カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


コミュニケーション教育

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索

コミュニケーション教育

平田オリザ なぜコミュニケーション教育進まない?
今後の社会に必要とされる、コミュニケーション能力を育成する教育は、なぜ導入がなかなか進まないのでしょうか。
青年団を主宰し、世界的に活躍する劇作家・演出家の平田オリザさんは、大阪大学COデザインセンター特任教授、東京芸術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐などさまざまな場所、形で教育活動に携わっています。
学校選びや学ぶ環境について、あるいは親の心構えなど、今の子どもたちが20年後、生き抜く力を身に付けるために必要な「教育」について、平田オリザさんと考えていく連載。
今回は今後の社会に必要とされる、コミュニケーション能力を育成する教育について。
演劇を教育の現場に取り入れることの効果は、平田さん自身実感してきていますが、なかなか進まない理由とは…。
●コミュニケーション教育は低年齢から始めたい
20年後を生き抜く力として、コミュニケーション能力が大切だということは皆さん感じていらっしゃることでしょう。
僕自身がコミュニケーション能力を育成する教育に携わる中で実感しているのは、特に演劇を取り入れる場合、低年齢から始めるほど、抵抗なくできるということです。
小学校高学年から急に取り入れようとしても、なかなか大変です。
例えば小学校の算数から中学校の数学に移行する際も、一人ひとり習熟度が違いますから、「せーの!」で簡単に切り替えられるわけではありません。
習熟の度合いにはずれがあるので、ついていけなくなる子が出てくる。
こうしたことは、どの教科学習にも起こり得ることです。
ただ演劇や音楽、図画工作といった芸術教育が、国語、社会、算数、理科といった教科学習と異なるのは、表現する、
あるいは何かになってみるというのは、本来楽しいはずだということ。
もちろん教科学習も、「分かる」楽しさがありますが、どうしても「やらされている」感があるとつらくなる瞬間が来る。
一方で、芸術教育はもともと楽しいと感じる要素がある上に、幼稚園・保育園のころから継続してやって来てさえすれば、多くの子どもが楽しめますし、身に付くようになるのです。
音楽、図工、演劇など芸術教育は専任の先生が必要
一方で教育者の立場からすると、小学校で、特に低学年での芸術教育は指導者不足という現状があります。
というのも、幼稚園や保育園までは音楽も演劇も先生たちが楽しく教えられます。
小学校でも教科の専任の先生だと技術を持っているのでよいのですが、恵まれた自治体でも図工や音楽などを専任の先生が教えるようになるのは、高学年から。
すると低学年のうちは担任の先生が教えることになります。
もちろん担任の先生が教える良さもあります。
ただ、芸術教科は得手不得手が出やすい。だからある意味、当たり外れが非常に大きくなる。
先生が不得手だった場合、子どもたちはさらに、苦手意識を持ってしまうかもしれません。
理想の解決策は、各学校に音楽、図工、演劇の専任の先生を配置し、その先生方が担任の先生と一緒に授業をすること。
それができるのであれば、恐らくどの教育者も納得するでしょう。
そのためにはやはり、予算が必要になってしまうのですが。
またコミュニケーション教育として演劇を支持する層は増えてきているのですが、これまでにも何度もお話ししているように、教育はトレードオフなのです。
何かを採用したら、何かをやめなければなりません。予算も時間も同じように。
豊かで住みやすく教育水準も高いから、なかなか変わらない
多様性が進み、特に不登校の問題や発達障害を持つお子さんの課題などが知られるようになるにつれ、従来型の一律の授業の限界を指摘する声が高まっています。
さらにこれからは一定数、日本語を母語としない子どもたちも同じ教室内にいる状態が普通になっていきますから、この学年はここまで学ぶという学習指導要領体制が限界に来ているのだろうと僕は思っています。
特に発達障害を持つ子どもや、グレーゾーンの子どもがいる場合、本来コミュニケーション能力を育成する教育は、とても意味があるものです。
「跳び箱」の話で出てきましたが(「平田オリザ 多様性生かす経験の多さが生き抜く力に」)、いろんな人がいたほうがグループのパフォーマンスが上がるという、多様性を力にするような授業を展開しやすいからなんですね。
みんなで一緒にひとつの課題に取り組むとしても、従来のように「一律で同じ答え」を出す必要はありませんし、
演劇なら、話すのが苦手という子には話さずに場を盛り上げる役を与えることも可能なわけです。
そうすることで、自分の役割を見つけられるようになれば、どの子どもも能力を伸ばしていくことができますよね。
現実は、そう簡単にはいかない部分も多々ありますが。
ただ、これだけ社会が大きく変わってきているにもかかわらず、教育の現場ではなかなかその変化についていこうという機運が高まらず、従来型の一律な授業を行っている現状があります。
なぜかと言えば、これも繰り返し言ってきたことですが、日本は下降線をたどっていると言いつつも、豊かで住みやすい国ですし、
教育水準も高い、教員のレベルも高いため、それぞれみんなの努力によって、どうにか持ってしまうんです。
これはまるでブラック企業にまではならないグレー企業の状態です。
みんなが変えたほうがいいとうっすら思いながら、みんな優秀だから耐えられてしまう。
でも、どこかでは変わらなければならないとはいえ、急激に変えるのもあまりよくない。
変えるときには30年後、あるいは50年後を見据えて、ゆっくり変えていく必要がある。
校長先生と教育長のセンスが問われる
ではすぐに変えられるのはどこかと言うと、教員の数を増やすことだと思います。
多様性のある子どもたちが習熟度別学習ができるくらいに、増やさないといけません。
恐らく現状で言えば、ITの技術やタブレットを取り入れて補っていくというのが、現実的ではあると思いますが。
皆さんは、もしかしたらそんなに急激に教育環境は変わらないと思っているかもしれませんが、
英国のブレア政権のように、1~2年で変わることもあるんです。
地方自治体でもものすごく頑張れば予算を確保して変えることも可能です。
例えば、ALT(外国語指導助手)の充実度はそれこそ自治体によって既に差が出ていますよね。
コミュニケーション教育を充実させてほしいと考えたら、まずは校長先生と教育長に訴えることですね。
校長先生と教育長のセンスが良く、教育長と自治体の首長(市区町村長)がちゃんと一体化して、政策を進められるかどうかにかかっている。
システムが変わり、どこの自治体にも総合教育会議という、行政と教育委員会が円滑に意思疎通を図り、教育の課題および目指す姿などを共有しながら、
連携して効果的に教育行政を推進していく組織があるのですが、現実にそれが機能しているところと全く機能していないところが出てきてしまっています。
でも、皆さん自身が訴えかけていくことで、変化が望める可能性は確かにある。僕はそう思っています。
〔2019年9/24(火) 日経DUAL 構成/山田真弓(日経DUAL編集部) イメージ写真/PIXTA〕

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス