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千代田区立麹町中学校

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千代田区立麹町中学校

所在地 東京都千代田区
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ページ名千代田区立麹町中学校、東京都千代田区()
子ども同士で解決する能力を支援するのが大人 ~ 型破り校長の改革論(4)
千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長 × 大橋未歩 対談インタビュー<第4回>
2014年から千代田区麹町中学校の校長を務める工藤勇一氏。
宿題、定期テスト、固定担任制の廃止など、異例の改革を次々と行う手腕には多くのメディアが注目し、麴町中学には文部科学省など全国の教育関係者が視察に訪れる。
その大胆な改革の根底にある子育て論についてまとめた『麴町中学校の型破り校長 非常識な教え』(SB新書)を著した工藤校長に、フリーアナウンサー・大橋未歩がインタビュー。
ニッポン放送「大橋未歩 金曜ブラボー」(2019年12月20日放送分)での対談の再録として、全4回にわたりお届けしている。
工藤勇一 麴町中学校長
■あまりにも他の国と違い過ぎる日本の子ども
手段が目的化している日本の教育には無駄なことが多い――――こうした前回・第3回の話に続く今回は、そんな日本の子供たちが持っている意識についての課題から。
【工藤 勇一 氏 プロフィール】
1960年、山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部を卒業後、山形県と東京都の公立中学校で教員。
その後、東京都や目黒区、新宿区で教育委員会に勤め、2014年から千代田区立麴町中学校の校長に就任。
麴町中学では宿題の廃止、定期テストの廃止、固定担任制度の廃止など異例の改革を実行。
その日常識とも言える改革は多くのメディアで取り上げられ、麴町中学には文部科学省など全国の教育関係者が視察に訪れるようになった。
(※以下、「――――」部分はインタビュアー・大橋のコメント)
――――日本の子どもたちを見ていて、大人に対して失望しているのではないかというところが怖いのですが、どのように変えていこうと取り組まれているのですか?
工藤:日本財団が調査を行った「18歳意識調査」(2019年11月30日発表)というものがあります。
これは世界9ヵ国の17歳から19歳の男女1,000名ずつくらいを対象に調査したものがあるのです。
これを見ると、日本の教育が何とかしなければいけないところまできているというのがわかります。
例えば、「自分を大人だと思う」と答えた日本の子どもは29.1%しかいません。
他の国はインド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツの結果があるのですが、ドイツだったら82.6%。
アメリカは78.1%、イギリスは82.2%、中国は89.9%。
――――日本と全然違いますね。
工藤:「自分は責任のある社会の一員だと思いますか」という回答、インドは92%です。
中国も96.5%。イギリスも約90%、アメリカも90%、ドイツも80%を超えています。なのに、日本は44.8%。
――――そんなに低いのですね。
工藤:あまりにも他の国と違い過ぎます。日本の子どもたちが子どもなのですよね。
「自分の国に解決したい社会課題がある」と答えている人は、インドは90%近いです。
アメリカも80%。なのに、日本の子どもたちは46.4%。愕然としますよね。
――――先生の最終的な上位目的はそこですよね。考えられて、大人は素敵じゃないかと思って貰える子どもを育てるという。
■子どもたちに経営権を与えている
工藤:日本のいまの教育って、学校に来れば来るほど「社会ってとんでもないところ」「大人ってとんでもない人たち」「魅力のない人たち」「大人になんてなりたくないよね」という声が聞こえてきます。
でも、本当は学校に来たら「世の中はまんざらでもないし、大人って素敵」「はやく大人になりたいな」「社会の一員として課題解決をしたい」と思って欲しいですよね。
――――いま彼らには、「大人になったって何も変えられない」という諦めの感情があるように感じてしまうのですよね。
工藤:「自分で国や社会を変えられると思う」という質問があって、これがめちゃくちゃ酷いのですよ。
日本の子どもたちは18.3%しかいません。他の国と比べたら、ものすごい差です。
イギリスは50%を超えていますし、アメリカは65.7%。日本の子どもたちは、自分の力で国や社会を変えられないと思っています。
だから、卒業して「僕は政治家になりたい」という子が出てきません。
「総理大臣になりたい」と言う子がいないでしょう。僕が子どものころはいたのですよ。
それは、ある意味普通のことなのです。
――――いい人材が国のトップへ行きたいのは当たり前になって欲しいのに、そうじゃない悪循環が続いていますよね。
工藤:うちの子どもたちには、経営権を与えているのですよね。
