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ページ名フリーター、(働くのニュース)
<終わらない氷河期~今を生き抜く>元ネットカフェ難民、抜け出せたのは「運」「氷河期は社会が作り出した問題」
冬の深夜、大きなリュックを背負い、手にはボストンバッグを抱えてインターネットカフェに帰る。
オールナイトパックを利用し、ダウンジャケットを着て狭い個室でつかの間の睡眠をとる。
早朝、また荷物を抱えて外へ。最寄り駅のコインロッカーを同じような境遇の人たちと奪い合い、預けると仕事に向かう。その繰り返し。
節約のため、時々外で夜を明かした。「金がなくなると死ぬ。このお金で1カ月どう乗り切るか、そればかり考えていた」。
東京都内に住む菅原健治さん(40)=仮名=は「ネットカフェ難民」だった6年前の自分をこう振り返る。
プライドは傷つき、将来の展望は全く見えなかった。
◇フリーターは「かっこいい生き方」か
札幌市出身。高校ではうまくなじめず、3年生で中退。
引きこもり生活を送った後、アルバイトを経て21歳の時に上京した。
不登校の支援をするNPO法人が始めた私塾に入るためだった。
2000年、就職氷河期の真っただ中。「学歴に頼らない自由な生き方をしよう」という私塾の呼びかけが魅力的に聞こえた。
父が飲食店の経営に失敗して家庭も経済的に苦しく、高校で就職相談をした時も求人は少なかった。
「就職できるかどうかも分からないのに、大学に行っても仕方ない」。
私塾に通いながら、フリーターとして生きていくと決めた。それが「かっこいい生き方」とも思っていた。
居酒屋、コンビニ、レンタルビデオ店、ファミレス、喫茶店……。
アルバイト情報誌を見て求人を探し、バイトを掛け持ちして生活費を稼いだ。
平均月収は9万~10万円程度。家賃2万5000円を払うと生活は楽ではなかったが、それでも20代の頃は苦痛ではなかった。
30代に入ると、バイトの面接で落ちることが増えた。
「特に接客業は受からなくなった。リーマン・ショックの不況の影響もあったかもしれない」
「このままではやばいんじゃないか」。危機感を覚えた。
しかし、既に選択肢はなく、やりがいのある仕事を見つけることも難しかった。
「来月までは生き残れるけど、1年後は分からない」。そんな生活を続けるしかなく、次第に疲弊していった。
10年ごろから都内の食品工場で臨時職員として働き、レストランに配送する前の食品の仕分け作業に従事した。
当初は三つのラインを9人で担当していたが、次第に人が減らされ、最後には2人に。
昼休みもなく、作業のため工場内をずっと走っていたという。体はきつかったが、大事な収入源のため働いた。
◇主食は100円ショップの菓子パン 体調崩し
12年末ごろ、不測の事態が起こる。当時、工場の近くで友人とルームシェアしていたが、関係が悪化して部屋を出ることに。
蓄えもなく、新たに部屋を借りることもできない。
あっという間にホームレスになった。寒さの厳しい時期。
ネットカフェに入り個室で横になった時、初めて自分が「ネットカフェ難民」と呼ばれる存在になったことに気付き、がくぜんとした。
周囲に気付かれまいと、銭湯に通い、洗濯もこまめにして身ぎれいにした。
ネットカフェは、毎晩ほぼ満室。自分と同じサイクルで生活する人たちとよく遭遇した。
食費を抑えて腹持ちをよくするため、主食は100円ショップで買った高カロリーの菓子パン。
3~4カ月続けるうち、体調を崩した。働けないと、収入は途絶える。
初めて健康に不安を覚え、13年初め、インターネットで調べて生活困窮者を支援するNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」へ相談に行った。
生活保護を受けることになり、アパートも借りられた。「荷物を置きっぱなしでいい暮らし。文明が戻ってきたと感じた」 もやいのスタッフに偶然幼なじみがいたことが仕事の転機にもなった。
「ボランティアしてみないか」と誘われて生活保護申請の支援などをするうち、元々好きだったパソコンの知識を買われ、団体のウェブサイトの更新を任されるようになった。
評判が口コミで広がり、個人のウェブサイトの立ち上げや、プロジェクトのクラウドファンディングのスキーム作りなどの仕事も入ってくるようになった。
分からない部分は必死で勉強して補った。「自分が必要とされていると感じ、やりがいにつながった」。
収入も安定し、14年には生活保護の生活から抜け出した。
