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トキワ精神保健事務所

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トキワ精神保健事務所

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いい子があっけなく「ひきこもり」化する原因
親の「勝ち組教育」によって結果的に子どもが暴君化し、「家庭内ストーカー」になるケースが増えています
子どもから親への家庭内暴力が、年々増えている。
今年は、家庭内暴力に悩まされていた元農水省事務次官が、「他人に危害を加えないために」という理由でわが子を殺害したという事件も起こった。
2018年版「犯罪白書」によると、少年による家庭内暴力事件の認知件数の総数は、2012年から毎年増加しており、2017年は2996件(前年比12.0%増)であったという。
こうした子どもによる家庭内暴力の最大の原因は何か。
精神科医の片田珠美氏は著書『子どもを攻撃せずにはいられない親』で、「子どもをいい学校、いい会社に入れなければいけない」と思い込む「勝ち組教育」にこそ最大の原因があると説く。
■「勝ち組教育」にこだわる価値観
家庭内暴力のほとんどのケースで「親への怒り」が一因になっていることは間違いないだろう。
親に怒りを抱かずに暴力を振るう子どもはほとんどいない。
では、何が子どもの怒りをかき立てるのか。
もちろん、子どもへの暴力や暴言、無視やネグレクトもその一因なのだが、それだけではない。
「いい学校」「いい会社」に入ることこそ幸福につながるという価値観にとらわれ、勉強を最優先させる「勝ち組教育」がかなり大きな比重を占めているという印象を私は抱いている。
不登校やひきこもりの若者たちの再出発を支援するNPO法人「ニュースタート事務局」代表の二神能基氏も、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という狭い価値観によって、子どもを追い込むような教育のあり方を問題にしており、「『勝ち組教育』がすべての根源」と主張している(『暴力は親に向かう――いま明かされる家庭内暴力の実態』)。
もちろん、どんな親でも「子どもを勉強のできる子にしたい」「子どもをいい学校、いい会社に入れたい」などと願う。
この手の願望の根底には、子どもの幸福を願う気持ちだけでなく、「子どもを『勝ち組』にして自慢したい」「子どもが『負け組』になったら恥ずかしい」という気持ちも往々にして潜んでいるが、ほとんどの親は自覚していない。
こういう不純な気持ちも入り交じっているので、「勝ち組教育」にこだわる親は、子どものありのままの姿をなかなか受け入れられない。
なかには、できの悪い子どもは自分の子とは思いたくない親もいる。
こういう親の気持ちは、口に出さなくても、以心伝心で子どもに伝わるものだ。
もちろん、「なんでお前はできないんだ」と子どもに言う親もいるだろう。
いずれにせよ、「勝ち組教育」にこだわる親によって子どもも洗脳され、「『勝ち組』になれなければ、だめなんだ」と思い込むようになる。
■「いい学校」に入ったのに不登校に
それで一生懸命勉強して、うまくいっている間は問題が表面化することはない。
だが、一握りの極めて優秀な人を除けば、ずっと「勝ち組」でいられるわけではない。
いつか、どこかでつまずくときがやってくる。
そういうとき、親の「勝ち組教育」によって洗脳された人ほど、なかなか立ち上がれない。
頑張って「いい学校」に入ったのに、ささいなきっかけで不登校になって長期化することもあれば、せっかく就職した会社を辞めた後、「いい会社」にこだわりすぎて再就職先が見つからないこともある。
これは、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という狭い価値観を親から刷り込まれてきたせいで、つまずいたときに、別の道を思い浮かべることも、探すこともできないからだろう。
