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義務教育

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義務教育

義務教育の「義務」とは何への義務か(前編)
■中学生の7人に1人は学校に行きたくない
わが国の義務教育が揺らいでいます。
学校に行かない、ないし行きたくない子どもが増えているのです。
この記事の写真はこちら
文部科学省の推定によれば、不登校、すなわち年間に30日以上学校を欠席する生徒の数は、全国で約10万人。
ところが、これは氷山の一角にすぎないらしい。
日本財団が昨年12月に発表した調査結果によれば、この10万人以外に、「不登校傾向」にある生徒が、全国で約33万人いると推定されるのです。
33万人といえば、全中学生の10%にあたる数字。
これに不登校の10万人を加えると、比率は13.3%となります。
中学生の7人に1人ぐらいは、不登校か、その傾向があるのです! 
(参考:https://www.nipponfoundation.or.jp/app/uploads/2019/01/new_inf_201811212_01.pdf)
ならば「不登校傾向」とはいかなるものか?
  財団による定義は以下の通り。
(1)不登校二型・・・1週間以上、連続して学校に行かないことがある生徒。
(2)教室外登校・・・学校には行くものの、校門、保健室、校長室、図書室などにいて教室に行かない状態が、月2~3回以上か、連続1週間以上生じる生徒。
(3)部分登校・・・基本的には教室にいるものの、給食だけが目的とか、遅刻・早退が多かったり、1日に何度も保健室に行ったりするなどして、あまり授業に参加しない状態が、1ヶ月に5日以上生じる生徒。
(4)仮面登校A・・・基本的には教室にいるが、他の生徒とは違うことをしていて授業に参加しない状態が、月2~3回以上か、連続1週間以上生じる生徒。
(5)仮面登校B・・・基本的には教室にいるし、とりあえず授業に参加もしているが、学校がつらい、学校がイヤだ、学校に通いたくないと感じている生徒。
■視覚不登校の原因をさぐる
とはいえ、どうしてこれほど多くの生徒が、学校に行きたがらないのか。
まず注目されるのは、13.3%という不登校(傾向)の数字が、子どもの貧困率(2015年で13.9%)とほぼ同じこと。
案の定、不登校と貧困には関連性が見出せます。
親が就学援助費を受給している者の比率は、不登校(傾向)のない生徒では8%ですが、不登校の生徒では29.3%。
不登校傾向の生徒でも、不登校二型は19.9%ですし、一番低い仮面登校Bですら15.2%と、二倍近い数字になっています。
親が生活保護を受けている者の比率は、不登校(傾向)のない生徒で0.4%なのにたいし、不登校の生徒では7.5%。
ほぼ19倍です。不登校二型では6.7%、教室外登校・部分登校・仮面登校A(※)でも2.8%となっていました。
(※)財団の発表した資料では、この三者がひとまとめになっています。両方に当てはまる家庭もあると思いますので、単純に数字を足すわけにはゆかないものの、不登校(傾向)の生徒に貧しい家庭の子が多いのは明らかでしょう。
しかし、もっと注目すべきはここから。
不登校(傾向)の生徒に見られる最大の特徴は、貧困ではないのです。
■学校に行きたくない理由トップ3
親に離婚歴がある者の比率は、不登校の生徒で39.4%。
以下、不登校二型で31.3%、教室外登校・部分登校・仮面登校Aで26.6%、仮面登校Bで15.6%となります。
親自身が不登校だった者の比率は、不登校の生徒で34.3%、不登校二型で24.1%、教室外登校・部分登校・仮面登校Aで19.6%、仮面登校Bで6.4%。
経済的事情がらみの項目より、全体として明らかに高い。
親が家庭をうまく築けなかったり、学校にたいして否定的な態度を取ったりすることのほうが、不登校の原因としては大きいのです。
さらに、学校に行きたくない理由トップ3は以下の通り。
不登校の生徒
1位・・・朝、起きられない
2位・・・疲れる
3位・・・学校に行こうとすると、体調が悪くなる

不登校二型の生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・自分でもよく分からない

教室外登校・部分登校・仮面登校Aの生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・授業がよく分からない・ついて行けない

