コロナ禍の行動制限はひきこもりには有利
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2022年9月4日 (日) 12:39時点における版
コロナ禍の行動制限はひきこもりには有利
ひきこもる素質
私は以前、ある人から「ひきこもり経験者」と言われて少々困惑したことがあります。
たしかに内に籠りがちな気質である自覚はありますし、以前訪問先の人に私の日常の暮らしぶりを伝えたところ「ひきこもりじゃん」というお墨付き(?)をいただいたこともあります。
ですが、自分は果たして本当にひきこもりなのかと考えるとどうもしっくりこないのです。
私はただ普通に自分の過ごし方をしているだけなのに、それをひきこもりと呼ばれるのはどうも納得がいきません。
これは例えば、ただアニメやゲームがちょっと好きなだけなのにオタクと呼ばれることと同じくらいに不可解です。
オタクというのはある特定の物以外の一切を切り捨てて、ただそれのみをストイックに追い求める一種の求道者と考えているので、ただたしなむ程度ではオタクと呼ぶには値しないと思うのです。
少し話がそれたようなので戻します。
要するに、ちょっとインドアな生活をしているだけでひきこもりと呼ぶのは違うのではないかということです。
ですが、よくよく考えてみればたいていの人はひきこもろうとしてひきこもったわけではないはずです。
社会生活を送る上で何かしらの壁にぶつかり、緊急避難的に家で過ごすようになった結果、それが常態化して他人からひきこもりと呼ばれる状態になっただけです。
自ら「ひきこもりになろう」と考えてやったことではないはずですし、もしもそういう明確な意志を持ってやったことなら、それはそれで区別して「たてこもり」とでも呼ぶべきものでしょう。
そう考えると、ひきこもりと呼ばれることが不本意なのは私に限ったことではないと思います。
ですが、とりあえず話を進めるためにそう呼ばれることを受け入れることにします。
以降はひきこもり経験者の一人の視点から語らせていただきます。
最近、また新型コロナの新規感染者が増えてきていますが、私がこれを書いている現在では以前のような行動制限は行わないのが国の方針のようです。
過去、コロナ禍においては行動制限によってほとんどの人が普段どおりの生活を送れなくなり、収入が減ったり精神的に参ってしまったりといった人も多く出ました。
ですが、そういった影響をほとんど受けない人たちもいます。それがひきこもりです。
三密というのとは元より無縁の生活ですし、元より働いていなければ収入も減りようがありません。
広く調査をしたわけではありませんが、私のかかわっている人たちに聞く限りではおおむね影響はないようでした。私自身も同様です。
それは普段からセルフ行動制限をしているのだから当たり前だろう、と言われる方もいるでしょう。
それは確かにその通りです。ですが、それだけではないのです。
緊急事態宣言の発令に伴い、多くの人が極力外出を控えて自宅で過ごす時間が増えました。
そしてその後、感染状況に応じて解除と再発令が繰り返されました。
そんな中で自由に外出できないことから来る「コロナ(自粛)疲れ」というような言葉も出てきました。
「家にいてもやることがない、もう外に遊びに行けない生活には飽きた」というのです。
これは私などには理解しづらいことです。自宅で一人の時間を過ごす方法なんてものは私には無限に浮かびます。
アニメ、漫画、ゲーム、小説、映画……媒体は何でも良いのですが、過去の名作をすべて鑑賞しようとすれば一生かかってもすべてを制覇することはできません。
あるいは自分で創作活動をしてみるのも良いでしょう。
そう考えると「やることがない」という言葉はそうそう出てくるものではありません。
自由に人と会えないというのも、むしろ人と「会わなくてよい」というメリットであるとすら言えます。
人と会うことが苦手な私にとってはむしろ望むところなのです。
ここまでは実際に当事者に聞いて回っているわけではありませんが、おそらく似たような考えを持つ人は少なくないと思います。
これが普通の状況であれば、積極的に人とかかわることを好む人のほうが社会生活を円滑に送れるでしょう。
ですが、そんな人でもコロナ禍という特殊な環境下では一人の時間を上手く過ごすことができず、ストレスを抱えていってしまいます。
一方でもともと一人でいることを好む人は、人と接することを求められる状況では苦労しますが、行動制限下ではほとんど何の苦痛もありません。
このような逆転現象が生じる可能性があるとはコロナ以前は思いもしませんでした。
「一人の時間が好き」というとネガティブに捉えられることのほうが多いと思いますが、こんな時にはプラスに働くようです。
人間、何が有利に働くかは社会情勢の変化でどうとでも変わるのだということの一例を見たように思います。