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出席日数

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2020年6月19日 (金) 14:02時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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出席日数

東京アラートと学校再閉鎖リスク
日本の教育はアジア(写真は中国)各国の後塵を拝するようになってしまうのか
今回の本題に入る前に、6月2日、つまり東京都内で多くの公立学校が約3か月ぶりに授業を再開した翌日、都知事は「東京アラート」なるものの発動を宣言しました。
東京アラートの詳細は別稿としましょう。それとは別に、「あのレインボーブリッジの赤いライトアップ、何とかならないものか?」と思われた読者はおられませんか。
真っ赤な橋や都庁舎の画像はネットで目にしましたが、かなり最低なPRと個人的には思っています。
そんなことより、再開した学校で一人子供の感染が出たら、その学校はどうなるのか? 
そうしたら、同級生たちの学習指導はどうなってしまうのか? ?
  その子たちの「出席日数」などは、どのようにカウントされることになるのか? ? ?
  私立の学校では、体育も含め授業を全面遠隔化(https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2006/03/news038.html)というケースも出てきています。
また私自身も所属する東京大学はすべての講義、演習が全面遠隔のまま、つつがなく進んでいます。
しかし、日本全国の大半の学校では、そのような対策は採られていません。
「東京アラート」と共に、第一に考えるべきことは、経済復活と並行して、こうした学校、教育の問題など、質実剛健な本質であって、レインボーブリッジなど赤く照らしている場合ではありません。
現状の「広告代理店政治」の最も子供だまし的なものとして、各国大学の同僚と顔を見合わせているのが、このライトアップであり、あるいはブルーインパルスの「感謝飛行」です。
はっきり言って、実際のコロナウイルス抑制には一切、効果も意味もありません。
単にPR、つまり典型的な「ポストトゥルース」です。
「子供でもよく分かるように、レインボーブリッジをライトアップするんですよ」などという声が聞こえてきそうですが、全国の子供は深夜23時に点灯された赤いレインボーブリッジを目視しません。
すべてメディアを通じてのみ目にするわけで、もっと効果的できちんとした警戒の呼びかけ、対策の徹底はいくらでもできるはずです。
要するに、意味がありません。
やるのなら、いま感染者が出まくっている新宿の歓楽街などをマッカッカに照らした方が、はるかに抑制効果はあるでしょう。
まあ、やれるわけありませんが、そういうコンテンツをメディア配信はできるかもしれません。
どこかで決定的に本質とズレた「見世物」になっている。
その背景には、新型コロナウイルス感染症のパンデミック抑え込みそのものよりも、それに付随して動く民意や大衆感情、選挙も含む人気取りといった、真実=トゥルースを置いてけぼりにしたポストトゥルースの「ショーアップ」と、その周りのビジネスばかり問題にしているのではないか?
  似て非なる空洞化が教育現場でも起きかけています。
「東京アラート」をきっかけに、すでに空洞化して久しい日本の教育の「コロナ崩壊」リスクを検討してみましょう。
■「出欠」の違いは校長の匙加減次第? 
日本の小中学校は、入学さえすれば、1日も登校しなくても卒業できてしまうという現実は、どの程度社会に共有されているでしょうか? 
本稿の結論を先に記してしまいます。
コロナで学力崩壊が起きても、ことなかれ主義的に各地の学校で校長が「修了」「卒業」を濫発すれば、日本の学校は学習に関しては完全に無意味なトンネルと化してしまう。
2020年代ポストコロナの世界趨勢から、完全に取り残されてしまう危険性が高い。
この問題の背景を「不登校」「出席扱い」などのキーワードから考えてみます。
コロナ以前から、不登校は日本の教育の大きな問題であり続けていました。
2019年10月、文部科学省は不登校児童の支援について新たな考え方
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm)を示しています。
そこでの基本的な考え方、その変化は、従来は「是が非でも復学」と、登校させることに重点が置かれていたものが「出席扱い」を増やすことで「現実的に対応」する方向に転じたというものです。
文科省の示した具体的なケースは3つに大別されます。

  • 義務教育の不登校生が学校外で指導を受けている場合
  • 高校の不登校生が学校外で指導を受けている場合
  • 義務教育の不登校生が自宅でICT等を使って学習活動を行った場合

これらに関して、欠席している生徒を「出席扱い」にできるとする判断基準を「ビフォーコロナ」から準備していた。
これとコロナが被ってきているわけです。
また、従来から法定伝染病に罹患した児童生徒には「出席停止」の措置が取られ、この場合も「出席扱い」となるため、皆勤賞、精勤賞に影響しないといった判断が下されていた。
そこにもってきて、このコロナ・パンデミックの状況となりました。
6月1日、文部科学省は、「保護者からコロナが不安と相談があった際、合理的な理由があれば欠席扱いとしない」
https://www.jiji.com/jc/article? k=2020060100731&g=soc)とする見解を全国の教育委員会に示しました。
この「合理的な理由」が微妙です。
「感染経路が不明な患者が急激に増えている」「ぜんそくなど基礎疾患がある」といった「事情」があれば、

