで、発達障害と気づかなかった
かつては製薬メーカーでMRとして働いていた銀河さんですが、社会人として働き始め、病院でASDの診断を受けるまでは、自分が発達障害だとはまったく気がついていなかったそうです。
●人づき合いが苦手で「変わり者グループ」にいた小学校時代
「今思えば、違和感はありました。発達障害の人は『空気が読めない』などの特性をもち、人づき合いが苦手な人が多い傾向があります。
それが如実に露見したのが、小学校時代のことです。友達をつくるのが苦手で、よく一人でいました。
『寂しいなぁ』とは思っていたものの、どうしたらいいのかわからない。
次第に、自分と同じようにどこのグループにも所属していない、いわゆる『変わり者』の子たちと遊ぶようになりました」
友達づき合いは下手だったものの、一度集中すると没頭できるという特性を生かし、有名私大へと進学。
大学時代から、周囲の人に「あまり空気が読めないよね」「個性的な性格だね」と言われていたものの、就活は見事に成功し、無事に製薬メーカーへMRとしての入社を果たしました。
●「上司や先輩の言っている言葉の意味がわからない」という悩み
順風満帆な日々を送っていた銀河さんですが、入社以降、人生で経験したことがないほどの地獄の日々が待っていました。
「入社してみると、さまざまなトラブルが続出したんですね。
まず直面したのが、『上司や先輩の言っていることがよくわからない』という致命的な悩みでした。
『あれやっといて』『これやっといて』と言われるたびに、なにを指しているのかわからない。
また、当時の上司は『営業は察するのが命』というタイプの人だったので、『お前のように何度も聞き返すような空気の読めない人間は、営業として通用しない。終わっている』と何度も叱られました」
あるとき、悩んだ末に上司に「空気ってどうやって読んだらいいんですか?」と聞いてみると、上司からはこんな返答が。
「自分の中では悲痛な叫びだったのですが、こんな質問をしたこと自体が嫌味と受け取られてしまったのか、上司からは『感覚だ! その感覚がわからないやつは向いていないんだ!』と怒られてしまいました。
今考えると自分の行動は問題だらけだったとよく理解できるのですが、定型発達という普通の人には当たり前のことが、発達障害の人にとっては当たり前じゃないことも多い。
当時は自分が発達障害だとは知らなかったので、『ほかの人にはできるのに、どうして自分にはわからないんだろうか』と、とにかく毎日悩み続けていました」
●「お前、友達いないだろう」と心ない言葉の連続から、出社恐怖症に
こうした日々が続き、上司や先輩たちからは「お前はいつまで経っても成長しない」「同期のAと比べて、お前はどうしようもないな」「お前には人間の心がない」「お前、宇宙人だろ?」「常識が通じない。友達いないだろ?」などという言葉を日常的に浴びせられるように。
「当時は『なんでがんばっているのに、理解されないんだろう』というジレンマに押しつぶされそうでした。
そんな日々を半年ほど経たら、身体に異変が起こりました。まず、朝起きられなくて、家から出られない。
帰宅後は、『また明日職場に行きたくない』という気持ちが高ぶって、いつまでも寝つくことができません。
深夜の3時頃になってからようやく寝ついて、3~4時間睡眠をとった後、出社ギリギリのタイミングに起きて、慌てて会社へ行く。
日中も眠気がひどく、外回り中にコンビニの駐車場などに営業車を停めて寝ていました。暇さえあれば眠る。
今思うと、起きているのがつらすぎて、現実逃避をしたかったのでしょう」
●職場いじめから自殺を考え、精神科へ駆け込み、発達障害が発覚
また、社内での人間関係の悪化から、仕事内容そのものにも大きな影響が出るようになっていったのだとか。
「営業としての仕事はそれなりにできていたはずなのに、得意先に行ってクライアントを目の前にしても、言葉が出てきません。
焦りながら接客するので、当然営業成績も不安定に。
次第に生まれてきたのが、『もう死にたい。会社に行きたくない』という思いでした。
あるとき、目の前に走るトラックを見つめて『飛び込めば楽になれる』と自殺を考える日々が続いた末、『これはまずい』と思って精神科に駆け込むと、診断結果はうつ病。
診察を受けている最中、先生から、『君は多分、ほかにもなにかもっていそうだから、別の診断もしてみようか?』と言われ、WAIS-3という発達障害の検査を受けた結果、数週間後にASDだと判明したのです」
発達障害があることが判明してから
しばらくは「今後自分はどうなってしまうのだろう」と落ち込んだという銀河さん。
ですが、その後、自らの発達障害の特性を知ることで、その攻略法を編み出すことが可能だと気がついたそうです。
●発達障害の攻略はゲーム攻略と同じ
「発達障害の人は臨機応変に対応することは苦手ですが、パターン化することは得意です。
ゲームと同じで、難しいことは考えず、TPOに合った対処法をひたすらやり込み、繰り返すことで、成果を出すことはできる。
たとえば、私のようにASD傾向が強い人は、コミュ力が高くないので、『人に頼れない、頼りたくない』と考える傾向が強いです。
実際私も「人に頼る=弱い人・できない人」というイメージが強く、一人でなんでもやりきろうとしていました。
言ってしまえば、プライドが高かったんですね。
ですが、定型発達と呼ばれる普通の人の動きをみて、一人でやることには限界があると気がついてからは、『自分にできないことを、人に頼ることが大事だ』と学びました」
●発達障害になってから、仕事ができる人ほど頼るのが上手だと学んだ
そして、銀河さんが周囲の人を注意深く観察するようになってから、新たに気がついたのは「仕事ができる人ほど人に頼るのが得意である」ということ。
「以前は、『人に頼る=できない人』と思っていた私ですが、観察を続けた末、仕事ができる人ほど、人に頼るのが上手であると気がつきました。
それ以降、できないことは他人にまかせる。
頼むときも、できるだけ『その人だからこそ、これをやってほしい』という理由を丁寧に伝えるようになりました。
さらに、重要なのは、相手とよい関係性を構築していること。
人に上手に頼る人ほど、人に頼られる人でもあります。
もしも、自分が他人から頼られた場合は、基本的には二つ返事でOKします。
発達障害の人は、あれやこれやと条件を考えて、受けていいか悩んでしまいがちなため、なにかを頼まれたとき、最初の返事の歯切れが悪くなってしまう傾向があります。
しかし、頼む方は、急ぎで困っているから頼んでいるので、歯切れの悪い返答はいちばん対応に困ります。
だから、最初に気持ちよく『あなたの頼みなら大丈夫です!』とOKして、相手に『自分は仲間であって、相手に好意を持っている』ということを暗に伝えるようにしています」
その後、細かな状況を聞いてみて、どうしても自分の手にあまりそうな頼みごとだった場合は、「ここまでならできます!」と自分から代案を提案するようにしているとか。
「発達障害の人は、一度覚えたパターンをやり込むのは得意な傾向があります。
だから、トラブルが起こりがちなケースの対応策をパターンとして認識して、それを自動で繰り返せば、『仕事ができる人』という評価をもらうことも可能です。
ぜひ、自分の発達障害を『弱点』と考えず、『強み』ととらえて、日々の生活に活かしてほしいです」
銀河さんの初の著書『「こだわりさん」が強みを活かして働けるようになる本』(扶桑社刊)では、銀河さん自身が実践する、発達障害ならではの個性を強みに変え、日常生活や仕事などに活かしてきた秘訣が、数多く記載されています。ぜひチェックを。
●教えてくれた人
【銀河さん】
上智大学卒。新卒で営業としてキャリアをスタートするも、約1年でうつ病を発症。
復職し、発達障害の強みを活かして営業成績2位をおさめる。
入社満3年で退社し、会社の同期が設立したCare Earth(株)に誘われて入社。
現在ではキャリアアドバイザーとして、転職サポートを行っている。
また、キャリアや生活で悩む発達障害の人へのアドバイスなどを中心に、コーチングも行っている。
〔2021年5/15(土) ESSE-online〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
『「こだわりさん」が強みを活かして働けるようになる本』
発達障害の私がやっているライフハック。「休憩」で仕事モードのON・OFFを
5月8日、スペースXの代表であるイーロン・マスクが、自身が自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群:ASD)であることを、アメリカのバラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』の中で初めて公表し、話題になりました。
強いこだわりを持ち、空気を読むのが苦手で対人関係に問題を生みがち……という特性を持つASDは、周囲から何かとマイナスに捉えられてしまうことも多いです。
しかし、これに対して「発達障害者流のライフハックを健常者も活用すれば、それをまた強みにできる」と語るのが、発達障害の当事者である銀河さん(@galaxy_career)です。
たとえば、発達障害の人は臨機応変な対応が苦手な傾向にありますが、一度、状況と対応策をパターン化してしまえば、ミスをなくして高いパフォーマンスを上げることも可能。
また、「強いこだわりを活かして、ユニークなアイディアを生み出す人も多い」と語ります。
そこで今回は、発達障害当事者であり、さまざまな発達障害の人に向けたコーチングを行っている銀河さんが実践している「発達障害を強みに変えるための戦略」の一部を紹介します。
※本記事は『「こだわりさん」が強みを活かして働けるようになる本』から再編集し、抜粋しました。
事務作業すら徹底的にスケジュール化する
私も含めて、発達障害を持つ“こだわりさん”はマルチタスクが大の苦手という人が多く、その一方で、ひとつの業務に対しては、多くの人が音をあげる細かな作業でも、丁寧かつ地道に取り組むことができます。
一点集中に打ち込める環境さえつくれれば、ハイパフォーマンスを実現できるのも私たちの強み。
そのため、“時間を分けて管理する”という意識を持てば、発達障害という武器を最大限に活かすことができます。
そこで重要なのが、集中すべき仕事のスケジュールをあらかじめ押さえることです。
現在、私が“時間の管理”に使っている「Googleカレンダー」では、打ち合わせや会議など「人との約束」の予定だけではなく、「△△社へのプレゼン資料作成」「●●部長に向けた書類作成」「ブログに載せる原稿作成」などの事務作業の時間も確保しています。
何かの仕事が入った時点で、そのままカレンダーのスケジュールの中に組み込んでしまうからです。
時間は「所要時間の1.5倍」が目安
なぜかというと、多くの人はTODOリストを作成するものの、そのTODOにどのくらいの時間がかかるのか、いつやるのかを厳密に考えていないケースが多いです。
「1週間後が締め切りだから、ここまでのどこかでやろう」ではなくて、「1週間後が締め切りだから、その3日前のこの日のこの時間にやろう」というくらいまで厳密に落とし込んでおかないと、漏れや抜けが発生します。
だから、タスクが入った時点で、「この日のこの時間にやろう!」と決めるのが良いです。
なお、事務作業をスケジュールに組み込む際は、「自分が考える所要時間の1.5倍」を確保するのがポイントです。
例えば、プレゼン資料の作成に2時間はかかるなら、1.5倍の3時間分をスケジュール上で確保しましょう。
人と会う打ち合わせなどの場合は「1時間」と決まっていれば 1時間で済みますが、自分で進める事務作業はその日の体調や集中力にも左右されます。
だから、未来の自分に過度な期待をせず、ちょっと時間にバッファを持たせておくことが大切なのです
睡眠は1日の予定のなかでもっとも大切なもの
1日のタイムスケジュールを組むときに、もっとも優先して時間を押さえるべき予定ですが、それは「休憩」と「睡眠」です。
発達障害を持つ“こだわりさん”はルールや決まりごとを徹底するというこだわりを持つ人が多い一方で、「過集中」に陥ることが珍しくありません。
一度過集中に入ると、10時間でも24時間でも、ノンストップで仕事を続ける恐れもあります。
過集中は、瞬間的なハイパフォーマンスにつながるものの、一度集中が切れた後の疲労感は、半端ではありません。
当然、メンタルにも悪影響を及ぼします。
元の状態に回復するまでには時間がかかるため、適度な休憩や睡眠なしの状態で過集中に入るのはおすすめできません。
だからこそ、きっちり「休憩」と「睡眠」を確保するのが重要なのです。
なお、過集中の間は、過度な緊張状態に入っているので、寝ようと思っても、なかなかすぐに寝られません。
そこでおすすめなのが、「自分の作業を強制終了できるルーティンをつくること」です。
私の場合は、入浴を過集中のON・OFFの切り替えイベントとして位置づけています。
お風呂に入ったあとは、どんなに忙しくても仕事をしないで、時間通りにしっかり寝る。
私が毎日7時間前後の睡眠を安定してとれているのは、スケジュールに書き込んでいる“就寝”が過集中に対するストッパーになってくれているからでもあります。
  休憩時間もしっかりと確保してON、OFF
コロナ禍でリモートワークが推進されたことで、自宅で働く時間が急激に増えました。
仕事モードのON・OFFの切り替えのスイッチの役割を担う通勤というイベントが失われつつある今、自宅作業によって休憩がないまま過集中が続き、仕事モードから抜け出せずに苦しむASDのある方々からの相談が多くなっています。
過集中は脳内エネルギーを一気に放出するので、過集中の状態が切れた後、極度の疲労に襲われます。
その結果、他の仕事への切り替えができず、不都合が起こるのです。
1回の労働で何百万円も稼げる人なら問題ありませんが、多くの人はそうはいきません。
特に、会社勤めの方であれば、プロジェクトが終わるたびに瀕死の状態で会社を休んでいては、信頼を失ってしまいますし、会社にも迷惑をかけてしまいます。
私もコーチングの仕事では、求職者の方との面談や面接練習などをメインに行っていますが、noteに記事を書いたり、ブログを書いたりもしています。
つい、記事やブログを書くことに熱中してしまい、気づいたら夜中の3時や4時になってしまうこともありました。
そして、次の日の面談は眠気を抑え、ヘロヘロになりながら面談をして、求職者から不信感を持たれてしまうケースもありました。
そんな苦い経験を持つ私のようにスタート時点で方向性を誤ってしまうと、驚異的な集中が裏目に出てしまいます。
また、休憩を意図的にはさむことは、仕事の方向性のチェックや軌道修正を図ることができるので、生産性の面から見ても価値があることだと思います。
15分の公園散歩は、抗うつ剤1回分の効果あり?
一度過集中に突入すると、視野が次第に狭くなり、最終的に“点”になります。
最初は映画館のスクリーン全体が視界にあったのに、いつのまにか中央部分に映っている主人公の顔、しかも鼻しか見えなくなっているようなもの。
このように周りのものが見えなくなってしまう状況を防ぎ、過集中の沼にどっぷりとハマらないために大切なのが、休憩です。作業と休憩を1セットにするのが基本です。
例えば、90分間作業したら15分間の休憩をはさみましょう。
その休憩の時間も、先に挙げたスケジュール表に、しっかり書き込んで、あらかじめ時間を確保してください。
休憩中といっても、スマホをダラダラ見たりするのではなく、できれば体を動かすことをおすすめしています。
体を動かすことで血流が良くなって、脳の負担を軽減し、ネガティブな気持ちを取り去ることができるからです。
腕を回す、片足上げ10秒、鉄棒に30秒ぶら下がるなども良いですが、ぜひ取り入れてほしいのは、近所にある公園の散歩です。
緑を見ながら「紫陽花が咲いているな」「窓からだと暖かそうだったけど、風が思ったより冷たいな」などと周りに意識を向けるだけで、ポジティブな気分になれます。
実際、15分ほどの公園散歩が、抗うつ薬1回分と同じ効果があるという研究結果もあるほどです。
過集中は諸刃の剣ですが、休憩をはさみ、上手に睡眠をとることでコントロールできるようになります。
そして、ずば抜けた集中力の持続性を維持するには体力があってこそ。体をこまめに休めることで、その力が枯渇しないようにすることも肝心です。
<TEXT/ASD当事者・コーチングのプロ 銀河>
bizSPA!フレッシュ 編集部
〔2021年5/16(日) bizSPA!フレッシュ〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A,不登校のニュース、  )
不登校は原因究明より“現状認識”が大切 不登校は「原因」究明より「現状」の理解が重要? 登校「しぶり期」から復活までの関わり方
不登校には一般的に5つのフェーズがあることを紹介した上で、それぞれの特徴と関わり方についてお伝えします。
近年、顕著な増加傾向を見せている不登校ですが、個別の状況については当然のことながらそれぞれ異なる背景があり、悩んでいるご本人やご家族にとっては辛いだけの状況かもしれません。
しかし、不登校が段階的にどういう状態にあるかを把握することで解決の糸口が見つけられるケースもあります。
ここでは、不登校にも5つのフェーズがあることを紹介した上で、それぞれのステージの特徴とそれに応じた関わりのポイントについてお伝えします。
◆不登校は原因究明より“現状認識”が大切
不登校や引きこもりについてのご相談を承る中で、原因を伺うと主に次の3点が挙げられます。
・人間関係の不振(対教員、対生徒)
・発達障害や自閉症スペクトラムなどへの無理解が招くコミュニケーションのトラブル
・起立性調節障害による生活リズムの変化
その他にも、最近では特に理由がない「なんとなく」学校に通えなくなる子どもも増えています。
ただし、「なぜそうなったのか?」と原因究明にエネルギーを費やしても解決に結びつくことはそう多くはなく、むしろ的確な現状認識を持つことで将来への確かな道のりが見えてくることの方が少なくありません。
我々のような不登校に対応するカウンセラーもその点を注意深く観察することを心掛けています。
▼不登校は5段階に分類できる
行ったり来たりしながら徐々に回復に向かう不登校の5つのサイクル さて、現状といっても漠然ととらえるのではなく、具体的な次の5段階に分類できるところから認識していただきたいと思います。
・登校しぶり期
・混乱期
・安定期
・回復期
・復活期
これらの5つの段階の特徴とフェーズに応じた関わり方のポイントについてお伝えします。
◆1. 保健室登校などとも呼ばれる「登校しぶり期」 この時期の特徴的なことは、本人が学校に行く意欲を見せている点です。
頭では、学校に行きたい、行かなくてはいけないと認識しているものの、校門の前で足が止まる、教室に入ると気持ちが悪くなる、腹痛・頭痛が起きるなど……心と体のバランスをコントロールできなくなっています。
しかし、帰宅したり保健室に入ると落ち着きを見せるなど、一歩進んで二歩下がるようなイメージです。
「五月雨登校」や「保健室登校」といわれる状況です。
この時期ですと、本人と話し合っていく過程で「どうしてそうなったのか」と原因を探ることは問題ありません。
ただし、登校できない状況を一方的に否定的な側面だけでとらえないようにしたいものです。
◆2. 気分の抑揚、心のふり幅が大きくなる「混乱期」
「登校しぶり期」を経て、徐々に通学できなくなる割合が増えてきます。
何かと周りと比べて落ち込む機会が多くなり、気分の抑揚が激しくなります。
心のふり幅が大きくなる結果、自己肯定感が一気に低くなり、被害妄想に陥ったり、自虐的な言動が多くなったり、場合によっては暴力や自傷行為など家族を巻き込んだ状況になってきます。
肝心なのは家族が本人と一緒にアップダウンしないことです。
学校に行く、行かないではなく、いかに心の平安を保てるかを心掛けてください。
そして、通学できる状態になること、つまり、学校復帰だけがゴールではないことを認識していただきたいと思います。
◆3. 学校に行かない状況が固定化する「安定期」
混乱期はアップダウンが激しい状況ですが、暫くすると気分の抑揚が収まり、昼夜逆転した生活リズムや不登校である状態が、良くも悪くも落ち着いて続く状態になります。
「引きこもり」といわれるのはこの時期になります。
学校に行かない状況が固定化されますが、スマートフォンやタブレットを使ってオンラインゲームやSNSなどを通じ、何らかの形で外界との繋がりを保つようになります。
このような状況を目の当たりすると、つい「このままいったら、ダメ人間になる」などと言ってしまいがちですが、否定的な言葉がけが有効に働くことはありません。
保護者にとっては忍耐を伴う時期でもあります。
また、学校に行かないことで授業や宿題から解放された感覚になっているため、時間があるからといって学習に取り組むことは期待しない方がいいでしょう。
◆4. 進級・進学がリセットの機会になることも「回復期」
「安定期」が長く続くこともありますが、進級や進学というタイミングが訪れると、子どもも今までの在り方をリセットできるチャンスととらえ始めます。
小学生ならば次の中学進学、中学生ならば高校進学、高校生ならば卒業が近づき進路選択の時期になると、家族との会話が増えたり、友達のやり取りが頻繁になったりします。
この時期には、子どもと一緒に進路選択のためのサイトで学校情報を探ったり、資料などを取り寄せたりして、今まで以上に将来に向けた未来軸のコミュニケーションの機会を増やすとよいでしょう。
◆5. 回復期からアクションが見え始める「復活期」
「回復期」で進路・将来に向けた的確な情報収集ができていれば、学校見学、合同相談会への参加など積極性がある程度見られる生活リズムとなってきます。
たとえ回復期で進路に向けた動きが取れていなくても、この時期からでも決して遅くはありません。
子どもにとっても、おぼろげながらも自分の将来・未来に対してのイメージが持てるようになると周りとの関わり方や生活の在り方も自ずと見直してきます。
ただし、行ったり来たりの状況は続きますので焦らずに見守ってほしいところです。
そうはいうものの、進級・進学には入試の期限が伴う手続きがありますので保護者にはその辺りも含めたタイムマネジメントが求められます。
◆不登校の5つのサイクルは復帰に向けたロードマップの目安に
注意したいのは、不登校が5つの段階のどの時期にあるかを考えるとき、親がひとりで一方的に決めつけないことです。
子どもとの認識に相違が生じていることも少なくないからです。
たとえば、子どもにとっては混乱期からようやく安定期に入りかけた時期なのに、親はもう回復期にきていると思い、あれやこれや多くの情報を詰め込もうとしたり、積極的な行動を促したりするあまり衝突を招いていることも少なくありません。
厳密に5段階のどれかということに重きを置くのでなく、あくまでも目安として参考として見立ててください。
また復帰に向けたロードマップも上がったり下がったり、行ったり来たりしながら、徐々に回復に向かうイメージを持つとよいでしょう。
不登校については、現状だけをとらえて悩むのではなく、5つの段階を参考にしながら、今はどういう段階で、次にどういうことが起こり、それにはどういう対処が必要かを自分だけで抱え込まずに不登校専門の支援機関などに相談するとよいでしょう。
明けない夜はないと信じています。
古堅 政義(専門学校選びガイド)
〔2021年5/16(日) All About〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
遠藤光太 「男は稼がなければ」「石の上にも三年」……発達障害の僕を苦しめた「平成の呪い」と向き合った 子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。娘が6歳になるころ、遠藤さんは固定観念の押しつけから一時は絶縁状態となっていた父親と和解します。そこには、父親と同性代の男性の存在がありました。自身の小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載14回目です。(全18回)

「お母さんは普通がわからないっ」発達障害考えるきっかけは「ニシン漬けが入ったお弁当」 「まだまだやれる」父のプレッシャー 僕は自分の父と衝突していました。かつて双極性障害という誤診を受け、働き方を迷っていた頃、父はうつの身体に苦しむ僕を認めようとしませんでした。最も苦しい時期にかかってきた電話で、「頑張れ」と言われ、「早く電話が終わってほしい」と苦々しく感じていました。

「家族を持っているのだからもっと頑張れ。君のためを思って言っている。俺は家族を養って頑張ってきた。愛情を持って育ててきた。だからまだまだやれるはずだ」 後に、父とは絶縁状態になりました。僕は傷つき、彼から距離を取ったのです。 思い返すと、僕の「父親とはこうあるべきだ」という固定観念は、父からの影響を多分に受けています。両親はサラリーマンの父と、パート主婦の母で、典型的な戦後型夫婦でした。父は僕と同じく、決して器用なタイプではありませんが、大黒柱として「強く」生きてきたという自負があります。

僕が結婚し、子どもが生まれたときには、「強くあらねばならない」と内面で考えていたと思います。しかし僕は強くありませんでした。僕は頑張ることに逃げて、自分を見つめ直すことを怠っていたのかもしれません。逃げ切れる人もいるのでしょうが、僕は発達の特性による影響もあり、押し潰されてしまいました。 そして父と衝突しました。「頑張ればどうにかなる」と信じる父と、「もうどうにもならない」と追い詰められた僕とでは、折り合いがつかなかったのです。 父と同世代の当事者との出会い 僕が父と向き合えるようになるまで、3年かかりました。

きっかけは、父と同世代のAさんと出会ったことでした。Aさんは生きづらさを抱え、職を転々としながら、新興宗教や自己啓発セミナーを渡り歩いていました。仲の悪かった父親の介護を終えて看取り、54歳で発達障害の診断を受けたタイミングで、僕は彼と出会いました。Aさんを取材し、僕は記事を書きました。 Aさんは博識で、話すことが得意です。彼が生きてきた時代のことを多く教わりました。僕の育った(かつ、僕の父が父親になった)平成初期から中期にかけての時代の空気感がよく見えてきました。バブルが崩壊し、それでもなお企業戦士として闘う人々の息吹が感じられました。田舎から東京に出てきた父の“頑張り”が垣間見えてしまいました。 父に僕を傷つけることばを吐かせた環境や背景を、悔しいことに、僕は理解できてしまったのです。父が、弱い僕を理解できなかったことも、僕は理解できてしまいました。