先ほどの話の「当事者に変える」というのは教員だけではなくて子どもたちにも一部の経営権を与えているし、保護者の方にもうちの学校の経営権を与えています。
教育関係者がこの放送を聞いていたらすごく驚くのは、学校のなかで学校評価という、来年の学校運営のために改善会議みたいなものを、日本中のどの学校もやっているのです。
それには保護者を入れたくないでしょう。うちは、今年から保護者が入るのですよ。
保護者と一緒に改善会議をやる取り組みをしています。
――――収集がつかなくなるようなイメージがありますよね。
■いじめで一番大事なのは子ども同士で解決すること
工藤:うちの教員は「やろうか」と言ったら「いいんじゃないですか」と今は言えます。
なぜかというと、同じ目的を合意するということが、どれだけ教育をスムーズに進めるのかということをうちの教員は知っているからです。
全員ではないですが、体制としてそういうことがわかってきたから。
実は、別の会議でやるのですが、子どもたちも改善会議に入るのですよ。
子どもたちを中心として学校の課題改善をして、よりよい学校にするのはどうしたらいいのかと。
うちの学校はまだまだ幼いです。
皆さんが言っているほど夢のような学校ではないし、むしろ入学のときには不登校のお子さんも山ほど入ってくるし。
夢のような学校だと思って、ある意味よく勘違いをして入って来るけれど、劣等感だらけの傷ついた子どもたちが山ほど入って来るので、1年生のうちは言われたことしかやり続けない子どもたち。
それも嫌になって、自分なんか駄目だと思っている子どもたち。
そこら中でいじめのようなものは起こるし、傷つけ合うし、弱いものはいじめるし。
それに対して僕らは特殊な対応をするのですが、簡単に言うと「君はこれからどうしたい? 先生たちは何を支援してあげたらいい?」と自立を促す言葉をなるべく使おうというのがルールなのです。
なかなかこれがどの教員もできるわけではないので完璧にうまくはいっていないけれど、子どもの自立を復活させるための支援をしようと。
そうすると、彼らは自分で決定することを覚えていきます。
いじめが起こっても、一番大事なのは子ども同士で解決することです。
何でもかんでも大人が介入していたら、子どもは解決する能力を失ってしまうわけです。
――――そのまま社会に出たら、恐ろしいことになりますね。
工藤:今の風潮としては、全てのいじめに大人が関わって、解決しなければいけないと思っているでしょう。
これは大きな勘違いですよね。
このいじめは子ども同士で解決できるのかできないのか、誰が解決の手助けをどの程度したらいいのか。
それを大人が見極めて助けてあげるのが大事であって、基本的には子ども自身が解決していく力を支えてあげるのが大人なのです。
そういった教育が、日本中でひっくり返ってしまっています。
みんなが学校を責め、先生を責め。
子ども同士がトラブっているのを支えるのが教員なのに、解決しないのは先生がだらしないからだ、というような風潮があります。
このこと自体がもうおかしいのですよ。
――――本来あるべき「社会に出るための練習」という学校の場を取り戻そうとされているということですね。
私も授業を受けているような気になりました。
社会に出てする勉強は興味のあることだから、楽しいのですよね。
「『最上位の目標』という言葉がたくさん出てきましたが、工藤校長にとっての『最上位の目標』というのは『自立した子どもを育てる』ということなのです。
それがぶれないし、麴町中学の教員と意思疎通できています。
何か迷う度に『最上位の目標』は何かというところに戻るから、対立しても恐れないし、子どもたちに当事者の意識を与えることもできるし、宿題を廃止しても大胆な改革ができるのは、最終的には『最上位の目標』は何かというところに戻ることができるからなのです。
そこが明確にあるということが大事だなと思いました」
インタビューを終えた大橋は、工藤校長の改革の哲学についてこのように振り返った。
そして、「先生という存在とお話するのは本当に久しぶりで、社会人になってから先生とお話するのはいいなと思いました。
このインタビューを聞いて、間違っていたところがあったら工藤先生に指導してもらいたいです。
何か恩師ができたような気持ちになりました」と、感想を述べた。
〔2020年1/21(火) ニッポン放送〕

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ページ名千代田区立麹町中学校、()
「子どもの問題」は大人が勝手に作り出している 親の何気ない言葉は、親の意思にかかわらず、子どもに大きな影響を与えます(写真:マハロ/PIXTA)
子どもが授業中に座っていられずに立ち歩いてしまったり、きちんと授業を受けられなかったり……。
いわゆる「小1プロブレム」で悩む親も多いのでは。
だが、こういった子どもの問題の多くは「大人が勝手につくっている」と指摘するのは、宿題、定期テストの廃止、固定担任制の撤廃など斬新な学校改革で注目を集めている麹町中学校校長の工藤 勇一氏だ。
『麹町中校長が教える 子どもが生きる力をつけるために親ができること』を上梓した工藤氏に、子どもとの関わり方について聞いた。
■子どもの心配を大人が先回りしていないか? 
