労働といふは死ぬ事と見つけたり

清水大樹 会報『ひきこもり居場所たより2024年6月号』

新しいアイディアが浮かぶのは風呂、トイレ、寝床に居るときと相場が決まっているそうな。
先日夜中にふと目が覚めると、突然脳裏に言葉が奔った。
「世の中には話している相手の気持ちを汲もうとしない人のほうがずっと多いのではないか」。
なぜ自分は友人と話している時ですらひどく疲れるのか、逆になぜ自分以外の大抵の人間は他人と話していても疲れる様子がないのか。
長年疑問に思っていた問題に対してようやく一つの回答が得られた思いがした。
私は常に相手の言葉の裏にある感情や意図を読み取ろうとしながら聞き、この場はどういう言葉が求められているのかと頭をフル回転させながら話す、というのが当たり前になっている。
例えて言うなら常に現国の試験を受けている感覚だ。
「傍線部aの際の話者の心情についてn字以内で答えよ」(配点2)をひたすら解いているようなものだ。
だが実際の会話は試験とは違いじっくり考える暇などない。
次々と話題が展開していく。
だから限られた時間内に適切な回答をしなければならない。
そして相手は一人とは限らない。
話す相手が多くなるほどその処理はより複雑で高度なものになるから加速度的に疲労が増していく。
いつもそんな七面倒なことをしているから疲れるのだ。
そしてだからこそ独りになることがない。
自分で言うのも何だが、私はこれでけっこう友人には恵まれている。
大学時代だけは入学間もない頃に対人関係のトラブルが続いたことで人と接することを半ば拒否していたが、それでも親友と呼べる友人は出来たし、彼との交友関係は今でも続いている。
それは私が常に相手の言葉に誠実に向き合おうと努力してきたその姿勢を評価してくれる人がいるからだと思う。
だが一方で相手の感情を汲もうとしないタイプの人間もいる。何も考えていないとか、空気が読めないとかいった話ではない。
シンプルに、言葉は言葉、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
幽霊や死後の世界が存在しないのと同じように、存在を知覚できないものはそもそも存在しないと考える。
だから行間に込められた意図などないし、表向きの言葉の裏にある別の解釈などは存在しないのだ。
なるほどそうやって割り切って考えるのであれば相当負担は軽くなる。
そしておそらくそういうタイプのほうが多数派なのだろう。
だが私は相手の言葉の裏にあるものを読み取ろうと努力するのが当然だと思っているため、そこには大きな温度差ができる。
結果、自分はそうしているのに相手には自分の気持ちを汲んでもらえないと感じてしまう。
その時私にとって会話とは半ば相手への一方的な奉仕になっている。
結果、相手が私と話すのを快いと思ってくれていたとしても私の方は辟易してしまう。

それが分かったところで身に染み付いたものは変えられない。
今更言葉以上のものを受け取らないようにするということはできない。
ただやはり相手に多くを求めないようにしたほうが良いだろうとは思う。
勝手に期待することがなければ、勝手に失望することもない。
話は変わるが上の姉からPCとプリンタの無線接続が分からないのでやってほしいと頼まれて履歴書印刷を手伝った。
姉は以前から仕事を転々としており、昨年独学で保育士の資格を取って保育園で働き始めた。
だが女性の多い職場ならではのドロドロとした対人関係や、同僚が手のかかる子どもへ雑な対応をすることが嫌になってしまったそうだ。
一度はまた別の保育園に勤めたものの、結局以前やっていた事務の仕事に戻るつもりらしい。
そういったことを何度か繰り返しているから職歴の欄がずいぶん多い。
一般的にはこうして職を転々としていることはあまりプラスには見られないだろう。
ただそれが私には納得行かない。
「傷は男の勲章だ」というのなら、この経歴の「キズ」も勲章ではないのか?
少なくとも私には真似できない。
前の仕事をやめてからもう一度就職を決意するまで五年かかった。
姉は少し、いやかなり抜けている所の多い人ではあるが、その立ち直りと切り替えの早さは尊敬している。
そうやって他人のことを尊敬している暇があったらさっさと自分の仕事を決めろという話ではある。
それでもようやくここへ来て決意が固まってきた。
よくよく考えてみれば腹を括るのも首を括るのも大して変わらないではないか。
首より前にここはひとつ腹を括ってみよう。
その順番を逆にはできないので仕方ない。
駄目だったらその時こそ首を括れば良いのだから。
労働といふは死ぬ事と見つけたり。