仮面登校Bの生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・学校に行く意味が分からない

この結果は何を示しているのか? 必然としての「学校疲れ」
そうです。
中学生たちは、勉強がイヤだとか、いじめられるとかいった理由で学校に行かなくなるというより、そもそも身体が学校を拒否している状態にあると評さねばなりません。
学校に行こうとしただけで疲れてしまう感じですね。
「自分でもよく分からない」「学校に行く意味が分からない」「授業がよく分からない・ついて行けない」といった答えにも、精神的な疲労感がうかがわれる。
三つすべてに「分からない」というフレーズが出てきますが、分からないことを無理に考えようとすれば、頭が疲れるのは自明の理。
不登校(傾向)の子どもは、学校に関連したことで、頭や身体を使うのがおっくうなのです。
とはいえ、どうしてそんな学校がおっくうなのか?
  ここで想起されるべきは、物事にたいして取り組むだけの価値を見出せず、「いくらやってもムダ」と失望したとき、人は疲れをおぼえて、おっくうになること。
この点については、BEST T! MESの記事「2010年代末、世界はみな疲れている」で論じましたので、詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、子どもたちは学校に失望したあげく、わざわざ行くだけの価値を見出すことができずにいるのではないでしょうか。
となれば、必然的に登校するのがおっくうになる。不登校(傾向)が増えて当たり前です。
さしずめ「学校疲れ」というところ。
とはいえ、これは必然の帰結にすぎません。
なぜか。
戦後日本において、義務教育は本来成立しえないのです! 次節ではその理由をご説明しましょう。義務教育とは国家への義務だ。
日本国憲法の第26条2項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と記されています。
しかし、ちょっと考えてみましょう。
この「義務」とは、いったい何にたいする義務でしょうか?
  個々の国民が「その保護する子女」、つまり子どもにたいして、義務を負っているとは考えられません。
第26条2項は、国民が「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」を負うと述べているのであって、「普通教育を受けさせる義務」を当の子女に負うと述べているわけではないからです。
ついでにこれは、憲法の第三章「国民の権利及び義務」(第10条~第40条)の一項目。
他の項目では、請願権、思想・良心の自由、学問の自由、勤労の権利義務、財産権、裁判を受ける権利などが定められています。
これらの権利や義務が、国家にたいするものなのは明らかでしょう。
すなわち義務教育の「義務」も、国家にたいするもの。
国の発展・繁栄のために、子供を勉強させ、能力を伸ばす義務を、国民は国家にたいして負っているのです。
だからこそ戦前の日本では、天皇が教育の理想や目的を謳った「教育勅語」があった次第。
しかるに近著『平和主義は貧困への道 対米従属の爽快な末路』で論じたとおり、戦後のわが国は、国家の否定を旨とする独特の平和主義のうえに成り立っています。
勉強は国の発展や繁栄のために果たすべき義務だ! 
──などという発想が受け入れられるはずはありません。

■平和主義は学校崩壊への道
それでも1970年代ぐらいまでは、勉強は豊かになるための効率的な手段だと構えることで、この点をカバーできました。
家庭が貧しくても、学校に行って頑張れば、いい大学や会社に入って出世できるというアレです。
しかし今や、学校の成績が親の所得によって大きく左右されるのは常識となって久しい。
学校に行く意味が分からなくて当たり前ではないでしょうか? 
また教育勅語に「父母に孝に、兄弟(けいてい)に友に、夫婦相和し」という一節があるとおり、「国の発展・繁栄のために勉強して優秀にならねばならない」という発想は、「国の発展・繁栄のために家庭円満を心がけねばならない」という発想とも重なり合う。
家庭が社会の基本的な単位である以上、いくら勉強して個人レベルで優秀になっても、家庭が崩壊状態というのでは、社会は安定せず、国の発展・繁栄もありえません。
だからこそ昔から「修身整家治国平天下(しゅうしん・せいけ・ちこく・へいてんか)」なる表現があるのです。
天下を取るには、まず自分が立派な行いをできるようになり(修身)、次に家庭を整え(整家)、続いて国家の経世済民を達成する(治国)という手順を踏まねばならないという意味ですよ。
しかるに戦後日本型の平和主義は、「家」についても、封建的・抑圧的だという理由で否定してしまいました。
親に離婚歴や不登校の過去がある生徒が、不登校(傾向)になりやすいのも、こう考えればよく分かる。
離婚は「整家」の否定ですし、不登校の過去は「(学校を通じた)修身」の否定ではありませんか。
学校に行こうという気になるわけがないでしょう。
ダメ押しというべきか、新自由主義に起因する貧困化と格差拡大のせいで、貧困層の子供たちにとり、勉強は豊かになるための手段ですらなくなった。
ところが新自由主義は、経済にたいする政府(つまり国家)の関与を否定したがる点で、平和主義と相性が良いとくる。
日本財団の調査は、平和主義が学校崩壊への道でもあることを示しているのです!! 
・・・しかも、わが国の義務教育が直面している問題は、これだけではありません。
後編ではそちらを取り上げましょう。
〔2019年2/13(水) 文/佐藤 健志 Best Time〕