「発達が周りに比べて遅いような気がする」「ほかの子に比べて言うことを聞かない」「落ち着きがない」……。
子育てでは、実にさまざまな問題にぶつかります。子どもに対して「まったく心配がない」という親はほとんどいないのではないでしょうか。
ですが、大人が先回りして心配することによって生み出される問題もあると私は思っています。
例えば、学校現場では、小学校に入ったばかりの子どもたちが、座っていられずに立ち歩いてしまったり、授業を受けられなかったりということが問題視されることがあります。
これは「小1プロブレム」などと表現されるので、子どもに問題があるかのように見えますが、実は、大人が「問題だ」と定義するから問題になるのです。
私の推測ですが、「小1プロブレム」という言葉は、小学1年生の指導に困っている学校を支援するために、文部科学省によってつくられた言葉のような気がします。
予算と人を学校につけるために、「小1プロブレム」という定義が必要だったのではないでしょうか。
しかし「小1プロブレム」が問題化されたことにより、その後多くの人が苦しむことになったように思います。
小学1年生の担任はきちんと座ることができない子どもを問題と捉えて、きちんと座れる学級にしなくてはいけないというプレッシャーを抱えます。
予算と人を学校につけるために、「小1プロブレム」という定義が必要だったのではないでしょうか。
幼稚園や保育園では、小学校に入学するまでにきちんと座れる子どもたちにしなくてはならないというプレッシャーがかかってくることになります。
当然、座っていられない子どもたちも、問題のある子と認識されるわけですから、つらいでしょう。
しかし、外国などでは幼い子どもはじっとしていられないものだということを前提に、さまざまな形状や質の椅子を用意しているところもあるほどですし、そもそも授業が子どもにとって面白いものであれば、立ち歩かないかもしれません。
子どもの問題とされていることは、ほとんどがこのような構図で生まれています。
「不登校」という言葉も同様で、学校に行くことが当たり前ではなく、「大人になるための手段の1つにすぎない」という認識になれば(もしくはホームスクーリングでもいいという認識になれば)、不登校という概念そのものがなくなるでしょう。
家庭ではとくに、親がよかれと思って掛けた言葉が、子どもの問題をつくっていくということもあります。
■子どもの意識に問題を刷り込まない
例えば、高校受験を控えた子どもに対して、「受験勉強、大変でしょう?」「疲れたでしょう?」とねぎらいの言葉を掛けることがあるかと思います。
もちろん、本当に子どもが疲れているときに、そのような言葉を掛けたくなる気持ちはわかるのですが、こういった言葉が、「受験勉強は大変だ」と刷り込んだり、そこまで疲れていなくても「確かに疲れたかもしれない」という意識を与えたりと、子どもの意識を変えてしまうこともありうるのです。
ですから、子どもが気にしていないことは、あえて指摘しないほうがいいでしょう。
みなさんがもし、お子さんの問題だと認識している点があるとするならば、それが何かによってつくり上げられた問題ではないか、視野を広げてみる必要があるかもしれません。
以前、発達障害の診断がおりた子どもと話したときに、こんなことがありました。
その子の親御さんは「この子は、発達に特性があって、コミュニケーション能力に課題があるんです」と言っていました。
しかし、その子は私とはよく話していたので、次のように伝えました。
「君は自分にはコミュニケーション能力がないと思ってるの? 
そんなことないよ。僕とこんなに話せるじゃない。きっと同級生と話しづらいだけじゃないの?
   あのね、あとで振り返ればわかると思うけど、こんなに同世代の人間がずっと一緒にいる学校っていうのは、ある意味特殊な時期なんだよ。もしかして息苦しいのかな?