近況報告 ーmasa (2024年6月14日)

中学 1 年生のときに摂食障害(嘔吐なしの過食症)、高3でうつ病と対人恐怖症(今でいう 社交不安障害)になり、長年苦しんできましたが、 50 代になった現在は、過食の症状はず いぶんと落ち着いてきています。

それでも 1 ヶ月に 1 回ほどむちゃ食いをしてしまいます が…。 うつ病も少しずつ改善してきていますが、今は社交不安障害がいちばん苦しいです。

子ども がまだ小2 なのでママ友づきあいやPTA、習いごとの送迎など、人と関わる機会があると 神経がすり減ります。

どうして自分はこんなに人と話すのが怖くて下手なんだろう…と落ち込むことが多いです が、自分なりに気分転換したり、家族の存在にホッとしたり…そういう時間を大切にしなが らなんとか乗り切っています。

「ご利用のしかた」を書き直しました

*投稿を募集しています=編集室から

不登校やひきこもりの体験、いじめや虐待を受けた、対人コミュニケーションがむずかしく感じる人などからの投稿をお待ちしています。

1.投稿はメールによります(メルアドは下記に↓)。名前、住所、年齢、性別・ジェンダー、職業・状態(無職、自宅生活、高校生、通院中なども可)を書いてください。安全のため本人確認をする郵便物を送ることがあります。

1-2.サイトに掲載するためにペンネーム、年齢、発表できる住所(都道府県名など)、性別・ジェンダーを書いてください。

2.掲載中の投稿への問い合わせや返事をメールでするときも投稿と同じように名前、住所、年齢、性別・ジェンダー、職業・状態(無職、自宅生活、通院中なども可)を書いてください。これは原則としてこのサイトに掲載するためです。

3.投稿者と文通をしたい、相談をしたいときは、文通番号・掲載日・名前などで相手先を確定してください。手紙で相談するときは転送用に84円切手3枚を同封してください。安全のため本人確認をする郵便物を送ることがあります。手紙相談などの場合はサイトに掲載しません。

〔宛先〕 〒132-0035 東京都江戸川区平井3-10-4  不登校情報センター  TEL/03-5875-3730  FAX/03-5875-3731 メール/open@futoko.info

いじめを受け人と話すのが怖くなった経験 ー(文通ボランティア、東北地域在住、30代)

私は、小学生の時に母を病気で亡くしました。
そして、父親が再婚をして再婚相手の人には子供がいたのでその子も一緒に4人で住む形になりました。
私の住んでいた地域は狭く保育園から小学校、中学校まではそのままのクラスメイトでした。
母が亡くなり、再婚相手との生活でストレスがあったのと同時に、家庭環境がきっかけでいじめに遭い、親からも虐待を受け不登校になり引きこもりになりました。
当時の私は泣くことしか出来なくて、誰にも心が開けなくなり自分の殻にこもり人と話すのが怖くなりました。
そして、精神疾患を患いました。
月日が流れ私は隣町の祖父母の家に預けられました。そこで新しい生活が始まりました。
だけど自分の気持ちを話せなかったので、自傷行為をする事でしか気持ちを表現出来ませんでした。
ですが、ここの街で知り合った人や祖父母や叔父のおかげで少しずつ笑えるようになり、自分の気持ちも話せるようになりました。
精神疾患を患った事で、親戚から心無い言葉をなげかけらる事もしばしばありますが、自分を大切に出来るように最近はなりました。
祖父母は、他界しましたが私に大切な事を残してくれたと思ってます。
最後に、今不登校やイジメで悩んでる人へ。苦しい時は、泣いていいんです。
辛い時は叫んで大丈夫。声をあげることで手を差し伸べてくれる人は、必ずいます。
悩んだ分思いきり笑える日が来ます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。


文通を希望しています。お便りを待っています。

〔2024年3月10日〕

4世代・約100年の子育て環境の変化=いろは(仮名)

70年代生まれの子育て中のママさんからメールをもらいました。
ご自分の子育て環境状態を書いてもらっていますが、あわせて4世代(曾祖母→祖母→母→私)・約100年の子育て環境の変化も書いてくれました。現在の子育てママの環境条件をこれらの対比からも鮮明にしてくれます。(松田武己)

