『自己肯定』と『母の存在』

「何でもかんでも母に話さなくていいな」と思ったのに、気が付けば、いろんな事を母に話している。

全く話をしない事が良い訳じゃないと思う。大事な話や相談もありだと思う。ただ、日常のどうでもいい事、別に話さなくていい事なども話している。そして、一緒に想いを共有したい自分がいる。

この前「自己肯定して生きよう」と思ってから、ずいぶんと気持ちが楽になった。しかし、それと同時に出てきたのは『母に認めてもらったら、自分を肯定できる』という、何とも危ない感情!

「どうしよう!!」「母に対して、そんな感情を抱いてしまっている自分は駄目だ!嫌だ!」「今すぐ、何とかしなきゃ!」と、焦った。

しかし、そこでハッと気付いた。私はいつもそうして、ありのままの自分を認めようとしなかった。
ゆっくり考えてみると…(-_-)

今日は「そんな自分を発見した!」で良いんじゃないかな。「これからどうしよう?」は、また流れに乗って、考えれていけばいいと思う。そうだ、結果をすぐに出そうとしない。急がない事だ。

私はずっと「自己否定」で、ここまで来たから、自分で自分を肯定する事がなかなか難しい。誰かに話す事、そしてそれを認められる事で、自己肯定出来るというのは、確かにそうなのかもしれない。ただ、それが母なのは良くないと思う。

母とは、やはり丁度良い距離感をこれから作っていきたい。「多少の緊張感も必要かもしれない。けれど、それがストレスにはならない。」そんな関係を築いていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です