でもあと数年で終わりだよ。大学に行ったら同級生とも急に距離感が出るし、働き始めたら周りに同世代なんてほとんどいないんだから。全然、へっちゃらだよ」
その子はびっくりしていましたが、心なしか顔つきが和らいだように思えました。
大抵の場合、コミュニケーション能力がないと言われる子どもは、同世代の子とのコミュニケーションが苦手ということが多いのです。
大人とはやたらとしゃべったり、小さい子の面倒はよく見てくれたりします。
この子に伝えたとおり、年齢を重ねていくにつれて、問題となる環境から離れられることがほとんどです。
親御さんは自分の子どもが心配なあまり、子どもが傷つかないようにさまざまな場所でこのような説明をします。
「この子は、コミュニケーション能力が低いので」。
しかしそうすると、子どもにどんどんその言葉が刷り込まれていき、自分はコミュニケーション能力が低いんだと認識するようになります。
子どもは、大人が気にすることを気にします。
ですから、親御さんは過度に気にせず、できれば子どもたちの視野を広げるような言葉を掛けてあげるほうがいいのではないでしょうか。
■子どもが転んでも慌てて駆け寄らずに笑顔で見守る
こういった「子どもの問題が大人によってつくられる」ことに実感があった私は、子育ての現場で、自分の子どもにそういった影響を与えないように、自身の行動や言葉に注意をしていました。
例えば、「子どもが転んだときに、親が慌てて駆け寄れば子どもは過剰に泣くようになるが、笑顔で見ていれば子どもは平然としているのではないか」という仮説を立て、息子が転んだときに、慌てて駆け寄らずに、ただ笑顔で見守っていることにしました。
すると、息子は何事もなかったように、泣くこともなく平然と立ち上がったのです。
息子の中では「転ぶ」ということが「大したことではない」と認識されたようで、その後も、息子たちが転んでも私も妻も大騒ぎせず、自力で立ち上がったときに笑顔で見ていることを心がけました。
これが功を奏したのかわかりませんし、生まれ持った性格もあるのかもしれませんが、
実際、彼らはどんなときにもあまり泣くことはありませんでした。
親には「いい親でいなければならない」という強迫観念のようなものがあります。
それゆえに、子どもが転んだときに駆け寄って「大丈夫?」「痛かったね」と声をかけるなど、過剰に反応してしまいがちです。
しかし、そのような行動こそが子どもが過剰に泣いたり、落ち込んだりする反応につながっているように思います。
親の何気ない言葉は、あなたの意思にかかわらず、子どもに大きな影響を与えます。
例えば、お子さんの友達や、周りにいる子に対して「あの子は駄目だなあ」というようなことを言ったことはないでしょうか?
  一見、自分の子どもには関係のない言葉のように思えるかもしれませんが、ここから子どもたちは2つのメッセージを受け取ります。
1つは、「あなたは失敗しちゃだめよ」というメッセージ。
そしてもう1つは、「あの子は尊重しなくていい子。排除してもいい」というメッセージです。
前者のメッセージは、子どもに不要なプレッシャーを与えてしまい挑戦できない子にしてしまいますし、後者のメッセージは、いじめの原因になりかねません。
■子どもの視野を広げることが大人の役目
どんなに気をつけていても、なかなかうまくはいかないものです。
しかし親の言葉や思いが、子どもの価値観の形成に大きな影響を与えることは、意識しておくべきでしょう。
子どもたちは、さまざまな悩みを抱えて日々を生きています。
そのときに固定化された価値観から子どもを解き放ち、視野を広げることが大人の役目です。
私は息子たちに求められれば意見をしたこともありますが、最後には必ず「でも、それが正しいかどうかはわからないよ」と締めくくっていました。
どう生きるかは子どもが決めることです。
自分の意見や通った道は必ずしも正しいものではないと、親自身が認識していくことは、子どもが生きていくうえでとても大切なのです。
〔2019年11/20(水)東洋経済オンライン 工藤 勇一:千代田区立麹町中学校校長〕

麹町中学校長が語る…生徒の問題行動は、大人の「幻想」かも
旧来型組織の改革が進んでいくなか、なかなか変わらないと揶揄される「教育現場」。
しかし、常識に捉われず改革を進めている千代田区立麹町中学校の手法は、あらゆる組織の改革にも通じると話題を集めています。
本連載は、千代田区立麹町中学校長・工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)から一部を抜粋し、麹町中学校の「学校改革」について紹介していきます。今回は、生徒の問題行動について考えていきます。
なぜ教育現場で「問題行動」が語られるのか?
「問題」は作られる
教育の世界では、子どもの「問題行動」について語られることがあります。「小1プロブレム」など、新しい言葉が次々と生まれ、文部科学省では解決に向けた対策を講じます。
しかし、「小1プロブレム」などの言葉は、「小1はこうあるべきだ」と専門家が一定の理想を掲げ、その理想から外れた子どもたちがいると使っている言葉です。