  • 内申書を通じて入試などにも影響しうる「欠席」ではなく
  • 校長が出席しなくてもよいと認める「出席停止」として

扱うことができる、としているわけです。
■出席日数は修了要件ではない
内申などに影響を及ぼすとして問題視される「出席日数」ですが、まず年間の授業日から押さえておきましょう。
授業日は、おおまかに「200日程度」と考えられます。
少ないところだと190日とか、多いと209日とか、若干のデコボコがある。
ここでとりわけ義務教育ではなく、公立の高等学校については、修了すなわち進級のためには「年間133日程度」の出席が求められています。
逆に言えば60日以上の「欠席」があると、留年などの可能性が出てきます。
この「出席日数」について「合理的な理由」があれば、校長の判断で「出席停止扱い」にできる。
つまり学校に来なくても出席していると書類上の取り扱いが可能になる・・・。
昨今の日本国内の混乱した状況を見る見つけ、この措置の光と影の双方が目に浮かんでくるように思われます。
高等学校の場合、出欠は校長の匙加減次第で決めることができてしまうわけです。
まともな運用になれば、と思いますが、まともでない運用になってしまうと、要するに面倒がありそうなケースは「ハイハイ」とみんな出席扱いなどになりかねない。
何かと「ことなかれ」が大好きな日本社会です。
もしそんな、トンネルみたいな学校になってしまうと、学力は、次世代を担う日本人の知性は、どこに行ってしまうのか? 
教科を教えるはずの「学校」というものは、いったい何なのか、という根本を問わねばなりません。
留年については、1年の授業日のうち3分の2を割り込む出席率しかない場合「原級留置」と定められているケースが大半とのこと。
高等学校の場合、こうした点が様々な意味で効いてくる可能性が従来はあった。
でも「出席扱い」が濫発されてしまうと、猫も杓子も進級卒業で、学力はなし崩しになりかねない。シリアスな状況です。
では、小中学校ではシリアスではないのでしょうか? 
■義務教育の卒業は校長の匙加減次第
実は、義務教育にはもっと別の意味で深刻な「日本の教育の落とし穴」がぽっかりと口を開けています。
それが、冒頭にも記した空洞化にほかなりません。
日本の小中学校は、入学さえすれば、1日も通学しなくても、卒業することができます。
これは、重い病気で入院生活を強いられている子供のケースなどを考えれば、合理的に納得できるところでもあります。
具体的には、例えば小学校の場合、学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?
  lawId=322M40000080011_20170401_999M40000080011&openerCode=1)が根拠を与えている。
第五十七条
小学校において、各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当たっては、児童の平素の成績を評価して、これを定めなければならない。
つまり「平素の成績を評価」とありますが、どう評価するかは記されていません。中学校についても同第七十九条に小学校と同様とあります。
では各小中学校課程の「修了」(進級)や「卒業」はどうなっているのでしょう? 
東京都立学校の運営規則(http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki/reiki_honbun/g101RG00002049.html)には
第二十五条
学校において、生徒の平素の成績を評価した結果、各学年の課程の修了または卒業を認めることができないと判定したときは、校長は、その生徒を原学年に留め置くことができる。
とあり、やはり「平素の成績を評価」した結果、何らかの「判断」があって「修了」なり「卒業」なりを決定するらしいけれど、その具体的な基準が実は明記されておらず、留年に関して「校長が判断」できることのみが記されている。
日本の教育が抱える様々な疾病の根本は、この自治体ごとに異なる「管理規則」にいずれも抽象的な表現でのみ記され、実態を欠くザル状態がもたらしていると考えて大きく外れないと思われます。
ガンは、「学力」に関するどのような定めもないことにあります。
どれだけ成績が振るわなくても「良い子だから」といった「平素」の成績を「評価」すると、みんなと仲良く進級できる仕組みになっている。
また、誰か一人が置いてけぼりになると「可哀そう」だといった意見が、相当大きな声でまかり通る。
いま、これ式のやり方で、小学校1年最初の2か月、「あいうえお」も「1+1」も分からないまま、大半の子供が横並びで「良い子」として進級して行き、ことなかれ式で小学校卒業、義務教育課程修了と、形だけ進んで行く事態になりかねない。
その可能性は残念ながら決して低くないわけです。その結果、コロナに起因する日本全体の学力総崩れにつながってしまう。
それこそ、レインボーブリッジを赤くライトアップしないと危機感にリアリティが持てない大人には分からないのかもしれません。
しかし、橋が赤いからといって悪趣味なだけだし、本当にリスクを理解できる人には、電気の無駄遣いは何の意味も持ちません。
日本が本格的に、台湾や韓国、また中国沿岸部など、東アジア先進圏の中で取り残され、シャッター商店街列島化する直線経路になってしまいかねない。
いまから73年前、ベビーブームで赤ん坊が生まれまくっていた昭和22年制定の学校教育法指導規則は、そろそろ完全に役に立たなくなっています。
新たに国を建てていく骨太の新たな制度設計が必須不可欠です。
〔2020年6/5(金) JBpress伊東 乾〕

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