義務教育の「義務」とは何への義務か(後編)
■外国人と義務教育
今や日本では、中学生のおおよそ7人に1人(推計で約43万人)が、学校を年に30日以上欠席する「不登校」か、そこまででなくとも学校に行くのをおっくうがる「不登校傾向」を見せています。
そしてこれは、じつのところ当たり前の話。
義務教育の「義務」とは、国家にたいする義務なのですが、戦後日本は平和主義の名のもと、国家を否定したがる傾向が強い。
すなわち「学校になど行く理由はない」と構えているにひとしいのです。
にもかかわらず、学校に行くのが義務であるかのごとく構えてもいるのですから、子どもが矛盾に耐えかねて、気力をなくすのは自明の理。
『平和主義は貧困への道』とは私の近著のタイトルですが、驚くなかれ、平和主義は学校崩壊への道でもあるのです! 
・・・前編ではそんな話を展開したわけですが、義務教育をめぐる問題は、これにとどまるものではありません。
例のグローバル化というやつで、現在の日本には、少なからぬ数の外国人も居住しているからです。
不登校(傾向)を持つ中学生をめぐる日本財団の実態調査でも、親が外国籍(元外国籍を含む)の子は、すでに不登校生徒全体の5%。自分自身が外国籍という子は5.1%、日本語を母国語としない子も3.6%に達しています。
(参考:https://www.nipponfoundation.or.jp/app/uploads/2019/01/new_inf_201811212_01.pdf)
しかも入管法の改正により、今年からは外国人労働力の受け入れがいっそう本格化する。
これら労働力の中で、「特定技能2号」に認定された人は、家族を呼ぶこともできるし、永住を含めた長期滞在も認められます。
早い話が移民。
自民党は2008年の時点で、向こう50年以内に移民を1000万人受け入れる「移民1000万人計画」を検討していましたが、この計画、みごとに実現するのではないでしょうか。
移民が増えれば、就学年齢にあたる外国人の子どもも増える。
しっかり対応してゆかねばならないものの、困ったことに現状はかなりお寒いようなのです。
■すでに1.6万人が就学不明
毎日新聞は1月6日、「外国籍の子 就学不明1.6万人 義務教育の対象外」という記事を配信しました。
同紙は2018年の9~11月、義務教育を受ける年齢の外国籍の子どもが多い市区町(上位100ヶ所)を対象としてアンケート調査を行ったのですが、当該の子ども約7万7500人のうち、20%以上にあたる約1万6000人が、学校に通っているかどうか確認できない「就学不明」状態にあったのです!
  わが国の市区町の数は1558。
そのうちの上位100ヶ所でこの数字ですから、就学不明の外国籍児童数も、本当は2万人ぐらいいるかも知れません。
ついでにここで挙げられた児童の数は、2018年5月の時点で各自治体に住民登録されているもの。
登録されていなければ、そもそもカウントされませんから、実数はさらに増える可能性があります。
とはいえ、それらの点は脇に置きましょう。
就学不明と認定された1万6000人は、具体的にどのような状態にあると想定されるのか? 
記事によると、
・家にはいるが就学していない
・所在不明になっている
・住民票を残したまま帰国・転居した
・私立学校、または外国人学校に通っているが、自治体が把握していないと見られるとのこと。
子どもが所在不明なら、親も所在不明の恐れが強い。
住民票を残したままの帰国・転居にしても、足取りがつかめない点は同じ。
この調査結果、就学年齢の子どもを抱えて足取りのつかめない外国人が、数万人規模で存在している可能性があることも示しているのです。
今後、数字が増えてゆくのは疑いえないところですが、あわせて注目したい点がある。
つまり、自治体によって就学状況の把握のレベルが全然違うこと。
■自治体と文科省の言い分
就学年齢の外国籍児童の数が、全国で最も多いのは横浜市。
約4800人ですが、就学不明の子どもはその3割、約1400人にのぼりました。
2位の大阪市でも、同じく3割の1307人。
東京都江戸川区にいたっては、半数の1030人が不明となっています。