学校教育では大人たちが「問題」と捉えるからこそ、それが「問題行動」と見なされてしまうことがたくさん見られます。
頭髪、服装指導、不登校が「問題」だと見なすことで問題になってしまうことと同じです。
個の発達の特性に視点を置けば、そもそも問題ではなくなるのではないでしょうか。
「不登校」にしても、ベースに「学校へ行くのが当たり前」という価値観があるから「問題」と捉えられているのであって、学校が大人になるための一つの手段にすぎないという考えが普通になれば、「不登校」という言葉すら存在しなくなるでしょう。
ある行動を「問題」だと言わなければ、それは問題にはなりません。そういった視点で子どもたちを見ていくことが大切です。
何かができなかったとしても、それは、その子にとっての発達の一つの場面での状況であって、周りの環境を少し変えるだけで解決できることがあります。
子どもの発達は、それぞれです。
じっと座っていられないのが問題だとする「小1プロブレム」も、椅子を変えてみたり、座る場所を変えてみたり、座っている時間を変えたりすることで、全然問題ないということがあります。
むしろ、「座っていなさい」と叱られることで損なわれる自己肯定感について私たちは考える必要があります。
大人が作り出した問題(それは「幻想」かもしれません)で、子どもたちや、それを守らせようとする大人が疲弊していくのは残念なことです。
良かれと思って掛けた言葉が逆効果になることも
この点を強く認識させてくれたのが、森俊夫氏と黒沢幸子氏の書籍でした(『森・黒沢のワークショップで学ぶ解決志向ブリーフセラピー』ほんの森出版)。
この本には、日常生活で役立つ多くの知見が盛り込まれていますが、中でも印象的だったのは、ある中学3年生の女の子とその母親の会話です。
かいつまんで説明すると、ある日、女の子が家で食事をしているときに、母親が「どうしたの? 食欲ない? 具合悪そうだけど」と聞いてきます。
その女の子は、そんなふうに感じていなかったので驚くのですが、その言葉を受けて「ひょっとしたら、いつもより少し食欲がないかも」と返します。
すると、母親は、「何かあった? 友達に何か言われた?」と、さらに追及してくる。
そのうち、女の子は「そういえばAちゃんに○○と言われた、先生にも○○と言われた」、と嫌なことを次々と思い出し、本当に気持ちが悪くなって、トイレへ駆け込んでしまうという話です。
このエピソードに類する話は、至る所にあります。
「忙しいでしょ。疲れている?」と言葉を掛けるうちに、元気をなくしてしまう子どももいれば、「受験勉強、大変だね」と繰り返し言われる中で、プレッシャーに潰されてしまう子どももいます。
つまり、大人が取るに足らない問題を取り上げ、言葉にしてしまうことで、問題となってしまうことがあるのです。
実を言うと、著者のお一人である森俊夫さんとは30代の時に研修でお会いし、上述のエピソードを直接お聞きしたことがありました。
森さんは私より少し年齢が上でした。
残念ながら、最近お亡くなりになられましたが、森さんの研修を受けたときの高揚感は今でも忘れられません。
この視点で考えれば、学校教育で起こっている、いろんなことが変えられる。
あんなこともできる、こんなこともできると、興奮して一週間ほど、十分に寝付けなかったほどです。
大人が良かれと思って掛けた言葉で、子どもは救われることもあれば、追い込まれることもあります。
何かと子どもに手を掛けてしまいがちな現代社会において、特に意識しておくべき心得だと思い、いつでも若手教員に紹介できるように、校長室には森さんの本を常に置いています。
〔2019年5/22(水) 幻冬舎ゴールドオンライン〕

中学校長が不登校の生徒に「学校に来なくていい」といった理由
旧来型組織の改革が進んでいくなか、なかなか変わらないと揶揄される「教育現場」。
しかし、常識に捉われず改革を進めている千代田区立麹町中学校の手法は、あらゆる組織の改革にも通じると話題を集めています。
本連載は、千代田区立麹町中学校長・工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)から一部を抜粋し、麹町中学校の「学校改革」について紹介していきます。
今回は、「不登校」について考えていきます。
「目的」の再確認と「手段」の再構築
私が麹町中学校で実践してきた方法は、学校に限らず、あらゆる組織で活用できます。
目的と手段が一致しないものや、手段が目的化しているものは廃止・見直しをする。
その上で、本来の「目的」を再確認して、最適な「手段」を再構築する。
そうしたプロセスで改善を図っていくことが大切です。
現在の学校教育を見渡すと、目的と手段の不一致はもちろんのこと、手段自体が目的化されているようなケースがたくさんあります。
加えて、そうした矛盾に多くの人が気が付いていないか、あるいは「見て見ぬふり」をして、何らアクションを起こさないでいることについて、なぜなのだろうと、私はずっと考えてきました。
今こそ、目的と手段の不一致がないか、徹底的に検証していく必要があります。