仮に別の道を選んだとしても、それまでの自分を支えていた「勉強ができる」というプライドが災いして、「自分は『負け組』だ」というコンプレックスにつねにさいなまれる。
それが、そこからはい上がろうとする気力をそぐこともある。
そういう事例を精神科医として数多く診察してきた。
だから、「『勝ち組』になるしか生きる道はない」という価値観を子どもに押しつけ、狭い一本道に追い込んできた親は、自らの「勝ち組教育」のせいで立ち直れなくなった子どもが家庭という密室で暴力を振るい、暴君と化し、親を奴隷のように扱うようになったら、それを子どもからの復讐と受け止めるべきだと思う。
そして、自分が正しいと信じてきた価値観に疑問符を打たない限り、子どもの暴君化を止めることはできないだろう。
子どもが家庭内で暴君化すると、「家庭内ストーカー」になることもある。
「家庭内ストーカー」は、精神障害者移送サービスの「トキワ精神保健事務所」を創業した押川剛氏によれば、「年齢は30代から40代が主で、ひきこもりや無就労の状態が長く続いている。
暴言や束縛で親を苦しめる一方で、精神科への通院歴があることも多く、家族は本人をどのように導いたらいいのか、わからないまま手をこまぬいている」(『「子供を殺してください」という親たち』)というものだ。
もう1つの特徴として押川氏は、「本人に立派な学歴や経歴がついていること」を挙げている。
「中学や高校からの不登校というよりは、高校までは進学校に進みながら、大学受験で失敗した例や、大学卒業後、それなりの企業に就職したが短期間で離職したような例が多い。
強烈な挫折感を味わいながらも、『勉強ができる』という自負がある」(同書)。
■医者からも相談が多い「子どものひきこもり」
こうしたケースは、押川氏の事務所へもたらされる相談事例のなかで近年爆発的に増えているそうだが、私自身も同様のケースについて相談を受けることが少なくない。
だいたい、知り合いの医者からの相談で、「子どもがひきこもっていて、家庭内暴力もひどい。どうしたらいいか」というものだ。
押川氏の印象とは少々異なり、中学や高校で不登校になったケースが多いという印象を私は抱いている。
例えば、大きくなったら医者になるのが当然という雰囲気の家庭で育ち、小学校低学年の頃から中学受験のための塾に通って、私立の中高一貫の進学校に入学したものの、できる子ばかりが集まっている進学校では成績が下位に低迷し、そこで不登校になったケースがある。
あるいは、名門大学の医学部への入学を目指して何年も浪人したが、どうしても合格できず、ひきこもるようになったケースもある。
医者以外の道を選んでも、それまでの自分を支えていた「勉強ができる」という自負が災いするのか、なかなかうまくいかない。
もう一度大学受験に挑戦して医学部以外の学部に入っても、「あんなレベルの低いやつらと一緒に勉強するのは嫌だ」と言って中退したり、やっと仕事が見つかっても、「思っていた仕事と違う」と言ってすぐに辞めたりする。
当然、無就労の状態が長く続くわけで、結果的にひきこもりになる。
そして、家庭内で「こんなふうになったのは、お前のせいだ」と何時間でも親を責め続けることもあれば、親を蹴ったり突き飛ばしたりすることもある。
しかも、就寝中の親を起こして暴言を吐いたり、暴力を振るったりすることもあるので、親は慢性的な睡眠不足に陥り、心身ともに疲れ切る。
このような親子関係は、「親への執拗な攻撃、抑圧、束縛、依存、そして一線を超えたときには殺傷事件に至る」という点で、一般的な異性関係のストーカーと構造がよく似ているため、押川氏は「家庭内ストーカー」と命名したという。
暴君と化した子どもを見ると、なぜ親をここまで攻撃するのかと首を傾げずにはいられない。
だが、子どもの訴えをじっくり聞くと、親がやってきたことに対するしっぺ返しとしか思えない。
■過干渉でも心の触れ合いがなかった
例えば、幼い頃から勉強を強要され、友達と遊ぶこともできなかったとか、成績が悪いと口をきいてもらえなかったとか、少しでも口答えすると、「親に向かってどういう口のきき方をするんだ!」と怒鳴られたという話を聞くことが多い。