逆に5位の静岡県浜松市は、該当する児童が2034人いるにもかかわらず、就学不明の子どもは2人。
6位の埼玉県川口市でも、1680人の児童のうち、就学不明は6人です。
ほぼ完璧に調べてある。
なぜ、こんなに差が出るのか? 
答えはこちら。
調査する気がなければ調査しなくてもいいから。
就学状況を把握していない自治体の多くは、理由について「外国籍の場合、日本人と違い子どもを小中学校に通わせる義務がないため確認していない」と説明しています。
たしかに義務教育をめぐる憲法の条文(第26条2項)は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」というもの。
外国人は「国民」ではないため、この義務を負っていません。
自治体が就学状況をフォローしなくとも、べつに構わないのです。
外国人児童の就学に関する文科省のスタンスも、〈行く義務はないが、国際人権規約に「教育を受ける権利」が定められているので、本人が希望すれば来てもいい〉というもの。
受け入れも自治体に任せているとのことでした。
してみると、外国籍児童の就学状況をめぐり、文科省は調査データを持っていないのでしょう。
■移民にこそ義務教育を! 
とはいえ、わが国に定住する外国人の数が急増するであろうことを思えば、これは由々しき事態と評さねばなりません。
そのような状況のもと、「日本」という国のアイデンティティを維持しようと思えば、移民の子どもにこそ積極的に義務教育を受けさせ、「国民」としての意識を持たせる必要がある。
移民によってつくられた国であるアメリカでは、星条旗に向かって忠誠を誓う「プレッジ・オブ・アリージャンス」という儀礼が、学校でもよく行われます。
旗に顔を向けて立ち、左胸(=心臓)の上に右手を置いて、国旗と国家への忠誠を宣言するのですが、これに類することをやらねばならないのですよ。
しかるに戦後のわが国では、おなじみ平和主義のせいで、「国家への忠誠」という概念自体が、何やら危険なものであるかのごとく思われている。
義務教育の「義務」とは国家にたいする義務だという点すら、ちゃんと認識されていないのが実情ではありませんか。
要するに日本人の子どもにすら、「国民」としての意識を持たせようとしていない。
ならば外国籍の子どもにたいし、日本への忠誠を誓わせるなど、文科省には思いもよらないでしょう。
毎日新聞の記事には、愛知淑徳大学の小島祥美准教授によるコメントが添えられていますが、こちらも「外国籍の就学不明児童1.6万人」という結果について、学ぶ権利が守られていないことばかり問題にしていました。
その点にしたって、問題でないとは言いませんよ。
けれども真の問題は、外国籍児童の就学をめぐる現状を放置したままでは、「日本人でないうえ、国民としての意識も持たない子ども」が増加の一途をたどること。
就学年齢(6~14歳)の子どもだって、最短で6年、最長でも14年で成人するのですぞ。
これで外国人地方参政権が実現したら、どうなると思いますか?
■政府の巨大な現実逃避
ところが政府は、入管法改正で入ってくる外国人について、移民ではないという姿勢を取りつづけている。
永住を含めた長期滞在が可能になるにもかかわらず、です。
「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する者」というのが、移民に関する国際的な定義。
外国人労働力は、これをきっちり満たします。
なのになぜ、移民ではないと言い張るのか? 
本当のことを認めると都合が悪いから、無理やり移民ではないことにしている、そう受け取られても抗弁できた義理ではありません。
だが「移民」が入ってくるわけではないとすれば、「移民流入に伴う問題」も起こるはずがない。
よって、それらの問題に対処する必要もないという理屈になります。
早い話、現実から目をそむけたまま国家解体への道を歩む次第。
戦後日本の平和主義の本質が「国家の否定」であることを認識し、そこから脱却しないかぎり、この流れは止められません。
国家百年の計たる教育、とくに義務教育が揺らいでいるのは、国家そのものが揺らいでいる兆しなのです。
〔2019年2/15(金)文/佐藤 健志 Best Time〕