そのスタート地点として、「学校は何のためにあるのか」という根源的な問いに立ち返って、読者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
「不登校」は責めるものではない
本書(『学校の「当たり前」をやめた。』)の「はじめに」でも書いた通り、学校は人が「社会の中でよりよく生きていける」ようになるために学ぶ場所です。
そしてその結果として、学校で学んだ子どもたちが将来、「より良い社会をつくる」ことにつながっていくと考えます。
勘違いしてはいけないのは、「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないということです。
たとえ、何らかの事情で学校に行けなくなったりしても、学校以外にも学びの場はありますし、社会とつながることだってできます。
勉強だってできるし、もちろん立派な大人になることができます。
逆に、学校にきて学習指導要領に定められたカリキュラムをこなしても、知識を丸暗記してテストでよい点をとれるようになっても、社会でよりよく生きていけるとは限りません。
この点について、私たち大人はもっと柔軟に考えられるようになっておきたいものです。
麹町中に校長として赴任した年に、不登校になっていた子どもたち全員とその保護者と平日の夜や休日を使って面談をしました。
学校に来られない場合は、自宅などで面談を行いました。
その中の一人に、学校に来られず、自宅に引きこもっている生徒がいました。
本人と面談したときに、やや緊張した面持ちだった生徒に、私はこう話しました。
「別に学校に来なくたって大丈夫だよ。進路のことも、高校に行きたいなら、今からでも全然問題なく行けるし、心配することなんて何もない」
校長から「学校に来なくても大丈夫」と言われると思わなかったのか、少し驚いた様子でしたが、面談が終わる頃には、表情はかなり和らいでいたことを覚えています。
その後、何度か面談をするうちに、その生徒は家の外に出ることができるようになり、それまで苦手だった電車にも乗れるようになって、その後、希望する進路を自ら見つけて、学校説明会にも行き、希望する学校へ進学しました。
自らの意思で、自らの進路を切り拓いたのです。
受験して合格し、その後、一日も休まず、学校に行っています。
進学後まもなく、彼は私の所へやって来て、学校の様子や自分が取り組んでいることについて、いろいろと楽しそうに話してくれました。
今、不登校に苦しんでいる子どもたちや、その保護者の方々の中には、誰かを恨んでいる人がいるかもしれません。
その多くは一方で、自分自身を強く責め続けてもいます。
私はそうした人たちに「とにかくもう自分を責めないでほしい」「あなたは何も変わらなくてもいい」と伝えたいと思います。
不登校は社会で騒がれるような問題ではない
一般に、不登校になってしまった子どもの母親の多くは、特に苦しい思いをしています。
「こうなってしまった原因は自分なのかもしれない」と責め続けます。
そして苦しくなった思いは、夫や家族、他の誰かに向けられます。
残念なことに、こうした母親の様子は、不登校の子どもの姿に色濃く影響を与えることとなります。
子どもはさらに自分を責め、ほかの誰か、そして母親を責めることによって、ある意味、自分自身を安定させようとしているかのように見えます。
誰かを責め続けている状態の中では、人は自律のスイッチを押すことはできません。
まずは、人を責め、自分を責めることをやめさせなければなりません。
学校は子どもに学びたいという気持ちをどのように持たせてあげられるか、一人ひとりの学びをいかに保障するかを徹底的に考えなくてはいけません。
繰り返しになりますが、もしそれができないのであれば、別の方法で学ばせてあげればよいのです。
学校は「社会の中でよりよく生きていける」ようになるための場所です。
不登校のありようはさまざまで、必ずしも、麹町中での対応もすべてがうまく行くわけではありません。
しかし、少なくとも学校が「手段」の一つにすぎないことは、教師こそが理解すべきだと考えます。
それができれば、不登校は世間で騒がれているほど深刻な問題にはなりません。
むしろ、学校へ行かない子どもがいても、周囲の大人が平気な顔でいられるような社会がよいと考えます。
〔2019年4/16(火) 幻冬舎ゴールドオンライン 工藤 勇一〕

江戸時代の寺子屋が理想形…現代の学校が担うべき機能とは?
旧来型組織の改革が進んでいくなか、なかなか変わらないと揶揄される「教育現場」。
しかし、常識に捉われず改革を進めている千代田区立麹町中学校の手法は、あらゆる組織の改革にも通じると話題を集めています。
本連載は、千代田区立麹町中学校長・工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)から一部を抜粋し、麹町中学校の「学校改革」について紹介していきます。
今回は、本来学校がもつべき機能について考えていきます。
今、学校に求められる機能とは?