また、子どもが挫折や失敗に直面したときには、親は慰めるどころか逆に「どうしてできないんだ」「どうしてそんなにだめなんだ」などと叱責したという話もしばしば聞く。
こういう家庭環境では、つねに緊張感が漂っていただろうし、子どもが安心感を得るのも難しかっただろう。
したがって、子どもが「家庭内ストーカー」になった背景にはほとんどの場合、無自覚のまま子どもを攻撃したり、支配したりした親の存在があると私は考えている。
押川氏も、「家庭内ストーカーとして、『暴君』と成り果てている子供たちも、その生育過程においては、親からの攻撃や抑圧、束縛などを受けてきている。
過干渉と言えるほどの育て方をされる一方で、そこに心の触れ合いはなく、強い孤独を感じながら生きてきたのだ」(同書)と述べている。
まったく同感だ。
つまり、「親からの攻撃や抑圧、束縛など」への復讐として子どもが「家庭内ストーカー」になったという見方もできるわけで、親の自業自得と言えなくもない。
〔2019年9/18(水) 片田 珠美 :精神科医 東洋経済オンライン〕

50歳「心を病んだ人を救う男」の潔い生き様
重度の精神障害を持ちながらも適切な処置がなされていない、そんな患者と医療を「つなぐ」仕事があります
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。
「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。
自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。
特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第57回。
昨年、『「子供を殺してください」という親たち』(新潮社)という漫画を読んだ。
作中にはショッキングなシーンが多く、思わず息をのむ
この漫画は事実に基づいて描かれた作品だ。
主人公は、原作者の押川剛さん(50歳)本人であり、漫画に登場する「トキワ精神保健事務所」も押川さんが作った実在の会社だ。
■患者と医療を「つなぐ」仕事
トキワ精神保健事務所の業務内容は、さまざまな精神障害を持ちながらも適切な対応がとられていない人たちを、説得して医療につなげることだ。
依頼するのは、対象者の家族である。
漫画を読む直前、内心「ちょっとタイトルが大げさすぎるのでは?」と思ったのだが、数ページ読んだだけで疑念は吹っ飛んだ。
第1話の対象者は、冒頭シーンで往来に面した庭で全裸でバットを素振りしていた。
そしてそのバットで、家族で飼っている猫を殴り殺した。
対象者の両親は本気で「子どもに殺される」と怯えているし「子どもが死んでくれたら……」と祈っている。
読んでいるだけで心がヒリヒリするような状況だった。
対象者には完全に精神科の治療が必要な状況なのだが、病識(自分が病気であるという認識)がない。
かつては、危険を回避するために、対象者をロープで縛り強制的に移送する方法が多かったが、押川さんはみずからの意思で病院に行くよう対象者を説得する。
精神病院サイドも簡単に受け入れてくれるわけではない。
押川さんは病院に対しても、説得しなければならない。
対象者は、重度の統合失調症やうつ病、強迫症やパニック症といった精神疾患、長期ひきこもり、アルコール依存症、薬物依存症、ストーカー、性犯罪、など多岐にわたる。
場合によっては対象者に危害を加えられる可能性もある、まさに命がけの仕事だ。
多くのケースでは、対象者の両親にもかなり問題がある。
例えば、子どもに期待をかけすぎ、エリートコースしか認めないなど退路を断ちすぎた結果、子どもの心が壊れてしまうのだ。
漫画内には、押川さんが依頼者である両親に罵倒されるシーンもある。
『「子供を殺してください」という親たち』にはすっきりしたオチはない。後味が悪く終わるエピソードも多い。
でもこれが、日本のどこかで毎日起きている現実なんだと知り、強く胸に響いた。
漫画を読むだけでも、こんなに大変な仕事はめったにないだろうと思う。
押川さんはこの仕事を始めてすでに20年以上になる。
