体験記・ナガエ・私の物語(5)
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家へ帰ると父が玄関で待ちかまえていた。父の形相に思わず悲鳴を上げそうになったが、声を出さなかった代わりに片手にぶら下げていたブランド物のバックをコンクリートの上に落としてしまった。 | 家へ帰ると父が玄関で待ちかまえていた。父の形相に思わず悲鳴を上げそうになったが、声を出さなかった代わりに片手にぶら下げていたブランド物のバックをコンクリートの上に落としてしまった。 | ||
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現実にいる私より鏡の中の自分のほうがいい顔をしている。そう思った。 | 現実にいる私より鏡の中の自分のほうがいい顔をしている。そう思った。 | ||
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そのとき突如、鏡に私ではない他の誰かが映った。眼鏡をかけた少女。 | そのとき突如、鏡に私ではない他の誰かが映った。眼鏡をかけた少女。 |
2011年2月17日 (木) 23:56時点における版
私の物語(5)
“シャワー攻撃”
家へ帰ると父が玄関で待ちかまえていた。父の形相に思わず悲鳴を上げそうになったが、声を出さなかった代わりに片手にぶら下げていたブランド物のバックをコンクリートの上に落としてしまった。 「ちょっと来い」 父は抑場のない低い声で呟くと、私の茶色く染められた髪をわしずかみにし風呂場へ連れ込んだ。風呂場の脱衣所を通ったとき、そんなことあるはずないのに殺されるかもしれないという恐怖がふくれあがった。 「こんなことしてもいいとおもっているのか」 シャワーをひねると一気に氷のような水を頭にぶっかけた。 「冷たぁいっ!」 私は叫んだがその拒絶の情念は父に拾われることなく、さらに水量を増やすと髪に押しつけるようにし、私の見つけた幸運などたやすく洗い流してしまった。 「冷たいじゃない。こんなことしてもいいと思っているのかと聞いているんだ」 父は浴びせられている水ほどの冷酷さではらわたを煮えたぎらせながらいった。激しい感情はすぐに人に伝染する。私は血が逆流する音を聞いた。シャワーの音と共鳴している。 おそらくその音を飲むとすれば、喉元をつっかえさぞかし残酷な味がすることだろう。 私はその音を飲みこまなければ、飲みこんで腹まで下してしまわなければと思い、唇を薄く血の味がするほどかんでしまった。私は血を止めるために血を流したのだ。 耐えなければ――私は牧師の言葉を思い出した。 「右のほうをぶたれても左のほうを出しなさい」 耐えなければ、という思いが理由もなくいつも、私をなだめた。 「もうしないと言え!」 服までずぶぬれになりながら私は謝り続けた。 「ごめんなさい。ごめんなさい。もう二度としない。だから許して」 どのくらい謝っただろう。最後のほうは、流れてくる水を飲んでしまいゲホッゲホッとむせて、声が途切れた。 「おまえは悪いことをしているんだ。わかるか。こそこそ親にかくれて何をしているんだ。今度やったらただじゃおかんぞ」 そう言うとシャワーを止め、足をタオルで拭き、風呂場の戸をぴしゃりと閉めて出ていった。私は自分の願った通り他人に髪を洗ってもらったのだ、血の繋がった父に。 私は何に変身したのだろうか。何もかわっちゃいない。どこも変わっていない。 確かに外見は変化をとげた。古い洋服をばかり着せられていたマネキンの洋服は流行の売れ筋のものにとりかえられた。 しかし、やってきた客にイチャモンをつけられる。あの洋服は欲しいがそれ着ているマネキンはとりかえ捨てろと。 踊らないマネキンは人間界というダンス会場には必要ないのだと店にやってきた父と名を持つ客がそう私に宣告した。 鼻の先がぎこちなく汗ばんでいるのを感じ、私はむっくりと体を起こした。家中は静まり返り、窓からは蛍光灯の光がさしている。星一つないやみ空からしとしとと、マシュマロのような雪が切なく降り注ぎ、積もっている。 畳の上に布団を敷き、私は肢体をおり曲げ、物を包むように横たわっていた。