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木村泰子

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木村泰子

人の心なんて教育できるものではない
「お会いするたびに『この人にはかなわないな』と思うんです」――。
工藤勇一氏が、深い尊敬の念を込めてそう評する人がいる。
大阪市立大空小学校の初代校長を務めた木村泰子氏だ。
「すべての子どもの学習権を保障する」という理念を掲げ、教職員や地域の人々とともに新たな学校づくりのあり方を示した木村氏。
その取り組みは『みんなの学校』として映画化され、教育関係者を中心に数多くのフォロワーを生み出している。
日本の教育改革のために情熱を捧げる2人は、どのように共鳴し、何を語り合うのか。シリーズ特別編として、その対談模様を紹介したい。
麹町中学の生徒たちによる「方眼ノート」と「ビジネス手帳」の活用事例
木村泰子氏:大阪市立大空小学校初代校長
「みんながつくる みんなの学校」を合い言葉に、全教職員のチーム力で「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。
2015年春、45年間の教職歴をもって退職。現在は全国で講演活動などを行う。
人間は、見えやすいところばかり見るもの
工藤:木村さんが子どもたちや教職員、地域の人々と一緒に作った大空小学校には、校則や決まり事がほとんどありませんね。
普通の学校には何かしらあるものなのに。
木村:掲げたのは「すべての子どもの学習権を保障する」という理念だけです。
虐待されていようが障害があろうが、どんな環境であろうが、地域の宝である子どもは誰一人として排除されてはいけない。
だから「みんなの学校」なんです。
校則や決まり事を作ると、教員がそこばかり見てしまって子どもを見なくなります
工藤:そうですよね。昔から「服装や頭髪の乱れは心の乱れ」だなんて言われていますが、私は教員になる前からそんなふうには思っていませんでした。
今も変わりません。
木村:教師が見るべきところは服装や頭髪ではないですからね。
映画『みんなの学校』に、とある管理作業員が出てくるシーンがあります。
彼は開校3年目に大空に来たんですよ。最初はピアスをして、髪は金色に染めていました。
前に勤めていた中学校では欠勤が多い「問題職員」だったそうで、前任校の教頭がわざわざ私に「何も教育ができていなくて申し訳ありません」と申し送りをしてきたんです。
工藤:そんなことがあったんですか。
木村:彼にまつわる面白い話があって。学校作りに協力してくれていた地域のおばちゃんがある日、血相を変えて私のところに来たんですね。
「校長先生、新しい管理作業員さん、あれはあかんわ」と言うんです。
「どうして?」と聞いたら、「あんな髪の毛でピアスもして、子どもたちに悪影響やわ」と。
工藤:木村さんは何と答えたんですか?
木村:「そうなの? それやったら、彼の髪の毛やピアスを見ないようにすればええんちゃう?」と。
工藤:その切り返し、いいですね!