無理をしていたのだと思います。その「無理」があってこそ、僕たちは子ども時代を安心して暮らすことができたのは事実でした。話す機会を設け、うつだったときの僕にしたことについて、父は謝ってくれました。そうして和解しました。 平成元年生まれが「平成30年史」を振り返る 無論、和解することが全てのケースで望ましいとは限りません。ただ、僕はしばらく距離を取って冷静になったあと、たまたま運良くきっかけに恵まれただけです。

親と衝突してしまう場合、世代の違いによる価値観の違いが要因のひとつに考えられると思います。平成の初めと終わりでは、価値観が大きく変わっています。 「総合的決定権を持っている人」は、1988年には「主に夫」が72.4%、「主に妻」が10.1%でしたが、2018年にはそれぞれ38.7%と30.3%となり、夫の圧倒的優位から夫婦平等に変化してきています。 また、夫の「理想の夫婦像」は、1988年には「亭主関白」が50.2%を占めていたのが、2018年には17.8%に。代わって高まったのは「友達夫婦」で、64.9%を占めるようになりました。男性が生活費を稼ぎ、家で偉い立場にいる、という感覚は、30年前よりは薄れてきているのではないでしょうか。※データは、博報堂生活総合研究所『生活者の平成30年史 データでよむ価値観の変化』(日本経済新聞出版)より引用

ジェンダーギャップ指数2021で日本は120位と、ジェンダー平等は全く実現していませんが、少なくとも夫婦に関する価値観は変わってきているようです。そのことを踏まえれば、親子間で働き方や夫婦の話をするときにすれ違ってしまうのも、当然なのかもしれません。 経済の低迷や未来への展望の弱さもまた、世代の差があるでしょう。「失われた30年」と言われることがありますが、平成元年生まれの僕の世代はずっと“失われっぱなし”です。実質賃金は国際比較で主に減少トレンドが続き、父親がひとつの会社に勤め上げて一家を養う戦後型の家族像は薄れてきています。 しかし、僕自身がそうだったように、「男は稼がなければ」と思い込み、「石の上にも三年」といった言葉などからも刷り込まれることで自分の実情とのギャップが生じ、それが苦しさになってしまいます。

見えてきた「家族のかたち」 そうした固定観念を剥いで、自分に合った障害者雇用の経理の仕事に就き、夫婦関係が改善されてくると、未来のことを考える余裕が生じてきました。家族になってから6年ほど経って、僕たちなりの家族のかたちが、ようやく見えてきたのです。 妻は保育士として、待機児童解消のための新園立ち上げで管理職を担うようになっていて、とても忙しく過ごしていました。妻の家での仕事は保育園への送りだけ、それ以外は全て僕という分担にしました。

そして娘の小学校への進学を見越して、娘に合った教育が受けられそうな地域に引っ越しをしました。特性上、ひとりの空間を必要だと感じていた僕には、自分の部屋ができました。リビングには、大きなダイニングテーブルを買いました。 いよいよ迫っていた「小1の壁」に備えて、夫婦で未来のことを相談しました。また、僕自身は、「ライターとして特性に合ったかたちで仕事をしたらどんなものが書けるのか」ということにチャレンジしてみたいと思っていました。 最終的に、「子どもへのサポート」と「ライターとしてのさらなるチャレンジ」のふたつの理由から、僕が働き方を変え、現在も続けているフリーライターの仕事を選びました。

コロナ禍、入学しても学校に行けない 娘が小学校1年生になる2020年に、新型コロナウイルスがやってきました。4月は一斉休校の只中で、娘は入学しても学校に通うことができませんでした。 この時期に国では「9月入学」が検討されていると聞こえてきました。「入学まで保育園に戻る」といった案が出て、当事者としては不安でいっぱいでした。また一斉休校中は、僕が家庭学習のサポートをしながら仕事をすることにしましたが、小学1年生に「やっておいて」と言っても到底無理です。消しゴムの使い方、座る姿勢、習慣づけ……時間割に載らないサポートがおびただしくありました。

僕は想像もしていなかった「小1の壁」に、心が折れかけていました。

<遠藤光太> フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。      ◇   ◇   ◇ 遠藤光太さんの連載「発達障害とパパになる~子育て苦闘の7年間」(https://withnews.jp/articles/series/104/1)は、原則毎週水曜日に配信予定です。全18回でお送りします。 〔2021年5/19(水) withnews〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
遠藤光太 「僕には発達障害がある」娘が生まれ、SNSに書いた「がんばらないぞ」 低気圧だけで調子が悪くなる生活 娘と妻を後ろから支えられるように心がけた 子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。20代を一言で「苦闘」と表現した遠藤さんですが、娘が5歳になった頃には、発達障害の当事者たちとつながったり、心のモヤモヤを文章に書いたり。「特性」や「環境」が「障害」になりにくいように、自分の生活を見直していきます。妻との7年間を振り返る連載13回目です。(全18回)

当事者たちとの出会い 僕は、発達障害の当事者であることを明かしてSNSのアカウントを作っていました。それまでは本やテレビ番組、ウェブサイトから一方的に情報を得ていただけでしたが、3年半前から当事者たちと直接つながって、双方向に情報交換をするようになりました。

たくさんの当事者とコミュニケーションを取りました。交流は、暮らしを良い方向に導いてくれました。 身の回りで起こる「あるある」を言い合うだけでも、ひとりで抱えてきた困難さがふわっと和らぎます。多くの人たちが自分と近い生きづらさを抱えたことを現実に知って、緊張感が解けていくような思いがしました。もっと若い頃から、あるいは子どもの頃から、こうした横のつながりがあったらよかったと感じます。 ただ、発達障害と一口に言っても、人によって内実は多様であることも見えてきました。共感し合うことへの安堵感を得ていた一方で、「他人は他人、自分は自分」という考えも大事だと感じました。 みなさんとSNSで交流したり、ときには直接会って話したりする経験をして、自分にとっての「障害」が具体的にどんなものだったのかが見えてきました。

「障害」とは一体何なのか? まず僕には発達障害があります。 たとえば、2021年でもいまだに、出かける前にイヤフォンが見つからず、1時間ほど探してしまうことがあります。ASDの特性なのか、あるべきものがあるべき場所にないと、ちょっとしたパニックになってしまいます。 また、ADHDの特性で、身の回りを散らかしてしまい、探すのも苦手です。妻に探してもらうと、すぐに見つかることも…。 聴覚過敏もあります。オフィスの近くで工事がありドリルの音が続いたときには、耳栓やノイズキャンセリングヘッドフォンをしていても仕事に集中できず、逃げ出したくなりました。

そして、疲れやすいのも特性のひとつです。電車に疲れ、オフィスで過ごしていることに疲れ、急な対応に疲れ、疲労は蓄積しやすいです。障害受容や環境調整では取り除けないような「障害」がたくさんあります。 ただ、「障害」はそれだけではないと感じます。 父親や夫という役割もまた、生きていく上で「障害」になることがありました。より正確に言えば、父親や夫という役割の「普通」という固定概念が、「普通」でない僕にとっては「障害」になっていたということです。

理想と現実にずれがあり、不自然で無理のある生き方をしてしまっていました。 低気圧の日に調子が悪くなっていることも、この時期に気がつきました。低気圧で調子の悪い日に無理をして、踏ん張ってしまうと、あとに響きます。これもひとつの「障害」です。SNSに「がんばらないぞ」と書き込んで、無理をしないように心がけていました。 もちろん、うつも大きな「障害」でした。ひどいときには、社会活動が全面的にストップしてしまいます。しかし一方で、そうなる前に「うつ気味なときのやり過ごし方」も覚えていきました。きちんと通院して、服薬し、健康的な食事をして睡眠をとれば、いつか必ず良くなることを僕は知り始めていました。そうして長期的な視点に立って行動できるようになっていったと感じます。

「うつになることはおそらくこれからもある。でも大丈夫」と割り切ることで、この「障害」は薄れていきました。「だめでもいいから粘る。相談して、方法を考える」。この頃の日記に書いていた言葉です。 「普通」や「平均」はあまり意識せず、ただ自分の周りにある「障害」をクリアしていけばいい。「特性」や「環境」が、「障害」になりにくいように、自分の生活を見直していきました。 モヤモヤを「書く」 僕にとって最大の「障害」だったのは、「伝わらない」でした。頭のなかではいろんなことを考えているのに、それを人に伝える手段を持っていませんでした。伝わらないから、内にこもってしまい、孤立していく。

それまでの僕は、『できる大人のモノの言い方大全』(青春出版社)を熟読して暗記するなどして、周りに合わせて、表面的なコミュニケーションをしていました。

「と、おっしゃいますと」 「ほう、そういうものですか」 「いやそれは、おもしろいですね」

こうした言葉を「インストール」して、パターンで学習していたのです。個人的な気持ちは、日記や小説に書いていましたが、誰かに読んでもらうことはほとんどありませんでした。 しかし心のうちでモヤモヤしていることや考えていることを文章に書いて伝えれば、対話が生まれていくことを体験していきました。それはまずSNSであり、のちに記事になっていきました。 もとをたどれば、家族に「賭け」でコミュニケーションを図り、自分を投げ出してみたら、意外と心地よく感じられた経験が起点になっていました。 文章を書いて、人に読んでもらえたら、伝わる。この経験が自分の人生を変えてくれました。僕は会社員の傍らで、フリーライターの仕事を始めました。この連載も、書くことでリフレーミングすることができ、新たな発見が得られ、やはり書くことに救われていると感じます。

娘の「障害」としての僕 ひるがえって、娘にとっての「障害」とはどんなものがあるだろうかと考えていきました。 娘が新年度の初日に「保育園に行きたくない。○○先生じゃないといやだ」と泣くのは、わがままでしょうか。1年間かけて信頼関係を築いてきた先生が変わってしまう環境のほうに、「障害」があると僕は思いました。「わがままだ」と叱るのではなく、環境の変化が「障害」だと認識し、変化に慣れていく練習を一緒にしました。

成人の当事者たちと接していくなかで、僕と同様に、子ども時代に本心を言えない経験をしてきた方が多いことに僕は気づき始めていました。「休んでもいい」と体感して知ることで、安心が形成されていくかもしれないと思っています。 「親が仕事を簡単に休めないこと」も娘にとっての「障害」です。夫婦の都合によっては、娘は12時間ほど保育園にいる日もありました。僕は、働き方を変えていく必要があると感じていました。どんな働き方で育てていくか、発達障害の当事者で子育てをしている先輩に相談に乗ってもらっていました。

30代になる 2019年に僕は30歳になりました。 23歳で結婚し、父になり、うつになって離婚しかけたり自殺したくなったりしてから、発達障害が発覚しました。僕の20代を一言で表せば「苦闘」でした。

20代は本当につらく、何度も「終わった」と思っていました。一歩踏み外していたら、本当に「終わって」いたと思います。エコー写真の娘と出会ってから5年以上が経ち、激動だった父親としての人生が、30代に入る頃にようやく軌道に乗り始めました。 しかし僕には、子育てをしていくために、残されていた課題がありました。うつのときに関係が悪化したまま疎遠になっていた僕の父親のことでした。自分の父親との関係と向き合わなければ、いつか娘との子育てでつまずくと思った僕は、行動に移しました。きっかけには、とある当事者との出会いがありました。

<遠藤光太> フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。     ◇   ◇   ◇ 遠藤光太さんの連載「発達障害とパパになる~子育て苦闘の7年間」(https://withnews.jp/articles/series/104/1)は、原則毎週水曜日に配信予定です。全18回でお送りします。 〔2021年5/12(水) withnews〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
教育カンファレンス「Microsoft Education Day 2021」 特別支援から創造的な学びまで、マイクロソフト認定教育イノベーターが紹介するICT活用の実践 ICTを日頃から授業や学校生活で活かす教育者は、どのように活用しているのだろうか。GIGAスクールをきっかけに多くの教育者がICT活用にチャレンジし始めている中、教育者同士の情報共有の場は貴重だ。 マイクロソフト認定教育イノベーター(以下、MIEE)らは、2040年に活躍し、社会を担う子どもたちのための教育について語り合う教育カンファレンス「Microsoft Education Day 2021」を2021年2月27日に開催。3つのセミナーをレポートした前編に続き、後編の本稿では、特別支援やGIGAスクールなど多彩なテーマが取り上げられた分科会の模様をお届けする。

※本文中の所属は、2021年2月取材当時のもの。

■「ICTだからこそできる『つながり』と子どもの心のケア」(両川晃子氏、田中愛教諭、小林義安教諭、関口あさか教諭、圓井健史教諭、山口禎恵教諭、福島学氏) コロナ禍でさまざまな制限のある日々を送っている子どもたち。スクールカウンセラーとして多い時には1か月に100ケース以上の親子と接してきた両川晃子氏は、「まだまだ子どもたちには心のケアが必要だが、カウンセラーは足りていない」と語る。そこで、すべての大人が子どもたちの困難に向き合えるファーストタッチができれば予防的対応につながるとして、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが出している『子どものための心理的応急処置(PFA)』を紹介した。 両川氏は子どもの心をケアするPFAは決して専門家にしかできないものではないと前置きしたうえで、「見る・聴く・つなぐ」という3つのポイントがあると言及。それぞれについて、周りの大人はどのようなことができるかを説明した。また、子ども同士、あるいは子どもと教員を「つなぐ」際に、ICTの活用が大きな役割を担うことも強調。「遊びや学びなど、子どもたちが必要としている特有のニーズを理解し、情報を提供することが支援につながる」と述べた。

後半は、子どもたちとできるICTのつながりとして、Excelを使った共同編集を紹介した。「あなたが今一番話したい人は誰ですか?」「一番楽しかったことは何ですか?」など5問の質問について参加者が一斉記入し、コミュニケーションの広がりを感じた。 その後は、「コロナ禍での子どもの様子で困っていること」について、両川氏に具体的なアドバイスを求める時間に。家庭への声かけなど教育者らが抱えている課題を共有した。両川氏は「違う立場や違う学校の先生と一緒に話し、学び合う場の大切さに気づかされた」とコメント。教育現場ではカウンセラーの巡回の機会が限られていて、教員が自身の悩みや課題を共有し合う機会はそう多くない。こうして専門家から直接新しい知見が得る時間は、まさにICTだからこそできる「つながり」だと感じられた。

■「特別支援×Teams×WELL-BEING」(豊吉淳教諭、海老沢穣教諭、 杉岡伸作教諭、滑川真衣教諭) 東京都の特別支援学校に務める教員の間で、ICTを活用してWell-being(心身、社会的健康や幸福)を高める学びが注目を集めている。本分科会では「特別支援×Teams×WELL-BEING」と題して、4つの特別支援学校の教諭がTeamsを活用した教育実践を発表し、オンラインでつながることで生み出される特別支援教育の可能性について熱い議論を交わした。 東京都立青峰学園の滑川真衣教諭はTeamsで行なったオンライン文化祭について紹介。ビデオ会議で文化祭実行委員が各クラスに生配信をしたオープニングの模様や、生徒が計53本の動画コンテンツを制作し、Google Formsを使って動画コンテストを実施した取り組みについて発表した。

2014年から東京都立石神井特別支援学校でiPadを活用し、子どもたちの創造性と表現力を引き出す教育活動を行う海老沢穣教諭は、PTAと連携したSDGsの取り組みについて発表。産休中の元担任と子どもたちをTeamsでつなぎ、赤ちゃんを紹介してもらった実践を紹介した。 続いて「障害のある子どもたちにとってICTは武器になる」と語ったのは東京都立葛飾ろう学校 杉岡伸作教諭だ。3カ月前に本格導入したMicrosoft 365を活用し、協働的な学びを深める生徒の取り組みについて発表。その中で、聴覚障害のある生徒が、音声認識を使って文章を入力するコミュニケーションツール「UDトーク」を活用した学びについて語るインタビューが紹介された。 それを受け、東京都立多摩桜の丘学園 豊吉淳教諭は「生徒がICTを活用した学びを自分の言葉で表現し、その姿に成長ぶりを感じる伸作さんのコメントに大変感動した」とコメント。自身もMicrosoft 365やTeamsを活用した東京都立多摩桜の丘学園の実践を紹介するなかで、「特別支援教育にWELL-BEINGを加えることで、これから押し寄せてくるGIGA時代をより良い状態で受け止めて前に進む力にしたい」と感想を述べた。

■「Microsoft教育営業マンに聞くICT支援員が知りたい、Windowsで何ができる?」(福島学氏、五十嵐晶子氏、石山将氏) 東京都と神奈川県でICT支援員を務める、「合同会社かんがえる」の代表・五十嵐晶子氏と日本マイクロソフト文教部門の石山将氏が主催する分科会では、Microsoft 365のアカウント管理や運用などについて、あらかじめ教員たちから寄せられた質問や要望を石山氏に投げかけた。 具体的には、「Office365とMicrosoft 365の違い」や「OneDrive とSharePointの違い」、「年度更新」、「担当者の引継ぎ」、「転入転出」のやり方のほか、快適なTeamsの活用など、1人1台環境を支えるテクニカルな部分について、学校現場として知っておきたい知識が多く挙げられた。 ほかにも、分科会ではグループ内でのStream共有と権限設定の方法やSharePointによる書道作品展示の方法といった、学校での具体的な活用を前提とした使い方の紹介も。五十嵐氏は新年度を迎えるにあたって、非常に価値のある情報交換が行えたと手ごたえを述べ、「Microsoftを支援する立場としても、管理運営をする立場としても明日使える知識がたくさんありました。新年度活用がスタートしたところで、またさらに授業や校務で活用するための情報を集めていきたい」とコメントした。

■「この答案どう採点する?テストから見える子どもの困難さとICTでの支援方法」(村田美和氏、関口あさか教諭) 内容は理解できているのに、文字を正しく書くことや正しく計算することに困難さがあることで、テストで力を発揮できない子どもたちがいる。そうした児童生徒の評価はどうすべきか。埼玉県立特別支援学校さいたま桜高等学園の関口あさか教諭は、2018年に実施した調査結果に基づいて、多くの教員は「正しく書く力」や「計算を正しく行う力」に重きを置きすぎることによって、理解度そのものを評価できていない傾向にあると発表した。

同調査は、関口教諭が東京大学先端科学技術研究センターの平林ルミ氏、高橋麻衣子氏と共同で実施したもの。小学校と高校、900人以上の教員に対して、答えは合っているが漢字が間違っているものや、立式はできているのに計算ミスがあるといった内容の答案用紙を採点してもらった結果、漢字や計算など表記の段階でミスがあるとテストの評価に影響することが明らかとなった。 これについて関口教諭は「たとえば答えを書くという部分をキーボード入力に、計算を計算機に置き換えることは書字や計算の困難さを代替する一つの手段として、文科省も例示しているが、学校現場ではなかなか受け入れられない現状があるように感じた」と述べた。

前述の発表を受け、学習障害の専門家である高崎健康福祉大学の村田美和氏は、「学習障害は発達障害のひとつで、読み書きや計算など本人の努力ではどうしようもできない困難さがある」とコメント。何度も練習させられることで学習意欲は低下し、その結果、教員から「やる気がない子」と判断されることを危惧している。 村田氏は、読み書きに困難を抱えるディスレクシアの中学生の事例を紹介。鉛筆の代わりにSurfaceとスキャナ、プリンタを活用して授業に取り組んだ結果、1行しか書けなかった作文が、キーボード入力に変えたことで5つも作文を提出できたという。タイピングに代替されたことで、書き字の難しさやストレスが軽減し、学習へのモチベーションが上がり能力が正当に評価されることにつながった。 これらの事例を受け、村田氏は「今まで大事にされてきた書字そのものの正確性は、評価の対象から外れる可能性がある」と語り、ICTを活用した合理的は配慮が、今後より浸透することへの期待を込めた。

■「埼玉発!GIGAで広がる特別支援教育のOffice活用の可能性&大学×特別支援学校連携で生まれる新たな学び!」(佐藤裕理教諭、大島啓輔教諭、苅田龍之介教諭) 「GIGAタブレットの種類を選ばず活用できるのが、Office教材のメリット」と語るのは、埼玉県立越谷西特別支援学校の佐藤裕理教諭だ。PowerPointやExcelを使って作成した教材の紹介を通して、“一人ひとりが分かる、出来る”をテーマにした特別支援教育でのOffice活用について発表した。 具体的には、PowerPointの機能を組み合わせて作る「自分で操作できる時計アプリ」や「自分の考えをまとめやすい新聞テンプレート」、Excelの表を用いて「お金の量の見える化」した教材だ。これらの教材は分科会中、参加者にクラウドで共有された。これらの教材は「彩特ICT/AT.labo」のサイトに公開されているので、ぜひ活用してほしい。

後半は、埼玉県内の特別支援学校や特別支援学級の教員からなる任意研究会「彩特ICT/AT.labo」の取り組みについて紹介。日本工業大学と連携して行なった「Kinect」を用いた教材について、特別支援教育におけるICTとAT(アシスティブテクノロジー:支援機器・技術)を活用した教育の普及推進を目的に、日本工業大学と連携して、教材開発を行なっている。 同研究グループの埼玉県立騎西特別支援学校の高久聖也教諭はその一環として、Kinectを使用したアプリを紹介。Kinectはカメラが映した映像とアプリ画面を合成する機器で、「身体の不器用さのある子どもたちが楽しみながら身体を動かせる教材」をテーマに「physical training system」や「Tree decoration」など、楽しく学べるアプリを開発した。 最近では大学だけでなく高校との連携も進み、毎年2回、その成果を発表する研究大会を行なっている。これらの取り組みに寄せて、佐藤教諭は「開発を行なう学生の持つ特別支援学校に必要な教材のイメージと、実勢に現場で必要とされる教材のイメージをすり合わせていく中で、学生たちは障害への理解やユニバーサルデザインについての理解が深まった」と語った。

■「What is Creativity?工学院大学附属中学校・高等学校の教員を中心とした分科会」(中川千穂教諭、柳川和歌子教諭) 工学院大学附属中学校・高等学校のMIEEの教員による分科会は、中川千穂教諭、柳川和歌子教諭を中心に、教科、教務、部活、課外活動などさまざまな場面におけるMicrosoftツールの活用が紹介された。同校では、ものをつくる創造性だけでなく、考えることを創造性と捉えており、あらゆる教科で創造的な活動が取り入れられている。

具体的には「Microsoft Forms」(以下、Forms)を活用した数学、家庭科、体育の授業実践を紹介。Formsで小テストを行なう際に数式や関数を入力しやすくする工夫や、体育の授業で生徒からアンケートを募り、生活習慣の振り返りとコロナ禍での不安を見える化した取り組みを取り上げた。 また、「OneNote」を使った探究論文では、生徒たちが情報を共有し、互いに成果物を見られる環境の中で、「確認する→考える→行動する」というサイクルが生まれ、自身の問いを深めることができたという。ほかにも、修学旅行の事前学習で行った中学2年生のプレゼンテーション大会では、写真の見栄えや文字の配置、サイズにまでこだわる姿が見られ、いかに伝わる内容に仕上げていくか、創造的に活動しているのが印象的だ。

参加者からは「考える力、創意工夫し問題を解決していく力、表現力それらを培うためにツールを使用されていることがよく分かった」という声や、「中高生の時代からあらゆるツールに触れることで、子どもたちが成長し社会に出たときに、自分たちがしたいことを今一番実現できるツールは何か、を確実に選ぶことが出来る能力も同時に身に着けられるのだろうなと実感した」という声が上がった。

■「GIGA元年、準備はできていますか?マイクロソフト認定教育イノベーター実践のヒント!」 上記の分科会やセミナーの合間に、小中高さまざまな校種のMIEEがICTの活用実践をプレゼンした。GIGA元年と言われる今年、何から着手すべきか模索する教員に向けてマインクラフトやフォトアプリを使った授業や校務の効率化、withコロナ時代のオンライン授業のノウハウなど、簡単に始められる運用や一歩先を行く実践が紹介された。

「Microsoft Education Day Tokyo 2021」は1日にセミナーやワークショップ、分科会が濃縮され、MIEEの生きた実践による授業づくりのヒントが豊富に散りばめられていた。地域や校種を越えて集まった参加者がリアルタイムで主催者に質問し、議論が深まるなどオンライン開催ならではの貴重な機会が生まれていたように思う。 未来を生きる子どもたちの教育について考える「Microsoft Education Day」が教育者の間で広く浸透し、ここで共有された知見がひとりでも多くの子どもたちに届くことを願う。

【お詫びと訂正】初出時「佐藤教諭はその一環として、Kinectを使用したアプリを紹介」としていましたが、「埼玉県立騎西特別支援学校の高久聖也教諭は~」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。 Watch Headline,本多 恵 〔2021年4/26(月) Impress Watch〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
職場での「隠れた障害」 「学習障害」であることを上長だけに打ち明けて働いていた「私に降りかかった災難」 他人には一見わからない障害を隠したまま仕事をするのはつらいことだ。かといってそれを開示したら、状況はよくなるのか? 米国シリコンバレーの職場で自分の隠れた障害を何度か開示した経験のあるエンジニアが、不快な実体験も交えて問題提起する。

職場での「隠れた障害」問題に取り組む著者

アニメのキャラ、ワイリー・コヨーテに昔から共感してきた。学校から帰ってテレビの前で過ごす午後は、アニメ映像で自分のことを振り返っているような時間だった──いたるところに潜んでいそうな小さな災いを恐れ、教室のうしろに隠れていた自分を。 どれだけ時間を費やして計画し、宿題に打ち込み、ぜったい覚えられない指示書きを読んでも、私にはいつもわかっていた。どれだけ頑張っても、どれだけ慎重に計画を立てても、常にトンネルのなかには列車があり、次のカーブを曲がれば崖がある。あの小さい青いロード・ランナーはまた逃げていく。 隠れた障害を抱える者として、私はいつもその崖から転落してきた。だから、みすぼらしい老いぼれコヨーテが大好きなのだ。彼は常に起き上がる。ゴールは目前というところで、最後にはアホみたいに簡単に、あまりに「普通」にやって見せる誰かに出し抜かれる痛みがわかる。これはキツくてつらい。

学習障害を抱えてシリコンバレーで生きる 大人になったいまでも、私はワイリー・コヨーテに自分を重ね合わせている。 私には学習障害がある。ほかの人とは学び方が違うということだ。ロード・ランナーの生息地シリコンバレーに住まいも仕事もある。 生活をちょっと楽にする装置やツールを作る一介の働きバチとして職業人生を送ってきた。この話の便宜上、また私の雇用可能性のためにも、所属先の社名は仮に「アクメ社」(ワイリー・コヨーテのアニメシリーズに登場する架空の企業)としておきたい。

ロード・ランナーたちに囲まれていると、アクメ社は孤独な場所に感じられるかもしれない。彼らほど動きの速い職場で同じ成果を出すには、4倍の努力をしなければならない。長いあいだ、私が「普通」の人として通用するよう、生活の端々で努力を尽くしてきたことに誰も気づいていなかった。 こうした隠れた障害を抱えて仕事を続けることがどんな感じなのか、よくわかる例をふたつ挙げよう。 ひとつめは、障害があることに周りが気づいていないとどうなるか(私のキャリアをとおして同僚の大半が気づいていなかった)。 ふたつめは、実際に障害を開示したらどうなりうるかという例だ。開示は、いつも上手くいくわけではない(プライバシーの観点から、個人が特定できる情報には変更を多少加えたが、それ以外は書いたとおりのことが起きた)。

例その1─学習障害を「部分開示」した場合 制作の仕事に就いていた数年前のある日、私は会議で新しいプロジェクトについて話し合っていた。私が学習障害を隠していることは出席者の誰も知らなかったが、上司(会議に同席)には以前、自分は視覚学習者で、ほかの人と学び方が違うことを伝えてあった。

会議では8人が日付や数字、修正箇所などあらゆることを矢継ぎ早に、しかも一斉に話していた。まるで情報の竜巻のようで、私は言われたことを読み返せる程度に素早く走り書きしていた。 途中で何回か、発言を繰り返してもらえるようお願いした。わかりやすく言い直してほしいと口を挟んだりもした。 彼らは私の頭越しに話を続けていた。私は少し声を張り、数点だけ日付を確認できないか最後のお願いをした。それでも彼らは聞く耳を持たず、話を続けた。 会議がやっと終了したとき、私はプロジェクト責任者のひとりにちょっと残ってメモを見比べさせてもらえないかお願いした。プロジェクトの締め切りまでの週数を間違ってメモしていないか心配だったのだ。責任者が確認したところ、私が書き留めたスケジュールは2週間もずれていた。

部屋から出ると、上司が別の同僚に話しかけているのが目に入った。私がプロジェクトから外れることを同僚にやんわり伝えているのが筒抜けだった。分をわきまえるべきだと上司は言っていた。つまり、会議であのように声を上げるべきではなかったということ、彼がこのプロジェクトで私に重要な役割を任せることはないということだ。 がっかりした。私がどんな仕事ならこなせるのか、彼はわかった気になっていた。 私のやることなすことに信頼が置けないとか、私の能力を育てたり私が貢献できるような形で情報を共有したりするために時間をかけたくない──という具合に、ないがしろにされていると感じた経験はそのときだけでない。

こんな扱いに数ヵ月耐えた末、職業人として成長し続けたいなら、新しい仕事を探すべきだとわかったのだ。

例その2─学習障害を「完全開示」した場合 その職場で自分の学習障害について完全に開示しなかった理由の一端は、過去の職場で上司に打ち明けた経験にある。 その数年前、ビジュアルデザイナーとして働いていた職場で、顧客に配るパンフレットのデザインを毎月担当していた。私が文書校正をして入力に間違いがないか確認する運びになっていたが、パンフレットの作成は重要度の高い仕事だったので、上司と相談して彼と同僚2人も文書全体の校正にあたることになった。

上司の承認後に最終稿が印刷所へ送られ、刷り上がったパンフレットが届くと、上司は1部を私の顔に突きつけた。「何かおかしくない?」と彼は険しい表情で問いただした。パンフレットは私の目の前で揺れていた。 私は彼の手からパンフレットを取って素早く目を通した。プレッシャーに押しつぶされそうに感じた。「なんてこった、何か見落としたんだ」と思っていた。

上司は私を怒鳴りつけた。 「10箱以上も刷り上がっているんだぞ」

もちろん、間違いがないかどうかは私だけでなくチームの人(上司も含めて)も確認していた。

「間違いは見当たりません」──私はそう言ってさらに目を凝らした。一瞬、頭が混乱し、顔を上げて上司を見た。

「何だと思う」と彼は言った。 「何でしょう?」 「じつは何でもないんだ……君がどう反応するか見たかっただけだ」 彼は薄ら笑いを浮かべて立ち去った。 「楽しい1日になったようで光栄です」──私は彼の頭をムエタイ風に蹴り飛ばすところを想像しながらつぶやいた。 上司に障害を開示したあとにこのような仕打ちを受けて、ことさら傷ついた。しかも彼は校正作業が私にとって不安の種であることを知っていた。

彼がこんなマネをしたのは一度だけではない。それから数ヵ月、私は彼の冗談に意地で耐えた。そして時を見計らって会社を辞め、別の仕事を見つけた。 「見えない障害」を開示する決断 職場でこのような経験をしているのは私だけでない。米シンクタンク「センター・フォー・タレント・イノベーション」の調査によると、働く人の30%が障害を抱えており、うち62%はその障害が目に見えないと回答している。

つまり、彼らは自分に障害があることを知ってもらうため、他人に事情を打ち明けなければならない。見えない障害には、ADHD(注意欠陥多動性障害)から糖尿病、うつ病などの精神疾患に至るまでさまざまなものがある。 障害を隠して働くのは消耗戦になりうる。見つかるのを恐れて暮らすことになるからだ。だが、私の「例その2」からもわかるように、同僚や上司、人事に打ち明けることも危険が伴う場合がある。

打ち明けることであれこれ自問することにもなる。 「私に対する周りの目は変わるだろうか? 上司は私を怠け者や仕事ができない人間と思うだろうか? 私のキャリアアップにはどんな影響があるのか? キャリアは終わってしまうのか、それとも何も変わらないのか?」

私は10年ほど自分の障害を隠し、それを誇りに思うのに長い時間がかかった。だが、仮面を外したいまはこれでいいと思っている。 私の話は不快かもしれないが、社会的な認識が高まり、私もほかの人も必要な援助を受けやすくなることを願って、いまこうしてお伝えしている。 あなたに隠れた障害があっても、私のようにおびえて暮らす必要はないということを知ってもらいたい。法律も味方になってくれるし、支援制度やリソースもある(日本での法律や支援制度などについては「発達障害情報・支援センター」サイトなど参照のこと)。 私たちが声を上げなければ、将来の企業は自社に何が欠けているのか把握できない。

あなたに障害があることを同僚や上司が認識すれば、なぜタスクAは苦手でもタスクBは得意なのかを理解できるだろう。彼らはあなたの加入がチームの強みにつながる「最適解」を探り当てる必要がある。 障害は私を働き者にし、創造的な回避策を見いだすことを教えてくれた。ワイリー・コヨーテのように、私は崖から突き落とされるたびに強くなって戻ってきた。 Terri Rodriguez-Hong 〔2021年5/6(木) クーリエ・ジャポン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (放課後等デイサービス・福岡県、発達障害のニュース、性的虐待  )
【独自】障害者支援施設の生徒に性的虐待 容疑の元役員を書類送検
福岡県警は6日、発達障害などがある子どもを支援する放課後等デイサービス事業所に通っていた女子生徒にみだらな行為をしたとして、児童福祉法違反(淫行させる行為)などの疑いで、元事業所運営会社役員の男性会社員(40)を書類送検した。
捜査関係者への取材で分かった。県警は起訴を求める「厳重処分」の意見を付けた。
捜査関係者によると、元役員は2019年8月ごろ県内で、当時10代前半だった女子生徒が18歳未満と知りながら、みだらな行為をするなどした疑いが持たれている。
容疑を認めているという。
関係者によると、女子生徒は発達障害があり、小学高学年から県内の事業所に通っていた。
元役員は、子どもたちの宿題の面倒をみるなど支援にも携わっていた。県警は、支援者の立場を悪用したとみている。
母親が女子生徒のスマートフォンを確認したところ、元役員との性的なやりとりや画像が残っていた。
女子生徒が、みだらな行為をされたと打ち明け、20年9月に県警に相談した。
放課後等デイサービスは、放課後や長期休みに、障害のある小学生から高校生までの子どもに居場所を提供する福祉事業。
社会福祉法人やNPO法人、企業が都道府県の認可を得て運営し、保育士などの資格を持つスタッフを配置するよう義務付けられている。
一人一人に合った支援計画を作成し、生活能力を高めるための訓練を行う。
厚生労働省によると、全国に約1万5千事業所(20年12月現在)があり、制度が始まった12年から約5倍に増えた。
一方で、19年度には身体的や性的な虐待事案が計64件確認された。
障害者福祉に詳しい東洋大の是枝喜代治教授は「事業所が増えたことで、利用者のニーズに合ったサービスを提供できるようになった。
その半面、専門知識のない職員が担当するケースもあり、質の低下が課題になっている」と話した。
〔2021年5/6(木) 西日本新聞(長松院ゆりか、古川大二)〕 

女子中学生にわいせつ行為繰り返す デイサービス施設の元代表を書類送検
おととし、13歳の女子中学生にわいせつな行為をしたなどとして40歳の会社員の男が書類送検されました。
女の子には障害があり、男は当時、女の子が通うデイサービス施設の代表を務めていました。
児童福祉法違反などの疑いで書類送検されたのは、県内の放課後等デイサービス施設の代表を務めていた40歳の男です。
調べによりますと元代表の男は、おととし8月、発達障害がある当時13歳の女子中学生に対し、福岡県内でわいせつな行為をした疑いです。
調べに対し容疑を認めているということです。
関係者によりますと元代表は、子どもたちに勉強を教えたり世話をしたりする立場を利用して被害者に近づき、わいせつな行為を繰り返していたとみられるということです。
家族が去年9月に警察に被害を相談し、発覚しました。
施設は現在は閉鎖されているということです。
〔2021年5/6(木) FBS福岡放送〕 

発達障害の生徒に性的虐待
「絶対に許せない」発達障害の生徒に性的虐待、母憤り 元役員を容疑で書類送検
福岡県警は6日、発達障害などがある子どもを支援する放課後等デイサービス事業所に通っていた女子生徒にみだらな行為をしたとして、児童福祉法違反(淫行させる行為)などの疑いで、元事業所運営会社役員の男性会社員(40)を書類送検した。捜査関係者への取材で分かった。
県警は起訴を求める「厳重処分」の意見を付けた。
元役員が女子生徒にLINEで送ったメッセージ
書類送検容疑は2019年8月ごろ、県内で当時10代前半だった女子生徒を深夜に連れ回し、みだらな行為をした疑い。容疑を認めているという。
関係者によると、女子生徒には発達障害があり、元役員は宿題の面倒をみるなど支援に携わっていた。
県警は、支援者の立場を悪用したとみている。
放課後等デイサービスは、放課後や長期休みに、障害のある小学生から高校生までの子どもに居場所を提供する事業。
社会福祉法人やNPO法人、企業が都道府県や政令市の認可を得て運営。
一人一人に合った支援計画を作成し、生活能力を高める訓練などを行う。
福岡県障がい福祉課は取材に「障害者虐待防止法に基づいて事業所を運営していた会社に事実確認し、対応を検討したい」とした。(長松院ゆりか)
放課後等デイサービスの事業所数
放課後等デイサービスは全国に約1万5千事業所(2020年12月現在)あり、制度が始まった12年の約5倍になった。
保護者のニーズの高まりもあり増え続けているが、参入要件が緩いことなどから質の低下も懸念されている。
「指導も熱心で信頼していた。こんなことをしていたなんて、絶対に許せない」。
被害に遭った女子生徒の母親は取材に応じ、こう憤った。
母親は仕事を抱え、付きっきりで育児をすることが難しかったため、小学高学年の時から女子生徒を事業所に預けた。
ある日、女子生徒のスマートフォンを確認すると、元役員との性的なやりとりや画像が残っていた。
女子生徒は、元役員から「人にばれたら会えなくなるよ」などと口止めされ、施設内や送迎の車内などでわいせつな行為をされていたと打ち明けた。
性的な画像を送るよう求められたこともあったという。
母親が問い詰めると、元役員は「娘さんのことを真剣に思っている」。
女子生徒には発達障害があり、困ったときに周囲に助けを求めることが苦手な面があるという。
当初は「嫌じゃなかった」と説明していたが、状況を理解するにつれ「大人のことが信じられない。
早く忘れたい」と口にするようになった。
元役員は取材に、書類送検容疑について「心当たりがない」と説明。
事業所を運営していた会社は今月、県内に別の事業所を立ち上げたが、「運営には関わらない」と話した。
放課後等デイサービスの運営は、保育士資格を持つスタッフを配置するなど形式的な基準を満たせば原則、認可される。
利用料の9割は公費で負担。
障害者の性被害撲滅に取り組むNPO法人「しあわせなみだ」(東京都)の中野宏美理事長は「他の障害者サービスに比べて利益が上がりやすく需要も高いので、参入事業者が増えている。
質が疑われる事業所があるのも事実だ」と指摘する。
発達障害のある子や保護者を支援するNPO法人「ハッピーママくらぶ」(福岡県久留米市)の鳥村孝子代表は「一般の学童保育では、障害の特性から他の子とトラブルになる恐れもある。親にとって、放課後等デイサービスは安心して預けられる場なのに、このような事件があると不安だ」と話した。
厚生労働省によると、同サービスを巡っては19年度、利用者への身体的、性的虐待が全国で計64件確認された。
障害者福祉に詳しい東洋大の是枝喜代治教授は「スタッフが個室で利用者と2人きりになる状況をつくらないなど、職員同士が互いに行動を確認できるような対策が求められる。
行政は認可したら終わりではなく、運営の実態を定期的にチェックしていくことが必要だ」と強調する。
〔2021年5/7(金) 西日本新聞(古川大二、山口新太郎)〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  ●)
家族の貧困 【家族の貧困】妻と子供の“友達親子関係”の弊害……夫の後悔は「妻の仕事復帰を許したこと」
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。
本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、“8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
*    * * *
ステイホームが家族を分断させた
上村俊介さん(仮名・65歳)は、コロナ禍が始まった1年前から家族と別居している。
家族は30歳の息子、27歳の娘、そして結婚35年になる3歳年下の妻だ。妻子はコロナ禍を機に、近所の賃貸マンションに住んでおり、家賃は妻が払っている。
「もともと、夫婦仲は可もなく不可もなく。でもコロナ禍のステイホームで意識の違いが明確になった。
妻と子供たちは、コロナに対する危機意識が低い。僕は本当に高かった。家から出たらコロナになるという意識で、真剣にステイホームをしていた。
それなのに、妻と子供たちは気にせず仕事に行く。そういう状況が絶えられなくて爆発した」 かなり強い言葉でののしったことは、妻子が家を出て行ったことからもわかる。彼らがコロナ禍にも関わらず仕事に行くのには、理由があった。
妻は医療関連、娘はドラッグストアのアルバイト店員、息子はスーパーマーケットの非正規社員で、休めないのだ。
「国中がコロナに命を脅かされているのに、休めないと仕事に行く。私も家族を守りたいから“休め!”と強い言葉で言わざるを得ない。
そうするうちに、妻も子供たちも家に帰ってこなくなった」
俊介さんはエリートだ。コロナ禍ではリモートで仕事ができたという。
プロフィールを伺うと、北陸地方の貧しい家に生まれ、奨学金を受けて理系の国立大学を卒業した。
超大手の化学関連会社に勤務し、定年まで勤め上げ、現在も子会社の役員として収入を得ている。
“お飾り”的な仕事ではなく、現役世代と仕事をしており、まだまだ働く気力にあふれている。
「英語やドイツ語の習得など、人一倍の努力をしている。
常に新しい情報やサービスに触れて、自分の仕事に落とし込めないかを考えアップデートする。
だからボーッとしている息子がふがいないんです。中学校で不登校になり、どれだけ強く言っても学校に行かなかった。それがあいつの失敗の始まり。
その後も引きこもりになって、いろんなことがあったけれど、通信制の高校を卒業し、アニメか何かの専門学校に行ってもモノにならなかった。
妹の方は高校を出てからフラフラしている。
声優だ、観劇だと追っかけをしているのが楽しいみたいだね。ふたりとも現実の努力をせず、夢の世界にフワフワしている。
だから2人とも正規の仕事に就けず、年収が200万円以下なんだ」
妻が働くことを許したことが間違っていた
俊介さんは努力が報われる世界で、順調にステップアップして、65歳の現在、かなりの収入を得ており、資産もある。
「父は中卒の工員で、団地住まいの貧しい生まれだったけれど、ひもじい思いはしたことがなかった。
私の母が兄と僕をしっかり育ててくれたから。
父が持ってくる少ない給料でやりくりして、自分のことは後回しにして、子供たちに食べさせてくれた。
勉強やスポーツでいい成績を取ると喜んでくれて、悪いと励ましてくれた。
いつも家にいて、“おかえり”と言ってくれて、大きな愛情で包んでくれた。間違ったことをすると、厳しく叱責された。
時には千尋の谷に突き落とされたこともあった。
母親というのは、そういうものだと思っている」
俊介さんは、専業主婦の母親に育てられた。自分も同じような家庭を築くために、妻と結婚した。

「上司のすすめの見合い結婚で、妻は当時の言い方で “准看護婦”だった。
宮城の農家出身で、高卒で上京し看護専門学校を卒業した。
色白で小柄でかわいらしくて、気が強い女性に辟易していた私の好みにぴったりだった」
控えめな性格が気に入り、とんとん拍子で結婚。苦労人の妻は、当時住んでいた社宅の人間関係もそつなくこなしていたという。
「子供も授かり、結婚生活は10年くらい順調だったんだけれど、下の娘が小学校に上がった年に、妻がまた働きたいと言い出した。
もちろんダメだと言ったんだけれど、妻は強引に仕事を始めてしまい、黙認せざるを得なかった。
あの時に強硬に反対していれば、今のような状況にはなっていなかったと思う」
妻は結婚前と同じキャリアは選ばなかった。
夜勤がある看護師ではなく、子育てをしながら勉強して資格を取得し、別の医療関係の仕事についた。
それでも、朝8時30分から18時までの勤務で、残業することもあった。
「私の仕事も忙しいから、家は妻に任せていた。妻が働き始めてから、明らかに家がホコリっぽくなっていった。
たまに早く帰ると、子供たちだけでコンビニの弁当を食べている。
私も若かったからカッと来て、妻を張り倒してやろうと思ったことは何度もある。
今思えば、あんなものを食べ、母親に手をかけられておらず、愛情を知らないから、うちの子供たちはダメになってしまったんだ」
妻が子供たちをかまわないから、父親である俊介さんが子供たちをまともに育てようと頑張った。
妻が働き始めて5年間、互いに不満を抱え、夫婦関係は冷え込んでいた。
「子供たちの勉強を見てやっても、全然ダメ。
妻が仕事をしている間、ゲームだテレビだとうつつを抜かしているから、勉強の楽しさがわからない。
妻が愛情をかけないから根気がない。
母親がいつも家にいて、後ろでドーンと構えているから、子供は安心して勉強ができると思うんだよね」
俊介さんは、この本音を家族には伝えていない。「時代遅れのオヤジだと思われるからね」と言うが、そう考えていることは家族に伝わっているだろう。
【妻は愛情をかけずに金を出す。「子供を甘やかして何になる」……後編に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。
恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。
連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。
『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。
〔2021年5/1(土) サライ.jp〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
分身ロボットカフェ 自分最優先で「生きたいというわがまま」を叶える、「分身ロボットカフェ」始動 自分の体を現場に運ぶことが困難な方々が働ける場を築くことを目指す、分身ロボット「OriHime」の開発者、吉藤オリィさんにその思いを聞きました(写真:オリィ研究所提供) 分身ロボットOriHimeの開発者オリィ研究所の吉藤オリィさんが、寝たきりでも働ける「分身ロボットカフェ」の常設化プロジェクトを発表した。クラウドファンディングを行い、2021年6月21日に日本橋でオープンする予定だ。ALSや脊髄損傷などをはじめ、病気、入院、海外在住などさまざまな理由から、自分の体を現場に運ぶことが困難な方々が働ける場を築くことを目指す、その思いを聞いた。

日本橋にオープン「分身ロボットカフェ」

■「生きたいというわがまま」を貫いた友 ――オリィさんの目標の1つだった「分身ロボットカフェ」の常設化がいよいよ現実化しますね。寝たきりなどの外出困難な方が、分身ロボットOriHimeや自走できるOriHime-Dを使って働くこのカフェ開設の構想をいつから描いていたのですか。 「分身ロボットカフェ」は、私の親友で秘書をしていた番田雄太と思い描いていた夢だったんです。番田は、4歳のときに交通事故によって頸髄損傷になり首から下はまったく動かなくなりました。 人生のほとんどを寝たきりで過ごした番田は私と出会ったとき「この20年間は太陽に当たりたいということすら、自分の意思ではかなわなかった」と言っていました。これは、周囲が彼へ無関心だったということでは決してありません。周りが熱心に看護をすればするほど、「安全のためだ、仕方ないよ」と言われたのです。 番田はよく「明日死んでもいいから、好きなことをしたい」と語っていました。「生かされている」のではなく、たとえ迷惑をかけたとしても「生きる」ことを求めていたんです。自分の意志で周囲にアクセスし、やりたいことを実現する方法を探す。2017年に亡くなるまで、「生きたいというわがまま」を貫いた人生でした。

――私たちは、つい迷惑をかけてはいけないという思いが先に立ちますよね。 そうですね。私は「ありがとうの負債」というものがあると考えています。例えば、被介護者が「ありがとう」「ありがとう」……と繰り返していると、いつの間にか「いつもごめんなさい」に変わる。さらに、「社会や周囲の人に迷惑をかけている自分は生きていても意味がない」という思いにすら陥ります。これは、3年半の不登校時代に私が感じたことでもありました。

――オリィさんはこうした「ありがとう」を一方的に言い続けるような関係性の問題を解決したいのですね。 私は「孤独の解消」をミッションにしているのですが、「孤独=1人でいること」ではないと考えています。私は孤独とは、「誰ともつながりを感じられず、この世界に居場所がないと思う状態」と定義しています。人が孤独に陥らず生きるためには、他者から「ありがとう」と言われ、自分も「ありがとう」と言える関係が必要です。私はOriHimeを通じて、その機会をたくさん創出していきたいと考えています。

■どうやって自分を「生かすか」を最優先に考える ――番田さんは「ありがとうの負債」をつくらず、「生きること」を求め続けたのですね。 番田は学校に行ったことがなかったことが影響してか、わがまま言い放題のところがあったんです。「ここは遠慮するところだろう」とか「ここまでやってもらっては申し訳ないだろう」という感覚が、番田にはあまりなかったんですね。だから、私とも周囲ともぶつかることがたくさんありました。 とはいえ、障壁がありながらも絶対に諦めない心を持っていたから、発信を続け、私を見つけ、やりたいことを実現できたんです。もし、彼が空気を読むタイプだったら私たちは出会ってもいません。番田はあごを使って6000通以上メッセージを送っていましたが、その中の1人が私でした。

――番田さんと一緒に働く中でどのようなことを感じましたか。 番田は、誰かの役に立ちたいと人一倍思っていました。しかし、それは「人のために働きたい」という発想ではなく、「自分を生かすために誰かの役に立ちたい」という思いから。つまり、「自分を生きたい」からこそ、人の役に立ちたいと考えていたのだと思うのです。 私もこの考えに賛成です。もし、自分が人の役に立とうとするあまり、疲弊していくのであれば、それはしないほうがいい。まずは自分を生かすことを優先しないといけません。つい人は自己犠牲のもと、仕事をしてしまいがちです。しかし、われわれはどうやったら自分を殺さずに済むかを考えることを最優先にしたほうがいいと思うのです。

――テクノロジーの発達で、自分を生かしやすい時代になったのかもしれませんね。 そうですね。まずは、意志があって、その達成のためにテクノロジーを活用できる時代になりました。番田は「何かをしたい」という思いを持ち続けていたからこそ、何かを残せたんだと思います。 声を挙げて相談すれば、周りの人たちが「これを使ってみたら?」と渡せるような時代になってきています。私はこうした助け合えたり必要とし合えたりする社会への流れを加速させていきたいと考えています。