どのような人生を経て彼は、「精神科の治療が必要な子どもたちを医療につなげる仕事」に行き着いたのか。
新潮社の会議室で話を聞いた。
■口達者で根性は人一倍
押川さんは、福岡県北九州市で生まれた。母子家庭であり、近くに住む叔父が父親代わりだった。
「小さい頃は身体が小さかったけど、口は達者でしたね。走るのも速かったし、背の高いやつに食ってかかる根性もありました」
学校の成績もよかったが「覚えたことを、そのまま答える」だけで、評価される小中学校の授業には抵抗があった。
「『覚えて答える』だけで褒められるのは、犯罪だという意識がありました。そんなの本当の意味での『頭がよい』のとは関係ないですから。
だから勉強以外のことで褒められたいと思いました」
スポーツは勉強とは違い“ガチ”だと思い、剣道や水泳に打ち込んだ。
生まれ持った運動神経や、身体のサイズなど、とても大きな壁にぶつかった。
どうあがいても勝てない相手もいる。でも彼らに嫉妬するのではなく「すごいヤツだな」と相手を認められる自分がいた。
「北九州市は正直な話、民度が高くない地域です。だからケンカが強いほうが、生きていくには好都合です。
叔父にもつねづね『とにかく気合だけは入れろ!!』と言われてました(笑)」
ただ、押川さんはあまり拳を使わずとも、強い存在でいられたという。
「中学時代は法律の知識を覚えるのがとても得意だったんです。六法全書とかも読み込んでました。
そうしたら不良連中が相談に来るんですよ」
ある日、不良が押川さんに「人を刺してきたんやけどの、どうしたらええかの?」と相談に来た。
押川さんは、銃刀法に引っかからないように凶器の刃渡りを短くする必要があると答えた。
具体的には、犯行に使った包丁を堤防のコンクリートに刃先を当てたまま往復させてガリガリと削るよう言った。
そして、短くなった包丁を持って警察に出頭すればよい、とアドバイスした。
「そいつは一族郎党全員とんでもない悪党なヤツでしたけど『おかげで鑑別所に行かずにすんだ』と感謝されました。恩を売ることができたんですね。
そうして自然に、自分で喧嘩をしなくても、トップのヤツに媚を売らなくても、コミュニティーで強者と対等に生きていくすべを身に付けていたんです。
効率を重視した、ズルいやり方だと思います」
押川さんは、自分が器用に生きている自覚があった。
そのせいか、逆に生きるのが苦手な子にアンテナが立った。
「ふと、学校に来なくなる子がいるって気づいたんですよ」
いなくなるのは、ひきこもりの子どもたちだった。もちろん当時はまだ、ひきこもりという言葉はなかった。
かわいそうだとも思ったし、彼らには何が足りないのだろう?  とも思った。
押川さんは、そんな同級生の家にたびたび足を運んだが彼らは家から出てこなかったし、彼らの家族にも冷たい対応をされた。
「世の中には、喧嘩して少年院に行っていなくなるヤツとは違って、スッと人知れず消えていく子がいるんだなって認識しました」
■不良でも近寄らない「脳病院」
高校は、当時、地元で非常にガラの悪かった学校に進学した。
「ほとんど文字が介在してないような学校でした。私は進学クラスでしたけど『朱に交われば赤くなる』の言葉どおり、どうしても悪に引っ張られます。
ただ、底辺の悪い連中には差別意識ってあまりないんですよ。
たぶん進学校のほうが差別はありますね。差別がないという一点は本当にすばらしかったです」
悪い連中がたくさんいる高校だったが、彼らも近寄らない場所があった。
高校のすぐ近くにあった精神科病院だ。当時は地元の人たちは「脳病院」と呼んでいた。
「さすがの不良も『脳がいかれちょうけの。近寄れんけの』って言ってました。
ただ、差別的な意識から近づかないのではなく、本能的に怖さを感じて近づかなかったんだと思います。
ただ、私は逆にすごい興味がわきました。なんで彼らはそんな場所に詰め込まれて、周りから怖がられているんだろう? って」
病院の鉄格子はむき出しになっていた。
ビールケースを4つ積み上げて、その上に乗れば中を見ることができ、患者さんと話をすることもできた。
