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Center:2008年4月ーアスペルガー的自閉傾向の理解(試論)

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目次

アスペルガー的な自閉傾向の理解(試論)

〔『ひきコミ』第55号=2008年4月号に掲載〕 

(1)鈍感であるとともに繊細である

アスペルガー的な自閉傾向の人のばあい、周囲の人の感情がよくわからないといわれています。
事実、私はそういう場面に出くわしたことがあります。
私が見たのは「一緒にしませんか」という提案をされて「そんなの大嫌いです」とつっけんどんな返事をしていました。
その一方で別の面も感じます。
アスペルガー的な自閉傾向の人というよりは、引きこもりの人たちのもつ感性・感受性の鋭さ、繊細性です。
アスペルガー 的な自閉傾向と引きこもりは同一とはいいませんが、私には相当程度に重なる人もいると思えるのです。
すなわちアスペルガー的な自閉傾向の人は、他人の感情に対して鈍感であるばかりではなく、敏感でもあるということになります。
私はこれまで引きこもり経験がある人たちの繊細さを多く語ってきました。
その一方、発達障害の一類型であるアスペルガー症候群のところで、彼(女)らの、「他者の感情がわからない」というのをきき、そして実際にそのような事例もみて、たしかにそうも言えると感じています。
そして私自身です。
発達障害の学習会に出てみて、私自身に自閉的な要素があるとわかりました。
そして少年期から大人になってからの経験のなかに、人の感情、気持ち、雰囲気が非常によくわかるときと、事態をのみこめずに困っていたときが併存しているのに気がついたのです。
事態をのみこめずに困っているときとは(要するにそれを説明するのもまた難しくなりますが)、たぶん一対一の関係で何かのことがすすめられていたときのように思います(自信はありません)。
多くのばあい、私はそれを論理性によって(ということは自分の利益を後まわしにした公平性によって)、理解しようとしてきたように思います。
若いころは、事態を紙の上に箇条書きをしてみて、それで何かすっきりした感じをもったことが何度かあります。
私はアスペルガー的自閉傾向の人、引きこもりを経験する人は、一方では繊細であり、他方では他者の感情がよくわからないという両面をもつ人間であるという理解のしかたが
「他者の感情がわかりづらい」という理解のしかたよりも、より全体状況を表わしているように思えるのです。

(2)成長過程では失うものもある

ここで私が教育書の編集者時代にある高校教師からきいた一言が思い出されます。
子どもは、成長し大人になる過程でいろいろなものを得るけれども、 同時に子ども時代にもっていたものをなくしていく、というのです。
この教師が言う、得ていくといういろいろなものには、知識や技術があるでしょう。
対人関係を通して得られる社会性があるでしょう。
身体的、精神的な力量もあるでしょう。
他にもあるような気がします。

では反対に成長の過程で何をなくしているのでしょうか。
たぶん自然にもっている生命維持機能のような気がします。
弱いが故に、子どもらしさによって 周囲の人から大事にされる要素がそれでしょう。
動物的な感性の強さ、他者の雰囲気が発する感情をかぎわける力、いわば本能的な生きる力を、遺伝的・先天的にもっていて、それが顕在化しているのが子どもなのだと思います。
この子どもがもつものを、成長とともに、知識や社会性や心身能力におきかえること、これが人間の成長に当たるように思えます。
アスペルガー的な自閉の人、引きこもりの人は、このような成長に伴う得るもの、失くすものの両面の要素が不足しているのです。
その意味で発達障害というのはある面では当たっています。
しかし、私はそれが全部ではないという気もしますので、「発達障害」という診断名称に十分に納得しているわけでもありません。
上のことを図示にしてみました。
この図表は、平均的な子どもと平均的な大人を示しています。個人差は捨象しています。
図で示したようにアスペルガー的自閉傾向の人とは、子どもらしい感性・感受性を成長してももちつづけている人ともいえるわけです。


大人になるというのは、一般的に対人関係や社会性の力が大きくなります。
知識・技術は、個人差が大きく、発達障害的であっても平均的な大人と大差はないように思います。
ただ一般論としてその知識や技術に現実社会とのつながりが欠けやすい面があります。
逆にいえば、現実社会とのつながりが少ないはずの 芸術・創作面が特長となって、現実社会から大きく評価されることはあります(評価されないこともより多くあります)。

(3)敏感度と鈍感度の分布表

もう一つ図表で考えてみましょう。
先ほどの図表は、子ども、大人、アスペルガー的自閉的な人の平均的な個体像で示したものです。

今度の図は、感性の敏感度というものを示します。
これは何ら調査によるものではなく、もし大人の人間の敏感度(=鈍感度)を調べれば、この表のように示されるだろうという想定図です。
平均分布表といわれるものです。
右端の、全体の5%程度の人が敏感度の高い人、左端の全体の5%程度の人が敏感度の低い人(鈍感度の高い人)ということになります。
全体の90%を占める中ほどの人たちが“普通の”敏感度をもった人になります。
おそらく大人においてはこのようになりますが、子どもの間ではこのような分布にはならず(未分化)、違ったものになると思います。
残念ながら私はそれを図表で示すことはできません。
アスペルガー的自閉の人は、両サイドの敏感な部分と鈍感な部分の両方をもっている人になるだろうと予測できることです。
それが子どもの分布図表を考えるときの1つの参考になるように思います。

(4)優れていても不便・不利に働く

なぜ、アスペルガー症候群の人が「他人の感情がよくわからない」と一方の面をとくにいわれるようになったのでしょうか。
そこを考えてみます。
たとえばIQ(知能指数)を参考にしてみよう。IQとは、
    で示されます。IQ指数90~110を平均的な人といいます。
そしてIQ=70以下を精神遅滞という一種の障害に入れます。
逆にIQ=130以上はどうなるのでしょうか。IQが平均的指数よりも相当程度高いことも一種のかたよりなのですが、それは障害には入りません。
「傾向の二つのかたよりのうち、社会生活に不都合なものが病的(障害)だと考える。病気(障害)とは、個人および集団にとって、有害なものをさすからである」
(宮城音弥『性格』岩波新書、1960年、なお私は病気につづいて[障害]という言葉を付けて引用しました)。

同じことが、アスペルガー症候群を理解するときに扱われたのです。
「他人の感情がよくわからない面」は障害として扱われるけれども、「他人の感情がわかりすぎる面」は障害とは扱われないのです。
ところが私が接する引きこもり経験者は実は「他人の感情がわかりすぎる」が故に、自分の感情や言動の抑制を図っているように思えます。
彼(女)らにとっては、この感情の繊細さは不都合に作用しているようにも思えるのです。
ここでは「わかりすぎる」のも障害なのかもしれません。
しかし、これを障害とか症候群として治療の対象にするよりは、そういう自分を認めていくことのほうが、一般的にはより重要であると私は考えているのです。
それがさらに二次的な困難をひき起こしているときは別でしょうが。
 

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