木村:そんな彼が、ある日校長室にやって来ました。
当時は管理作業員の仕事の中に、「ポストに届けられた朝刊を校長室に届ける」というものがあったんです。
彼はそれについて「あんたの新聞を届けるのが俺の仕事か?」「読みたい新聞があるなら、自分で取りにいったらええんちゃうか?」と言ってきた。
私はそれを聞いて「その通りや!」と言いました。
工藤:なるほど。管理作業員として定められた仕事の中に、謎のタスクがあると。
木村:ええ。彼は学校で働くにあたり、父親から「いちばん困っている子どものそばにいてあげろ。それがお前の役割だ」と言われていたそうです。
でも前の学校では、「管理作業員は子どもに関わるな」と言われていた。
子どもに関わるのは教員の仕事だと。それが欠勤の理由だった。
私は、朝刊が読みたいなら校長自身が取りにいけばいいという彼の意見は至極まっとうだと思いました。
だから「あんたは、あんた自身の子どものための仕事をするべきやな」と言いました。
真に子どものことを考えて、子どものために働く職員の一人なのだから。
工藤:おっしゃる通りですね。
木村:人間は、見えやすいところばかり見るものです。
でも本当は見えないところを見ようとする大人でなければいけない。
一生懸命に子どもたちのために働く彼の姿を見て、「あれはあかんわ」と言っていたおばちゃんもすっかり味方になりました。
何カ月か経った頃、また校長室に来てこう言うんですよ。
「彼のピアスが変わったの、気づいてはります? 前よりもお洒落になりましたよ」って(笑)。
工藤:素敵なエピソードですね。
木村:彼からは「見えないところを見るのが人として大事なことなんだ」と教えられました。
それは教員も地域の方々も、もちろん子どもたちも。
工藤:今のお話を聞いて、思い出したことがあります。
まだ教員になりたての頃ですが、子どもたちが靴のかかとをつぶして廊下を歩いていても、私はそれにまったく気がつけなかったんですね。
よく、他の教員に「なんで工藤さんは注意しないの?」と言われたものですが、いくら言われても、なかなかそんなところには目が行かなくて(笑)。
木村:だけど「かかとばかり見る」先生が多いのよね。
工藤:かかとつぶしもそうですが、ピアスや髪染め、そのほか問題だと言われていることのほとんどは、「大人が問題だと言うから問題になる」のだと私は思います。
教員が問題だと言えば言うほど、子どもたちはそれを意識するようになっていきます。
「かかとをつぶして靴を履いたり、ピアスをしたりすることで心が乱れる」というのは大人が作り出してしまった幻想です。
わざわざ問題を作り出し、結果として子どもたちに戦うフィールドを与えてしまっているようなものだと思います。
「本質を突いた仕事をする行政マン」に初めて出会った
工藤:木村さんはいつも自分の目で子どもたちを見て、大人たちも見て、みんなを元気にするために何ができるかを考えている。
「書物の教育論」に頼るのではなく、ご自身の経験を通して、本質を探し出しながら行動に移しているところがすごいなぁ、と思うんです。
木村:私は45年間、子どものいる現場しか知らずに過ごしてきましたから。
工藤さんは、パブリックの一校長としては周りがなし得ないことをどんどん実現していますよね。
それも、すべての人を敵にすることなく巻き込んでいく。
工藤さんは東京都や新宿区などの行政マンも経験されましたよね?
工藤:はい。10年間、教育委員会で仕事をしていました。
木村:私が知っている行政マンは、言葉は悪いんですが「見てるところが違うやろ」と言いたくなるような、残念な人も多かったんです。
私はずっと、子どもを置き去りにする施策に対して「NO」と言ってきました。
「子どもがここにいるよ」といつも言ってきたつもりです。
目的と手段を混同させず、本質を突いた仕事をする工藤さんのような行政マン経験者は、45年間教員を続けてきて初めて出会った気がします。
工藤:振り返れば私は20代の教員駆け出しの頃から、「これは、何のためにやっているのか」ということを常に考えてきたと思います。
最近、私がよく使っている「目的と手段」ということですね。
「目的と手段」という言葉で表現するようになったのは40歳を過ぎてからですが。
『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』岡本薫・著(明治図書)
木村:そういえば、前にも一度話しましたよね。
「目的と手段」の重要性に気づいたのは、工藤さんも私も同じ時期、同じタイミングで。
東京と大阪という離れた場所にいて、当時は知り合いでもなかったのに不思議ですね。
工藤:まったく同じ人、同じ本に出会って影響されたんですよね。
文部科学省の官僚だった岡本薫さんの『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』という本。
木村:そうそう。前から「工藤さんって、なんで私と同じ考えなんやろ?」と思っていたんです。
まるで前世は双子だったんじゃないかと思うくらい。
それでもしやと思って、工藤さんに「岡本薫さんって知ってますか?」と聞いたら「えっ!」となってね(笑)。
工藤:ああ! と(笑)。
まったく同じ本を読んで大きな影響を受けていたんですよね。
私は東京都教育委員会時代に、研修会で初めて岡本さんの話を聞いたんです。
木村:私は西日本で開催されたシンポジウムでの講演がきっかけでした。
いろいろなお偉方の講演を聞いて、勝手に「○×△」をつけていたんですよ。
生意気にも「そんな考え方やからダメなんや」とか思いながら(笑)。
でも岡本さんの話を聞いて、そんなおごりを持った自分を忘れて一気に引き込まれたのを覚えています。
でも工藤さん、知っていますか? 当時はネットで調べると、岡本さんを叩く人も結構いたんですよ。
人の心なんて教育できるものではない
工藤:叩く人ですか?
木村:従来型の教育、30年前の社会に通用していたような教育を延々と続けている現場の人が叩いていました。
岡本さんは「30年前にやっていた教育を続けていてはいけない。
10年先、20年先に向けたアンテナを張らなければいけない」と指摘していた人でしたから。
工藤:私はその指摘に深く共感しました。
特に印象に残っているのは「内心の自由を大切にすべき」という点で、振り返ってみればこれは、私が教員になる前から思っていたことなんです。
人の心は教育できるものではないと語る木村氏。
木村:そうなんですか。
工藤:教員になりたての頃、私は子どもたちに「『人の心がどうだ』なんてたやすく言うな。自分の心のことさえ分からないんだから」とよく話していました。
でも、そう言いながらも、その頃の私はきっと心にこだわっていたのだと思います。
現在、心の教育が大切だということを疑う人はほとんどいないでしょう。
でも「目的と手段」という言葉を使って考えてみれば、「良い行動ができる人間を育てること」が目的で、心の教育はそれを実現するために行う「手段」ということになります。
とすれば、見えない心を鍛えることも大事かもしれませんが、本当に大切なのは「行動」です。
しかし現実には、良い行動を行なっている生徒に対して「内申点目当てなんじゃないか」と勘ぐったり、「あいつの心は、本当はああだ、こうだ」と非難したりすることがあります。
つまりは「心」にこだわっているわけですよ。
木村:まさに目的と手段が逆転してしまっているわけですね。
工藤:そもそも、人の心を理解するなど、簡単にできることではありません。
しかし良い行動なら頑張れば誰でもできる。
目の前にゴミが落ちていたときに、それを拾うという行動は自分次第でできますよね。
同様に、人を差別する心を完全に消し去ることはできないかもしれませんが、差別的な行動を取らないことは意識すれば誰でもできるようになる。
私たちが生徒たちに大事にしてほしいと伝えるべきことは「心」じゃなくて「行動」なんです。
木村:同感です。「人の心なんて教育できるものではない」ということでしょう。
講演のときにも岡本さんは「心の教育をやっている日本は、世界から笑われているよ」と簡単な言葉で教えてくれました。
工藤:世界には、文化も宗教も民族も違う人が集まる国がたくさんあります。
そんな中でもみんなが平和で安全に暮らすために、海外では民主性や市民性を学ぶことが大事だと教えている。
だけど日本ではずっと「心を教育しよう」という方向です。
木村:仲良くしましょうね、というのはその典型例ですよね。
「子どもがケンカをするのは心が育っていないからだ」なんていう考えは、とんでもないことだと思います。
私は子どもたちに、「別に友だちのことを嫌いでもええやん」とずっと言っていたんです。
で、新しく大空小学校に来た教員が子どもたちに「人を嫌ってはいけない」なんて言っているんですね。
私はその教員に「なんでそう思うん? あなたも嫌いな人くらい、いてるやろ?」と問いかけました。
工藤:岡本さんの言葉をあえて借りるならば、誰かを嫌いだと思うのは「内心の自由」ですね。
木村:はい。心の中で相手を嫌いだと思うのは自由だけど、それを口に出したり行動に移したりはしない。
これが「行動の教育」ですね。
子どもたちはあくまでも行動を学べばいいのであって、心の中で嫌いだと思うのはしかたがないことです。
工藤:私もまさに同じ考えです。
「日本の教育を本気で変えたい」と語る工藤氏のもとにはいま、全国から志のある教育関係者が続々と視察に訪れている。
勝手に理想を描いて勝手に不幸になるな
工藤:私は木村さんにお会いして、「日本の教育を本気で変えなきゃいけない」という思いがさらに強くなりました
。 映画『みんなの学校』の上映会は各地の有志によって開催されており、その講演のために木村氏はいまも全国を飛び回っている。 木村:日本の教育を本気で変えなきゃいけない。本当にそうですよね。
私もそう思って、この3年間で47都道府県をすべて回り、いろいろな人と話をしてきました。
そうだ工藤さん、この間、ある学生と話してとても印象に残っていることがあるので聞いていただけませんか?