〔曾祖母〕 明治産まれ。戦前、戦中、戦後の子育てです。都市域から離れた地域で農業の生活。一族のつながりのある暮らし。10人程の子どもを産み、上の子どもほど労働力だったようです。
祖母の子ども時代は蕎麦作りや馬のお世話など家の手伝いをしながら年の近いきょうだいや村の仲間と豊かな自然で遊んでいたようです。

〔祖母〕 昭和元年産まれ。戦後の子育てです。仕事のある都市近郊に移ります。子どもは二人です。祖母のきょうだいのうち何人かは比較的近い地域に散在していました。デリケートな祖母はきょうだいと会い話す事が心の拠り所だったようです。祖母の夫である祖父は幼少時代、母元から離れ養子として暮らした不遇な時期がありました。

〔母〕 昭和20年代産まれ。比較的近い地域の農業一族の村で育ちました。きょうだいは二人です。母の父親は母が産まれてすぐ亡くなったため女手一つで育ちました。亡くなった父の一族の繋がりのある土地柄で育ち、親戚には恵まれていたようです。私を含め、二人の子どもを産みました。
私の子ども時代、二人の祖母宅でいとこ達とよく遊びました。まだ、ゲーム機はなく、自然に外遊びすることが多かったです。外は子ども達の声が響く遊び場でした。私は道路で自由に遊び、友達とブロックの壁を登り降りしながら追いかけっこをしたり、農地で蓮花摘みをしました。流れが早く広い川へ行き、水際で石を投げてたり薄暗い森にも入りました。今、思うと危険な場所、誰かの私有地、公共の場ですが、外遊びは当たり前で、注意を受けた事がないです。

〔私〕1970年代生まれの団塊ジュニアで、今も子育て中です。
子どもがまだ小さい頃、住まいの地区には子どもがいて毎日暗くなるまで遊んでいました。地区の子ども達は順に中学に上がったことで子どもがいなくなり、この数年はコロナや夏の猛暑をきっかけにしてさらに外遊びする子どもが激減しました。
子どもは外遊びしない・出来ないです。自由に遊んでよかった外の世界は、誰かの私有地に変わっていました。「危ないよ」「そこは入らない」、他のお母さん達が注意する事をさせられず、外の世界で自由を満喫した子ども時代を過ごした私にとって注意して回る事の多さに心が痛みました。

女性は自己実現のためだけに働くのではないと思いました。核家族で地域との繋がりが希薄であれば、働きに出るしかないようです。得られるのは様々な安心です。自分の安定、子どもは保育の先生に預けられ、習い事も用意でき単独育児ではならない安心。住宅費、レジャー費、老後の資金の安心。働いてレジャーを買い家族で楽しむ、こういうレールしかないです。逆にこうでないと親子ともに孤独に陥ってしまうように感じます。

子育ては自分自身が安定していること、働けること、経済力、安定した親、親類、親がいなければ誰かが助けてくれるような人柄がないとできない難行になっていると思います。母子にこれらがないと敵地に立っているような感覚になります。昭和の寛容な外の世界も、子どもにお節介する人もいない。親が人間関係が苦手でも、昔は子ども一人で出掛ける世界がありました。今はなく、親の持つもので子どもの人生が決まってしまうこわさがあります。

今は一人で生活を回していく自活力を求められるので、どうしても母子ともに評価に出会ってしまいます。母、子ともに性質や行いに対して、いい悪いを無視したところで大事にされる準備期間がなくなってしまいました。大事にされるとは、未熟な部分こそ大事にされ、想いを感じ取られ、共有し、評価されずに、認められる、守られる体験だと思います。こういったものが得られにくくなりました。

私は話を聞いてくれるある場で、毎回涙しか出ず泣き続けました。どれほどに孤独で、それでも踏ん張っているか、踏ん張った分の涙で溢れました。そんな事は誰も知りません。自活しきれていない私の行いは直すところだらけのようでした。
生きていく中の悩み、育児の悩みは自分一人だけで作ったものではないです。ここには上の代から引き継いだ思い残しを貰った自分がいます。人生に悲観していない、熱くて温かい血の流れを感じています。

怖くても自分を出したのがきっかけ AH(東京在住)