義務教育の「義務」とは何への義務か(前編)
■中学生の7人に1人は学校に行きたくない
わが国の義務教育が揺らいでいます。
学校に行かない、ないし行きたくない子どもが増えているのです。
この記事の写真はこちら
文部科学省の推定によれば、不登校、すなわち年間に30日以上学校を欠席する生徒の数は、全国で約10万人。
ところが、これは氷山の一角にすぎないらしい。
日本財団が昨年12月に発表した調査結果によれば、この10万人以外に、「不登校傾向」にある生徒が、全国で約33万人いると推定されるのです。
33万人といえば、全中学生の10%にあたる数字。
これに不登校の10万人を加えると、比率は13.3%となります。
中学生の7人に1人ぐらいは、不登校か、その傾向があるのです! 
(参考:https://www.nipponfoundation.or.jp/app/uploads/2019/01/new_inf_201811212_01.pdf)
ならば「不登校傾向」とはいかなるものか?
  財団による定義は以下の通り。
(1)不登校二型・・・1週間以上、連続して学校に行かないことがある生徒。
(2)教室外登校・・・学校には行くものの、校門、保健室、校長室、図書室などにいて教室に行かない状態が、月2~3回以上か、連続1週間以上生じる生徒。
(3)部分登校・・・基本的には教室にいるものの、給食だけが目的とか、遅刻・早退が多かったり、1日に何度も保健室に行ったりするなどして、あまり授業に参加しない状態が、1ヶ月に5日以上生じる生徒。
(4)仮面登校A・・・基本的には教室にいるが、他の生徒とは違うことをしていて授業に参加しない状態が、月2~3回以上か、連続1週間以上生じる生徒。
(5)仮面登校B・・・基本的には教室にいるし、とりあえず授業に参加もしているが、学校がつらい、学校がイヤだ、学校に通いたくないと感じている生徒。
■視覚不登校の原因をさぐる
とはいえ、どうしてこれほど多くの生徒が、学校に行きたがらないのか。
まず注目されるのは、13.3%という不登校(傾向)の数字が、子どもの貧困率(2015年で13.9%)とほぼ同じこと。
案の定、不登校と貧困には関連性が見出せます。
親が就学援助費を受給している者の比率は、不登校(傾向)のない生徒では8%ですが、不登校の生徒では29.3%。
不登校傾向の生徒でも、不登校二型は19.9%ですし、一番低い仮面登校Bですら15.2%と、二倍近い数字になっています。
親が生活保護を受けている者の比率は、不登校(傾向)のない生徒で0.4%なのにたいし、不登校の生徒では7.5%。
ほぼ19倍です。不登校二型では6.7%、教室外登校・部分登校・仮面登校A(※)でも2.8%となっていました。
(※)財団の発表した資料では、この三者がひとまとめになっています。両方に当てはまる家庭もあると思いますので、単純に数字を足すわけにはゆかないものの、不登校(傾向)の生徒に貧しい家庭の子が多いのは明らかでしょう。
しかし、もっと注目すべきはここから。
不登校(傾向)の生徒に見られる最大の特徴は、貧困ではないのです。
■学校に行きたくない理由トップ3
親に離婚歴がある者の比率は、不登校の生徒で39.4%。
以下、不登校二型で31.3%、教室外登校・部分登校・仮面登校Aで26.6%、仮面登校Bで15.6%となります。
親自身が不登校だった者の比率は、不登校の生徒で34.3%、不登校二型で24.1%、教室外登校・部分登校・仮面登校Aで19.6%、仮面登校Bで6.4%。
経済的事情がらみの項目より、全体として明らかに高い。
親が家庭をうまく築けなかったり、学校にたいして否定的な態度を取ったりすることのほうが、不登校の原因としては大きいのです。
さらに、学校に行きたくない理由トップ3は以下の通り。
不登校の生徒
1位・・・朝、起きられない
2位・・・疲れる
3位・・・学校に行こうとすると、体調が悪くなる