工藤:なんでしょう?
木村:京都の龍谷大学で90分の授業をさせていただく機会があったんです。
最後に質疑応答の時間を設けていたんですが、1人の男子学生がものすごく真剣な顔で「木村さんは全国に『みんなの学校』のことを伝えて回っているけど、それで日本社会は変わったと思いますか?」と聞いてきて。
工藤:すごい質問ですね。
木村:私は思わず「うっ」と答えに詰まってしまいました(笑)。
すると彼は「僕は全然変わっていないと思います。
木村先生は一生懸命伝えてくれていて、僕は今日の授業が大学に入っていちばん考えさせられた時間だったけど、でも社会は変わっていないと思う。
先生はここまで一生懸命にやっているのに、むなしくなりませんか?」と言うんですね。
それで私は、思わず本音で答えてしまいました。
工藤:木村さんの「本音」ですか。
木村:私は大空小学校を卒業してからの1年間、無我夢中でしたが、実は2年目に同じことを考えていたんです。
校長時代よりも時間がないくらい、いろいろな場所へ行って、日程さえ空いていたら誰かと会っている。
でも、相変わらず日本のどこかで子どもが毎日のように死んでいくし、不登校の子どもは増える一方。
障害がある子どもは就学前から振り分けられていく。
「自分は一体、何をやってるんやろ」と落ち込みました。自分のやっていることは何の役にも立っていないんじゃないかと。
工藤:そうだったんですか。
木村:でもね、ふと考えたんです。
そんな風に思っている自分は「どれだけおごりを持っているんだろう」と。
たかだか大空小学校で9年間校長を務めただけで、「私の言うことを聞いて先生たちに変わってほしい」「世の中を変えよう」だなんて、どれだけおごっているんだろう、と。
そんな気持ちを学生に話しました。
「あなたの言う通り、むなしいと思ったこともある。
でも、自分の力がなんぼのもんや思う? いろいろなところでたくさんの人に会い、対話をさせてもらっている。
いろいろな子どもに出会い、耳に痛いことも聞かせてもらう。
そうやってまた新しい自分に変われている。これが『学び』なんやと思う。
そう思えてから、また毎日がとても楽しいのよ。
だから今は全然むなしいとは思わへん」と。
工藤:私はよく「勝手に理想を描いて勝手に不幸になるな」と言うんですが、教育改革を謳っている人の中にも、そうした傾向があるのかもしれませんね。
「日本のここがダメ、フィンランドやオランダのあれが素晴らしい」なんて聞くけど、だったら「フィンランドやオランダがなければ比較対象もないし、幸せなんじゃないの?」と思ってしまう。
現実を受け入れて、みんなで改善する方法を考えたほうが幸せになれるはずなんですが。
木村:フィンランドやオランダは「目に見える」んですよ。
本当は「フィンランドやオランダの何がいいのか」を話し合わなければいけない。
校長の言うことを聞け、先生の言うことを聞けとよく言うけど、そんな子どもたちばかり育てたら、社会はとんでもないことになりますよ。
先生や親の言うことを聞くことが大事なんじゃなくて、「その話の中の何が大事なのか」を考えることが大事なわけですよね。
海外に目を向けるのも同じで、その取り組みの中で何が重要なことなのかを考えなくてはいけないんです。

「やり直しをする大人の姿を子どもに見せることが、大人の役目」と語る木村氏。
子どもたちには「疑問形」で
工藤:大空小学校を見ていると、子どもたちに何かトラブルや困りごとが起きると、先生たちは必ず疑問形で問いかけていますよね。
木村:はい。もし子どもが忘れ物をしたら、教員は「あ、そうなの。じゃあどうする?」と聞きます。
すると子どもたちは自分で考えて、「先生に借りる」「友だちに借りる」などの対応策を考えるんです。
工藤:教員が「私はどんな手助けができる?」と問いかけることで自発的に考えさせていると。