私は73歳、50歳位までひきこもりでした。いまはすっかりよくなり幸せな毎日を送っています。ひきこもり当時のつらさはよくわかります。
3歳位までに人間の脳は出来上がると言われています。3歳位までのことを思い出してみよう。我慢して生きてこなかったか?
いじめはきっかけであって本質ではない。私の場合は2歳の時に妹がうまれ、私はおばあちゃんおじいちゃんの所で寝かされました。
母親がいなければ夜も日も明けない頃です。見捨てられる恐怖をいやというほど味わいました。誰も助けてくれない、理解してもくれない2歳の幼児には自分を自分で守ることはできない。自分の感情で生きられない。人に受け入れてもらえるか否かで生きている。よく思われたい中毒で心はボロボロ。
自分であってはいけない、愛されないと思い込んでいる。我慢強く言うことをよく聞く。人間関係のスタートは親子関係です。
実際の自分の感情にならなければよくならないのです。人はけして嫌わない(嫌われる恐怖が強い)。
人と心が触れあえば依存性から自立性へと成長できる。これが信じられるか否かなのです。恐怖を抱えながら自分を出したときそれが受け入れられた。これがきっかけでした。
人と人との心の触れあいを知らない、たから人が怖いのです。自己実現した人との中で自分を出してください。必ずよくなります。

文通を希望しています。お便りを待っています。

カツアゲを受けた体験から支援員になりました

――マーサン (30代男性、愛知県)2023年8月15日
自分は小学三、四生から学校を休みがちになって中学ではいじめや不良グループからカツアゲにあったりして学校に行けなくなり、ズル休みしたり、囲碁を打ちに日本棋院にいったり好き放題な事をしまくっていました。
そして、僕が中学を卒業して弟がいじめによって不登校になってしまいました。
後々から兄の自分の素行の悪さも弟がいじめによる不登校の原因になっていてショックを受けました。
なんとかしようとしたけど何もできなかったこと虚しさがあり、同じように苦しんで方の力に今度こそなりたく、不登校訪問支援員の資格の勉強をしていて、支援の現実を知りたいとおもったのが動機です
得意なことは、興味を持ったことへの知識を集めることです。
自分の性格は明るい方だと思いますが、空気を読むのが苦手で、トンチンカンな事を行ってしまったりします。
人生史上自分の印象に残ってるのは後輩からカツアゲされたことだと思います。
「俺の親はヤクザだぞ」とかマンガでしか言わないセリフを恥ずかしげもなく言ってる姿です。
(カツアゲしてきた子の家は地元駅横にある小さな建築会社の息子)で組=ヤクザと勘違いしていたようでした。

◎ 相談したい人、意見交換したい人は不登校情報センターに、手紙やメールを送ってください。 マーサン に転送します。

文通ボランティアの希望者が少しずつ続いています。多くはご本人も何らかの被害を受け、あるいは苦しい体験をされたことがあると思います。

そう考えて、文通ボランティアの希望者にはご自分の経験を書き送っていただくようにお願いしています。しかし、文通ボランティアを希望する気持ちには被害や苦しい経験を語るよりも、逆にそういう体験者の助けになるように役立てたいと考えているように思います。マーサンさんはそれをはっきりと言っています。

文通において「相談したい人、体験の意見交換したい人」の双方を対象としているのはこのためです。読まれた皆さんからのお便りを待っています。

文通を希望しています。お便りを待っています。

人が怖くて街中にも出にくい

――ほしもり(30代女性・栃木県)2023年7月23日
わたしは今も、人がとても怖くて、街中へ出かけるときは、気合いがいります。いまだにうまく人付き合いもできません。
きっかけは、小学校6年生のことでした。クラスの女子に、無視されたり汚いもののように扱われるようになりました。全員からです。原因はわかりません。直接は言ってこないからです。学校で、一言もしゃべらない日もありました。
すぐに学校に行きたくなくなり、家の近くの森に行き、午前9時くらいまで隠れていました。その日は学校を休めましたが、担任が家にやってきました。なんで行きたくないのか聞くので、無視されたりする話をしました。
すると担任は翌日またやってきて、いかにも書かせた感じの、女子みんなの手紙という紙きれと、「あなたの勘違いだったんだよ」と言って笑いました。あ、逃げられないんだ。誰もわたしを信じてないんだ。何かが崩れた瞬間でした。
その後は小、中、高、吐き気と腹痛、下痢と一緒に学校へ通いつづけました。学校では、いつも緊張し、愛想笑いでした。一分が長くて、本当に逃げたかった。
こうして無理し続けて大人になったわたしは、中身は子供のままで、また傷つくんじゃないかと、何かにつけて思ってしまう人になりました。人から見たら、なんてことないじゃない、と思われるかもしれないレベルの、いじめですが。わたしにとっては人が変わるくらいの、ショックな一連の出来事でした。信用しきっていた友だちに裏切られること、大人がみんなクラスメートのほうについたこと、きついです。
わたしの経験は、このような感じです。