「高校3年間精神科病院に通い、鉄格子越しに患者さんと話をしました」
彼らが病院に入るまでの話は壮絶だった。例えば酒の飲み方も半端ではない。
家族や近隣住人に多大なる迷惑をかけ、周りを不幸にしてきた人たちがほとんどだった。
中には、人を殺めてしまった人もいた。
「でも彼らと話しているうちに、彼らに対して尊敬の念をいだくようになりました。
例えば病院の医者に対する評価にしても、じつに芯を食ったことをいうんです。
外ではベンツに乗って威張ってる医者が、病院内では実はほかの職員から軽蔑されているダメな医者だって本性を見抜いてる。
彼らは職業とか肩書に振り回されないんですね。
患者さんたちと話をするうちに、生きていくうえで誰かに媚びへつらう必要はないと考えるようになりました」
高校卒業後は、一浪して東京の大学に進学した。
「適当な大学でしたけど、いい教授につくことができました。かつて東大でスーパーコンピューターを作った人でした」
インターネット時代が到来するはるか以前だったが、先生は「すべてパソコンで金になる時代がくる」と見越していた。
■提示された「生きた勉強」
「先生にはどこか精神科病院の患者さんと近いものを感じました。
先生自身も、ちょっと外れたら入院していたかもしれないとおっしゃってました(笑)」
世はバブル景気の終わり頃で、まだベンチャー企業は流行していなかったが、先生は「お前は大学をやめろ。そして裸一貫で会社を立ち上げてみろ。それが生きた勉強になる」と押川さんに言った。
「『何をやればいいんですか?』って聞いたら、『それを考えるんだ』って言われました。そこで設備投資がいらない警備会社を作ることにしました」
大学在学中から、ガードマンのアルバイトをした。媚びずに評価をえるには、人の何倍も仕事ができなければならなかった。
押川さんは、4人ぶんの仕事を1人でこなした。そのため押川さんを雇っている業者には重宝がられた。
「当時の土建屋、建築業者は八百長ばっかですからね。4人でやったことにして、浮いたお金は彼らが自分のふところに入れてしまう感じで。
私には、残業していないのに残業代をつけてくれたりしました」
そして23歳のときに、警備会社『トキワ警備』を作った。法人登記するお金がなかったため、許認可をもらうのに難儀をした。
神奈川県警察本部の防犯課(当時)に行き「半年後には有限会社にしますから」と直接約束して、許認可をもらった。
「社会にもまれながら、先生が言っていた『生きた勉強』というのはこういうことなんだなと身にしみて感じました」
ほかの業者と比べて、クオリティの高い仕事をするよう心がけていたため仕事を取ることはでき、お金には困らなかった。
ただ、警備会社はすでにかなり出来上がっている世界だった。完成している業界で、トップを取るのは難しい。上に行くには、媚びなければならない。
それでも、談合を破って大きい公共事業の仕事を取るなど、革命的な仕事の取り方をしたこともあった。
結果的に大手の警備会社が押川さんの会社の下請けになった。
「そうしたらフィクサー(黒幕)からスカウトがきちゃったんです。右翼、暴力団、警察などに顔がきく、某政治家の公設秘書でした。
スカウトがきて『こりゃやべえ』と思ってやめることにしました」
■「自分が話をして付き添ってやれば」
その頃、トキワ警備で雇用していた従業員の1人が統合失調症を発症し、派遣先で迷惑をかける事態になった。
その当時はどうしてよいかわからず、彼の両親に迎えに来てもらい、故郷に帰した。
彼は医療につながったが、家族の話では激しく抵抗し、近所の人の手を借りて無理やり病院に連れて行ったということだった。
押川さんは、「せめて俺が話をして付き添ってやれば、暴れるようなことはなかったのに」と後悔した。
そんなおり、川崎の保健所の定例会で、役所の人が「精神疾患の患者さんを病院に連れて行くのに困っている」という話を聞いた。
「パッと事業のアイデアが浮かんだんです。
警備業には3つの柱というのがあります。『身体』『生命』『財産』を守るというものです。
であれば、治療を受ける必要がある患者さんを医療につなぐ行為も、『身体』『生命』『財産』を守る行為だなと思いました。
