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学校システム

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学校システム

なぜ不登校はなくならないのか? 学校システムの限界としての不登校
2019年、NHKの調査によって、全国の中学生のうち不登校、あるいは不登校傾向にある子どもたちの数が、44 ~ 85万人に上ることが明らかになりました。
不登校傾向とは、自分のクラス以外の部屋で過ごす別室登校や、一部の時間だけ在校する部分登校などのこと。
8人に1人、あるいは4人に1 人という衝撃的な数字です。
これだけ多くの子どもたちが、学校という場所に息苦しさを感じていることを思うと、いたたまれない気持ちになると同時に
今の“ システム” を何としても変えなければという決意を新たにします。
そう、この問題は、それぞれの学校や教師や子どもたち一人ひとりの問題と言うよりも、むしろ“システム” 全体の問題と考えるべきものなのです。
近代学校教育が始まって以来、150年もの間ほとんど変わって来なかった、今の学校システムの。不登校 以下では、私が不登校関連の講演会等でよくお話しする内容について、教員志望の皆さんにもぜひお伝えしたいと思います。
学校のシステムがもたらす「息苦しさ」
この連載でもよく言っていることですが、日本の公教育は、これまで基本的に、
「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、教科ごとの出来合いの問いと答えを中心に勉強する」システムによって営まれてきました。
しかしこのシステムが、今や大きな限界を迎えています。
その象徴的な問題の一つが、嫌な言葉ですがいわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。
みんなで同じことを同じように勉強していれば、一度つまずくと、その後なかなか取り返しがつかないといったことが起こってしまいます。
またその逆に、すでに分かっていることを何度も繰り返し勉強させられることで、勉強が心底嫌になってしまう子どもたちも大勢います。
もし、それぞれが自分のペースで、自分に合った学び方で学んでいれば、そのようなことは起こらなかったかもしれないのに。
同質性の高い学年学級制も、子どもたちを苦しめている大きな理由の一つです。
その同調圧力の中で、子どもたちは、多かれ少なかれ、人と違うことを恐れ、空気を読み合いながら生活しているのです。
特に近年は、子どもたちの多様性が豊かになったがゆえにこそ、その多様性を活かすのではなく、むしろ細かなルールで統率しようとする学校が残念ながら増えています。
全国的に見て、実は校則は親世代の頃よりはるかに細かなものになっています。
「ポニーテール禁止、編み込み禁止、うなじを見せてはいけない、下着は白のみ、日焼け止め禁止……」といった具合に、事細かにルールが決められ、子どもたちの行動を統制する傾向が強まっているのです。
子どもたちが息苦しさを抱え、時に不登校を選択することになるのも、ある意味では当然のことと言えるだろうと思います。
学校や先生を責めたり、あるいは子どもたちを責めたりするのではなく、システムを変える必要がある。
そう、私はずっと言い続けています。
その具体的な「構造転換」の方向性は、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」であったり、学校を「多様性がごちゃまぜのラーニングセンター」にしていくアイデアだったりたくさんありますが、この連載でも何度か論じていることですのでここでは繰り返しません。
ご興味のある方には、ぜひ拙著『「学校」をつくり直す』(河出新書、2019年)をお読みいただけると幸いです。
「ダメ」と言わず、「信頼して、任せて、待って、支える」
もう1つ、不登校の保護者や学校・地域の方々に、よくお話ししていることがあります。
それは、教育や子育ての基本中の基本は、「あれしなさい、これしなさい、あれするな、これするな」では断じてなく、「信頼して、任せて、待って、支える」であるということです。 
親や教師、あるいは地域の人たちは、不登校の子どもたちに、「学校に行かなかったらダメ人間になるぞ」とか、「だからお前はダメなんだ」なんてことは、ゆめゆめ言いたくないものだと思います。
人は、信頼されなければますます自分への信頼や承認を失ってしまうものです。でもその逆に、信頼・承認されたなら、時間はかかったとしても、その信頼に応えたい、自分を成長させたいと思うものなのです。そのためにも、「信頼して、任せて、待って、支える」という教育の基本を、常に意識しておくのはとても重要なことです。
「心の安全基地」。ジョン・ボウルビィという心理学者が唱えた、有名な説です。
特に子どもたちには、「自分はO K、自分はO K」と思える「心の安全基地」が必要である。
そしてそれは、親や教師の、ある種の絶対的な信頼や承認によって作られるものなのだ。そうボウルビィは言います。
もし、私たちがいつも自分にビクビクしていれば、他者に対してもまた、不安や攻撃性を向けるようになってしまうかもしれません。
でも、もししっかり自分を信頼・承認できていたならば、他者のことも十分に信頼・承認できるようになるものです。
「心の安全基地」は、子どもたちのチャレンジを後押しする力も持っています。
「あれするな、これするな」ばかり言われて育った子どもは、チャレンジすることを恐れてしまう傾向があります。
「チャレンジしてごらん、失敗しても構わないから」。
親や教師は、そんなふうに子どもたちの安全基地を築きたいものだと思います。
私のゼミには、何人もの不登校の中高生が参加しています。
哲学好きな、知的に早熟な生徒や、学校教育に疑問を持ち教育を根本から考えたい生徒などが参加しています。
そして、大学生と対等に議論をしています。
彼女たちにとっては、このゼミの場が、学校では得られない一つの「安全基地」になっているのだろうと思います。
そうあってほしいと思っています。
そして、本来であれば学校こそが、どのような子どもたちにとっても、そんな場でなければならないのだと。
苫野一徳 熊本大学教育学部准教授 学校法人軽井沢風越学園理事
1980 年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
著書『はじめての哲学的思考』『「学校」をつくり直す』『教育の力』など多数。 ※※月刊 教員養成セミナー 2020年2月号
「教育探究コラム― 教師の卵に考えて欲しいこと―」より
〔2020年1/30(木) 教員養成セミナー〕

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