◎ほしもりさんに相談等をしたい方は、不登校情報センターにメールをください。転送します。 文通を希望しています。

ひきこもり相談・学習会(東京都江戸川区)

不登校情報センター主宰の松田武己による「ひきこもり相談・学習会」を始めます。
第1回のテーマは「ジェネレーション(世代間)ギャップ」です。
親と子の間の考え方、感じ方の違いは社会背景の大きな変化が関係しています。
歴史学や産業各分野・とくに農業研究者によると、日本社会は過去1500年のなかで最大の大きな変化の途中にあります(明治維新や第2次大戦後の変化よりも大きい)。最近50年間の変化は世代間の考えや生活スタイルに大きなギャップを生み出しています。かつて「普通」とされていたものも普通ではなくなりました。
このあたりを最初の学習テーマにします。個人的な相談も行います。
日時:7月8日(土)15:00~17:00
場所:平井コミュニティ会館(江戸川区平井4-18-10)。JR総武線平井駅南口から徒歩10分。
参加対象:当事者、その家族、関心を持つ人。
参加費:300円(当事者無料)
連絡先:03-5875-3730(松田)、open@futoko.info

気になる40ー50代になる人の心身状態(松田武己)

不登校情報センターを設立して28年になります。80年代の半ばに、不登校という問題を知ってから40年近いです。実際に関わる人たちの中心は不登校というよりはひきこもり、または準ひきこもりという人たちであり、その人たちに囲まれた生活になってから20年以上になります。
多くのことを聞き、また見ることができました。各人個別の事情がありますが、その共通する背景に社会の動きがあります。社会の動きの一端がその人に力を及ぼし、その人の生活状況や気性・気質によっていろいろな姿形になって表われるのです。周囲の事情という外部条件と本人の体質・気質という主体条件の組み合わせからひきこもりが生じ、しかも多様な個別状況を表わすのです
20年前に関わったひきこもりの人たちも40代から50代になります。10年ぐらい前には、「人は30代の半ばをすぎると自動的に(あるいは強制的に)大人になる」ということをよく口にしていたものです。先日、親の“老い”が見えてくるのがこの年代という納得できる意見を聞く機会がありました。
その前には、ひきこもり経験者も「(心の内では)30歳までには何とかしようとして動き出す」ことが多いと話した時期もあります。
その前には……いやこのあたりでやめておきましょう。
要するに私は、関わった人たちの様子をみて、何かを感じとり、その時期のある傾向を言葉にしていたのです。それぞれの時期の言葉は、1つの傾向を示すものです。今でもある程度は通用すると思っていますが、もちろん全てを言いつくすわけでもありません。
さて、40代から50代にすすんできたひきこもりの経験者に対して—―もちろん全ての人に対してではなく、私が関わっているなかでの特徴的な人に向けて何を言えばいいのでしょうか? それを考え、参考意見を探しています。
いろいろなタイプ・状態がいるなかで、私がとくに気になるのは十人前後の人です。すっかり連絡がとれなくなっているのに、「その後の様子」が気になる人もいます。自ら命を断った数人もいます。彼らは私が気にしている人たちのさらに先の姿を予見していたのではないか、と思えるのです。

