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無言清掃

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無言清掃

なぜ「無言」で清掃・給食なのか?―「対話」より「無言」を重視する教育のおかしさ
■ 「黙働流汗清掃」への違和感
先日、N H Kスペシャル「“不登校”44 万人の衝撃」という番組が放送されました。
番組内では、中学生の4~ 8 人に1人が、不登校もしくは不登校傾向にあるという、衝撃の調査結果が明らかにされました。
この問題について、言いたいこと、言うべきことはたくさんありますが、
今回取り上げたいのは、この番組でも取り上げられていたまた別の事柄、すなわち「無言清掃」についてです。
「黙働流汗清掃」などとも言われます。
この十数年で、全国の多くの学校に急速に広がっています。
先のN H K スペシャルの生放送には私も出演していましたが、この「黙働流汗清掃」が V T R で紹介された瞬間、L I N E で番組参加してくれていた不登校経験者の皆さんからは、「何だこれは、軍隊か!」といった声が一気に寄せられました。
ツイッターにも、同じような反応が多数見られました。
学校関係者にはよく知られた「無言清掃」ですが、それが世間からすれば異様な光景に見えたのは、当然のことだったと私は思います。
■ 学校の常識は世間の非常識?
ずいぶん有名になり、また問題視もされるようになった運動会の巨大ピラミッドなども、世間から見れば驚くべき異様な取り組みです。
工事現場では、2メートルを超える高さで作業する場合は安全帯をつけることが法律で定められています(作業床のない場合)。
一方、運動会で行われるピラミッドは、6段で3メートル。10 段だと7メートル。
一番下の生徒には、男子中学生の場合約200キロもの負荷がかかります。
何件もの重大な事故が相次ぎました。
にもかかわらず、「感動」とか「我慢」とか「一致団結」とかいったかけ声のもとに、巨大組体操は今もなお少なくない学校で続けられているのです。
そもそも、「感動」や「一致団結」が、安全とトレードオフにしてまで教育にとって必要なものなのか、私たちは改めて本気で考え直す必要があるでしょう。
全く必要ないと言いたいわけではありません。
ただ、「感動」や「一致団結」を、学校が生徒を統率するための都合のいい合言葉にしてしまってはいないかどうか、改めて考え合いたいと思うのです。
下着は白に統一だとか、髪の毛が茶色い生徒には「地毛証明」を出させるだとか、持ち物を統一するとか、
机の上の筆記具の配置を統一するとか、そういった細かなルールも同様です。
学校関係者は、それが「当たり前」の環境の中で時間を過ごすうちに、いつのまにかそうした世間の目から見れば異様な光景に、
いくらか鈍感になってしまっているところもあるのではないかと思います。
■ 何のための「無言」なのか?
その意味で、無言清掃や無言給食も、やはりおかしな活動と言うべきです。
分刻みで動かなければならない学校の先生にとって、子どもたちが掃除や給食の時間にダラダラおしゃべりして過ごしていては、
時間がいくらあっても足りないという本音は分かります。
でもそんな理由で、ただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーションの機会を学校が奪ってしまってもいいのでしょうか。
「ただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーション」と言いました。
これについては、「本当かな?」と思われた方もいるかと思います。 
確かに、学校をのぞいてみると、いたるところから子どもたちの声が聞こえてきます。
一見、豊富なコミュニケーションがなされているように思います。
でも、皆さんもちょっと思い出してみてください。
学校に行った時、コミュニケーションをとるのは、クラスの中の実はごく一部の友達だけだったのではないでしょうか? 
「黙って、座って、先生の話を聞いて、ノートをとる」のが主流で、
「協同的な学び」や「探究(プロジェクト)型の学び」がまだ十分になされていない学校では、こうしたことが起こります。
友達とコミュニケーションができるのは、休み時間や部活の時間などに限られます。
「仲よしグループ」(ただし、時に上辺だけの)だけでそのほとんどを過ごすことになるのは、ある意味では当然のことなのです。
「無言清掃」は、黙って精神を統一し、自分と向き合う時間、という側面もあるそうです。
それはそれでいいでしょう。
でも、繰り返しますがただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーションの時間を奪ってまで、
そのような時間を設ける必要があるのかどうか、私たちはやっぱり、定期的に問い直す必要があるのではないかと思います。
時間に余裕がないのであれば、どうすれば余裕を作れるかを考えたいものです。
もしかしたら、掃除をする日を減らしてみてもいいかもしれません。
別の余計な時間を見つけて、そちらを削ってみる必要もあるかもしれません。
■ 法律に抵触する可能性も
実は、給食や清掃を含む「特別活動」の目標について、新学習指導要領には「多様な他者との協働」が挙げられています。
給食については、学校給食法に「明るい社交性及び協同の精神を養う」とあります。
無言清掃・無言給食は、少し大げさに言えば、これらに抵触する可能性もあるかもしれません。
熊本市教育長の遠藤洋路さんは次のように言っています。
「新指導要領では、学校活動の前提が『同質の集団』ではなく『多様な他者』であることがより明確になった。
無言清掃・無言給食に限らず、学校活動全体が、同質集団を前提とした『無言の圧力』を助長するものになっていないか厳しく見直す必要がある」と(熊本日日新聞2018 年12 月12 日夕刊)。
学校教育の最大の目的は、お互いの存在を認め合う、そしてこの社会で自立して生きられる個人を育むことです。
この目的に照らして、私たちが本当にやるべきことは何なのか、また何をやらないべきなのか、
学校関係者は、子どもたちも一緒に、そんな議論・対話をもっと頻繁に重ねていく必要があるだろうと考えています。
苫野一徳
熊本大学教育学部准教授 軽井沢風越学園設立準備財団理事
1980年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
著書に『「学校」をつくり直す』『はじめての哲学的思考』『教育の力』など多数。
※『月刊教員養成セミナー 2019年9月号』
「哲学する教育学者 苫野一徳の教育探求コラム―教師の卵に考えて欲しいこと」より
〔2019年9/2(月) 教員養成セミナー〕

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