前回(関連記事『 中学校長が不登校の生徒に「学校に来なくていい」といった理由 』)で、「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないとお伝えしました。
では、「手段」の一つである学校は、子どもたちがよりよく生きていくために、どのような機能を担うべきなのでしょうか。
社会では、「コミュニケーション」と「経済活動」を行うための2つのスキルが必要です。
学校はこうしたスキルをしっかりと身に付けさせていきたいものです。
特にコミュニケーション能力は、障害や発達の特性の状況に応じて、自分なりの方法を身に付けていくことが求められます。
学校の機能を単純化してみると、二つのポイントが考えられます。
教師の立場から考えれば、(1)何を教えて(カリキュラム)、(2)どう教えるか(教え方)であり、生徒の立場から考えれば、
(1)何を学んで(カリキュラム)、(2)どう学ぶか(学び方)です。
このことについて考えるには、歴史をさかのぼってみるのが分かりやすいと思います。
今の学校の原型は明治維新以降に作られましたが、それよりもさらに前、江戸時代にまで戻って、教育を考えてみましょう。
江戸時代の寺子屋のカリキュラムと学ぶ方法は、とても理にかなった教育であったと私は思います。
「(1)カリキュラム」については、「読み」「書き」「そろばん」が中心で、まさに実社会においてコミュニケーションや経済活動に結び付いた知識・技能でした。
武士の子はもちろん、商人や職人、農民の子に至るまで、多くの寺子(子どもたち)が「読み」「書き」「そろばん」を学び、今よりもはるかに若い年齢で社会に出て、家計を助けていました。
「(2)教え方・学び方」については「自学と学び合い」が中心です。
教師が現在のように大勢の生徒に一斉授業で教えることはありません。
分からないことがあれば友だちに聞いたり、教えたり教えられたりしながら主体的に学んでいました。
実はこれは、世の中の営みそのものです。
つまり、社会に出てからの大人の学び方と、子どもたちの学び方は同じだったのです。
今のように一斉授業の中で一方的に情報を受け続け、ただ丸暗記するような勉強方法ではありません。
また、「これをやりなさい」「あれを勉強しなさい」と一方的に押し付けられることもありませんでした。
学びは、人に頼るものではなく、自分で分からなければ調べたり考えたり、それでも分からなければ聞くなどしました。
当時は、「対話」が当たり前だったのです。
まさに「学びのスタイル」が「社会でのスタイル」なのです。
私たち大人は仕事をしていく過程で、日々多くのことを学んでいます。
学校においても同じです。教師同士も学び合っています。
その学びの多くは、日々のちょっとした会話を通じて、経験が豊かな先生から新任教師へ「こうしたらいいよ」という方法を伝えるコミュニケーションを介して行われています。
研修などを除けば、私たちが職場で必要なスキルを、講師による一斉講義形式で座学で学ぶということはありません。
これは民間企業においても同様でしょう。
〔2019年4/24(水) 幻冬舎ゴールドオンライン〕

“常識破り”のトップが慣例重視の現場に与えた衝撃
千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長(中)と4人の教諭
着任初年度から学校の課題を洗い出し、次々と解決策を実行していった工藤勇一氏。
現場で改革と向き合う教員たちの胸にはさまざまな感情が沸き起こっていたという。
工藤氏はどのようにリーダーシップを示し、「メンバー」の意識と行動を変えていったのか。
麹町中学校に勤める4人の教諭に話を聞いた。
“常識破り”のトップが慣例重視の現場に与えた衝撃
新橋典子教諭 あなたの子育てが間違っていたわけではない
「不登校の生徒全員と面談をしたい」
着任したばかりの工藤氏がそう話すのを聞いて、主任養護教諭の新橋典子氏は驚きを隠せなかった。
当時は赴任4年目。「保健室の先生」と慕われる新橋氏にとって、学校になじめず苦しんでいる何人かの生徒がいることは一番の気がかりだった。
「不登校の生徒に対して、学校は担任へ『頻繁に連絡を取るように』という方針を示していました。
しかし保護者からは『あまり連絡しないでほしい』と言われるケースもあり、間に立つ教員が対応に苦慮する姿も見ていたんです。
何より、最も苦しんでいたのは不登校になってしまった子どもたちとその保護者でしょう。
工藤校長が全員と面談すると聞いたときには、驚きと同時にうれしく思いました」(新橋氏)
学校へ行かない我が子に対して親は有効な言葉をかけることができず、責任感と現実の狭間で悩み、学校側とのコミュニケーションを断ってしまうこともある。
だから工藤氏は、担任教諭の代わりに自らが現場へ出て、生徒や保護者との会話の機会を重視した。
面談の場では保護者へ「あなたの子育てが間違っていたわけではない」と語り続けたという。
当然のことながら、保護者は学校の運営姿勢に敏感だ。
少しでも「学校のため」「職員のため」という姿勢が見えるとすぐに気づかれ、厳しく指摘される。
「工藤校長は保護者に対して話をするときも『子どもたちのため』という軸がぶれません。だからこそ真正面から意見交換ができるのだと思います。
保護者に対して『お母さん、それは違いますよ』とズバッと言うこともある。その後ろ姿に影響された教員は私だけではないと思います」(新橋氏)
教員から相談を受けたその場で教育委員会へ電話することも