4月の初めにネット上のブログであるお願いをしました。それをもう少し詳しくしたのが今回です。
(1)20代後半で亡くなったある人は、幼児期に虐待を受けていました。ある父母の集会受付をしてもらったとき、「私はここに来ている親たちに“こんなことしたってダメなんだよー”って叫びたいくらい」と言っていました。そのときその人の心身の中に何があったのか。おそらく言葉にはしがたい体内の異変、取り戻すことのできない何かを感じていたと思えます。
私はそれをひき出せませんでした。ひき出すにはもっと深い信頼関係と多くの時間が必要でした。その関わりを含めて本人がそれを明確にし、言語化できる状態になることが必要でした。それを言葉にできるとき、共にそれを受けとめ、理解し、受け入れる人が必要だったと思えるのです。
(2)受けとめる、理解し、受け入れるというのはたやすくはできません。解離性同一性障害(俗にいう多重人格)の人は、とくに幼児期に自分では受けとめられない難題を受けたことが要因になっていると知りました。
私の関わった人にもこの状態の人がいました。一見元気ですが、何かの拍子に、落ち込み、寝込み、動けなくなります。ウツ症状で過眠という、聞く側の人にわかりやすい言葉で自分の状態を伝えます。聞く人は何となくわかった気になるでしょうが、本当のところは伝わっていないし、伝わらないと知っています。だから日常のわかりそうな言葉を使って周囲の人を安心させるのです。
この人の奥深くにある、本当の苦しみ、心身の問題は何なのでしょうか。この人とは時間をかけて聞く機会を持ちましたが、それに到達しないまま連絡がとぎれました。すごい悔しさと申し訳なさが今も私には続いています。
40代から50代になったひきこもり(ひきこもりという言葉さえ伝えやすい言葉になりました)の人たちの奥にある心身の問題とは何なのでしょうか。私の手元には上の2人から聞いた多数の記録、その1人と文通した人から贈られた厚みのある手紙類があります。それらを改めて読み返すことは大いに参考になると思います。しかし同時にそれでもなおとらえきれないものがあると予測できます。
私の周囲にいる気になる人たちは、このまだ私がつかみえない心身の奥にある問題を抱えたまま、ある人は一見元気そうに、ある人は普通に生活をつづけるためにその課題という困難を忘れたふりをし、おし隠していると思えます。
昨年11月手紙をよこしたSN君の手紙を会報とこの「ひきコミWEB版」に載せました。「いったい自分は何の障害なのか? ただのウツではない。ただの強迫性障害でもないと思う」と彼はいいましたが、その先を言葉にはできません。
それは多くの医学者、身体科学の研究者が取り組みながら、なお届かないテーマのようです。例えば、ウツ症状、愛着障害…などはそうです。体験した当事者の深い経験、その結果としての今の状況を深く知ること。加えて身体内部を多面的に観察できる装置が必要であると予測できます。私にはその条件がないので私の手元でこの全体を明瞭にすることはできません。
今できるのは私が関わり知りうる極限まで近づくことです。その先の深いところはまだ言葉にし難いので、比較的わかる範囲の言葉でよびかけます。この言葉の先の深い何かを明瞭な言葉にする協力をさせてください。
                                     
ひきこもり経験者で次の経験をした人からお話を聞きたいと思います。
*対象はひきこもりと近接の心身状態(睡眠障害・摂食障害・オーバードーズ・対人恐怖などの経験者)の人であり、15歳以上の人(年齢上限はなし)とします。
(1)ひきこもりを経験した人でいわゆる「底着き体験」「底打ち体験」をした人。ひきこもり状態が深刻になり、わずかに動くのも困難というほどの経験をした人です。その時期とその後の様子。
(2)薬依存/薬依存を恐れて「強制的な断薬」を実行した人。
医師などのいうことに反して実行した人を考えています。
*私(松田)はこのような方法を推奨しているのではありません。
(3)ウツ状態から「神秘体験」を経験した人。
非常に感動的な「宇宙と一体化した」「光に囲まれた」「神の世界を体験した」などの言葉で表現することが多いようです。それまでの過程や経験談です。
(4)上記以外の大変な心身状態を体験した人(適応能力をはるかに超えた苦痛を体験した結果の解離性同一性障害=俗にいう多重人格など)。
*体験は文章に書き送付していただく(FAXも可)、メールで送っていただく、電話で話を聞かせていただく(1回では済まないことがあり、基本は数回の電話)方法になります。電話は、予約にしますので一度事前に連絡ください。
これらのやり取りはいずれも基本的には公表する予定はありませんが、公表等が必要になれば公表部分を事前に合意してからにします。お名前・住所等の個人情報部分は公表しません。