不登校二型の生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・自分でもよく分からない

教室外登校・部分登校・仮面登校Aの生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・授業がよく分からない・ついて行けない

仮面登校Bの生徒
1位・・・疲れる
2位・・・朝、起きられない
3位・・・学校に行く意味が分からない

この結果は何を示しているのか? 必然としての「学校疲れ」
そうです。
中学生たちは、勉強がイヤだとか、いじめられるとかいった理由で学校に行かなくなるというより、そもそも身体が学校を拒否している状態にあると評さねばなりません。
学校に行こうとしただけで疲れてしまう感じですね。
「自分でもよく分からない」「学校に行く意味が分からない」「授業がよく分からない・ついて行けない」といった答えにも、精神的な疲労感がうかがわれる。
三つすべてに「分からない」というフレーズが出てきますが、分からないことを無理に考えようとすれば、頭が疲れるのは自明の理。
不登校(傾向)の子どもは、学校に関連したことで、頭や身体を使うのがおっくうなのです。
とはいえ、どうしてそんな学校がおっくうなのか?
  ここで想起されるべきは、物事にたいして取り組むだけの価値を見出せず、「いくらやってもムダ」と失望したとき、人は疲れをおぼえて、おっくうになること。
この点については、BEST T! MESの記事「2010年代末、世界はみな疲れている」で論じましたので、詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、子どもたちは学校に失望したあげく、わざわざ行くだけの価値を見出すことができずにいるのではないでしょうか。
となれば、必然的に登校するのがおっくうになる。不登校(傾向)が増えて当たり前です。
さしずめ「学校疲れ」というところ。
とはいえ、これは必然の帰結にすぎません。
なぜか。
戦後日本において、義務教育は本来成立しえないのです! 次節ではその理由をご説明しましょう。義務教育とは国家への義務だ。
日本国憲法の第26条2項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と記されています。
しかし、ちょっと考えてみましょう。
この「義務」とは、いったい何にたいする義務でしょうか?
  個々の国民が「その保護する子女」、つまり子どもにたいして、義務を負っているとは考えられません。
第26条2項は、国民が「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」を負うと述べているのであって、「普通教育を受けさせる義務」を当の子女に負うと述べているわけではないからです。
ついでにこれは、憲法の第三章「国民の権利及び義務」(第10条~第40条)の一項目。
他の項目では、請願権、思想・良心の自由、学問の自由、勤労の権利義務、財産権、裁判を受ける権利などが定められています。
これらの権利や義務が、国家にたいするものなのは明らかでしょう。
すなわち義務教育の「義務」も、国家にたいするもの。
国の発展・繁栄のために、子供を勉強させ、能力を伸ばす義務を、国民は国家にたいして負っているのです。
だからこそ戦前の日本では、天皇が教育の理想や目的を謳った「教育勅語」があった次第。
しかるに近著『平和主義は貧困への道 対米従属の爽快な末路』で論じたとおり、戦後のわが国は、国家の否定を旨とする独特の平和主義のうえに成り立っています。
勉強は国の発展や繁栄のために果たすべき義務だ! 
──などという発想が受け入れられるはずはありません。

■平和主義は学校崩壊への道 それでも1970年代ぐらいまでは、勉強は豊かになるための効率的な手段だと構えることで、この点をカバーできました。
家庭が貧しくても、学校に行って頑張れば、いい大学や会社に入って出世できるというアレです。
しかし今や、学校の成績が親の所得によって大きく左右されるのは常識となって久しい。
学校に行く意味が分からなくて当たり前ではないでしょうか? 
また教育勅語に「父母に孝に、兄弟(けいてい)に友に、夫婦相和し」という一節があるとおり、「国の発展・繁栄のために勉強して優秀にならねばならない」という発想は、「国の発展・繁栄のために家庭円満を心がけねばならない」という発想とも重なり合う。
家庭が社会の基本的な単位である以上、いくら勉強して個人レベルで優秀になっても、家庭が崩壊状態というのでは、社会は安定せず、国の発展・繁栄もありえません。
だからこそ昔から「修身整家治国平天下(しゅうしん・せいけ・ちこく・へいてんか)」なる表現があるのです。
天下を取るには、まず自分が立派な行いをできるようになり(修身)、次に家庭を整え(整家)、続いて国家の経世済民を達成する(治国)という手順を踏まねばならないという意味ですよ。
しかるに戦後日本型の平和主義は、「家」についても、封建的・抑圧的だという理由で否定してしまいました。
親に離婚歴や不登校の過去がある生徒が、不登校(傾向)になりやすいのも、こう考えればよく分かる。
離婚は「整家」の否定ですし、不登校の過去は「(学校を通じた)修身」の否定ではありませんか。
学校に行こうという気になるわけがないでしょう。
ダメ押しというべきか、新自由主義に起因する貧困化と格差拡大のせいで、貧困層の子供たちにとり、勉強は豊かになるための手段ですらなくなった。
ところが新自由主義は、経済にたいする政府(つまり国家)の関与を否定したがる点で、平和主義と相性が良いとくる。
日本財団の調査は、平和主義が学校崩壊への道でもあることを示しているのです!! 
・・・しかも、わが国の義務教育が直面している問題は、これだけではありません。
後編ではそちらを取り上げましょう。
〔2019年2/13(水) 文/佐藤 健志 Best Time〕

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