――社会の中で助け合いが実現できるよう設計するということですね。そのためには、何が必要でしょう?  大事なことは、関係性。わかりやすくいえば、「友達になること」だと思っています。見ず知らずの人に「助けてください」と言われても、助ける動機を持ちにくいですよね。しかし、友達に「助けてください」と言われて助けない人はなかなかいません。

■テクノロジーで友達になるきっかけづくり ――とはいえ現在はまだ、外出困難な方がいろいろな人と友達になることが難しいですよね。 はい、だから、まずはきっかけを作ることが大事です。例えば、ゲームセンターでたまたま横で遊んでいた人がすごく上手で、「ここはどうやったらいいですか?」と話しているうちに一緒に遊ぶようになる。そうすると、「こういう困りごとがあって」「これをやってみたいんですが」ということが話しやすくなるし、聞きやすくなります。 私はこうしたきっかけづくりをテクノロジーでやっていこうとしています。外出が難しかったりコミュニケーションが難しかったりする障害を、OriHimeというツールで解決しようとしています。OriHimeで働くことができる「分身ロボットカフェ」や、いろいろな人が遊びながらつながれるオンラインコミュニティー「オリィの自由研究部(オリィ部)」も主催しています。

――働くことや遊ぶことでつながるきっかけを、テクノロジーで作っているのですね。 そうです。誰かのやりたいことのために誰かが我慢するいびつさを解決できるのがテクノロジーだと思っています。役割を作って頼られて、そして、自分も抵抗感なく頼ることができる「ありがとう」が循環する社会をつくり、「孤独の解消」を実現していきます。 佐藤 智 :ライター・教育コラムニスト 〔2021年5/2(日) 東洋経済オンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  ●)
論争中の「義務教育」の在り方 学校に通えない、通わない… 不登校児が増え続ける今こそ考えたい、論争中の「義務教育」の在り方 ◆少子化が進む中、増加傾向にある不登校児生徒 不登校児生徒が増加傾向にあります。しかし、万人に合う教育が疑問視される中、従来の価値観のまま「学校に通うのが是で、それに対応できない子どもを否」として、解決を図ろうとするのは早計ではないでしょうか。 少子高齢化が急速に進む日本の18歳人口は、1992年の約205万人をピークとして、2020年には117万人と減少の一途をたどっています。しかし、そのような状況の中で見過ごすことのできない数字が不登校の割合です。

文部科学省より発表されているデータを見ても分かる通り、近年その割合は急増しており、年を追うごとに高くなっています。このままの数値が推移すれば、もしかしたら数十年後にはマイノリティである不登校の児童生徒がマジョリティになっているかもしれません。 そもそも、不登校の原因として挙げられるものは、いじめなどによる人間関係の不振、起立性調節障害により昼夜逆転した生活リズムの乱れ、発達障害に伴うコミュニケーションの苦手意識など幅広くあります。また、際立った要因が特定されないケースも少なくありません。

それらを踏まえて不登校の問題を扱う上で留意しておきたいのは、なぜそうなったのかという原因究明よりも、これからどういう選択肢があるのかを的確に認識して情報収集することです。

◆小学生・中学生の不登校に対応するフリースクールの役割 不登校に対応する教育支援機関 実は、不登校と障害者への対応は、所轄する省庁が文部科学省と厚生労働省という違いはあるものの課題解決のアプローチはとても似ています。今までの学校教育は集団における行動規範、協調性といったものを重視する傾向にありましたが、近年は個性の進展、個人の尊重といった観点が求められています。 そうした個別の特性に配慮した支援という点では、まさしく不登校の児童生徒への対応も、障害者へのそれも近いものがあるのです。

それらの課題をかかえた児童生徒の受け入れ対応をしている教育機関は、発達障害に関連したところでは放課後等デイサービス、高校進学からは私立の通信制高校、サポート校などがあります。

義務教育における不登校の課題を考える上で大きな役割を担っているのが、フリースクールの存在です。フリースクールは行政からの許認可が必要とされる機関ではありません。NPO法人や社会福祉法人、塾、通信制高校などが運営母体となっており、さらにはオンラインでの活動を中心とするところもあり、多様なタイプの不登校の“子どもの居場所”を提供してきました。 中には、子どもの在籍校である小学校や中学校と提携関係を結び、たとえ学校に通えなくてもそのフリースクールに来れば出席扱いになるようなところもあります。在籍校だけで抱えていた課題も、フリースクールとともに共有することにより解決の糸口が見出されることも少なくありません。 そして、そういった取り組みから見えてくるものは、集団規範を尊重した従来の義務教育の在り方も、子ども一人ひとりの特性に合わせて変化できることの可能性を示唆しています。

◆万人に合う教育が疑問視される中、義務教育や学校の今後の在り方は? 高校からは義務教育の範疇にはあたらないため、当然のことですが、進学するか否かも自由意志です。しかし、義務教育である中学校への進学拒否を宣言する12歳のYouTuberも現れ、学習システム、学校の在り方なども含めて、様々な論争を呼び話題となっています。 こうした義務教育の意義が取り沙汰される昨今において、不登校をポジティブに捉えた独自のシステムを作り、公教育として取り組み始めている自治体も現れています。

2021年4月、公立の不登校特例校として開校した岐阜市立草潤中学校は、これまでのシステムでは自分の才能を生かせなくて学校に行けなかった生徒、不登校を経験した生徒のため、ICT機器を活用した個別学習など多様な学びを提供し、毎日登校する必要のない革新的なシステムを目指しています。 このように、既存のシステムで成り立つ学校に通うことが全てではなく、世代ごとに変化する子どもの特性に合わせた学校づくり、教育の在り方を、地域や社会全体で考えなくてはいけない時代になっているのではないでしょうか。

◆これまでの不登校児へのアプローチと重なる、コロナ禍の学校の対策 2020年度は世界的なパンデミックが生じ、コロナ禍で学校が閉鎖され教育の空白が生じる事態となりました。入学式や卒業式までもが見送られ、分散登校、オンライン学習、様々な支援機関との協力をしながらの学校生活を余儀なくされました。今までのように通学して、授業を受け、皆で行事をこなしていく学校の存在意義とされていたものを覆して対応しなくていけなくなったのです。 奇しくも、逆の視点から見れば、まさしく学校に行けない子どもたちに教育を行ってきた不登校対策のアプローチと同じ状況になっています。大人社会でさえ、ITインフラを活用したリモートワークが推奨され、出勤しなくとも業務ができるような環境を創出させています。

そのような社会変化の中で、既存のシステムで運用されている学校に通うのが是で、それに対応できない子どもを否とみるのは、早計な捉え方かもしれません。 文部科学省は「子どもたち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現に向けて ~令和時代のスタンダードとしての1人1台端末環境~」とGIGA構想を掲げています。そうした、国が主導するICT教育の実現も見据えた上での新たな学習の在り方、学校の役割、義務教育の意義が模索されています。

参考資料:学校に通えない、通わない… 不登校児が増え続ける今こそ考えたい、論争中の「義務教育」の在り方(https://allabout.co.jp/gm/gc/487992/) 古堅 政義(専門学校選びガイド) 〔2021年5/3(月) All About〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A、  ●)
大人の発達障害 職場の空気を乱す…「大人の発達障害」増加の背景にあるもの
「接し方がわからない」「予想外の反応に戸惑う」大人の発達障害に悩むのは本人だけではありません。
本連載では、長年、医療福祉相談員として働いてきた野坂きみ子氏が語る、ともに向き合い、仕事をしていくうえで必要なことを紹介します。
「アスペルガー症候群」が定着する前には…
認知が広がるとともに、少しずつ発見されていった
40年ほど前、発達障害は教科書でも精神発達遅滞もしくは精神遅滞のことでした。
現在の知的障害のことです。
知的障害と言っても、ただ知能指数が低いということではありません。
知能指数は知能検査というスケールを通して指数化した数値に過ぎないので、個々の特徴を正確に映し出すものではありません。
しかしながら知的な障害はほかの精神疾患にさまざまな影響を与えて行くことも知られていましたから、ひとつの項目として取り扱われていました。
明確な言葉にならなくとも意思表示をしてくる子、人には興味がなく自分の世界にいる子、てんかん発作を起こす子、妄想や幻覚があるかもしれない子、子どもの数だけ特徴があります。
当時わが国でも、少しずつ自閉症の概念が知られるようになりましたが、自閉症はそのような子どもたちの中から発見されて行ったのでしょう。
1943年アメリカの精神科医レオン・カナーは、人には興味がなく自分の世界におり、外界とのコミュニケーションも困難なそれらの子どもたちを「自閉症」と名付けました。
そのような重い障害を持つ子どもは「カナー型自閉症」と呼ばれました。
時期を同じくしてオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーも同じような状態の子どもたちを見出し「自閉的精神病質」と名付けました。
その後1981年、ハンス・アスペルガーの著書がドイツ語から英語に翻訳された時、「自閉的精神病質」からハンス・アスペルガーの名前をとって「アスペルガー症候群」と言われるようになりました。
その後長く「アスペルガー症候群」として定着していきます。
何をもって軽度・重度というのか…概念や名称の混乱
日本でも1970年代以降でしょうか、学校に上がったのだけどどうもうまくいかない、いまの言葉でいうと適応できない子どもたちが出てきます。
うまく話せない、友達が作れない、じっと教室に座っていられない、忘れ物が多い、約束を守れない、ひとつのことに異様にこだわる、できる科目とできない科目の差が激しい、などなど。
学校生活あるいは家庭でもそうであったかもしれませんが、生活に支障が出てきます。
それらの状態が発達障害の状態に似ていることに気づいていきます。
しかし知的にはそれほど障害がない、知能検査をすると高く出る子もいます。
これらの子どもたちをどのように考えたらよいのか、このあたりから概念と名称の混乱が出てきます。
「情緒障害」、「微細脳障害」、「軽度発達障害」、「高機能発達障害」、障害されているのは情緒だけなのか、脳の微細な障害なのか、何をもって軽度、重度というのか、高機能群があれば低機能群があるのか、知能指数だけの問題なのか。
それは日本だけのことではなく、これまで自閉症児に見られていたような自閉的な特徴が、知的障害が顕著ではない、あるいは知的に高機能な子どもたちにも見出されるようになりました。
このような状態をどう理解したらよいのか試行錯誤が続きます。
「大人の発達障害」が増加…背景にあるものは
このようにうまく生活できなかった子どもたちも、大きくなって大人になります。
しかし子どもの時に不都合を感じていた子どもたちや親は、医療機関や相談機関につながる機会もあったでしょう。
そして自分にはこういう特徴、障害があるのだなと理解に至ることも多かったかもしれません。
しかし子どもの時は特に問題がなく、学校生活も特に支障なく過ごし、むしろ成績はよかったかもしれない子どもたちが、就職してのちうまく仕事ができない、職場の集団にいられない、そのような状態が見うけられるようになります。
「空気が読めない」など対人関係の違和感が表現され、アスペルガー症候群という言葉も浸透する中で、2000年以降、多く聞かれるようになります。
そして「大人の発達障害」と言われるようになりました。成人になってから、発見されるのです。
いまでは成人になってから発症したのではないと理解されていますし、「大人の発達障害」は「大人になってからわかった」というのが定説です。
野坂 きみ子1958年、札幌生まれ。
大学卒業後、精神科病院、リハビリ病院、総合病院、一般病院と30年余り病院の医療福祉相談員として働く。
その後3年間、ハローワークで障害者就労支援の仕事をする。
現在メンタルクリニック勤務。精神保健福祉士。北海道大学大学院社会システム科学博士後期課程中退。
幻冬舎ゴールドライフオンライン
〔2021年5/4(火) 幻冬舎ゴールドオンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
eスポーツ 障がいがあってもeスポーツで交流を【愛媛】 障がいがある人にもオンラインゲームを楽しんでもらおうと20日、eスポーツのイベントが愛媛県松山市で行われました。 この「えひめパラeスポーツ大会」は、障がいの垣根なくeスポーツを楽しんでもらおうと、愛媛県が主催したもので県内10の障がい者施設から20人が参加。 オンラインのパズルゲームで対戦しました。

発達障害のあるこどもが多く通う放課後デイサービス「マルクスコラ」では24人の利用者が集まり、仲間の健闘にエールを送りました。 ゲームネーム カプリコさん(小学6年生) 「強かったですね、相手が。eスポーツはコミュニケーションスキルの場所としてはうってつけな場所ですね」 また、プロゲーマーの「live」さんらによるゲームの実況解説も行われ、「自分のプレーを信じて頑張ってほしい」とエールを送っていました。 愛媛県は今後もeスポーツを通した障がい者同士の交流に力をいれたいとしています。 テレビ愛媛 〔2021年2/20(土) テレビ愛媛〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (発達障害のニュース、Q&A  )
精神科医が語る「発達障害で仕事をミスしてばかり…やめるべきか」への納得回答
(視聴者の質問)
「現在、空港で地上係員として働き2年目になります。
仕事のミスが多く、自分でも発達障害なのでは?と疑いをもって受診をしたところ、グレーゾーンだとの診断を受けました。
現在も仕事のミスは減らず、怒られるたびに落ち込み、家で寝込むことが続いています。
今の状況を打開するために、何か方法はないのでしょうか?」(24歳・女性)
●まずは、自分を責めるのをやめよう
(二人の回答)
借金玉 これは僕の私見ですが、空港の地上係員って、国内の接客業の中でも一番厳格な部類に入るのでは? 
時間がタイトで、利用者も多くてミスが許されない。
その環境で「ミスが多い」程度で済んでいるなら、環境を変えればもっと輝けるはず。
もし僕だったら飛行機が飛びませんよ(笑)。
樺沢紫苑(以下、樺沢) 質問からうかがえるのは、自責の念です。
まじめな方ほどこの傾向が強いのですが、残念ながら自分を責めてもあまりいい結果は得られません。
グレーゾーンという診断をマイナスに捉えず、自分の特性を知る契機にしてほしいですね。
借金玉 僕もそう思います。
「求められる水準が低いところを探す」という転職の方法もあって、この方が今ほど規律の強くない職場に行けば、すぐに「あなたはすごい!」という評価を受けられると思います。
樺沢 なるほど、ハードルを自ら下げるやり方はいいですね。
高すぎる目標を掲げてしまう人が多いですが、その逆を行くとラクになります。
借金玉さんは、「適職=向いている仕事」についてはどうお考えですか? 
例えばASDだと、コミュニケーションが苦手だから、例えばプログラマだとか一人でできる仕事や事務作業が得意だといわれますよね。
ADHDなら集中してのめり込めるので、クリエイティブな仕事がいいとか。
借金玉「発達障害の適職は……」と一括りにするのではなく、まずは何より自分の発達障害の傾向を把握することが欠かせないかなと。
「発達障害の人はクリエイターが向いている」と言われて、ふざけんな!と思っている人も多いと思います(笑)。
僕自身についていうと、とにかく事務的なミスをすることが多いのですが、「ミスが許される仕事(ミスより成果が優先される仕事)」なら大丈夫だという自覚があります。
でも、それだって金融機関での膨大なミスを経験してはじめて分かったんです。
これは、やってみて失敗しない限り気づけない。
得意なことを探すというより、「絶対に向いていないものを避ける」という考え方で今の仕事(ライターと、不動産営業)に行き着きました。
●向いている仕事は友人に聞く
樺沢 失敗したことを自己分析の材料にするというのは面白いですね。
私も適職を探すには、「短所克服」より「長所進展」が大事だと考えています。
仮に各々が持つ能力を百点満点で評価するとして、私には、発達障害の方の多くが苦手ジャンルの40点くらいの能力を70点にしようと苦悩しているように感じられます。
でも、生きて行くうえでは40点できれば十分ではないでしょうか。
例えばゲームの世界だと、戦闘力や体力が極端に優れている持つキャラクターが評価されるけど、現実において人々が目指すのは全部50点の「超平均」だったりする。
さらに、日本ではゼネラリストが評価される傾向にあります。
でも、成功する人や活躍する人にはやはりそれぞれエッジの立った能力があります。
頑張って平均を目指すより、100点を取れる可能性を持つ長所を伸ばそう。
それが私の考え方ですね。
借金玉「長所がない」という人も良くいるけど、そういう場合は「自分が好きなこと」を考えてみてほしいですね。
嫌いなことは、絶対に長所になりませんから。
樺沢 自分の長所は自分では分からないことがほとんどです。
ほかの人の意見を聞いてみるのもいいと思いますよ。
自分のことを客観視するのは難しいけど、他人のことなら簡単ですからね(笑)。
借金玉 はい。「褒め合える友達」は持ったほうがいいですね。人のいいところを指摘してくれる友人を持ちましょう。
そういう相手になら、自分も遠慮会釈なくモノが言えて、きっとお互いにとって良い循環が生まれるはずです。
特に発達障害持ちの自己認知は、歪んでしまっていることも多いので、客観的な視点を持つことは大事だと思います。
〔2021年2/21(日) ダイヤモンド・オンライン 借金玉〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
なぜ女性と若者の自殺が増えたのか 懸念される「しわ寄せ」と必要なピンポイント支援
年間自殺者の推移
2020年の全国の自殺者数(速報値)は11年ぶりに前年を上回った。
女性と若者の増加が目立ち、厚生労働省は「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う生活苦や学業の悩みが背景にある」とみる。
コロナ禍は長期化の様相を呈し、支援強化が急がれるなか、「つらい時は誰かに気持ちを打ち明けて」と専門家は呼びかける。
〔毎日新聞 2021/1/23【谷本仁美、信田真由美、田倉直彦】〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
当事者でライターの遠藤光太 「発達障害」と分かって踏み出せた、妻との関係修復の一歩 「家族を守る」という父親像も変わった 子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。うつと休職を繰り返し、娘が2歳になるころ、会社をやめる決断をした遠藤さん。一方、自身の生きづらさの多くが「発達障害」に起因すると分かり、妻との関係修復など、新たな一歩を踏み出します。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載7回目です。(全18回)

【マンガで実感】「お母さんは普通がわからないっ」発達障害考えるきっかけは「ニシン漬けが入ったお弁当」 ゾッとするほど思い当たる発達障害 「思い当たる節がありすぎて、ゾッとする」

発達障害が特集されたテレビ番組を見て、僕は「自分のことだ」と衝撃を受けました。うつを繰り返し、会社を辞め、人生に絶望していた社会人4年目のある日のことです。 翌朝にはアルバイトがありましたが、発達障害の情報を調べて没入し、気付いたときには朝方になっていました。冒頭の言葉は、当時書いていた日記の一部です。 精神科の通院日を予定よりも早めてもらい、発達障害について主治医に尋ねました。それまで僕についていた診断名の「双極性障害」は、転院前の診断を引き継いでいたものでした。 僕はテレビ番組をきっかけに、関連本やインターネットの情報を集め、思い当たる部分をメモにして診察に持参しました。

主治医は僕の話を聞き、診察履歴と照らし合わせ、「いま断言することはできませんが、発達障害の可能性が高いです」と言いました。この日から通院ペースが週1回に増え、成育歴や診察履歴、困りごとを詳しく検討し、発達障害の可能性を探る診察が始まりました。 のちに知能検査「WAIS-3」も受けました。知能検査だけで発達障害かどうかを診断するわけではないそうですが、「言語理解」や「処理速度」などの能力を測ってみると、得意なことと苦手なことの間に20以上の差があり、能力に凸凹があったことがわかりました。 僕は発達障害でした。点が線になってつながりました。社会人になってからずっと「これでいいのか?」と疑問に思いながら、見えない敵に対して徒手空拳で挑んでいましたが、初めて立ち向かうべき敵が明確に見えたのです。

僕の生きづらさの大部分が、「発達障害」で説明できてしまいました。暮らしが表情を大きく変えました。 非言語コミュニケーションを積み重ねる 自分が発達障害に気づいてから妻に伝えるまで、長く間を開けました。長さは、家族を幸せにさせられるイメージが湧くまで慎重を期した時間でした。 発達障害のある夫との暮らしを扱った本(*)では、夫婦で別居を始めてから「お母さん最近怒らなくなったね」と子どもに言われる描写を読みました。別居合意書の草稿まで作っていた僕は、「確かに穏やかになることもあるだろう」と妙に納得していました。

しかし、自分自身が発達障害を受容することは、夫婦の修復につながるかもしれないとも感じ始めていました。テレビを見て衝撃を受けてから約3カ月後、焼肉を食べた帰り道で妻に「ASDの傾向があるみたい」と一言。そして、わかりやすい本にふせんをつけて渡し、以後は「説明」を最低限にとどめて、むしろ夫婦の「関係」に目を向けていくことに決めました。 言語によるコミュニケーションで衝突していた過去を反省し、非言語コミュニケーションを重視しました。肩が凝っていたらマッサージをしたり、ペディキュアを塗っていたら替わって塗ってあげたり、妻の好きなデザートを見つけたら買って帰ったり……。 ひとつひとつは小さなことですが、それまでは自分の生きづらさにばかり目を向けていて、考えられていなかったのです。

次第に妻は、ほとんどつけていなかった結婚指輪を日頃からつけるようになっていました。

(*)野波ツナ『旦那さんはアスペルガー しあわせのさがし方』(コスミック出版) 「柔構造」のパパになる 娘は2歳になりました。「自然」だった娘は、立派な社会的動物に成長していました。 妻の場合とは逆に、娘とは言語コミュニケーションを心がけました。抱っこや肩車といった非言語コミュニケーションは生まれた頃からできていましたが、娘の成長により、言語コミュニケーションが有効になっていたのです。 娘はイヤイヤ期の真っただ中でした。まずは話を聞いて受け入れ、言葉を返す。そうしているうちに、「おむかえパパがいい!」と言葉で示してくれることもありました。

僕は、ふと我に返りました。娘と僕の親子関係は、休んでいた期間が長かったこともあり、ずっと良好だったのです。 「普通の父親」が思い描くような「家族を守る」ことは僕にはできませんでした。心が折れていました。しかし、家族という抽象的な概念ではなく、この妻と娘との具体的な「関係」を守る役割ならできるかもしれない。個別の人間同士として、3人でともに暮らして、少しでも良い影響を与え合えたら良いのではないか、と。 背伸びして、肩に力を入れて作っていた父親像はとうに崩れていました。親はひとまず、子が大人になるまでの20年程度の間、本人のサポートを任されているだけの立場です。 建築に「柔構造」と呼ばれる構造形式があります。揺れを剛(つよ)くはね返すのではなく、受け入れて、自らも柔らかく揺れながら受け流す構造です。僕は、目指す父親像を「剛」から「柔」に変えました。

言い換えれば、ケア役割を主体的に担うことです。この時期も、寝かしつけやお風呂のサポート、保育園の送り迎えをやっていました。娘に対して取っていたケアの姿勢を、さらに妻にも適用し始めました。 発達障害のある自分を受け入れ、家族のケア役割も受け入れることで、歯車がかみ合い始め、視界がスカッと開けてきたのです。 借りを返すチャンスが訪れた 発達の特性にはグラデーションがあり、白か黒かと区別することはできません。また、置かれた状況や環境、人間関係によって、特性の表れ方は大きく変わります。かつての僕はこれらのことをわかっていませんでした。

診断前は、発達障害については浅い知識しかありませんでした。例えば、過去にメディアで見ていた発達障害の当事者には「天才」のイメージがありました。自分は「天才」ではなく、どこか「自分とは遠くにあるもの」と感じてしまっていたため、自分の発達障害に気づけませんでした。 (いまこのようにメディアで発信するときには、自分が発達障害に気づけなかった体験から、できるだけ多様な当事者の姿を届けたいと感じています。本連載も、「発達障害のある父親」の発信が少ないことを踏まえて、マイノリティの立場で発信したいという思いから出発しました) いつも僕のことで振り回してしまっていた家庭でしたが、次にピンチを迎えたのは妻でした。仕事で追い込まれ、「ブラック」な勤務先を辞めることになったのです。 「なに、借りを返すチャンスは必ず巡ってくる」(『心が雨漏りする日には』青春文庫)ーー。中島らもさんの言葉を僕はすぐに思い出しました。僕は、強くあり続けていた妻の「弱さ」と向き合うことになりました。