当時は患者さんをスマキにして運ぶのが一般的でしたけど、私は高校時代の経験から『俺は患者さんと話ができる』という自信がありました。
対象者を直接説得して、自らの意思で病院に行ってもらおうと思いました」
警備会社の利権はほかの会社に渡し、スタッフはすべて移籍できるよう話をつけた。そして裸一貫で新宿にやってきた。
新宿は小さい頃からのあこがれの街だった。
「25~26歳でしたね。新宿の雑居ビルに自宅兼事務所を借りました。
保証人はいなかったので、知り合いの警察官の方に保証人になってもらいました。
不動産屋に『文句ある?』って言ったら、『ありません』って言われました(笑)。
そこで『精神障害者移送サービス』を立ち上げました(現在は社名変更し『トキワ精神保健事務所』になった)」
はじめはタウンページに広告を掲載して営業をかけた。すぐに問い合わせがきた。
「依頼人は対象者の弟さんでした。自分の自動車で現場に行きました」
現場は、対象者と母親が同居している住居だった。毎月、依頼人が精神疾患の薬1カ月分を届けてポストに入れていた。
薬を飲んでいるなら病院に入院しなくていいだろうと思っていたが、ここのところ薬が受け取られなくなってしまった。
なにか不測の事態が起きたのではないかと依頼人は危惧していた。
「依頼人からは窓をたたき割っていいって言われてたんだけど、その道具もない。しかたなく自動車用の工具で割りました」
そうして押川さんは自宅に入った。
■ショッキングな初仕事
部屋の壁には、とても古い金鳥のポスターが貼ってあった。まるで数十年前で時間が止まっているような空間だった。
1階には誰もいなかった。緊張しながら、2階にのぼった。
手前の部屋のトビラを開けると、対象者である40代の男性と母親が布団で寝ていた。
しかも男性は全裸で、母親に抱きつくようにして眠っていたのでギョッとした。
まずはじめに母親を部屋から出し、その後寝ている男性に話しかけた。
すると男性は隠し持っていたサバイバルナイフを抜き出し、押川さんの足を刺した。そして電話線を引き抜き、わめき散らかした。
「傷口から脂肪がピョーンと出ました。私が彼をなめていたんです。
刃物を持っていると想像するくらい、彼を尊敬していたら刺されなかったと思います。
もちろん警察に訴えるわけにはいきません。
私は刺されても、患者さんと普通に接する根性はあったので、血が流れないよう、足を縛って説得を続けました」
重篤な精神疾患患者の多くは、妄想を話す。男性も強い被害妄想があった。
「四六時中見張られている。母親を守るために拉致して一緒に寝ていたんだ」などと話した。
「妄想に付き合うと、ある程度こちらの要求も聞いてもらえる場合が多いです。
その現場でも、なんとか交渉して一緒に病院に行きました。とんだ素人仕事でしたね。
依頼者から見たら、縛って移送するほうがよっぽどプロらしかったと思います」
初仕事で刺されたのは、とてもショックだった。1週間くらい放心状態が続き、その間は声が出なかった。
「現場には臨床心理士が同行していたんですけど、1回で辞めちゃいました。
彼らは優秀な患者さんと話すのに慣れているから、ショックが大きかったんでしょうね」
以後、「刺されることもある」という大前提で仕事をするようになった。
刃物を通さない革製の服を着込み、ネックガード(首を守るアイテム)をつけて現場に行くようになった。
それからしばらくは、いったん川崎市の保健所の仕事をボランティアで手伝い、経験を積んだ。
そしてあらためて本格的に事業を展開していった。
「その頃、まだ20代でしたけど、自分が若いとは全然思わなかったですね。人間がバリバリ動ける年数ってそんなに長くないですよ。
25~35歳くらいで一発かまして、35~45歳でもう一発。55歳までに最後の3発目がかませられたらいいなと今は思ってますけど。
『精神障害者移送サービス』は若かったからできたんだと思います。今の年で始めろって言われたらちょっとできなかったと思いますね」
事業としてある程度成功した後は、メディアでの発言を増やしていった。
