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磯村暖

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==磯村暖==
ページ名[[磯村暖]]、(人物紹介、ひきこもりの経験者) <br>
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'''医学部志望から藝大満票合格へ。魂の叫びに従い社会課題を描く現代美術家 #30UNDER30'''<br>
 
'''医学部志望から藝大満票合格へ。魂の叫びに従い社会課題を描く現代美術家 #30UNDER30'''<br>
 
現代美術家 磯村 暖 <br>
 
現代美術家 磯村 暖 <br>
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僕は、人間はただそこにいるだけで肯定される価値があると思っているので、そうではない環境に置かれている人たちのために、何かアクションを起こせたら。<br>
 
僕は、人間はただそこにいるだけで肯定される価値があると思っているので、そうではない環境に置かれている人たちのために、何かアクションを起こせたら。<br>
 
人はそこにいるだけで価値があると作品を通して伝えたい」<br>
 
人はそこにいるだけで価値があると作品を通して伝えたい」<br>
美術家は投資家や権力者、そして同時に絶望の淵に追いやられている人たちともつながることができ、フラットなコミュニケーションをとることもできる。やれることは多い。<br>
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美術家は投資家や権力者、そして同時に絶望の淵に追いやられている人たちともつながることができ、フラットなコミュニケーションをとることもできる。<br>
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やれることは多い。<br>
 
「世の中では美術を享受できている人はまだ限られている。<br>
 
「世の中では美術を享受できている人はまだ限られている。<br>
 
僕が絵を描くことに救われたように、今後は美術に触れる場づくりもしていきたい」<br>
 
僕が絵を描くことに救われたように、今後は美術に触れる場づくりもしていきたい」<br>
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〔2019年8/27(火)Forbes JAPAN編集部〕 <br>
 
〔2019年8/27(火)Forbes JAPAN編集部〕 <br>
  
[[Category:ひきこもり周辺ニュース|いそむらだん]]  
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[[Category:ひきこもりの経験者|いそむらだん]]
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[[Category:Forbes JAPAN|いそむらだん]]

2019年12月5日 (木) 08:52時点における最新版

磯村暖

医学部志望から藝大満票合格へ。魂の叫びに従い社会課題を描く現代美術家 #30UNDER30
現代美術家 磯村 暖
アトリエに所狭しと並ぶカオティックな作品群。
制作したのは、鮮やかなブルーの髪の毛が印象的な現代美術家・磯村 暖だ。
独学で多摩美術大学に一発合格。翌年に挑んだ東京藝術大学の入試では、審査員である教授たちが磯村の作品に満票を投じた。
現在は国内外の展示会出品のために各地を飛び回り、この9月からはAsian Cultural Councilのフェローに選ばれ、ニューヨークに拠点を移すことが決定している。
Forbes JAPANは、そんな磯村を30歳未満の世界を変える人物を表彰する「30 UNDER 30 JAPAN 2019」アート部門受賞者のひとりに選出した。
彼がテーマにするのは、「民衆の芸術(フォークアート)」だ。
例えば、彼の代表作のひとつである彫刻「地獄の亡者像」は、タイの寺院に設置されていたフォークアートへのオマージュ。
なかには、「同性愛の罪」や「国籍を持たない罪」と書かれた像もある。
「いったい誰のための地獄なのか、彼らにその苦しみを味わう必要があるのか」──。
居場所を奪われた側に寄り添い、民衆に共感の眼差しを向ける。
彼がこうしたLGBTQへの差別や難民などの社会問題を反映した作品づくりをするのには理由がある。
「自分にはずっと居場所がなかった」と語る彼は、ずっと美術をやりたいという本当の気持ちを押し殺し続け、一度限界を見た。
そんな磯村は、いまの活躍に至るまで、どんな道を歩んできたのか。
ずっと居場所のない「カビ人間」だった
「絵ばかり描いていました。一生布団から出られないカビ人間の気分で。
居場所がなくて、僕自身がずっと追いやられる側だったんです」
小さいころから絵を描くのは好きだったが、その場所はいつも布団の中だった。
5歳で両親が別居。以来、東大出身の医師である父と姉と暮らしていたが、小学生のころはいつも喘息の発作に悩まされ、いつしか外に出られなくなった。
それでも医師の父から「病院に行く必要はない」と言われ、発作で夜も眠れず無気力状態の日々が続いた。
不登校から留学へ
「小学校6年生で不登校になりました。体調が悪くて、学校に行ったり友達と話したりする元気が湧いてこなかったんです。
体は動かないし、眠れないから頭も働かない。テレビを見ながら絵を描いて、ひたすら犬と過ごしていました」
当時は将来のことなど考える余裕もなく、夢も希望もなかった。
保護者である父は多忙で、養育やコミュニケーションもままならず、家庭内でありながら常に孤独と緊張を強いられ、居場所がないと感じていた。
引きこもりが長くなると、線すらまっすぐ引けなくなって絵も次第に描けなくなった。
そんな生活から抜け出そうと、離れて暮らしていた母の導きで13歳のときにオーストラリアに単身留学を決めたことが転機となる。
そこは小学5年生のときに一度旅行で数日訪れた場所だった。
「不思議なことにあんなにひどかった喘息が、オーストラリアでは起きなかったんです。
久しぶりに深呼吸できて頭がすっきりした。最初は英語はまったく話せなかったけど、日本の学校の時よりも生き生きと過ごせました。
ご飯も美味しく感じられて、やっと『生きている』と実感しました」
オーストラリアで過ごしたのは13歳から15歳まで。居場所もあるし、健康にもなったことで、将来を考えられるようになった。
友達もできて、もう日本に帰らなくていいとも思ったが、だんだんと「逃げてきた日本でもう一度やり直したい」という気持ちが強くなった。
家族として受け入れてもらうために医師を目指す
そして、高校入学を機に帰国。
母と暮らしたいという願いは叶ったが、「今度はわがままを聞いてくれた母に親孝行をしなければ」と思い、母の希望を聞いて父と同じ医師への道を歩もうと決意する。
「東大理Ⅲに入って父と同じ医師になる」。それが高校時代の磯村の大きな目標になった。
「ずっと絵は描き続けていたし、美術がやりたくて美術系高校の説明会にも行きましたが、母に強く反対されました。
母には感謝もあったし、僕が家族として受け入れてもらうには立派な理由が必要だと思い込んでいた。
期待に応えたい、東大理Ⅲに入れなければ自分は幸せになれないと思い込んでいました」
その後、都立の進学校に進んだ磯村は、学外の友達と原宿や渋谷へ遊びに行くようになる。
一緒に遊んでいた学外の友達は、東大を目指してなどいなかったが、生き生きとやりたいことに没頭していた。
その姿を見て「洗脳が解けた」。
抑えきれない心の声
東大を目指さなければならない状況と本当にやりたいことの狭間でもがいたが、高校3年生の冬、「美術をやりたい」という心の声が無視できないほどに大きくなった。
「人って、何かやりたいことを目標にしたり、それを叶えるために努力したりしながら生きていると思うんですけど、その時は自分のやりたいことにフタをしすぎちゃってたから、またあのころみたいなカビ人間に戻ってしまった。
あまりにも心の声を抑え過ぎて、こんなの自分の人生じゃないと絶望していました」
死にたくなるような人生だけど、美術をやれる人生だったら生きていく覚悟が自分にはあるか。
それを真摯に問うた結果、どうしても美術がやりたいと心に決め、反対する母を命を懸けて説得した。
その結果、高3の冬、すでにセンター試験の願書も出した後に、そのまま美術系の予備校にも行かず、ほとんど準備もせずに受けた多摩美術大学に一発合格。
念願だった美術の道へと踏み出し、息を吹き返した。
その1年後には、藝大も受験。見事審査員の満票を獲得して合格した。
「僕は魂から描きたくて描いているんだぞっていう気持ちでした。
整えられた絵よりも自分の絵の方を教授たちもきっと面白がってくれると思っていました」
心置きなく美術の制作ができる環境を手に入れた磯村は、「新しい人生を手に入れたような気分。描いていいし、描けるし、つくっていいのが嬉しくて、体力が続く限り毎日描きまくりました」。
美術家となったいまは「毎日が楽しくて仕方がない」という。
追いやられた側に立ったからわかること
磯村がテーマにするのは、民衆の芸術だ。
「王様が描かせたような絵画よりも、自然発生的に民衆が発展させていった美術に興味がある。
そういうものは、社会の思想や変動を如実に反映していたり、連動していたりするから」だ。
幼いころから家庭にも学校にも居場所がなかった。
オーストラリアの留学では、東洋人ということで人種差別にもあった。
そんな経験から、自分がつらいときに手を差し伸べてくれた人の優しさが心に染み、自分と同じようにつらいと感じている人の気持ちもわかるようになった。
「それまでは、社会問題をアートにするのは不純かもしれないと思っていたけれど、2016年にイギリスの欧州連合離脱問題(ブレグジット)が出てきたときにゾッとしたんです。
これが決定したら、人々の中に潜んでいる差別的な感覚が助長されるのではないかと思って。日本も無関係ではないと。
それ以来、自然にそういうテーマが増えていきました」
そこにいるだけで価値がある
その延長が彫刻「地獄の亡者」シリーズだった。
以来、難民やLGBTQなど、気がつけば居場所を追われた人々に寄り添う作品をつくり続けている。
「アートは自分が絶好調のときでも、絶不調のときでも唯一できること。
なので、それができるようになったいまがとても幸せだと感じている。
僕は、人間はただそこにいるだけで肯定される価値があると思っているので、そうではない環境に置かれている人たちのために、何かアクションを起こせたら。
人はそこにいるだけで価値があると作品を通して伝えたい」
美術家は投資家や権力者、そして同時に絶望の淵に追いやられている人たちともつながることができ、フラットなコミュニケーションをとることもできる。
やれることは多い。
「世の中では美術を享受できている人はまだ限られている。
僕が絵を描くことに救われたように、今後は美術に触れる場づくりもしていきたい」
いそむら・だん◎1992年東京生まれ。
東京藝術大学卒。Asian Cultural Councilのフェローに選ばれ、2019年9月からニューヨークを拠点に活動予定。
〔2019年8/27(火)Forbes JAPAN編集部〕

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