<遠藤光太> フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。          ◇   ◇   ◇ 遠藤光太さんの連載「発達障害とパパになる~子育て苦闘の7年間」(https://withnews.jp/articles/series/104/1)は、原則毎週水曜日に配信予定です。全18回でお送りします。 〔2021年3/17(水) withnews〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A、  )
受動的攻撃性
【あなたの周りにもいるかも】
遠回しに困らせてくる友人や同僚、どうすべき?「受動的攻撃性」 4つの対処法
あなたの周りに「遠回しに困らせてくる人」はいませんか?
受動的攻撃性とは、怒りを直接的ではなく、遠回しに表現して相手を困らせるような性質のことです。
例えば、怒りを「黙ること」「サボること」「抑うつを示すこと」など、消極的、否定的な態度で表現することで、相手を攻撃します。
意識的な場合もあれば、無意識的にやっている場合もあるでしょう。
このような怒りの感情を隠しながら表現することを受動的攻撃性と言います。
周りに受動的攻撃性の高い人がいた場合に行いたい4つの対処法
受動的攻撃性は、決して特別なことではありません。
例えば、子どもが親に叱られて何も答えずに黙ったり、親を無視したりすること、宿題をやらずにいること、どんよりと落ち込んだり無気力でいることなど、イメージしやすいかと思います。
問題となるのは、大人になっても受動的攻撃性の高い行動しか取れない場合です。
友人があなたに何か不満を感じた時に、何が不満だったのか、何をして欲しいのか、何も言わずに黙っていたら対処しようがないでしょう。
また、同僚があなたに不満を感じた後、ずっと無視されていては関係が悪化しやすいですし、職場の雰囲気が悪くなってしまいます。
不満があった時、怒りを感じた時は、その場にあった適切な表現があります。
現在困っていること、ズレを感じたことを上手に伝えることで、対人関係や仕事が円滑に進むでしょう。
それが出来ずに、受動的攻撃性の高い行動しか取れない場合は注意が必要です。
もしかしたら、相手は受動的攻撃行動を取ることで、あなたやその場の空気をコントロールしようとしているのかもしれません。
大きい声を出す、相手の悪口を言うなど、怒りを直接的に表現した場合、表現した側の印象が下がる恐れがあります。
しかし、受動的攻撃行動の場合は、事情を知らない人からすると黙ったり落ち込んだりしている方が弱者のように見えてしまうかもしれません。
そうすると、受動的攻撃を受けた側の印象が下がってしまう恐れがあるのです。
それでは、友人や同僚が受動的攻撃性が高かった場合の対処法をお伝えします。
怒りに反応しない
受動的攻撃を受けた場合、怒りの部分にそのまま反応しないように気をつけましょう。
相手の様子を見て、「黙っていないで何か言って」「サボっているのを見るとますますイライラする」「悲しいのはこっちだよ!」と、相手の行動を見て怒りを感じるかもしれません。
しかし、相手の行動に対して、大きい声を出す、相手を罵倒するなど、直接的な怒りで表現してしまった場合は、あなたにとって望んでいない方向に事態が進んでしまうでしょう。
受動的攻撃についての知識を持っていれば、相手の行動が「受動的攻撃」だと気づくことができるでしょう。
受動的攻撃に気づいたら、そこに巻き込まれないように一歩引き、客観的な視点を持ちましょう。
怒りで返すことではなく、別の行動を選択していきましょう。
何に怒っているのか聞く
受動的攻撃を取っている相手に対して、何に怒っているのか聞くことで、直接的な対話に持ち込んでみても良いでしょう。
怒りの感情は否認されやすいものです。
その際に、「あなたは怒っていますね」と尋ねると、「怒っていない」と返されてしまう場合があります。
「辛そうに見えるよ」「何か困っていない?」と相手の困りごとを一緒に解決すると言うスタンスだと、相手は受動的攻撃を使わずに素直に表出してくれるかもしれません。
受動的攻撃をする人は怒りに気付いて欲しい、
欲しい、自分の辛さを理解して欲しい場合が多いものです。
心配している気持ちを示しながら相手に声をかけてみましょう。
安心させる
相手に何に怒っているのか聞いても、教えてくれない場合があると思います。
相手は何かしらのストレスによって他人を受け付けない状態にいるのかもしれません。
過剰に警戒し、自分を守ろうとするモードだと、あなたの配慮に気づく余裕がないでしょう。
そのような時は、相手の安心感を高めるような声かけを心がけます。
ひとまずあなたがその場所を離れたり、落ち着くまで時間を置いたり、暖かい飲み物を渡したり、ゆったりとした声で言葉をかけたり、相手の気持ちが落ち着くような工夫をしてみましょう。
距離をとる
あなたが関わりを工夫してもうまく行かない場合があるでしょう。
そのような場合は、相手と距離をとることも一つの方法です。
できる範囲で相手と接触する回数を減らすこと、直接的なやり取りを避けることなど、自分の健康やストレスを一番に考えて行動しましょう。
ライター/石上友梨
臨床心理士/公認心理師 大学・大学院と心理学を学び、警視庁に入庁。
〔2021年3/22(月) ヨガジャーナルオンライン 石上友梨〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A、発達障害のニュース)
発達障害と子育てと家庭 圧倒的に働き、強くあり続けた妻が折れた 発達障害の私が向き合った子育てと家庭 「強く稼ぐ主人」の幻想
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。
ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。
娘が2歳半になるころには、自身が発達障害であることが分かり、特性に応じた対応を取り始めた遠藤さん。
一方、頼り切っていた妻の方が職場で限界を迎えていました。
小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載8回目です。(全18回)
人に会うと疲れる、突然落ち込む…生きづらさ「あるある」に共感の声
愛情だけでは子育てできない
26歳で僕の発達障害がようやく発覚し、特性への対処が始まりました。
特性は基本的に生まれつきと言われているので、僕は26年間、「丸腰」で社会に出ていたことになります。
それは自分なりに長く厳しい時間でした。
娘は2歳半になっていました。できる限りの愛情を注いでいましたが、愛情だけで子育てはできません。
子育てに取り組むには、僕にとって特性への理解が必要でした。
一例として、聴覚過敏の問題があります。
聴覚過敏とは、周囲の音を過剰に拾ってしまい、聞きたい音とそうでない音にメリハリをつけづらい脳の特性です。
生まれたばかりの頃には、泣き止まない娘を抱っこしながら自分も泣いていたことがありました。
娘が泣く声だけでなく、テレビやスマホから流れる音、掃除機などの生活音に、疲弊していたのです。
特性を知ったあと、ノイズキャンセリングヘッドフォンを購入しました。
このヘッドフォンから流れる音楽で周囲の音を「マスキング」することによって、この問題には対処することができました。
些細なことからひとつずつ紐解いていくと、家族に自分はいらないと思ってしまっていたことや、うつで休職を繰り返していたこと、離婚や別居を考えるほど夫婦関係が悪化していたことに、隠れていた要因が見えてきました。
特性に凸凹があることに気づかず平らにしようとして、空ぶかししてはうつになり、また闇雲に進んでいく。
そんなメカニズムがありありと見えてきたのです。
圧倒的に働き、強くあり続けた妻が折れた
妻は、結婚前から今にいたるまで、保育士をしています。
よく知られているように、保育士は子どもたちとその保護者たちに必要不可欠なエッセンシャルワークですが、慢性的な人手不足です。
娘が生後3ヵ月のときには、やはり人手不足だった職場からの要請に応じて、妻は産休・育休から復職していました。
もっと休む選択肢もあったと思いますが、責任感の強い妻は働いたのです。
慢性的な長時間労働で、まともな休憩もなく、園の行事の前になると、1日12時間以上働いていた時期もありました。
さらに、持ち帰りの書類仕事や制作物などがあるにも関わらず、適正な手当がつきません。
妻の異常な働き方は問題に感じていましたが、僕は自分の体調が安定しなかったために、十分にはサポートできていなかったのでした。
妻はそんな職場でも仕事を続けようとしていましたが、娘が3歳になる頃、ついに限界を迎えました。
強くあり続けていた妻でさえ心の折れてしまうような環境が、そこにはありました。
退職の話し合いをするとき、頼まれて僕も同席しました。
妻が「退職する」と意思を伝えたあとに慰留され、拒んでいると、役員から罵詈雑言を浴びせられました。
妻に代わって、僕は怒りました。妻のために怒れるんだ、と自分で自分に思いました。
僕は異常な働き方やそれまでに受けてきたひどい言動を伝えて、退職の手続きを始める手はずを整えました。
話し合いを経て、妻はこれほどひどい環境で働いていたのか、と愕然としました。
これは妻とその勤務先だけの問題ではなく、構造が生み出している社会のひずみだと思います。
借りを返すチャンスだ
妻はそんな状態になるまで、「折れられなかった」のかもしれません。
僕のほうが妻を頼ってばかりで、妻は不安定な僕を頼れなかったのだと思います。
その点では、妻の窮状を作り出していた社会のひずみとは、僕でもありました。反省しています。
しかし、退職の場面に限っては、全力でサポートすることができたのではないかと振り返ります。
社会人としてうまくいかず、妻に負い目を感じていた僕にとって、「借りを返すチャンスだ」と感じていました。
「主人」という呼称があります。
僕はかつて、「主人」になりたかったのです。
しかし、力不足で「主人」にはなれず、折れてばかりでした。
いまでは、「主人」になりたかったのは「男性」「父親」に対する固定概念にとらわれていただけだったとわかります。 妻が退職するときの僕は、かつて「主人」と思い描いていたような「強くて稼げる夫・父」ではありませんでした。
パートナーとして、妻が理不尽な扱いを受けていることに単純に怒っただけです。
弱くて仕事のできない夫・父であっても、声を上げることができたことは、夫婦にとって転換点になった気がします。
夫婦は、どちらかが「主人」になる“主従”の関係ではなく、互いにサポートし、ケアし合う関係になりはじめました。
妻が落ち込んでいるときには、「ハグしていい?」と尋ねました。
夫婦は数ヶ月前まで別居を考えていて、ハグに許可が必要なほど心理的に離れていたのですが、恐る恐るハグをしました。
思えば、妻が最初に「仕事を辞めたい」と本音を漏らしたのは、ハグしているときでした。
「寄り添う」とは、どういうことなのか。
どれだけ言葉で励まされるよりも、どれだけ本や動画で知識を与えられるよりも、ハグのほうが通じるコミュニケーションがある。
そう感じていたのは、僕自身が弱くて脆い自分と向き合う日々を過ごしてきたからです。
それは、僕がうつのときにしてほしかったことでした。
「うつになってよかったとは全く思わないが、少しは役に立つ部分もあるのだ」と感じ、それはのちに子育てにも活かされることになりました。
仕事と収入が問題
僕は器用でないので、実はこのときほとんど仕事をしていません。
発達障害の診断を受けてから、情報収集し、自分の特性理解を進めていた時期でした。
仕事をしていなかったからこそ、心に少し余裕ができて、妻をケアする役割がはじめてできたのだと思います。
ただ、収入が非常に少なく、妻に「仕事を辞めることもできる」と言いながらも、将来のことはとても不安でした。
僕は、障害者雇用で就職活動をしていました。
診断が双極性障害から発達障害に変わり、特性への対処をすればフルタイム勤務の会社員に戻れると感じたのです。
障害者雇用という選択は、自分の障害と付き合っていく上で重要な制度でした。
子育てと仕事の両立は、切っても切れない問題であり続けています。
そして、障害者雇用の就職活動と勤務で得られたのは、お金だけでない大切なものでした。
<遠藤光太>
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。
〔2021年3/24(水) withnews〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
「日本の学校教育」が抱える問題点 定期テスト、能力別クラス…「日本の学校教育」が抱える問題点 フィンランドやオランダ、デンマークなどは、学校教育で子どもたちにテストをして順位などはつけない制度を取り入れています。能力別の学級編成なども行いません。能力別にクラスを分けることは、差別をつくり、何の効果もないと考えているのです。今回は株式会社コペル・代表取締役の大坪信之氏が、日本の学校教育が抱える問題点を解説します。

世界トップレベル「フィンランドの学校教育」の実態 フィンランドは学校教育のなかで、子どもたちに競争させることをやめたら、世界トップクラスの学力国になってしまいました。フィンランドは人口550万の小国です。かつては、優れた人的資源もなく、会話も人とコミュニケートするのがとても苦手な国民でした。それが今はコミュニケーション力を重視する、世界学力テストで上位にランクインする国なのです。

かつてのフィンランドは農業国でしたが、今は工業国に変わり、しかも世界のIT産業の先端に位置しています。高い生活水準を保ち、活力ある経済活動を行っています。 その源になっているのが、競争を廃止したフィンランドの学校教育なのです。フィンランドでは、子どもが自ら学ぶことを教育の基本に据えており、競争などで学習を強制することを廃止し、グループ学習、生徒同士の教え合いを大切にしています。子どもたちがマイペースで学べるように工夫しているのです。フィンランドの学校では、いじめや不登校などの問題もないそうです。

「自主学習する子どもを育てること」が重要なはずが… 今、教育で大切なのは、自分で学習する子どもを育てること、自立学習者を育てることです。日本の文部科学省も、そのことを日本の教育の根幹と考えています。 けれども、今の日本の学校制度ではこの目標を達成することは至難の業です。とても不可能なことでしょう。日本の教育では、子どもに合った教育が提供されていないのです。

フィンランド、オランダやデンマークなどでは入試の必要がなく、自由に学校が選べ、学校が子どもに合わなければ、ホームスタディの制度もあります。学校に行くことが強制ではないので束縛がありません。そのため、子どもたちは追いつめられることなく、かえって学校に行かない子どもなど存在しないのです。

日本人は「学力中心の教育観」に縛られている では、日本の学校教育の問題は何でしょう。 国民の多くが、学力中心の教育観に縛られていることこそが大きな問題です。教育に競争はいらないのです。世界を見ると、競争を廃止して、優れた学校教育の成果を上げている国々がたくさんあります。

時代が大きく変わってきているのです。世界の教育は、1995年を境に、知識を詰め込む教育を廃止して、自ら学ぶ子どもたちを育てる教育を目指すという方向に大きく変わってきています。子どもたちに「学び方の学び方」を教えましょう。 子育てで大切なのは「わがまま」に育てないこと 教育で一番大切なのは、自己中心性を取ること――つまり、わがままに育てないということです。徳育の基礎は耐える力、意志力、感謝する心を育てることです。早寝早起きをすることで、耐える力、意志力が育ちます。

子どもたちは善悪の区別と自制を教えないと、本来わがままなものです。そのわがままを抑え、自制する力は意志力です。この意志力は耐える力を育てることによって伸ばされます。 親は子どもの願うままに、子どもを育ててはなりません。それは姑息の愛(一時しのぎの愛)といいます。姑息の愛は、当座は慈愛に似ているけれど、そのうち子どもが気ままに育つようになります。