2001年には自身の経験から『子供部屋に入れない親たち―精神障害者の移送現場から』(幻冬舎)を出版した。
「メディアでさわがれたら、コピー会社がいっぱいできました。ただ単に、患者さんを病院に連れて行くという仕事は、自分がやらなくても大丈夫だなと思いました。
私は一つひとつのケースに対しもっと丁寧に対応したいと思いました。
病院に連れて行って終わり、というのはあんまりにも悲しいじゃないですか」
■重度の患者をもっと丁寧にケアしたい
長く仕事をしていると、リピーターも現れるようになった。同じ患者を何度も精神科病院に連れて行くことになる。
「つまり、病院が治療できていないまま、早期に退院させているわけです。そこに対しても、きちんと対応していこうと思いました」
押川さんは、対象者が病院に入院した後も積極的に面会に行く。退院する際も、社会が受け入れてくれるようサポートをする。
現在では症状の軽いケースや、本人が治療を望んでいる場合は、精神科の医療につながりやすい状態になっている。
反面、症状が長期化・慢性化した患者さんや、院内で問題行動を起こすなど対応困難な患者さんほど、家族が入院治療を望んでも、断られる場合が多い。
体よく「ベッドに空きがない」と言われてしまい、受け入れてもらえない。
「法律が改正されるたびに、治療が終わっていなくても、患者さんの意思を尊重して早期に退院させられるようになりました。
もちろん患者の人権は大事です。ただ、私が見てきた精神病疾患患者の多くは病識がありません。
その彼らに意思の確認を取れば、当然『入院したくない』『治療を受けたくない』と言います。
そんな彼らの意思を一方的に尊重して早期に退院をうながすのは問題があると思います。
重症な自傷他害の恐れのある患者さんを措置入院させたとしても、1~2週間で出されてしまう場合がほとんどです。
家族はつらいどころじゃありません。まさに『殺される』『殺す』が差し迫った話です。
実際に、事件が起きているケースもたくさんあります」
現在、押川さんにかかってくる電話の相談は
「このままでは子どもを殺すかもしれない」
「このままでは子どもに殺されるかもしれない」
という「殺す」が含まれた内容がほとんどだという。
『「子どもを殺してください」という親たち』に対するウェブ上のコメントも、非常に長く重たいものが多い。
「漫画を読んで、殺すのを踏みとどまりました」
などやはり「殺す」という話もある。
実際にわが子を殺したという人からの問い合せが来たこともあった。
「精神疾患になるのは何も悪いことじゃない。不登校やひきこもりも、今や認められた生き方です。
私はただシンプルに『殺すな!!』と言いたいんです。だんだん世の中は『殺す』ことありきで考えるようになっていると思います。
何より、まずは『殺すな!!』なんです」
押川さんは現在、自分が関わった精神病疾患の患者が、閉鎖病棟に入り、開放病棟、グループホームに移行し、最終的に普通の自立した生活を送れるようになるまで見届けたいと思っている。
「ただ私も50歳になりましたから、バリバリ活動できるのは残り5年だと思っています。
今20代で入院した子を最後まで見守ることはできません。
だから私がやってきたことを、自治体の単位でできるようにしたいと思っています。
自治体で取り組む形にしないと、彼らは生きる道がなくなってしまうんです」
■見放された子どもたちの「親」になる
押川さんは生まれ育った北九州市の自治体を通じて、彼らが適切に医療や福祉につながれる仕組みを作りたいと思っている。
そのためには、治療を拒む患者を説得して医療につなげ、面会を通じて人間関係をつくり、退院後は彼らがグループホームなど地域社会で生活できるよう見守る、一連の役割を担うプロフェッショナルが必要だ。
そのプロフェッショナルを、自治体で雇用・育成できるようにする。
つまりは自治体が、親からも見放された子どもたちの「親」になること。それが、押川さんの願いだ。
「それが彼らに対する恩返しだと思って活動しています。自分の人生が『ちょっとは人の役に立った』というものであってほしいんですよ」
そして現状を世の中に知ってもらうという意味でいちばん期待しているのが、冒頭で紹介した漫画『「子どもを殺してください」という親たち』だ。
押川さん、編集者、漫画家の鈴木マサカズさんの3人で綿密にやり取りをして作品を作っている。
ノンフィクション作品だけに普通の漫画よりも手間暇がかかっている。
作画ができた後にも、押川さんが細かい部分をチェックする。
例えば「精神科病院の中ではパーカーのヒモは自殺防止の観点から外さなければならない」などだ。
「現実の問題にとても近い漫画になっていると思います。
あらためて本を読むと、あまりにリアルに描かれていて、厳しい現場を思い出して具合が悪くなります。
連載が始まった後は漫画の影響力の大きさに驚いています。
まずは軽い気持ちで読んでもらって、そして現実を知ってもらいたいです」
押川さんは「自分は専門家でもプロフェッショナルでもなく、究極の一般人だ」と語る。
専門家は効率重視になりがちで、めんどくさいことにはなるべく関わらないように動く傾向があるが、押川さんは自らどんどんめんどくさいことに関わっていく。
そして話を聞いていて気づいたのが、押川さんからは、金に対する話はほとんど出てこないことだ。
金銭的には不安定なフリーランスでありながら、儲かる、儲からない、を行動の基準にしていない。
「お金の計算ばかりしてると、お金に困りますよ。ちゃんとやってれば、お金は天からふってきます。
すってんてんになる覚悟さえしておけば大丈夫だと思いますよ。身の回りはつねに身軽にしています。
かつては不動産も持っていましたけど、とっくに手放しました」
押川さんに依頼する親御さんはお金持ちの人が多いという。
代々お金持ちの人もいるし、よい学校を出てよい会社に入り高給取りになっている人もいる。
■お金持ちが自分を「不幸」と言う世界
高層マンションに住み、外車を乗り回す、誰もがうらやむような環境にいながら、それでも彼らは自分を不幸だと言う。
「ずっと金の話をしてる人が多いですよ。子どもの前でも金金金金、金の話ばかり。
患者さんが小さい頃からずっとそうだったんでしょうね。
金がない人は金の話をしますよね。それは切実に金がないんだから仕方がない。
でも金もちは金があるのに金の話をする。結局、中身は一緒なんですよ。たとえ金はあっても心は貧しいんです」
親の保有する高級マンションに住み、一流ブランド品に囲まれて生活している対象者も多い。
「最近の患者さんの特徴として、私が身につけている物を観察するというのがあります。
『押川さんがつけてるの、本物の高級腕時計じゃないか!!』で話が始まるケースがじつに多いです。
彼らにとって人の中身なんか関係ないんです。親も子も『成功者は成功者の形をしてるだろう』って思ってるわけです。
みすぼらしい格好をしてる医者の話なんて聞きもしないんですよ。『貧乏くさい格好してるヤツは腕がないんだろう』って言うわけです。
私なんかは、逆にそういうみすぼらしい人にこそ興味が湧いちゃいますけどね。
私も仕事をこなすには持ち物や見てくれにお金や手間をかけなければならなくなりました。50歳の身ではなかなか大変ですよ(笑)。
端的に言えば『人間味がない社会』になっているんだと感じます。
効率のみを求めるシステム重視の世界で勝ち上がっていくには、人間味なんて邪魔でしかないですから。
『つらい』『苦しい』なんて言葉はかき消されてしまいます。
でもそんな時代だからこそ、患者さんにはアナログの言葉が効くんです。
『殺すな!!』
『お前には信用があるのか?』
『今、お前は幸福か?』
と心を込めて言えば、患者さんは振り向いてくれます」
インタビュー中、押川さんは何度も感情をあらわに「殺すな!!」と発していた。
押川さんはとてもまっすぐでお節介焼きな優しい人だと思った。
そんなケレン味のない押川さんが発する言葉だから、患者や読者の胸に届くのだろう。
〔2019年3/7(木) 村田 らむ :ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター 東洋経済オンライン〕

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