木村:こうした関わり方がとても大切だと思います。
例えば子どもが、授業中に教室から飛び出してしまったとしますね。
そこで教員が「何してるの! 教室に戻りなさい」とすごい顔で叫ぶと、回りの子どもたちは「あの子は迷惑な子なんだ」と刷り込まれてしまうんです。
こうした一瞬の出来事の積み重ねで、子どもたちは学びを奪われていく。
特に小学校1年生の子なんて、想像以上に先生の言うことに影響を受けるんですよ。
工藤:感性が柔軟だから、それだけ大きな影響を受けてしまうわけですね。
木村:はい。もしそんな場面があったら、大空では「あの子、なんで出ていってしまったんやろ?」と必ずみんなで考えます。
すると「あいつ、頭の中がごちゃごちゃになってしまったんやろな」と誰かが言う。
私も実際に体験したんですよ。
「先生、今日は教科書を1人ずつ音読しようって言うたやろ?」
「いつもみんなで音読するのに、なんで今日だけ1人ずつなん?」
「いつもみたいにみんなで音読やったら、あいつ出ていかんかったと思う」
「先生、もう1回やり直しやな」
そんな風に子どもたちから言われて(笑)。
教員も失敗から学びを積み重ねていくんです。
工藤:いや、本当に木村さんにはかなわないなぁ、と思います。
私も頭の中ではいろいろ考えてやってきたつもりですが、木村さんにはかなわない。
今の話で思ったんですが、教員から出る言葉が「排除の言葉」になっていることに教員自身が気づかないこともたくさんありますよね。
木村:まさに。言葉だけの指導は、子どもには浸透しないんです。
でも教員はすべて言葉で指導しようとする。
もし「この子は障害があるんだよ」と教員が言えば、聞いている子どもたちは10人10通りのとらえ方をします。
「人権が大事だ」と教員が言っても、それを聞いている子どもたちの人権のとらえ方はバラバラ。
みんな違うのに、ひとまとめに言葉を発して「先生の言うことは終わり」と。
工藤:それで、「先生の言うことを聞きなさい」という指導に入ってしまうわけですね。
木村:はい。言葉だけの指導は一瞬で暴力に変わってしまうこともあります。
それが原因で、実際に子どもが亡くなってしまったこともあるんですから。
工藤:だからこそ木村さんが言うように、疑問形で子どもたちに投げかけ、自分で考え、自律のスイッチを押せるように導くことが必要なんですよね。
そういう意味で日本の教育は、残念ながら真逆の方向に行ってしまっていると思いませんか?
「きめ細かな指導」という言葉のもとに、あれやこれやと丁寧に大人が面倒を見すぎている。
しかし、手をかければかけるほど生徒は自分で考えることをやめてしまいます。
つまり自律を失っていくんです。
そして自律を失った子は、何かうまくいかないことがあると、手をかけてくれない大人を恨み、手のかけ方が悪いと非難するようになってしまいます。
子どもたちのためによかれと思ってやっていることが、実はまったくそうなっていない。
木村:それこそ「その教育の目的はどこに置いているの?」と問いかけてみなければいけませんね。
そうすれば、「きめ細かな指導」というような、よく分からない謎の言葉は使われなくなっていくんじゃないでしょうか。
▼多田慎介(ライター)
1983年、石川県金沢市生まれ。
大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。
編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。
個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。
〔2018年9/4(火)Wedge 多田慎介(ライター)〕
  

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