子育てで大切なのは、人間として生きる道を教え、徳に生きることを教えることです。 日本の古典的な教科書はすべて、子どもに忍耐を教えることの大切さを説いています。 教育の一番の目的は、子どもの自己中心性を取ること、相手のことを思いやる心を育てることにあるのです。 忍耐を覚えると、耐える意志力が育ちます。これに感謝する心を加えれば、子どもに教える徳育の基本が満たされます。感謝を教えるには、いつも親がすべてのことに「ありがとうございます」といって感謝する姿を見せましょう。子どもはそれによって自然に感謝することを学びます。 〔2021年4/8(木) 幻冬舎ゴールドオンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]] 岩手県(東日本大震災、当事者の会・自助グループ・岩手県、) 
震災10年:「あの時、なぜ救えなかったのか」、遺族が抱き続ける悔悟と葛藤
3月10日、ようやく潮が引いたとき、世界は一変していた。
家もトラックもまるで子供のおもちゃのように押し流され、生存者たちは泥と瓦礫の中で行方知れずになった家族や友人を探し回っていた。
70歳になる佐々木善仁さんは妻のみき子さんと次男の仁也さんを津波で失った。
写真は、故郷の岩手県陸前高田市の海岸を歩く佐々木さん。
2月26日撮影(2021年 ロイター/Issei Kato)
斎藤真理[陸前高田(岩手県) 10日 ロイター] -
「磨さん 薄よごれた軍手、そして穴のあいた靴。
まだ温もりがあるような気がして...帰って来た時に俺の気に入りの靴どうしたんだれと大騒ぎされそうなので、そのまま玄関に磨かないで置いときます」
(熊谷幸子さんから亡き夫への手紙。原文のまま)
「あの時、なぜ救えなかったのか」、遺族が抱き続ける悔悟と葛藤
ようやく潮が引いたとき、世界は一変していた。
家もトラックもまるで子供のおもちゃのように押し流され、生存者たちは泥と瓦礫の中で行方知れずになった家族や友人を探し回っていた。
東日本大震災から10年、長い歳月を経ても、被災した人々の多くは自問を続けている。
あの日から会えなくなった肉親や友人はいまどこにいるのか。
愛する子供がなぜ変わり果てた姿で戻ってきたのか。
答えのない疑問を抱えたまま、時の経過では癒やせない深い悲しみに閉じ込められたままの人も少なくない。
<今も受け入れがたい現実>
岩手県陸前高田市。桜並木の私道の先で1人暮らしをしている佐々木善仁さんは、失った家族への自責の念を今も持ち続けている。
津波が押し寄せる中、妻のみき子さんは、当時28歳だった引きこもり状態の次男、仁也さんを必死で自宅から避難させようとした。
しかし、仁也さんは家に閉じこもり、ついには波にのまれた。
みき子さんもその後、濁流の中で命を落とした。
自分がもっと家族の問題に向き合い、妻や次男をしっかりと支えていれば、2人の運命は変わっていたかもしれない。
70歳になった今、佐々木さんは、家族を苦しめた引きこもりに関する本を読み漁っている。
宮城県石巻市。佐藤美香さん(46)の時間はあの日で止まったままだ。
6歳だった娘の愛梨ちゃんは幼稚園のバスの中で亡くなった。
津波の後、暗闇の中から助けを求める子どもたちの声がはっきりと聞こえていたという。
陸前高田市の熊谷幸子さんは、夫の磨(みがく)さんがいつか戻ってくると信じていた。
カレンダーの裏に磨さんへの伝言を書き、家に帰ってくれるよう伝える。
夫からの返事を自分で考えて書くこともあった。
受け入れがたい現実を変えることはできないが、そうすることで少しでも2人の時間を感じることができた。
<荒波の中で聞こえた妻の叫び>
大震災による地震と津波は東北の太平洋岸を中心に2万人近くの死者を出した。
津波で冷却システムが停止した東京電力福島第一原子力発電所では、3基の原子炉でメルトダウン(炉心溶融)が起き、近隣に深刻な放射能汚染が広がって10万人以上の住民が避難を余儀なくされた。
被災住民や地域の復興に向けて、国が投じてきた復興資金は約31兆円に上る。
しかし、どれほど大きな投資によっても、震災が人々の心に残した傷は消えようがない。
陸前高田市ではおよそ2万4000人の住民のうち、1700人を超す人々が犠牲になった。
震災後、将来の津波から住民を守る対策として、高さ12.5メートルの防潮堤が全長約2キロにわたって海岸線に建設された。
3月の寒い夜、強風があおる激しい波の音が防潮堤によってかき消され、海の存在は消えていた。
要塞のようなコンクリートの壁が、海とともに暮らし、栄えてきた町と海との融和を阻んでいる。
佐々木善仁さんの家は玄関から海が見える距離にある。
しかし、好きだった釣りや海辺の散歩を今はほとんどすることがない。
妻と息子2人と暮らしていた旧家が津波で流されたため、現在の家に引っ越してきてからのことだ。
震災発生の日、定年まであと数週間と迫った佐々木さんは、当時住んでいた自宅から車で30分ほどの漁村・広田の高台に建てられた小学校で校長として勤務していた。
激しい揺れと津波の情報を受け、佐々木さんはまず全校の生徒を避難させた。
何より心配になったのは、引きこもりが10年も続いていた次男の仁也さんに最悪の事態が起きているのでないかということだった。
ここ2年間は、仁也さんは家から一歩も出ず、外部との接触を拒んでいた。
「女房だけは助かったかもしれないな、と思っていました。
避難所に行った時に『取り乱している女性はいないか』と聞いたんです」と、佐々木さんは静かな口調で語った。
次男に何かが起き、妻が動揺しているのではないか、とその時は考えた。
しかし、みき子さんの姿は避難所にはなく、翌月遺体で見つかった。57歳だった。
津波が押し寄せてくる中、「他の人には会いたくない」と言っていた仁也さんをみき子さんはぎりぎりまで説得していたらしい。
しかし、それもかなわず、みき子さんは長男の陽一さんと一緒に隣の家の屋根に逃れ、自宅が波にのみ込まれていく状況を目の当たりにしたという。
佐々木さんは眼鏡を外し、テーブルにある新聞の切り抜きを手にし始めた。
部屋には段ボール箱が山積みされていた。
昨年12月、40歳で結婚することになった陽一さんが家を離れるときに残していったものだ。
震災後、佐々木さんと陽一さんは一緒に暮らしていたが、津波の日のことを話すことはなかった。
2人がようやく当時の記憶を語り合ったのはほんの数カ月前、陽一さんが引っ越しの準備をしていた時だった。
「息子が引っ越すから。もう聞けるチャンスがないと思って、(女房が)最後何を言ったのか聞いたんです 」と佐々木さんは語り始めた。
陽一さんが最後に見たみき子さんは荒波の中で瓦礫にしがみつき、叫び続けていたという。
「お母さんが(自分に)生きろーって言っていた」という陽一さんの言葉が胸に突き刺さった。
津波の後、佐々木さんは亡くなった仁也さんが陥った引きこもりに関する本を何十冊も買った。
苦しむ息子に自分がなぜもっと声をかけなかったのか。
仁也さんを理解しようと格闘していたみき子さんをなぜもっと支えてこなかったのか。
そういう自分を、長男の陽一さんが今でも責めているのではないか。
佐々木さんは独り言のようにそれを繰り返した。
「そういうことを忘れようといったって、忘れられない。
逆にどんどん鮮明になっていく。
時間が解決するというのはうそだろうね」震災前、妻のみき子さんは引きこもりの子供を持つ親の会を立ち上げ、佐々木さんには退職したら手伝って欲しいと話していたという。
佐々木さんは今、みき子さんへの感謝と償いの気持ちを込めて毎月その会を主宰している。
震災後、書き始めた引きこもりについてのニュースレターは50号近くになった。
<真実求めた裁判に冷たい視線>
石巻市で亡くなった被災者は3200人余りに及ぶ。
佐藤美香さんの娘、愛梨ちゃんもその1人だ。
妹と遊ぶのが大好きで、大きくなったらテレビのアナウンサーになりたいと夢を語っていた女の子だった。
震災発生時、愛梨ちゃんは地元の幼稚園にいた。
その直後、園側は愛梨ちゃんら5人の園児をバスに乗せ、丘を下って海岸方面に向かった。
震災後の混乱の中、愛梨ちゃんの捜索は自分たちの力に頼るしかなかった。
3日後、他の保護者とともに瓦礫の中を歩くと、合板や金属の破片の間で薄い煙がくすぶり、家の屋根の下で焼け焦げた黄色のスクールバスを見つけた。
その中に、愛梨ちゃんの痛々しい姿があった。
佐藤さんは瓦礫の中から自分の手で愛梨ちゃんを抱き上げ、高台に運んだ。
「赤ちゃんぐらいの大きさになってしまっていて、もう、風が吹いただけでも壊れてしまう、飛ばされてしまいそうだった」と佐藤さんは娘を抱くように腕を組んだ。
「(津波が起きた日の)夜中の12時ごろまで、助けて、助けてという声が聞こえていた証言があって。
ひょっとしたら子供たちは(津波の後も)生きてたのではないか」と佐藤さんは考えている。
震災の5カ月後、佐藤さんら4人の園児の家族が幼稚園側を訴えた。
2014年、佐藤さんら原告団は幼稚園側と和解。
佐藤さんら原告側の鎌田健司弁護士によれば、園側は法的責任を認め、合計6000万円の和解金支払いとともに、遺族に「心からの謝罪」を約束した。
しかし、幼稚園側から毎年、花束は届いているものの、謝罪の言葉を受け取ったことはないと佐藤さんは言う。
この幼稚園は現在、閉園している。
同園側の弁護士は、ロイターの取材に対し、同園が毎年、犠牲者の家族に慰霊の花束を送っていると説明。
しかし、この訴訟で佐藤さんら原告側と和解した内容も含め、詳しいコメントは控えると話している。
佐藤さんは「裁判で真実がわかるものだと思っていたんです」と言う。
しかし、佐藤さんによれば、園の職員は法廷で「地震の日に津波のサイレンは聞こえなかった」と繰り返した。
「自分たちと思っていたのと全然違って、真実は分からないままです」
ため息をつきながら、佐藤さんは娘を見つけた場所に近い慰霊碑まで歩いた。
マスクを外し、石に刻まれた愛梨ちゃんの名前に触れた。
愛梨ちゃんの焦げ付いた小さな靴とクレヨン箱は、今は近くにある震災記念館に展示されている。
「怒りが収まらない」 。
佐藤さんは内気な自分として、このような裁判で世間の注目を集めるような立場になるとは思わなかった。
「私たちの大切な娘が亡くなり、その事実が・・・」と言いかけた時、 地元の男性が佐藤さんをテレビのインタビューで見たと話しかけてきた。
「(裁判で)3億くらいもらったんでしょ?」。
男性の言葉は辛辣(しんらつ)だった。
「いえ、違います」と答えた佐藤さんに、男性はさらにたたみかけた。
「みんな大変だったんだからね。もういいでしょう」。
男性は訴訟になったことを憤るかのようにつぶやき、去っていった。
佐藤さんたちに対して、応援する声は多かったが、心無い意見もしばしば耳にした。
「もう慣れてしまった」と佐藤さんは悲しそうに言いながら、停めていた車に戻っていった。
「心ないことを言う人もいるけど、わからない人には何を言ってもわからない」
娘に起きたことを二度とほかの子供たちに繰り返してはならない。
そんな気持ちから、佐藤さんはいま悲惨な思い出を防災意識の向上に役立てる地域活動に尽力している。
「アイリンブループロジェクト」。
佐藤さんは愛梨ちゃんが見つかった場所に咲いた白い花を「あいりちゃん」と名づけ、ボランティアらとともに、各地の学校などに同じ花を植えてきた。
咲き広がる花を見た子供や大人たちに防災の大切さを思い起こして欲しいという気持ちからだ。
水色が好きだった愛梨ちゃんの思いを込め、プロジェクト名には「ブルー」を添えた。
石巻の被災地を訪れる人々には、自らの体験と震災の恐ろしさを伝える「語り部」となる。
佐藤さんが今も携えている愛梨ちゃんの通園バスの時刻表が、声なきメッセージとして人々の心を打つ。
<本になった夫への手紙>
「磨さん、皆、復興 復興と目標をもって頑張ってるけど、私は何を目標にして生きれば良いの...早く元の姿で無くて良いから出て来て下さい...この大震災、人生をメチャクチャにして、あまりにも酷い酷すぎる。
悪いこと何ひとつしてなかったのに! 幸子」(熊谷幸子さんから磨さんへの手紙) 
東北地方では、いまだに2500人以上が行方不明になっているが、安否の確認や遺骨の捜索は困難を極めている。
岩手県では、不明者を探し続けている家族のために、各地の警察が毎月、商店街や公民館などで説明会を開いている。
警察が行方不明者の身元を確認し、必要に応じて家族からDNAサンプルを採取する。
津波から3カ月後、同市の熊谷幸子さんは、震災当日、自宅を出たまま行方不明になった夫の磨さんに手紙を書き始めた。
手紙は天気や朝食の説明から始まり、磨さんの居場所を尋ねる質問が散りばめられている。
その数は200通以上になり、幸子さん自身が磨さんになって書いた答えもある。
「ままちゃん、くよくよしたって俺はもう戻れない。いつ迄も待ってるから頑張れ頑張れ(磨)」
熊谷さんが夫の身を案じて書き続けてきた手紙は2冊の本になった。
きっかけは、復興支援のボランティアとして同市を定期的に訪れていた釣崎等さん(71)との出会いだった。
釣崎さんは熊谷さんの悲しみを癒やそうと、カレンダーの裏に書かれた手紙をパソコンに打ち込み、手作りの本にして出版した。
「どの被災地の人たちも、元の昔に戻りたいという気持ちはすごく強い」と釣崎さんは言う。
「元には戻れないから新しい街を作っていかないといけないけれど、なかなかそういう気持ちになれないところがあるんです」
自分の目の前で家族が亡くなったという決定的な証拠がない限り、熊谷さんのように、現実を受け入れられず、いつか戻って来ると期待しまう人がいる、と釣崎さんは話す。
この本を読んだ熊谷夫妻の息子、慎さん(51)は「(母の手紙で)改めて分かったこともある」と、2人の絆に気づかされたという。
津波から6年後の2017年、熊谷さんは磨さんの死亡届を提出した。
その1年後、幸子さんは77歳で亡くなった。
最後になった手紙のひとつには、こうつづられている。
「磨さん、おはよう。今年も残りわずか。
見つからずに終わってしまいそうですネ...彷徨い彷徨いして大野湾に戻ってきたら奇跡だよネ。
奇跡ってあるみたいだけどこの大震災にはないみたいですネ」
(斎藤真理 編集:北松克朗)
〔2021年3/10(水) ロイター〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (東日本大震災、  )
がれきの中、亡き息子に「ごめんね」 母は今、心に寄り添う看護師
助けてあげられなくて、ごめんね。がれきの中、ひざまずき、手を合わせ、繰り返し祈った。
菅原良枝さん(53)は、岩手県陸前高田市の実家にいた長男の大樹(ひろき)さん(当時16歳)と両親を亡くした。
手を合わせる写真は、震災1カ月後の4月11日に撮影された。
手帳には「新聞の人に声を掛けられた。写真可とする」と書いた。
「悲しさと、忘れてほしくない気持ちが入り交じっていた」と振り返る。
看護師だった菅原さんは実家で夫と3人の息子、両親の7人暮らしだった。
2004年、菅原さんの転勤で両親を残して岩手県花巻市に引っ越した。
だが、小学生だった大樹さんが転校先の学校に合わず、通えなくなってしまう。
中学進学を前に「高田の学校に行く?」と聞くとうなずいた。大樹さんだけが両親のいる実家に戻った。
休日になると、菅原さんは会えない時間を埋めるように陸前高田へ通った。
大樹さんが高校に進んでからも、離れ離れの生活は続いた。
震災1カ月前に会った時は、中学のサッカー部のジャージー姿だった。
「あまり欲がなくて、いつもジャージーで……。今度は一緒に服買いに行こうねって言ったのに」。
母が見た最後の姿になった。
震災2日後にたどり着いた故郷の惨状は、想像を超えていた。
実家は基礎しか残らず、遺体に掛けられた毛布や布団をめくり、夫と確認して回った。
遺体安置所で、見慣れた背番号27のユニホームを見て、すぐに大樹さんと分かった。
同級生の母親に「大樹がいたよ。生きててほしかったけど、見つかっただけでもよかった」と報告した。
「『お兄ちゃんだから頑張って』なんて、いろんなことを我慢させて……。本当は、ずっと一緒にいたかった」
震災の傷は、その後も家族を苦しめた。
1年後、小6の三男が学校を休みがちになる。診察を受けた病院で「震災が関係しているかも」と言われた。
心当たりがあった。大樹さんが亡くなったことをきちんと話せないまま、遺体と対面させてしまった。
自分を責め、内陸の花巻市では被災の苦しみを理解してもらえないことにも孤独を感じた。
体調を崩し、看護師を一度辞めた。
14年に働き始めた訪問看護ステーションで、ある精神疾患を持つ人を担当する。
やり取りを重ねるなか、つらさを打ち明けてもらえた。
「自分と同じように精神的に苦しむ人に、何かできることがあるんじゃないか」。
それが転機となって2年前、精神科と心療内科を持つ病院で看護師として働き始めた。
自傷行為や引きこもりに苦しむ若い患者も多い。「私も震災でね……」と経験も交えながら、アドバイスする。
大樹さんの同級生は今も近況を伝えに来てくれる。結婚の報告も聞いた。
21歳になった三男は、20年から精密機械の運搬・設置会社で正社員として働いている。
大樹さんの将来の夢は建築士だった。「生きてたら、今ごろどうしていたかな」。
これからも振り返るだろう。ただ、自分もようやく一歩を踏み出せたのかもしれない。
患者一人一人の悩みを理解できるように、そばで寄り添いたいと思う。大樹さんにしてあげたかったように。
〔2021年3/11(木) 毎日新聞【三瓶杜萌】〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (発達障害のニュース、) 
遠藤光太 「保育園に行きたくない」と泣く娘と発達障害の父親が語り合ったこと
「僕も満員電車がいやだったんだ」
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。
ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。
自身が発達障害であることが判明した遠藤さんは、4歳になった娘の「保育園に行きたくない」という訴えに直面します。
そこで遠藤さんが取った、娘とのコミュニケーションとは。
小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載11回目です。
(全18回)
寝る前に「嫌だったこと」を言い合う
娘が4歳の頃、「保育園に行きたくない」と言い始めました。
朝食を食べた後、気づいたら布団に戻っていて、やる気が出ません。
とある朝、「パパは小さいとき、『幼稚園行きたくない』って泣いてたよ」と言うと、娘は「え、そうなの?」と興味を持ってくれました。
「◯◯はいつも保育園行ってえらいね。ゆっくり準備しよっか」と聞いた娘は、保育園の支度をし始めました。
ただ、保育園に行っても部屋の前で泣き出して、親である僕と離れられずに家へと帰る日もありました。
僕は職場に電話を入れ、出勤時間を遅らせてもらっていました。
保育園に通う毎日は、一進一退。娘が自分のペースで試行錯誤できるよう、サポートしていきました。
娘と僕は就寝前に、「今日いやだったこと」を言い合う時間を設けるようになりました。
「今日の保育園は、◯◯ちゃんがパズルを片付けなくていやだった。すごくいやだった」と娘が言い、「それはいやだったね」と僕は言います。
僕のほうも、「満員電車で身体がこんな風にねじれていやだった」と言い、娘は笑いながら聞いてくれます。
話はとりとめなく続いて、1時間ほどにおよぶことも少なくありません。
もちろん、楽しかったことや嬉しかったことも、いやだったこと以上に多く話します。
ときには、お互いが別々の本や絵本、マンガを隣で読み、ふとしたときにまた会話に戻ることも。
やがて娘は眠りに就きます。
話をするこの時間には、うつを発症して休職していた頃に通っていた、リワークプログラムが参考になっていました。
リワークとは、うつなどで勤務先を休んだ人が復職に向けて通う医療プログラムで、職場のように週5日通い、体を慣らしていくことができます。
プログラムのひとつに、自分が苦しかったことや不安に思っていることを自己開示してひとりずつ語る時間がありました。
他人に弱さを語ることや、他人の弱さに耳を傾けることで、「自分についてこんなに話してもいいんだ」と初めて知った体験でした。
のちに、アルコール依存症などの「自助会」も知りました。
僕は娘と2人で自助会のような語り合いをしてきたのだと思います。
僕自身の苦しかった子ども時代
思えば、僕は「スピードの速い」子ども時代を過ごしてきたように思います。
発達障害の特性は生まれつきと言われていて、僕の特性は見過ごされ、自分でも気づかず、周りに合わせようと一生懸命になっていきました。
すると、おとなしい性格だったため、表面上は「良い子」になっていきましたが、心の中はいつも不安や焦燥感でいっぱいでした。
周りに見せる態度は「良い子」なのに、心の中はいつもめまぐるしく動いているーー。
苦しい思いは、過呼吸のような状態になって表れていました。
授業中に息ができなくなり、「死ぬ」と恐怖に思ってパニックになり、廊下へ飛び出して、端にあるトイレにダッシュしていました。
孤独な気持ちを抱えながらダッシュして、何かから逃げていたときの光景が忘れられません。
いつも注意深く、脳内をぐるぐると動かして「みんな」に合わせようと努力していました。
そして自分に合わないスピードで駆け抜けて、僕は大人になりました。
発達障害の発覚は遅れ、「良い子」の外面と、いつも「ダッシュ」しているような内面のギャップを温存したまま、子育てを始めていました。
全速力でダッシュし続けることはできません。
大人になってからうつになったとき、子育てや仕事の大変さはあくまでもきっかけに過ぎず、小さな頃から鬱積(うっせき)させてきたギャップが顕在化したのだと思います。
元をたどれば、僕が子どもだった頃に、弱さについて語り合う時間があればよかったと感じています。
だからこそ僕は娘とともに、娘が「保育園に行きたくない」と感じさせる違和感を大事にして、一緒に考えようとしているのです。
弱さを力に
親子とは言え、娘と僕は当然ながら別の人間です。
僕は「親だから」「大人だから」といった役割を剥いで、娘の「いやだったこと」に耳を傾けます。
それだけでなく、僕自身の「いやだったこと」も開けっぴろげに話します。
一般的に、子育てしている親もまた、子どもに育てられていると言われることがあります。
僕は、それに加えて、娘とともに「関係性」を育てているというのが実感に近いように思います。
そしてその「関係性」によって、娘と僕は育てられているのでしょう。
「明日、保育園に行きたくない」と言う夜もありました。
話したあと、最後には「明日の朝に決めよう」と伝え、娘は「うん」と応えます。
育ててきた関係性があってこそ、安心して外にも出て行けます。
「周りのスピードに合わせなければならない」「成長しなければならない」といった固定概念にさらされたりして、焦っていた僕が、「待つこと」を覚え始めました。
教えてくれたのは、娘との関係性です。
“わたしの行為の、あるいは発言の、どれひとつとしてだれにも待たれることがないという事態に、おそらくひとは耐ええない。(中略)「待たれる」ことがじぶんの存在の最後の支えのひとつになりうる”
哲学者・鷲田清一さんの『「待つ」ということ』(角川選書)に書かれていたことを、僕はあとから知りました。
スピードを落として、立ち止まって横になり、待つこと。
それは、娘が小学生になった今でも、僕たち親子の支えとなってくれています。
これは、もっと俯瞰して見れば、僕が自分の弱さを知っていたからこそできたのかもしれません。
セルフ・ネグレクトだった自分を変えたい
障害者雇用で仕事をし始めて1年が経つ頃、気づき始めたことがあります。
それは、僕の人生はそれまでセルフ・ネグレクトのような状態だったことです。
学校や職場、父親の役割に適応しようとすることに精一杯で、いつも緊張していました。
僕は自分を尊重できていませんでした。
娘と弱さを共有することで、僕も苦しかった子ども時代の体験にケリをつけられているように思います。
娘と僕が別の人間であることをいつも意識しながら、共有できる部分は共有し、違いを尊重して関係性を作っていけたらいいと思っています。
セルフ・ネグレクトのようになっている自分を変えたいと思い、僕は自分の個人的な感情や希望に改めて目を向け始めるようになっていきました。
<遠藤光太>フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。
社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。
〔2021年4/21(水) withnews〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
不登校新聞・石井志昂 「世界一受けたい授業」で堺正章も感動 不登校新聞・石井志昂さんの「学校に行かない生き方」〈dot.〉 不登校の子どもとその家族のための専門紙「不登校新聞」編集長の石井志昂さん(39歳)が、17日放送の「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)に出演した。テーマはもちろん不登校。石井さんが番組出演をオファーされた理由は、学校に行かずに家庭で学ぶことも選択肢の一つとして認められ始めているから。石井さんが訴える「不登校という生き方」とは。    *  *  * 「番組収録では、芸能人を前に緊張してカミまくってしまいました。でも、出演者の意外な反応を見れたのです」 と石井さんは番組収録時をふりかえった。 番組では、不登校を子どもの意思を尊重した「生き方」として紹介した。例えば、米国の歌手のビリー・アイリッシュさんや、台湾の天才IT担当相として知られるオードリー・タン氏も自宅で学習。また文部科学省は2019年10月、都道府県教育委員会教育長などへの通知で、不登校支援の基本方針について「『学校に登校する』という結果のみを目標にするのではなく」と明記した。さらに昨年からのコロナ禍で、リモートで学ぶ環境が整ったこともあり、石井さんは「不登校は一つの生き方になってきている」と訴えた。

予定していた放送内容を撮り終え、石井さんがほっとしたときだった。“校長”の堺正章さんが真剣な表情で、石井さんに語り掛けてきたという。 「新しい時代が、コロナによって始まろうとしているんですね」 完全なアドリブだった。石井さんには、堺さんが心から感じたことを口にしたように思えた。それは驚きで、うれしい誤算だったという。 「上の世代の方々にとって、学校にいくのは当たり前で、一種のセーフティーネットでもあり、楽しい思い出が詰まっている場所だと思うんです。だから不登校については、理解はしても、『時代が違うんですね』といった後ろ向きなトーンで語られることが多かった。それが、堺さんは『学校のかたちがかわる』と新しいことへの期待感を込めて発言していた」

■偏差値50以下は人生終了 受験競争で窃盗症に 「学校へいかない」子どもはどんな気持ちでいるのか。 実は、石井さんも不登校経験者だ。その半生を振り返ることは、新しい時代の潮流を理解する助けになるかもしれない。

石井さんの不登校のきっかけは中学受験の失敗。当時の心境については、AERAdot.の連載「ぶらり不登校」の「『受験失敗で人生が好転した』第6志望も不合格だった不登校新聞編集長が今伝えたいこと」に詳しい。 石井さんは1982年、首都圏のごく普通の家庭に生まれた。小学校4年生の夏休み、宿題もまったくせず、その日暮らしの石井さんの様子をみて、母親は「塾にいったら?」と提案。親子で塾を訪れると、スタッフが「この子は有名中学にいけます。将来は東大や早稲田に合格するような子です」と断言した。そこからレールに乗って中学受験にまい進していく。

「今振り返れば、完全に塾の営業トーク。しかし、それで親子で火がついてしまったのです」 そこはいわゆるスパルタ塾。成績順に並ばされては、下位の生徒には「見せしめ」に体罰が待っていた。長期の休みには、一日十時間勉強する合宿があり、講師は「偏差値50以下の学校に行くと人生は終わる」などと平気で口にしたという。

他人と成績を比べられ、がんばっても思うように成績が上がらない。疑問を抱いていたが、レールから外れられない。石井さんは追い詰められ、精神は限界へと近づいていった。異変は、ある時、万引きという形で現れた。無意識のSOSだったのかもしれない。気が付けば、石井さんはほぼ毎日、漫画やお菓子を盗んでいた。 「万引きは許されない行為ですが、あの時の僕はクレプトマニア(窃盗症)だったんだと思います。毎日万引していましたから。盗んだものは本当にほしいものだったかは疑問で、家に帰る前に捨てていました」

中学受験が終わると、万引きはピタリとやんだ。店に入って、商品棚を前にして、石井さんは「なぜ僕は商品を盗ろうとしたんだろう」と不思議に思ったことを覚えている。

■中学2年で不登校に 「僕は人生詰んだ」  一方、中学受験の結果はというと、第1志望から第6志望まで「全落ち」。連日のように母親が結果を見に行き、気まずい空気が流れた。第2志望の受験からはほとんど記憶がないという。 結局、地元の公立中学校に通うことになった石井さん。厳しい校則にもなじめなかったし、いじめも目の当たりにして、学校生活にストレスを感じるようになった。石井さんはその理由を「それもこれも自分が受験に失敗したからだ」と考えるようにった。 それでも最初はまじめに学校に通い、テストではいい点数をとろうと努力した。なぜなら、石井さんにとって公立中学校の生活は受験の失敗を取り戻す機会だったから。

「ちゃんとしなきゃ、もっとがんばらないと、と常に思っていました。テストでは一回のミスも許されないと感じていました」 徐々にストレスをためていった石井さんは、中学2年のある日を境に学校にいかなくなった。それで石井さんの心が晴れたわけではなく、むしろ逆。自分の人生に絶望していた。

「不登校なんて、人生終わったな。完全に詰んだ」 一カ月後、石井さんはフリースクールに通い出す。不登校になった子どもが行けるところはフリースクールくらいしかないというような認識だった。 当然ながらフリースクールには、石井さんと似たような境遇の、10代の子どもらがいた。通ってみて初めて分かったことだが、その存在は大きな安心感につながったという。それまで、石井さんは自分以外に学校にいかない10代の人間がいるのが想像できなかった。ようやくロールモデルが見つかったのだ。 「あ、生きていけるんだ、って心の底から安心しました。自分は生きてていいんだと初めて思えました」

■「本当にしびれる」リリー・フランキーから痛い指摘 石井さんが不登校新聞に関わるようになったのは16歳のとき。当時の編集部は石井さんが通うフリースクールの一角に間借りしていた。不登校の当事者が記者・編集者となって新聞づくりに携わる「子ども若者編集部」ができる時に、「取材に行ってみないか、有名人に会えるよ」とスタッフから誘われたことがきっかけだった。 石井さんは取材で会いたい人に会いに行き、話をきいた。みうらじゅんさんや、糸井重里さん、大槻ケンヂさん、リリー・フランキーさん……。「楽しんでやったらいい」と優しい言葉をかけてくれた人もいれば、リリーさんには「君は、(取材で自分と)近いところを回りすぎだな」と痛いところを突かれた。ただ、誰もが一人の人間として石井さんと向き合い、真剣に答えてくれてた。石井さんは「本当にしびれる」経験だったと振り返る。

石井さんは19歳のとき、当時の代表に頼み込んで不登校新聞の正規のスタッフとして働きだした。そして、24歳で編集長に。いつの間にか不登校の子どもではなく、社会人として歩き出していた。編集長になってから10年以上が経つが、一時は部数が採算ラインを割って休刊の危機も経験。そのときはマーケティングと経営の基礎を学び、立て直した。 「誰かの責任にできないとか、過労と重圧に悩んだとか、もう、今はただの中年のおじさんの悩みしかないですよ」

現在の編集方針は、公平、中立、平等は「保たない」こと。学校にいかない状態で苦しんでいる子どもの「私の視点」で問題を伝えることが使命だと、石井さんは思っている。 また、当事者が紙面作りに携わる「子ども若者編集部」の活動は、職業訓練でも、子どもたちの自己実現でも、不登校の子どもの支援でもないというスタンスだ。 「不登校の子が社会に出るためのテストや訓練ではありません。不登校の子たちが感じたこと、苦しんでることは財産だと思うのです。それを、紙面を通して社会で共有する仕組みだと思っています」

■学校に行くというコースにこだわるな 不登校は一つの生き方――。 石井さんは、40歳近い年齢になってみて、それを実感するという。フリースクールで出会った仲間は、その後、有名大学に合格して一流企業に勤める人もいれば、主婦として着実に歩んでいる人もいる。たまに、会って話すと、みな目の前の仕事や役割にやりがいを感じていたり、ときには人間関係に悩んだりと、経歴はそれぞれでも、人生には共通点が多いように思えた。

「不登校は学校に行っている人と歩む道筋は違うかもしれないけれども、同じ時代を生きていることにはかわらないのだと思います。生き方はそれぞれ。学校へ行くという一つのコースにこだわらなくていいと、今悩んでいる子どもたちには伝えたいです」 (AERAdot.編集部/鎌田倫子) 〔2021年4/17(土) AERA dot.〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A,  ) わが子が「不登校」になったら? わが子が「不登校」になったら? 意外にも地雷行為は“担任への相談”
R-指定やりゅうちぇるに聞く「学校に行っていない私をどう思いますか」 不登校児たちが尋ねたインタビューの“迫力” から続く
新型コロナウイルスの流行による全国一斉休校などがあった昨年、子どもの自殺者が過去最多を記録した。
いじめ、学業不振、進路の悩みなど原因はさまざまだが、「学校に行く」ことが子どもを苦しめているケースが多いという。
ならば、学校に行かない「不登校」は子どもを救う手段のひとつではないのか。
日本で唯一の不登校専門紙『不登校新聞』の編集長で、不登校児の著名人へのインタビューなどをまとめた『 続 学校に行きたくない君へ 』(ポプラ社)の編集にも携わった石井志昂(しこう)さんに、不登校の現状や課題について聞いた。
「何で学校に行かないの」と問い詰めるのは最悪のパターン
──不登校になると、その後のやり直しは難しいのでしょうか。
不登校児のセーフティーネットはどこまで進んでいるのですか。
石井 文科省の調査では、不登校をした子の85%が高校進学するというデータがあります。
就職率も20歳の段階でみると不登校の子とそうでない子とでそんなに変わらないんですよね。
つまり、小中学校で不登校になったから人生負け組というのは、まったくのデタラメです。
私もそうでしたが、不登校の子って、とにかくよく寝るんですよ。
受けてきた傷の量が多いほど、休息の期間は長く必要になるのですが、これを知らずに無理矢理活動させてしまうと、傷を悪化させて不登校が長期化するという話はよく聞きます。
──それでも、わが子が不登校になったら、なんとかして学校に行かせようとしてしまう親は多いと思います。
石井 「何で学校に行かないの」と問い詰めるのは最悪のパターンです。
それと並んで最近よく聞く失敗例に、子どもの意志に反してむりやり転校させるというものがあります。
転校させれば事態が解決するというのは大きな間違いです。
本人に休息が必要であるにもかかわらず、「転校したんだから行きなさい」と子どもをさらに追い詰めてしまい、取り返しのつかないケースに発展しかねません。
あとは「何で我慢できないんだ」と叱ったり、本人を否定したりするような言動をとるのもいけません。
また、学校に行っていないことを理由にハンディキャップやノルマを課して子どもを頑張らせようとするのも逆効果です。
エネルギーが切れて休息が必要な子どもには課せられたノルマが達成できず、自己否定感が強まって苦しくなるだけです。
──実際にご自分の不登校時代はどうでしたか。
石井 私は中学入学当初から学校に馴染めなかったのですが、ずっとそれをうまく言えずにいました。
でも中学2年生のある日、急に感情が爆発して、母の前で「学校に行きたくない」と号泣してしまったんです。
それを母親はただ「わかった」と受け止め、学校に「2週間休みます」と連絡してくれました。
2週間休むとちょうど冬休み前だったので、1か月くらい休めたんですよ。
何も理由を聞かずにただ受け止め、休む期間を確保してくれたのは本当にありがたかったですね。
それでも「将来のことをどう考えているんだ」とか「なにをゲームばかりしているんだ」とチクチク叱られてイヤな思いもしました。
でもこれは不登校児のすべての親が通る道なので仕方なかったと今ならわかります。
『続 学校に行きたくない君へ』では、私の不登校体験もマンガになっているので、参考にしていただけたらうれしいです。
学校の先生は、学校に来ている子のプロ
──なぜ不登校になる子が増えていると思われますか。
石井 いじめや強いストレスなど明らかな原因がある子もいますが、不登校当事者の3人に1人くらいは自分の不登校の理由を説明できないんです。
10~15年くらい経つと客観的に語れるようになる人が多いんですが、なぜそんなに時間がかかるかというと、気づかないうちに蓄積した日常の細かなストレスや重圧が自分で解明できるまでに、それくらいの時間が必要だからだといわれています。
私も自分の経験を話せるようになるまでにはそれくらいの時間が必要でした。
言いたくないからではなく、自分でも説明できないのに、「どうして学校に行かないの」と何度も聞かれたら、さらにダメージを受けますよね……。
──わが子が不登校になった時に、子どもの言うことを受け入れるつもりが、言いなりになっているだけというケースもあります。
親はどうすればいいのでしょうか。
石井 まず担任に相談すると、困る人が多いと思います。不登校児問題に詳しい場合は別ですが、ほとんどの教師は不登校児のプロではありません。
いま不登校が増えているといっても、せいぜいクラスに1~2人です。
そもそも学校の先生は、学校に来ている子のプロであり、来ていない子のプロではないので、学校の先生のいうことを聞いたばかりに家の中がめちゃくちゃになることもあります。
『不登校新聞』ではよくある話すぎて、最近は「またか」という感じで記事にも取り上げないくらいです。
──でも、わが子が不登校になったらどうするべきかというのは誰も教えてくれません。
担任に相談できないとなると、どこに相談すればよいのでしょうか。
石井 私のおすすめは、「 フリースクール全国ネットワーク 」というNPO法人です。
わが子が不登校になったら、まずそこに今の自分の子どもの状況を相談することをおすすめします。
自分の住んでいる地域の加盟団体でも本部でもいいと思いますが、電話相談ならたいてい無料です。
対面の場合はお金がかかることもありますが、30分5000円がめやすで、この金額を大幅に超えてお金を取るところは信じなくて結構です。
フリースクールは月額平均が3万3000円ですから、「月に10万円かかります」というところや、「学校に行かせたらいくら」というような成功報酬を謳っているところも、お金を巻き上げるのが目的だと疑っていいと思います。
また、フリースクールには「親の会」という自助グループがあります。
そういうところにいくとどこの高校が行きやすいとか、家では父親との関係が悪いんだけどどうしたらいいかというような情報が得られますので、こういう場に参加してみるのもおすすめです。
「親の会」は高くても1回1000円程度がめやすです。
無料からお茶代として300円くらいのところもありますので、特別なイベント時でもないのに「親の会」で3000円も取るようなところは怪しいと思った方がよいでしょう。
カウンセリングもおすすめです。
カウンセラーとは相性もありますが、話をしたときに自分の苦しんでいたことをそれとなく察してくれる人は相談者としておすすめです。
「 全国webカウンセリング協議会 」は、相談してよかったという声も多くあり、質の高いカウンセラーが集まっているという印象を受けました。
不登校時の経験は、大人になってから生きる基礎になる
──フリースクールや通信制高校で居場所を見つけられる人もいれば、そこでも不登校になり苦しむ人もいます。
石井 『不登校新聞』では多くの人にインタビューをしていますが、同じことを言う人は一人もいません。
みんな違うことを言いますが、どれもその人の価値観では「正しい」ことです。
それが多様性ということなんだと思います。
私は不登校時代に昼夜逆転の生活をしていました。
明け方寝る前にお腹が空くので、そのうちに、自分で料理をするようになりました。
10年前に結婚したのですが、我が家では食事は私が担当しています。
妻が私の料理を「不登校していてくれてよかった」と絶賛してくれるのは、不登校時代の「ひきこもり飯」のおかげです(笑)。
不登校時代って、エネルギーを貯めている時期なので、たとえ目にはみえなくてもなかでなにかが育っているんだと思います。
不登校の時にやっていたことは、大人になってから生きる基礎になるので、不登校したから怠けているとか弱いと思わず、ただ今日を一生懸命生きればそれでよいのではないでしょうか。
──石井さんは『不登校新聞』で、「不登校を減らす」と、「不登校への理解共感を増やす」のどちらを目指しておられるのですか。
石井 実は、最終的には『不登校新聞』の廃刊が目標なんです。
私は、不登校は悪だとは思っていませんが、不登校の子どもは孤独感に陥りやすく、自己肯定感も低くなります。
新聞のタイトルと社名を『不登校新聞』としているのは、「不登校」が差別用語だと思っているからです。
近年は文科省もようやく、不登校児をただ学校に戻すという方針での対応はやめるようにという通知を出し、学習指導要領にもそれが反映されるようになりましたが、まだ不登校の子は怠けているし、親のしつけが悪いというイメージが根強くあります。
学校側も保護者側も変わっていく問題提起をし続けることで、不登校を選ばざるを得ない子どもたちの孤立感や罪悪感が少しでも減っていき、いずれ「不登校新聞なんてあったね」と誰もが笑える時代が来ればいいなと思っています。
(取材・構成:相澤洋美)
石井 志昂
〔2021年4/22(木) 文春オンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
お笑いコンビ、EXIT・兼近大樹 EXIT・兼近 ゆたぼんの“中学校不登校宣言”に持論、自身の経験談交え「凡人の凄さを知って欲しい」 お笑いコンビ「EXIT」の兼近大樹 お笑いコンビ、EXIT・兼近大樹(29)が22日、ABEMA「ABEMA Prime」(月~金曜後9・00)に生出演。ユーチューバーのゆたぼん(12)が、中学校への“登校拒否”を表明したことに対して、私見を述べた。

兼近は自身の高校生活について「定時制で2日しか行っていない」と告白した。「行かなかった側の人間なので、(ゆたぼんに)行けとは言えない」と前置きしたうえで、「行かなかったせいで、できなくなったこと、やりたかったことがやれていない現状っていうのはたくさんあります」と打ち明けた。 自らは「ラッキー」だったとも。「みんなと同じ日々を過ごさなかったからこそ、違う自分になれたっていうのもあります」と話す一方で、「絶対的に上手くいかずに、もちろん収入も低いですよ。僕と同じように生きてきた人は」。

ゆたぼんに対して学校に絶対に行けとは言えないと重ね、「基本的に行っている人達で日本はできていると思う。その人たちに感性を合わせてあげる能力があることで、より違った自分を演出できるんですよ」と説明した。 学校生活において「みんなが過ごした時間を知る」ことが「実は優位に立てる、いろんな仕事で。それが僕が大人になって感じている」と、経験を交え語った兼近。続けて「(学校に)行けって言われていった人たちの人生を理解してあげる能力が絶対必要。社会性っていうんですかね、この人たちで動いているので、日本が」と述べた。 兼近は学校に通って社会人となった人々に触れ、「こういう人たちを主として、この人たちに生きる道を作ってもらっているっていう意識が無いと、ありがたみを感じないんですよ」と主張し、「凡人の凄さっていうのを知って欲しい。凡人が天才というか、僕はもう一生その人たちになれないんです」と訴えていた。 〔2021年4/23(金) スポニチアネックス〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
神奈川県立高校の野球部員いじめを受け部活動に参加できなくなり、退学・転学 10メートルの距離から硬球を投げつけ…神奈川県高校野球部の「いじめ」で不適切対応 「俺がいる限り、Aをマウンドに上げさせない」 神奈川県立高校の野球部員だったAさん(19)は、高校1年生当時、同じ部員からこんなことを言われた。Aさんは部内でいじめを受けていたのだ。そのため、部活動に参加できなくなり、退学・転学を余儀なくされた。県の「いじめ防止対策調査会調査専門部会」は2年前にいじめを認定した。 その後、Aさんは、いじめの加害者と学校設置者の県に対して訴訟していたが、昨年末までに、両者ともに和解した。加害者が「謝罪」、県は「遺憾の意」をあらわした。Aさんの父親が取材に応じた。 三者面談翌日には担任が野球部顧問に伝え、クラス全体にも注意したが 取材を受ける父親 ©渋井哲也

Aさんは2017年4月、神奈川県立高校に進学。硬式野球部に所属した。5月ごろ、他の部員から不快に感じるあだ名で呼ばれたり、部内の荷物持ちを一方的に押し付けられた。関係生徒からの聞き取りによると、「Aが(不快なあだ名で呼ぶことを)やめろと言っていたのに、なかなかやめなくて結構嫌な雰囲気になった」「自分たちもたまに呼んでいた」などと話している。 Aさんの父親は言う。 「息子の高校入学直後、私の実母が亡くなり、実父のことが心配だったために実家に戻っていました。まもなく、息子は嫌がるあだ名をつけられ、いじめられていました。そのことを妻には言っていました。背が大きいことで、幼稚園でも、小中学校でもいじめられたことがあり、話し合える親子関係だったので、このことがわかりました」

“不快なあだ名”をつけられた背景には、Aさんの背が高いことのほか、発達障害傾向があった。小学校2年の頃、両親は「緊張するとひらがなが書けない」と打ち明けられた。こうした事情もあり、「変わるべきは僕だ」と思った父親。Aさんの特性を理解することに努め、「辛い思いも楽しい思いも共有しようとした」と話す。だからこそ、親子のコミュニケーションは密だった。 6月初旬、いじめの発覚があり、AさんとAさんの母親、担任の教員とで三者面談が行われた。その上で、Aさんの母親は適切な対応を取ることを要請した。担任は翌日、野球部顧問に伝え、クラス全体にも注意した。野球部の保護者会でもチームワークの重要性を訴え、事件や事故を予測して注意喚起したが、いじめは止まらなかった。 「Aは中学の野球部ではピッチャーでした。市内の大会で準優勝したこともあります。いじめられながらも、野球が好きでした。『アウトをとると、仲間が喜んでくれるのが嬉しい』と話していたんです。高校でも、部員は多くはないので、特性があっても、大切にされるのではないかと思っていたんです」(Aさんの父親)

約10メートルの距離から硬式球を投げつけられ 同じ6月には、Aさんの後頭部に硬球があたり、脳震盪を起こした。ダブルプレーの練習中だった。学校は「偶然の事故」であり、いじめではないと判断した。この頃、Aさんが元気がなかったために、顧問が声をかけた。「嫌なあだ名で呼ばれたり、部内の役割を押し付けられている」との訴えがあった。そのため、このときは部員を注意した。 7月24日、キャッチボール中に加害生徒が他の部員から揶揄された。Aさんは咳払いをしただけだが、Aさんも笑ったと感じた。そのため、加害生徒が、約10メートルの距離からAさんに硬球を投げつけた。左前腕部と左足付け根付近を痛打。左骨盤部挫傷のけがを負った。

調査会の報告書では「関係生徒からの供述にはばらつきがあったものの、痛がった、うずくまったとの供述は複数あり、うずくまり苦痛を表明したことは認定した」と記されている。

学校は具体的な対応をせず「息子だけが排除された形になりました」 8月24日、2年生部員6人が集まったときに、Aさんを LINEのグループから外した。聞き取りによると、「(部活に)出て来なくなったので、自分たちで外そうと決めた」「そのときのノリで抜いた感じだと思う」との証言があった。30日、顧問は全部員を集め、事実を確認した上、「Aさんに対して気にかかることがあれば相談するように」と指導した。 同報告書では「LINEグループからその意に反して外される行為については、これは外された生徒において苦痛を感じることは、特段の事情がない限りは、客観的に明白」とした。そのほか、Aさんの携帯電話のインターネットの閲覧履歴を見られてからかわれていたことも認定されている。

これらの結果、Aさんは部への復帰を断念。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受ける。8月末からAさんは高校へ通学することができず、11月、不登校による留年などの可能性を示唆された。最終的に、12月31日、同校から通信制高校へ転学して、加害者と県に代理人を通じて通告書を送付した。 「学校は具体的な対応をしませんでした。そのため、硬球を投げつけられた件については、学校側に『警察に言うよ?』と話すと、『やるならどうぞ』と言うだけ。結局、警察は学校へ立ち入り現場検証までしています。しかし、初犯で非行歴がないことから、家庭裁判所では『悪質だが、不処分』となったのです。本来なら、校長が認識した段階で、高野連に報告していればよかったんです。しかし、何事もなく練習し、息子だけが排除された形になりました」(Aさんの父親)

一連の行為を「継続的差別的」であるとして、いじめと認定 その2ヵ月後の2018年2月末、同校は県教委に対して、いじめ防止対策推進法による「重大事態」の発生を報告した。同年3月、県教委は神奈川県いじめ防止対策調査会調査専門部会を設置した。関係者からの聞き取りのほか、7回の会議をして、2019年3月、調査報告書を公表した。 報告書によると、Aが硬球をぶつけられたのは「故意」と認定。このことで精神的ショックも強く、PTSDの診断などを確認した。そのため、少なくとも、硬球の投げつけ、LINEグループ外しなどの一連の行為は、「単発的偶発的なもの」ではなく「継続的差別的」であるとして、いじめと認定した。

不登校・転学の原因については、いじめである可能性を否定できない、とした。 また、いじめの原因が「継続的差別的」であるとした上で、「単に問題となった行為を禁止するだけでなく、何故にかかる行為がなされたのか理由を問い、その上で如何なる理由も相手に敢えて苦痛を加えることを正当化しないことを明確にした上で、その理由となった事情についてどのように解決するか考察させること」とした。 保護者への対応についても、保護者の意図を理解せず、信頼を得られなかったことを指摘する。

2018年3月、損害賠償訴訟を提起 後日、父親が「重大事態報告書」を情報開示請求すると、けがやPTSDの診断については記載項目がありながら、校長は一切記載していなかった。 「校長や教育委員会は、いじめ防止対策推進法による重大事態の基準を私から告げられても無視し続けたが、代理人から訴状を受け取って隠蔽できないと感じたのだと思った。思えば在学中の事実認識も多くがこちらと異なっていたが、学校は調査や確認をしたりその差を埋める事はせず、学校に都合よくまとめていました。 調査委員会が機能しないことが報じられることがあるが、そこから考えれば評価できる内容でした。『継続的差別的』ないじめとした部分は特に評価できます。ただ、調査以前に、学校側が、息子が登校できるように改善をしてくれるという希望を持っていました。しかし、学校に話をしても、きちんとした対応を取りませんでした」(Aさんの父親)

こうしたことを受けて、2018年3月、損害賠償訴訟を提起した。弁護士探しは手探り状態だったという。 「ネットで検索して、学校を相手に訴訟ができそうな法律事務所をあたりました。でも、弁護士にどう話せばいいか最初はわかりませんでした」(同前) 結局、2020年10月、加害者と和解した。和解条項の中には「謝罪」の言葉が入った。また、学校設置者の神奈川県とは2020年12月に和解。「原告が不登校になり、転学に至ったことについて遺憾の意を表明する」ほか、いじめ防止に向けて、引き続き取り組む、とした。

高野連には、虚偽と思われる報告がされている 「3年間の裁判でした。新型コロナ感染拡大防止のための緊急事態宣言の間、裁判がストップして、さらに裁判官が異動で代わったりもしました。当時の校長を証人として法廷で証言させたかったんですが、和解条項にもあるように、証人尋問がなくなりました。その前に裁判所からは『(二次被害は)法的責任を問えない』とも言われたりしました。 司法の世界は遅れているとは思いますが、司法に“おかしい”というのは負担が大きいので、一旦、決着させました。息子は、結果について納得しましたが、県との関係では、責任を問えなかったため、『申し訳ない』と謝りました」(同前)

また、日本スポーツ振興センターに対しては、「災害共済給付」を請求した。部活動など学校生活に起因するものであれば、PTSDについても対象になるとされている。そのため、病院での治療代請求が認められた。 ただ、高野連には、虚偽と思われる報告がされているという。 「私たちが認めていない『時系列メモ』を“報告書”として提出したとの説明をしていました。開示請求をした結果、きちんとした報告書でないことがわかりました。さらに、1年後、内容が不十分な恣意的な“報告書”を出していたのです」(同前)

いじめ防止対策推進法では、調査委員会が首長や関係機関に報告書を提出する際に、きちんと報告がなされているのかを監視する機関はない。ただし、文科省が定めた「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」では、首長などに報告する際には、被害児童生徒・保護者は、調査結果に関する所見をまとめた文書を添えることができ、あらかじめ、そのことを被害児童生徒・保護者に伝えることが明記されている。 報告書が公表された際、Aさんの保護者は「所見」も提出している。しかし、県のホームページには、所見の有無については書かれていない。「神奈川県いじめ防止基本方針」では「いじめを受けた児童・生徒やその保護者に対して、公表の方針について説明を行う」としているが、父親は「所見を公表するかどうかの説明はありません」と話している。 渋井 哲也 〔2021年4/26(月) 文春オンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
おにぎりパパ 愛がダダもれ「おにぎりパパ」3年間作り続けて気づいた妻の思い 子どもたちが起きてくる前におにぎりを握る吉田勇さん=本人提供 〈何でも自分でやってみると、思わぬ側面が見えてくるものだ〉 今日は「ツナマヨおにぎり」。ふんわり空気を含ませて小さく握った。煮卵、きんぴら、みそ汁と、旬のイチゴなども添えた。

2018年に作り始めた頃のおにぎりはシンプルだったが、3年間でめざましく進化した 3児の父・吉田勇(41)=福岡市=が朝のおにぎり作りを始めたのは、料理上手なパパ友の影響だった。「自分も」と思ったけれど実は苦手。でもほとんどの母親は、家事や育児が苦手でも逃げたりしない。「おにぎりくらいなら作れるんじゃない? まず3カ月やってみたら」と背中を押され、3年前に始めた。

作り始めた当初は、家族が起きてくる前に出勤していた。午前5時すぎ、1人静かに手を動かしながら子どものことを考える。「昨日はちょっと言い過ぎたかな」「今日も楽しい一日になるといいな」。自分が食卓にいなくても、おにぎりが「いつもみんなを思っているよ」というメッセージを届けてくれる気がした。 「親が早起きして作ってくれていたという記憶は、いつか子どもたちを『自分は愛されていた』と、勇気づけると思うんです」 ◆   ◆    ◆ 3カ月を達成すると、次は100日、さらに1年と目標が高くなっていった。記録用にSNSで公開したおにぎりは、今月12日で674号になった。 続けるこつは「マスト(しなければならない)」にしないこと。義務感から頑張り過ぎると、「作ってあげている」と勘違いしてしまいそうな気がする。だから、おにぎりは毎日でなく週5、6日。仕事で疲れたときは「お休みするね」と伝えるし、子どもがパンを食べたがる日もある。

おかずも、妻が作った常備菜を拝借したり、出来合いの物を使ったり。そもそも、一手間掛けることには重きを置いていない。でも「おいしい」と言われると、もっと喜ばせたくて土鍋でコメを炊くようになった。削り節でみそ汁を作るようにもなった。そうするうちに、ふに落ちたことがある。 「一手間掛けるのは、愛なんだ」 朝食は空腹を満たすことが目的なのだから、総菜や菓子パンを買ってきてもいいじゃないか、と以前は思っていた。忙しい朝なら、なおさら手作りにこだわる必要性はない。でも妻がそうしなかったのは、みんなの健康や家計など全部ひっくるめて考えていたから。愛のかたちは人それぞれだけど、妻の朝食には「愛がちりばめられていたんだ」と、やってみて気付いた。 ◆   ◆    ◆ 子どもが大好きで、大学卒業後に幼稚園の体育の先生になった。腰を痛めて退職したが、今は発達障害の子どもを療育する事業所で働いている。 幼児教育に携わって思うのは「適切な関わり方をすれば、子どもは自然に育っていく」ということだ。自分の気持ちを尊重し、他の子の気持ちも尊重できるようサポートする。そうして安心感や自己肯定感を育めば、子どもでも大人でも、自然と力を発揮できるようになる。

人に優しく、自分にも優しく、ありがとうを伝え合う。そんな一日を過ごしてほしいから、愛を込めたおにぎりで送り出す。夜は「大好きだよ。おやすみ」とハグして眠りにつく。もちろん、ママにも。 「恥ずかしがらずに、愛がダダ漏れの家庭にしたいんです」。それが、結婚前から思い描いていた「格好いい父ちゃん」の姿だ。(連載「シン・フクオカ人」より) =敬称略(山田育代) 〔2021年4/22(木) 西日本新聞〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
児童発達支援サービス 発達障害のIT社長が「児童発達支援サービス」を始めたら 幻冬舎ゴールドオンライン 発達に凸凹がある子どもの保護者にとって「どんな支援サービスを選んだらよいか」は頭を悩ませるテーマのひとつだといえます。本連載では、発達障害グレーゾーンの特性をIT分野で活かし経営者となった齋藤秀一氏が、自身が放課後等デイサービス「ココトモ」設立にあたり、意識したポイントについて解説していきます。

「障害者囲い込みビジネス」が横行するなか… 悪質な「囲い込みビジネス」が横行するなか、著者は… 著者が障害福祉の事業を始めたときに問題になっていたのが、障害者囲い込みビジネスでした。 悪質な事業者は、発達障害の子どもたちを集め部屋で一日中テレビゲームをさせたりDVDを観せたりしていたのです。そうすれば自分たちは手が掛からず、補助金で楽して運営できるからです。

本来の施設の役割は、子どもたちの自立を支援して訓練し、将来的に世の中で自分の力を使いながら生きていけるようにすることです。それなのに一日中ゲームをさせたりアニメを観させてどうなるのか。 大人になっても同じことをして生きていくわけにもいきません。子どものときに、ある程度行動パターンは決まってしまう。じゃあ、どうするのがいいのか。そう考えて僕たちがつくっていったのが「遊びながら、自立に必要なことが身につく」ためのプログラムです。 でもいくら大人になって必要なことだからと、嫌々させるようなものでは意味がない。遊びの要素を取り入れながら学べることを大事にしました。教育と娯楽を融合させたエデュテイメントプログラムです。

当事者だけでなく保護者自身も苦しんでいることが多い さらに大事にしたのが保護者の方との連携です。 これも障害福祉の現場に入って痛感したことですが、保護者の方々自身もいろいろな問題を抱えて苦しまれているケースがとても多いのです。そうした保護者の方と連携して、サポートもできるようにすることも重要だと考えました。そのためには職員の知識や技術、モチベーションも相当高く保てるようにしないとできないのです。

そのうえできちんと子どもたちと接する時間をつくる必要があります。 放課後等デイサービス施設の運営では、事業者は各施設に必ず児童発達支援管理責任者を常勤で1名置くことが義務づけられているのですが、その責任者が本来の役割である子どもたちの情報を統括する仕事がなかなかできていないというのも課題でした。複雑で手間のかかる書類作成などの事務に時間を取られて、子どもたちと向き合えない現実があったのです。

「ITの力」で子どもたちの支援時間を増やすことに成功 児童発達支援管理責任者や職員が、子どもたちと向き合える時間を増やす。そのために、僕たちが施設運営と並行して開発していた、成長療育型サービス支援システムHUG(全国1500以上の発達児童支援・放課後等デイサービス事業者に提供)が力になれることも分かってきました。

子どもたちと向き合っている施設であれば、保護者の方にも「ここはきちんとした支援をしてくれる」と評判になります。そうしたことが、自分たちで施設運営をしていることで目の当たりにできるわけです。 保護者の方に安心してもらい、信頼していただけるためには何が必要なのか。これをすることでどんなふうに支援がしやすくなるのか。保護者との連携で大事なものは何か。職員が子どもたちと向き合うには何が必要か。それらの答えが「時間をつくること」でした。

子どもたちへの支援の時間を増やす。ITの力で余計な事務作業を減らして効率化し、残業時間も少なくして健康に働ける職場環境をつくることで、子どもたちとゆとりをもって向き合える施設づくりができるのです。 そうすれば自ずと人気施設となり、運営も安定していきます。運営が安定すれば、利用者の方にもより質の高いサービスが継続的に提供できます。

保護者との連携をより強固なものにするために 成長療育型サービスを支援するHUGでは、保護者との連携を重視して、クラウド経由で保護者の方に子どもたちの毎日の記録を確認共有できるマイページもつくりました。 こうした仕組みがない施設では、子どもを預かってもらっている保護者には、子どもたちが施設で日々「どんなことを、どんな目的で、どんなふうに行っているのか」が分からないままだったのです。

現実問題として、施設ではいろいろなことが起こります。子どもたち同士のちょっとした喧嘩もあります。そんなときに何か確認できるものがないと、保護者の方には施設への不信感が募るわけです。 職員が利用者と向き合える「環境づくり」が大切 通常、放課後等デイサービスなどの障害福祉施設に入所する場合、「個別支援計画」を一人ひとりのお子さんに対して立てます。保護者の方へのヒアリングなども行い、困りごとはどんなものがあるのか、それに対しての課題は何かを探り、本人や保護者の意向、短期、長期での目標などを設定するのです。

では現場の職員がそうした計画をきちんと把握できているかというと、実際にはできていないことも少なくありません。なぜそうなってしまうのか。「個別支援計画」を紙で作成しても、作成してそのままになってしまっているからです。 利用者の数が増えると、現場の職員が一人ひとりの子どもたちの個別支援計画を紙をめくって確認するということが現実的に難しくなります。そのため職員の感覚頼りで、嵐のように毎日の支援や業務をしているというケースが多いのです。そして半年に一度のチェック時にまとめて振り返りを行うものの、それではどうしても職員任せの支援になってしまいます。

すごくしっかりとした施設では、毎週きちんと振り返りを行っているのですが、やはり忙しくてとてもやれないところのほうが多いのです。 そうした問題がある現状でも、HUGを使った場合は、毎日一人ひとりの利用者の子どもに対して、どんな個別支援計画があるかをすぐに確認でき、前回のチェックでどれぐらい目標達成できているかも簡単に把握できます。