2012年に麹町中学校へ赴任した桜井千香氏は、障害がある生徒のための特別支援学級を担当している。
その方針は工藤氏の着任後に大きく変わり、学級独自に新たに宿泊行事や校外学習を運営するようになった。
桜井氏の提案を受けて工藤氏が判断したという。
「保護者向けの学習会なども独自に開催するようになりました。今では特別支援学級の保護者だけでなく、通常学級の保護者や千代田区内外の誰もが参加できる公開講座へ発展しています。
工藤校長自身が特別支援学級に関して豊富な経験を持っているということもありますが、私に大きな裁量を与えてもらっていること、提案したことに対してもとても早く判断をしてもらえることに助けられています」(桜井氏)
なぜ工藤氏の判断が早いのか。学校の意思決定は通常、いくつかの段階を経て行われる。
教務部や生活指導部、進路指導部、経営支援部といった「分掌」に教員が分かれて議題を検討し、その後は運営会議や職員会議の場へ持ち込まれるのが慣例なのだという。
そうしたプロセスがあっての校長決裁だから、物事をスピーディーに決めるのは難しい。
「でも工藤校長は、緊急性が高く子どもたちのために必要なことであれば、そうした『大人の事情による会議』をすっ飛ばして決めることもあります。
良い意味で伝統や慣例にとらわれない人なのだと感じています」(新橋氏)
「公立学校では校長だけの判断で決められないことも多々ありますが、そんなときも決裁は早いですよ。私が校長室へ相談しに行ったその場で教育委員会へ電話し、同意を取り付けてもらったこともありました」(桜井氏)
「保護者からの相談を受け、目の前で大学や関係機関に電話し、保護者の相談の約束を取り付けてしまうなどは日常茶飯事です」(新橋氏)
教員のアイデアを聞き、進めるべきだと判断すれば、「校長からの提案」として職員会議へ諮ることもあるという。
日常の会議体をできる限り尊重しつつ、議事の進行をできる限りスピーディーにするためだ。いざというときには校長の権限を最大限に活用し責任を取る。
この姿勢が教員からの積極的な提案を呼び込んでいると言えるだろう。
シンプルな目的意識を持つことで自由になれた
中堅・若手の教諭は、工藤氏との出会いがもたらした「衝撃」を語る。
2015年に麹町中学校へ赴任した技術科教諭の加藤智博氏は、異動前のあいさつに訪れた際の印象が強烈に残っているという。
「正式な異動前なので、軽いあいさつのつもりで麹町中学校に来たんです。時間はかかっても10分程度だろうと思っていました。
ところが校長室では、初めて会った一教員の私に教員のあり方や授業の組み立て方、学校運営への思い、『麹中ノート』のことなどを熱く話してくれて。気づけば1時間半が経過していました(笑)。
『経営方針を明確に持っている人なんだ』と感じましたね」(加藤氏)
同じく2015年に赴任した数学科教諭の戸栗大貴氏は、担当する生徒会の活動を通じて「工藤流」を知った。
「生徒会役員選挙の際に、工藤校長から『各候補の得票数は開示するの?』と聞かれたんです。前の学校では、落選した生徒の心情に配慮して開示せず、当選した生徒に花を付けるだけでした。
同じようにやろうとしていたら、『本当にそれでいいのか? 本当の選挙だったらすべての数字を開示するよね』と言われて……」(戸栗氏)
“常識破り”のトップが慣例重視の現場に与えた衝撃 戸栗大貴教諭
仮に得票数が著しく少ない生徒がいたとしても開示するのか。
工藤氏の意見は「すべてオープンにするべき。立候補はリスクも負ってするもの」だった。
「教育的にプラスになることなら、できる限り社会のリアルに近づけるべきだ」と。
慣例にとらわれず、必要だと思うことは実行する。
そのリーダーシップに影響を受けて、多くの教員が「教員のあり方」を見つめ直すことになった。
しかし、工藤氏の方針に共感する教員も、苦労がないわけではない。
「無駄に長い会議や日々の宿題チェックといった、本来の学校のあり方を考えるうえで必要のない労力は削減されています。
一方で、何事も『昨年の実績があるから今年も同様に』という進め方では通用しなくなりました。
常に変化を続けながらゼロから企画することも多いので、考えることは格段に増えたと思います」(加藤氏)
「私は文化祭などの行事を担当することが多いのですが、一つの行事を無事に終えても課題は山積みです。自分自身がその行事をどんな教育につなげたかったのか。
その目的から振り返ると、本当にやりたかったことの30~40パーセントくらいしか達成できていないんじゃないかと感じることも多々あるんです。
だからこそ『もっと良くしなきゃいけない』という思いが強くなるのかもしれません」(戸栗氏)
「まだまだ道のりは長いと思いますが、それでも私は、ここ数年でとても自由になれたと感じているんです。
生徒のことをいちばんに考えて動けばいい。そんなシンプルな目的意識を持てるようになったので、以前よりもずっとやりやすくなりました」(新橋氏)
やればやるほど新たな課題が見えてくる。一人ひとり違う個性を持つ生徒と向き合い続ける限り、ゴールも一律ではない。
新橋氏は今年度を振り返る工藤氏との会話の中で「ようやくうちの学校も軌道に乗ってきたね」と声をかけられたそうだ。ようやく。
しかし、着実に。麹町中学校の改革の歯車は日進月歩で動き続けている。
〔Wedge 2018年3/27(火)多田慎介 (ライター)〕

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