◇支援団体の職員に 今は妻と息子も
17年には団体の活動で出会った妻(33)と結婚。翌年長男が生まれた。
パソコンの壁紙は9カ月のあどけない表情の長男だ。
「家族が干上がらないようにしないと」と、現在はNPO法人の職員として週3回、支援の業務をしながら、個人で複数のウェブ関連の仕事を引き受けている。
仕事の面白さも感じるようになった。「フリーターの頃はその日暮らしで何の蓄積もなかった。
でも今は毎日やったことが積み重ねられ、周囲の人の信頼を得て、次の仕事につながっている。こういう働き方があるのかとびっくりした」
それでも、自身の生活が好転したのは「運以外の何物でもない。
たまたま幼なじみと再会し、仕事をもらえたから」と話す。
同じ私塾出身の人も一部は起業して成功しているが、地方に戻り、実家で親と同居している人も多い。
「あの時代だったからこそフリーターを選んだ。だけど、どんどんつらい仕事になり、気付いた時には抜け出せなくなっていた。
自分が悪いのかもしれないが、氷河期は社会が作り出した問題だとも思う」
菅原さんは今、かつて自分が経験したネットカフェ難民の支援に乗り出そうとしている。
「ネットカフェ難民は昼間は仕事で忙しく、支援団体まで相談に行く余裕もない。
夜、カフェの近くに相談窓口を置けたらいい」。一時的に困窮から救えたとしても、不安定な就労から抜け出すのは難しいと分かっている。
でも、苦しさを知る自分だからこそできることがあると信じている。
 【牧野宏美/統合デジタル取材センター】
◇ネットカフェ難民
住居がなく低額のネットカフェや漫画喫茶などに寝泊まりする人を指し、2006年ごろから新たな貧困問題として注目されるようになった。
厚生労働省は07年に初の実態調査を実施し、全国で約5400人のネットカフェ難民がいると推計。
うちアルバイトや派遣などの非正規雇用者が約2700人と半数を占めた。
東京都も16年末~17年に調査を実施し、非正規雇用のネットカフェ難民が都内で約3000人いると推計。
月収が11万~15万円とする人が約半数を占めた。年代別では30~39歳が38・6%と最も多く、就職氷河期世代が多数含まれているとみられる。
6割以上が「家を借りる際の初期費用が足りない」とし、「どこにも相談したことがない」と回答した人が4割近くに上った。
◇連載各回の紹介と公開予定
【無料で読めます】■第1回 生活保護のシングル女性 結婚もあきらめ 「何をしたいという希望もない」(7月31日公開)
仙台市の40歳の女性は、非正規から抜け出そうと他県から転入。
しかし、あてにしていた仕事はなく、生活保護を受け、今は入院中。「長く生きたいとは思わない」
■第2回 パワハラ、雇い止め…今は農家でアルバイト 「人と接する仕事はもうしたくない」(7月31日公開)
長野県で暮らす48歳の女性。非正規の仕事を渡り歩いた末、不眠やうつ症状に。
今はブドウ農家の手伝いをしながら心身を癒やす。
■第3回 元ネットカフェ難民、抜け出せたのは「運」「氷河期は社会が作り出した問題」(8月2日公開)
東京都内在住の40歳男性は、非正規の仕事を転々とし、ネットカフェ難民も経験。支援団体で同じ境遇の人らの支援に当たる。
■第4回 給料が上がらない 転職繰り返し“名ばかり正社員”の苦しさ(8月5日公開予定)
人材派遣会社で働く男性(46)は、大学卒業後9社目の職場という。正社員だが、不安定な年齢に見合わない待遇で、不安も大きい。
■第5回 就活失敗、ひきこもり…「当たり前」の人生が思い描けなくなったとき(8月7日公開予定)
横浜市のNPO職員の男性(44)は大学卒業後、仕事が決まらず一時引きこもりに。かつては自殺ばかり考えていたが、経験を生かして若者支援に力を入れる。
■第6回 ひきこもりからラブホテル主任に 歯を食いしばって得た仕事への「誇り」(8月9日公開予定)
厳しい職場で適応障害と診断された男性(36)は一時家に引きこもり状態になった。今は、千葉県のラブホテル運営会社の社員として活躍する日々だ。
■第7回 派遣問題、悩み共有、国に働きかけ 「現場で起きていること知って」(8月12日公開予定)
埼玉県の女性(46)は、非正規職員の厳しい現状を訴えようと「派遣かふぇ」を主宰。
自身の経験もふまえ、国や国会に声を届ける活動に力を入れる。
〔2019年8/2(金) 毎日新聞〕

かごしま子ども若者総合相談センター (鹿児島県鹿児島市)

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