システムで共有されているので、誰が担当してもきちんと個別対応ができるのも特長。一般的なシステムでは、事業者にいちばんニーズの高い請求業務には対応しても、こうした個別支援計画に対応できるものは少ないのです。 本気で障害福祉施設のサービスを支援しようとすれば、誰がやってもきちんと利用者の子どもと向き合えるものにしなければならない。客観的に一人ひとりをモニタリングでき、どんな成長をしてどこに課題があるかを、誰もが正しく把握できるということが大前提だといえるでしょう。

株式会社ココトモファーム 代表取締役 株式会社まなぶ 取締役会長 株式会社ネットアーツ 代表取締役

齋藤 秀一 〔2021年4/23(金) 幻冬舎ゴールドオンライン〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (東日本大震災、被災者、  )
【東日本大震災 私の10年史】体験を教壇から子供たちへ
「子供たちに災害を自分事として考えてもらえるようにしたい」と話す猪口薫さん
あの日、学校は混乱を極めた。
経験したことのない激しい揺れに子供たちはパニックになり、先生も避難誘導や安否確認などに手間取った。
「訓練とは全然違った」。
当時、福島市の中学2年生だった猪口薫さん(24)、仙台市の小学6年生だった中鉢(ちゅうばち)光さん(22)は同じ言葉を口にした。
2人は今春、関西の教育大学を卒業し、東京や故郷の学校で教壇に立つ。
「震災を知らない子供たちもいる。生きた教訓として自分の体験を語り継いでいきたい」と話す。
「3.11」東日本大震災を振り返る
校庭でおびえていた児童を、これからは守る側になる-。
大阪教育大学に在籍する猪口さんは、震災発生直後に目にした光景を思い出すたび、そう強く思う。
中学校が早く終わり、福島市内の自宅にいた。
バキバキと大きな音を立て、突き上げるような激しい揺れに襲われた。
外に飛び出すとマンホールがせり上がり電柱は傾いていた。
雪と粉塵が舞う中、変わり果てた通学路を3歳下の弟が通う小学校へと走った。
古い校舎は半壊状態で、校庭に集められた児童たちは震え、泣きじゃくっていた。
未曽有の災害に教員も右往左往。
子供を迎えに来た保護者や避難所となった学校に詰めかけた市民らの間をかき分けようやく弟を見つけ出すと、「ほっとしたように表情が明るくなった」のを覚えている。
その後、仕事先から戻った両親と再会。
半壊の自宅の壁には亀裂が走り、ライフラインも途絶していた。
ろうそく1本の灯りを頼りに毛布にくるまり、ラジオで情報を得た。
「暖を取るとか、当たり前のように過ごしていたことが、どれほどありがたいことか痛感した」
プロ野球選手を夢見て部活動に打ち込んだ日々も、自宅から約40キロ離れた東京電力福島第1原発の事故で一変。
将来に悩みながら東京の大学に進学した。
福島出身というだけで原発と結び付けられることに嫌気がさした。
震災に対する認識に温度差を感じることもあった。
だが次第に「未来を担う子供たちに防災について教えたい」という思いが募る。
新たな夢に向かい、専門的な教育が受けられる大教大に編入した。
当たり前の日常が一瞬にして崩れ去る経験をするまでは「教科書で災害について学んでもどこか他人事(ひとごと)だと思っていた」。
4月からは都内の公立小学校教員となり、震災を知らない児童たちと向き合う。
「どう自分事(じぶんごと)として考えてもらうか。
震災の経験者として伝えられる言葉があるはずだ」と信じている。
仙台市の自宅マンションは内陸部にあり、津波の被害は受けなかった。
それゆえ、「被災体験を語ることにためらいがあった」と、奈良教育大学4年の中鉢さんは言う。
被災地から遠く離れた関西で暮らすうちに語り継ぐことの大切さに改めて気づいた。
震災直後、市職員の父、保育士の母は多忙で帰宅できるような状況ではなく、小1の弟と中2の姉と3人で過ごした。
近所や農家の人が食料を分けてくれた。
「ガスは1カ月復旧せず、お風呂には困ったが、周りの人の助けでほとんどつらい思いはしなかった」
高校に進み、津波で甚大な被害の出た沿岸部に住む同級生から、避難所ではジュース1本を奪い合う状況だったと聞いた。
「そこまで精神的に追い込まれるのか」。
自分の状況との乖離に衝撃を受けた。
以来、被害の少なさが「負い目」のように感じられ、人前で被災体験を語らなくなった。
転機は大学で受けた講義だった。東日本大震災を題材に子供に伝えるべきことを考える内容。
大半の学生が関西出身で、ただ一人震災を体験している中鉢さんは意見を求められた。
あの日、誰もが大変な思いをしていたはずなのに、近所の人たちは「これ、どうぞ」と幼い自分にみかんやカップ麺を差し出してくれた。
寒さに震えた中で、人の温かさに包まれたことは忘れない。
「しんどいときこそ助け合うことの大切さ」が伝わる中鉢さんの話に、他の学生は「経験者だからこそ言える言葉」だとうなずいた。
「自分の経験が役に立てたと思えた瞬間だった」
4月から故郷の仙台市の中学校で教員としての一歩を踏み出す。
被災地では、10年の歳月を経た今も心の傷が癒えない保護者とその子供にどう向き合うかが、課題の一つだ。
いじめや不登校などにも震災が影を落とす。
「震災を知らない子供たちに自分の経験をきちんと伝えられる先生になりたい」。
あの日、受け取ったぬくもりを子供たちにつないでいく。
〔2021年3/10(水) 産経新聞(木ノ下めぐみ)〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (特別支援学校のニュース、発達障害のニュース、  )
特別支援学校生徒 県弁護士会に人権救済申し立て こちら廊下の隅に置かれたマット。生徒を落ち着かせるためのスペースということです。
福岡市の特別支援学校に通っていた男子生徒が、この場所の利用を強制されたとして、8日県弁護士会に人権救済の申し立てを行いました。
「息子のように傷つく子どもを二度と出さないために、人権救済を申し立てることにしました」と会見で語る母親。
申し立てを行ったのは、福岡市立の特別支援学校中学部に通っていた、注意欠陥・多動性障害と知的障害がある男子生徒です。
母親によりますと、男子生徒はおととし10月いらついた時に、廊下にマットを敷き段ボールで仕切られたスペースに無理やり入れられ、精神的ショックで不登校になったとしています。
他の生徒が多く行き来する場所で、合理的な配慮を受ける権利が侵害されたなどと訴えています。
学校や福岡市教育委員会は「実際は入れていない」とし、問題はないとの考えを示しています。
〔2021年2/8(月) 九州朝日放送〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (Q&A  )
“学校へ行くこと”と“勉強すること”の違い
「学校へ行けない理由が自分でもわからない」と苦しむ中2女子に鴻上尚史が説いた“学校へ行くこと”と“勉強すること”の違い〈dot.〉
「いじめもなく、学校で何かがあったわけでもないのに学校へ行けない」と苦しむ中2の女子生徒。
「周囲はいい人ばかりで本当に私の責任」と追い詰められている相談者に、鴻上尚史が説いた「学校へ行くこと」よりも大切なことと、勉強が大切な理由。
【相談105】どうして学校へ行けないのか自分でもよく分かりません(14歳 女性 江國)
わたしは今、中学校の二年生でもうすぐ三年生になるところです。
しかし、学校へ行けていません。勉強も全然進んでいません。
いじめを受けたとか、学校で何かがあったとかはまったくなく、むしろわたしの周りはいい方達ばかりで、本当にわたしの責任です。
どうして学校へ行けないのか自分でもよく分かりません。
ですが、やはり行かないといけないというのは分かっています。
もうすぐ受験もありますし、学業の事や進路について考えないといけないと思うと苦しくなるのです。
母親には、わたしのやりたいことができるのが一番だよ、と言われました。
しかし、この前母のスマホをのぞき見してしまった時に、「娘とどう接したら良いか分からない」「家に居る時におなかすいたなどと言われるとイライラする」等書かれていました
(他人のスマホを勝手にみるなど、なんて最低なことをしてしまったのだと反省し、それ以降は見ていないのでその後はよく分かりません)。
母はカウンセリングへ通っているようで、その先生に向けて書かれたものだと思います。
普段はやさしく温厚な母も、見えないところで嫌な思いをしているのだとすごく落ち込みました。
両親はそんなことを思うような人ではないと思ってはいますが、やはり私なんか居ない方が良いんだと、そう感じてしまいます。
やりたいことも特には見つからず、親や先生方にも迷惑ばかりかけていて本当に申し訳なく思っています。
高校には行ったほうが良いと思うし行きたいとも思っているのですが、受験も大変でしょうし、高校に受かったとて、また不登校になってしまうのではないかと不安です。
逃げるわけにはいかないし、焦りばかりが募ってゆきます。
【鴻上さんの答え】
江國さん。つらいですね。よく相談してくれました。
先に結論を言いますね。無理して学校に行く必要はありません。
学校に行かないことは、江國さんの人生にとって、何のマイナスにもなりません。
学校に行かないことで、自分を責めてもいけません。
いじめられているわけでもなく、特別な理由もないのに、学校に行ってない子供なんて、世界中に何万人も何十万人もいます。
コロナで、世界中の学校がリモートになりました。
日本のように、リモートが整備されていない国々では、学校そのものが休校になるところもたくさんありました。
でも、多くの国では「学校に行かないこと」は問題になりませんでした。
問題になったのは、「どうやって勉強するか」です。
「学校に行くこと」と「勉強すること」は違います。
「学校に行くこと」は「ただ行くこと」が目的です。
でも、本当に重要なことは、「どうやって勉強するか」ということです。
それは、「何のために勉強するか?」ということにつながります。
江國さんは、なぜ勉強するんだと思いますか? 僕が考える「勉強する理由」は、「素敵な大人になるため」です。
今、江國さんは、人生が行き詰まって、未来が見えない感覚におちいっているかもしれませんが、学生生活は人生の中で、とても短い期間なのです。
人生80年だと考えても、生徒や学生でいる時期は、大学まで行ったとしても、わずか2割です。
大学を出た後、大人の時間は50年以上あるのです。
その時間を「素敵な大人」として生きるために、私達は勉強するのです。
試験のためでも、入試のためでもありません。
では、「素敵な大人」とはなんでしょうか。江國さんはなんだと思いますか?
僕は「自分の頭でちゃんと考えられる人」だと思っています。
他人の意見に振り回されたり、人の考えをうのみにしないで、自分の頭で考えられる人です。
それから、経済的に自立していることも「素敵な大人」には大切ですね。
社会人としてちゃんと働けること。
そのためには、自分を主張しながら、他人と協力できること。
仕事だけじゃなくて、好きな人ができた時に、自分の気持ちをちゃんと伝えるためには、たくさんの言葉を知っていた方がいいでしょう。
自分の不安に押しつぶされないためには、今、社会でどんなことが起こっているのかも正確にたくさん知っていた方がいいでしょう。
これらをちゃんとできていたら、その人はきっと「素敵な大人」です。
「素敵な大人」になればなるほど、幸せになる可能性が高まると僕は思っています
(病気とか事故とか、予想外のこともあるので、絶対ではないですけどね)。
そのために、私達は、今、勉強するのです。
「いい高校に入ったり、いい大学に入る」ために勉強するのではないのです。
どうですか、江國さん。
ですから、問題は、「学校に行かない」ことではなく、「勉強をしない」ことです。
たぶん、江國さんは、学校に行かない自分を恥じて、親や先生に申し訳なくて、「勉強なんてする気にならない」状態なんじゃないですか?
それは、とてももったいない時間の使い方です。
勉強は、もちろん、教科書の中だけにあるんじゃないですよ。
以前、知人から聞いた話ですが、ある男の子は、小学生の頃から体を壊してずっと入院していて、ほとんど学校に通えず、教科書はまったく興味が持てず、でも、昆虫好きで図鑑をずっと読んでいたそうです。
小学校低学年用の図鑑から、だんだんと専門的な図鑑まで読破して、漢字も文章表現も数学も理科も社会も、全部、昆虫図鑑で独学して、大学に入ったそうです。
これも「素敵な大人」になるための立派な勉強です。
「やりたいことも特には見つからず」と書かれていますが、14歳ですから当り前です。
この「ほがらか人生相談」では、三十代、四十代の大人が「自分は何がしたいのか分からない」とメールを送ってくるんですよ。
江國さんが、今、することは、無理に学校に行かないで、いろんなものに接することです。
マンガやアニメや動画や小説や絵画や詩や、とにかく、江國さんの世界を広げるものと出会うのです
(もちろん、教科書の中で、興味がもてるものがあればいいのですけど)。
そして、「やりたいこと」が見つかれば素敵ですが、見つからなくても全然大丈夫です。人生は長いんですから。
高校も行けそうにないと感じているのなら、無理に行く必要はありません。
一番ポピュラーな方法は、通信制の高校を選ぶことです。N高を始めとして、だんだんと増えてきました。
もちろん、まったく行かないまま、「高等学校卒業程度認定試験」を受けるという方法もあります。
これで、18歳になったら大学を受けることができます。
大学に入れば、通信制の高校出身だろうが、ホームスクーリング(家で勉強して認定試験を受けた)だろうが、名門高校だろうが、誰もそんなことは気にしません。
江國さんの母親は立派です。今どきですから「頭ごなしに学校に行かないことを責めてはいけない」と必死に考えているのです。
だから江國さんの「やりたいことができるのが一番だよ」と言うのです。
でも、今までの「ほがらか人生相談」を読んでいたら分かると思いますが、昔からの「世間」という考え方が残っていて「学校に行かなくていいんだろうか。
みんなと違って平気なんだろうか」と不安になってしまうのです。
これが「同調圧力」と呼ばれるもので、「同調圧力」は、私達が「素敵な大人」になることを邪魔しようとする一番の強敵なのです。
お母さんは、その二つの考え方に引き裂かれそうになっているのに、ぐっと我慢して、江國さんを直接責めないのです。
本当に立派です。素敵なお母さんを持ちましたね。
スマホをのぞいたということを書いているので、難しいかもしれませんが、この回答をお母さんにも読んでもらうことをじつはお勧めします。
子供が学校に行かないことを受け入れようとしている大人達は、でも、心のどこかで「本当に大丈夫なんだろうか?」と不安になっています。
心から「学校に行かなくていいんだ」と納得してないのです。
それは、江國さんも大人になれば分かりますが、大人の感じる「世間」と「同調圧力」はとても強いからです。
でもそれは、「なんのために勉強するか?」ということをはっきりと理解したら、解消できるのです。
繰り返しますが「中間・期末テスト」を受けるために勉強するのではないのです。
やがて「素敵な大人」になるために勉強するのです。
そのためには、「学校」というシステムは、マストではないのです。
もちろん、学校というシステムに合う人は通えばいいのです。でも、学校に合わない人もいます。
それは、良いとか悪いとか、どっちかが正しいとか間違っている、ということではないのです。
人間は、いろんな人がいるのです。それが「多様性」ということです。
これからますます、日本でも「学校に行かないこと」は珍しくなくなるでしょう。
「協調性」より「多様性」を大切にすることが重要なんだ、と気づく人が増えてきました。
大切なことは、「学校に行くこと」ではなく、「何を勉強するか」です。
「学校に行かないこと」で自分を責めるのではなく、「今日は一日、ボーッとしてたなあ。これは『素敵な大人』になるためとは何の関係もないなあ。
よし、今からでも、好きな小説、読もうかな」と考えることが大切なのです。
江國さんは、どんな「素敵な大人」になりたいですか?そのことを考えながら、勉強することをお勧めします。
焦らず、無理をしないで、コツコツと、自分の好きなことを追求していって下さい。
やがて江國さんが「素敵な大人」になった時には、この「ほがらか人生相談」の回答は懐かしい笑い話になると思いますよ。
■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!
〔2021年5/11(火) AERA dot.〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
コロナ禍の学校はいま 「マスクで安心感」「けが増加」「突然泣き出す子も」コロナ禍の学校はいま 養護教諭の本音トーク コロナ禍で2度目の新学期が始まり、1カ月が過ぎた。子どもたちは授業中のマスク着用や「3密」回避など、従来とは異なる形で学校生活を続けており、心身の影響を懸念する声もある。特に5月は年度初めから続く緊張が大型連休で途切れ、だるさや憂鬱(ゆううつ)感など「五月病」と呼ばれる症状が現れやすい季節。沖縄県内小中高の7人の養護教諭にコロナ禍の1年を振り返ってもらい、子どもたちの影響や今後の課題など本音を聞いた。(社会部・下里潤)※養護教諭の本音を聞くため匿名で掲載しました。内訳は小学校3人、中学校3人、高校1人です。

■マスクの影響 ―――授業中のマスク着用による影響は。 小学A「子どもたちの顔と名前がなかなか一致せず、声が聞き取りづらい場合もある。以前は保健室の入り口に立っている時点で調子が悪いことが分かったが、マスクで顔が見えず、唇の血色や表情を確認できなくなった」 小学C「口元が見えないので言葉が伝わりにくく、何度も話を聞き返すことも増えた。一方で、マスクをすることで安心感を持つ子もいる」 中学C「顔を覚えにくく友達がつくりにくいと思っていたが、それなりに適応できていると思う。今ではマスク着用が当たり前になった」

―――「3密」を避けるなど感染予防対策への影響は。 小学A「学習の中での話し合いなどが困難になっている。給食は一方向を向いて黙食しなければならず、楽しみが減っているように思う」 中学B「教室は十分なスペースがなく、分散登校でない限り、ガイドラインで示された机の距離は保てないのが現状だ。授業は2方向で換気が行われているが、休み時間はそうもいかない。教師が休み時間も見守りを続け、密にならないようにと毎日根気強く声を掛けている」 高校A「厳密に指導しすぎると精神的な負担も懸念される。どこまで注意するか線引きが難しい。新しいクラスになじめないという話も聞く」

■体力や精神の変化 ―――子どもたちの体力的・精神的変化は。 小学A「定期的に体育の授業があり、放課後にスポーツをしていた時に比べ、不注意によるけがが増えたと思う。危険を避ける力は落ちたように感じる」 小学C「不要不急の外出を控えているせいか、体力の低下や運動不足などから体調不良を訴える子が増えた。休憩やこまめな水分補給などの配慮が必要だ」

中学A「イライラする子や突然泣きだす子もいる。スマートフォンやゲームが原因かとも思うが、生徒や保護者と一緒になって解決に向かうことが大事だ」 ―――保健室登校や不登校が増えたとの指摘もある。 小学B「昨年度は休校が続いたため、母親など家族離れがスムーズにできず、登校を渋る新入生が多かった。大半の子はしばらくすると通常通りになったが、発達に困難のある児童の中には臨機応変に対応しなくてはならない場面が増え、ストレスや不登校になるケースも見られる」 高校A「不登校などは原因が一つではなく、明確にコロナの影響とは言えなくても、クラスになじみにくくなったなど、引き金の一つになっていると思う」 ―――巣ごもりで長時間ネットをするなど生活の乱れは感じるか。 小学A「体調不良の背景に長時間のメディア接触を感じることは多々ある。ただ、今後はリモート学習を身に付けなければいけないことを考えると、悩ましいところだ」 中学C「スマホの影響で睡眠時間が短くなり、昼すぎに登校してくる生徒も若干だがいる。健康のためにも生活習慣を立て直さなければならない」

■行事の工夫 ―――学校行事について 小学C「学校行事は児童・生徒の成長の場。今のところ感染防止対策をしつつ、実施の方向になっている。半面、実施に強い不安を持つ保護者もいる。どちらの理解も得られるよう規模を縮小したり、分散したりする工夫が必要だ」 中学C「感染状況によっては中止も仕方がない。代案を出しながら行事を実施できないか模索している。昨年度は多くの行事が中止や縮小になったが、思った以上にたくましく成長している子もいた。コロナ禍の経験が今後の人生に有意義に生かされるケースもあるはずだ」 高校A「昨年度は約1カ月半休校し、例年4月に実施していた遠足や球技大会が中止になった。行事がない中、クラスになじめるか不安の声も聞かれた。行事はクラスが団結するために重要な役割を果たすと実感している」

―――子どもたちへの影響で気になることは。 中学B「マスクを外せない生徒がいる。知覚過敏だが我慢してマスクをしている生徒もいる。そのことを言えない生徒もいる。教員側は見守るアンテナを張り巡らせているが、緊張がいつまで持つか分からない。教員の健康も心配だ」 高校A「保護者の経済状況を気にして志望大学を県外から県内へ、大学志望から就職へと進路を変える生徒もいると聞く。将来への不安を抱える生徒も多いのではないか」

■連休明けの懸念 ―――大型連休明けで懸念されることは。 中学C「連休明けは保健室利用者が多くなる時期。生徒の不安に寄り添い、免疫力を高める保健指導などを行っていきたい」 高校A「連続欠席であれば、それが体調不良なのか、学校へ足が向かない理由があるのか、しっかりと確認することが大切だ。教室へ行きづらさがあるなら、保健室など別室登校を促したり、スクールカウンセラーの面談を勧めたりする必要がある。風邪症状があれば出席停止となるため、体調なのか精神的なものか見分けるのが難しい」

―――今後の課題は。 高校A「一つ目はオンラインでの学習保障を進めること。現在、感染者や濃厚接触者の生徒には各教科担任が課題を出す対応をしているが、学習不安の声が出ている。二つ目は校則。特に服装指導に関する事項を柔軟にすることだ。冬場は感染症対策で換気しているため、防寒具を認めたり、衣替えをなくし、体調に合わせて夏服・冬服を選んだり、教育委員会が積極的に後押ししてほしい」 中学B「消毒や検温など教員の業務負担は大きいが、習慣となっているので昨年度より気持ちは楽。初心に戻り、これまでの対応を引き続き行うしかない」 小学A「教諭一人一人が試行錯誤で得た成果を情報交換し、子どもたちに寄り添っていくことも求められる」 〔2021年5/12(水) 沖縄タイムス〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]] 宮城県仙台市 (性的少数者、  )
ジェンダー論講座
日時:2021/6月19日(土)~令和4年2月5日(土)(全11回)13:30~15:00
内容:さまざまな角度から「ジェンダー視点」を養い、受講者同士の意見交換で学びを深め、社会課題を解決する糸口を探ります
定員:20人〔抽選〕
費用:一般10,000円、学生5,000円(生活保護世帯などには減額制度があります。詳しくはお問合せください)
講師:東北学院大学名誉教授・遠藤恵子氏、せんだい男女共同参画財団理事長ほか
会場:エル・パーク仙台
託児有り(6カ月~小学1年生。子ども1人300円。6月10日までに要申し込み)
申込み:電話またはファクス(申込時の必要事項と託児希望の方は子どもの年齢を月齢まで記入)で6月10日までに。
ホームページ【URL】https://www.sendai-l.jp/からも申し込めます
申込み・問合せ:エル・パーク仙台
【電話】268・8301【FAX】268・8316
〔仙台市政だより 2021年6月号〕

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
■こころの健康相談・ひきこもり相談窓口、ひきこもり家族交流会 平日:午前9時~午後5時 問合せ: 住民課保健担当【電話】77-2212 滝川保健所健康推進課【電話】24-6201 〔2021.06.01 北海道雨竜町〕 


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )
オンライン講座「ひきこもりの理解と支援~当事者の体験から学ぶ~」 対象:区内在住・在勤・在学者、またはテーマに関心のある人 日時:7月9日(金)午後6時30分~8時30分 場所:オンラインツール(Zoom)を使って参加可能な場所 募集人員:20人(申込順) 申込み:男女平等参画センターホームページ(https://www.minatolibra.jp/)からお申し込みください。 詳しくは、男女平等参画センターホームページをご覧ください。 【電話】3456-4149 〔2021.06.01 東京都港区〕 






ハンディがある人 ひきこもりの動き社会的弱者のニュースホームレス

発達障害のニュース障害者のニュース性的少数者
生活困窮者のニュース外国人事件事故被災者

無戸籍体験記ひきこもり対応法
家庭と家族のこと 家庭・家族のニュース家族の生活調査里親のニュース
ひとり親家庭ひきこもり調査子どもの生活調査
学校の種類 小学校のニュース中学校のニュース義務教育学校

夜間中学校のニュース学習教室のニュース無料塾
適応指導教室のニュースフリースクールのニュース
専門学校のニュース大学のニュース特別支援学校のニュース

山村留学のニュース離島留学のニュースホームスクーリングのニュース
学ぶ条件と環境 奨学金のニュース就学援助のニュース教育委員会のニュース

家庭教師のニュース学習教室のニュース無料塾

校則のニューススクールカウンセラー教育のニュース
高校のニュース 高校の国内留学 http://www.futoko.info/zzblogc/
全日制高校のニュース定時制高校のニュース通信制高校のニュース
通信制サポート校のニュース高等専修学校のニュース高校中退のニュース
高校卒業程度認定試験技能連携校のニュース
社会条件と社会団体 社会福祉協議会のニュース寺院・教会のニュース社会福祉施設のニュース土地

生活困窮者自立支援制度フードバンクSNS


周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

周辺ニュース

ページ名 [[ ]]  (  )

〔〕 

このカテゴリには、ページまたはメディアがひとつもありません。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス