●文通番号20-05  第二の軸

ミズキ  [東京都八王子市 男 38歳 無職]

 ときおりマスコミ上で引きこもりを肯定的に評価する意見に出会うことがあります。曰く「引きこもりは内的成熟のプロセスである」「自分らしくある勇気と創造力を無意識に発酵させる時期」「孤独を深めたものだけが真の自分に出会える」……。いずれも勇気を与えてくれる、と同時に説得力に満ちた言葉です。

 私自身の場合を振り返ってみても、周囲に流されず孤独の時を獲ち取れたからこそ、今の自己肯定感と自信を取り戻せたのだと断言できます。何より社会に適応した人からこのような意見が出る、という事実に私は勇気を与えられるのです。

 かたや一部支援者による「一人でいても何も変わらない」などという「脅迫という弱さ」と発想の貧しさしか伝わってこないような言葉には悲しい思いを禁じえません。宮台真司の言葉を借りれば「中途半端な支援はむしろ、支援を必要とする人を大量に生み出す社会問題を放置するのに貢献しがち」で、支援者の「本人の意識さえ変われば引きこもりは解決」という姿勢は、社会の側にあるはずの要因をも隠蔽してしまうでしょう。

 不登校の場合には見られるような、多くの引きこもり者を生み出している構造にまで斬り込む視点を持った真の「支援」者の存在を私は残念ながらまだ聞いたことがありません。

 それが実は内なる自分の選び取った道であったことに気づくためには孤独と苦悩の時間が必要です。しかしこれは自己実現を目指す引きこもり者にとっては乗り越えるべき試練でしょう。これがしばしば医学的に見ても有害無益なブランクとなってしまう原因の一つは孤独そのものにあるのではなく、「孤独は不健康、不幸、悪でしかない」という周囲の脅しと非難がもたらすストレスにあるのではないでしょうか。

 さて、引きこもり問題を「社会」と「そこからドロップアウトした一部の若者」との間にあるギャップととらえる見方は、おそらく素直かつ一般的なものでしょう。しかし先に挙げたような2つの異なった立場からの意見を目にするにつれ、最近の私は、これとは別の「自己実現」と「社会適応」という第2の対立軸の存在を痛感するようになりました。

 多くの人にとって、この二つの目標を両立させることが不可能な理由が現在の社会システムにあることは「ひきコミ」誌上で今までにもしばしば指摘した通りです。引きこもり者にも「社会適応」を当面の目標とする人がいる一方、私のように「自己実現」を目指す者もいます。

 これと同様に事実上社会に適応しながら人生を送っている人たちの中にも「社会適応」指向の人と「自己実現」指向の人がいると思われます。社会自体の中にありながら普段はあまり表面化することのない、この両者を隔てるより根深いギャップは、引きこもり問題について活発に語られる場面で、より鮮やかに浮かび上がってきているのではないでしょうか。

 人間は時に社会の常識と戦いながら「より人間らしい生」を追求してきました。個人の自由を尊重し、社会適応より自己実現を重視する「実存主義」もその中から生み出されたものです。「引きこもり問題」をもこの人間追及の歴史の中に位置付けるセンスを私は支援者に期待してやみません。

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