服を脱いで下着だけでも毛布にくるまると自分の体温がはねかえって冷えた肌をおおった。泣いて泣いて、まぶたがはれぼったくなり、麻酔でも打たれたかのように意識がもうろうとしていた。 生まれたての赤ん坊みたいに、私は毛布を愛した。いや、毛布に愛されているとい思いたかったのかもしれない。産み立ての赤ん坊はうぶ湯の中で母体にうずくまっている時と同じように振る舞う。 私はまだ胎内にいるのだ。がっちりと鍵をかけられ誰からも傷つけられない地球上で最安全で優しい気持になることができる子宮に。私は生まれなくていい。私は生まれなくていい。生まれなくていい――。 私は母の腹を蹴った。生まれたばかりの赤ん坊は、人を動物を植物を思い愛することなど知らない。私はまだ人ではないのかもしれない。産み落とされたばかりの赤ん坊、そして胎児。人間になることを拒みながらも、追い求めてしまう。 思想家ルソーが著書エミールの中で「人間は二度生まれる。一度は存在するために、二度目は生きるために」と説いているが、私は一度目に生まれることさえ拒んでいるのだ。 自我同一性の拡散と呼ぶべき状況であろうか。青年期の課題に自我同一性の確立というものがあるが、私は確立を望みながらも自らの手で破壊しようとしている。私とは何なのだろう?私とは誰なんだろう? 私は、生まれてきたことを父に喜ばれているのだろうか? そして父だけでなく母に、血をわけた姉に。 起こした体は怠かったが、くるまっていた毛布を引き離すと下着姿のまま階段をかけおり、洗面台の前に立った。寒いっ。私は身震いした。 鏡には目元が赤くはれあがった自分の顔が映っている。急いで、急いで自分の姿をのぞきこまなくては、探さなくては、見つけださなくては、父にかけられた水と共に流れ落ちてしまう前にすくい上げ、鏡に映し出さなければと私は自分の顔に自分の顔を近づけた。 私は……誰? 鏡に手を当てるとひんやりとした感触が伝わってくる。私は鏡の中の自分に触れた。人間ではない自分。かたく冷たく、心を閉ざしかけている少女。 私は……どっち? 現実にいる私より鏡の中の自分のほうがいい顔をしている。そう思った。
超常現象“記憶”
そのとき突如、鏡に私ではない他の誰かが映った。眼鏡をかけた少女。 はじめのうち私はなんとなく見ていたが、かっと目を見開くとその子を見つめた。その子という表現は正しくないかもしれない。少女と女の中間で混雑しているような彼女。あの子だ。あの夢の中で出会ったヒト。 私は彼女に話しかけようと思ったが、私は奥に押し込められたその場所は、私以外は誰も存在しない暗く、真っ暗闇で足下がすくわれそうなところだった。私が奥におしこめられたかわりに眼鏡をかけた少女がおもてに出た。 残念なことにそこで私の記憶はおぼろげになってしまう。なんとなく思い出せるが、思い出そうとすると激しい眠気や頭痛におそわれる。 私はその日から三日四日どうしていたのか全くわからない。ずっと眠っていたような気もするし、あるいは全く逆に活動的に遊び回っていたような気もする。何日も続けて記憶が錯綜してしまうことは珍しかったし、恐怖だった。 だが、何日も続けてというのは珍しいことだったが、こういうことは何度か経験している。 覚えている限りではあれは中学校のころだっただろうか。私は運動オンチで体育の時間などなくなってしまえばいいを思うほど体力にも自信はなかったし、好きこそものの上手なれの正反対をいくように、たまらなく嫌だった。 しかし、そんな私が部活のある大会で優勝してしまったのである。確か夏で、大会の行われていた時刻にはせみがうるさいほどに鳴いていたと思う。私がその日目覚めたのは夕暮れ時でせみではなく日暮らしが鳴いてる時刻だ。日暮らしの声が耳の鼓膜をふるわせあふれ返り、焦りながら部活仲間のところへ電話した。 すると「何言ってるの? きょう優勝したじゃない」と言われてしまったのである。電話を切った後、自分の服装を見た。すると私は部活帰りのように体操着を着用していたのである。 驚きだったし、そんなこと信じられなかったが、実話であり、現実にあったことなのだ。周囲の私に対する反応や学校で配られている“学校だより”なるものに自分の記録が活字で印刷されているのを見ると信じないわけにはいかなかった。 私はその日、本当に眠っていたのだ。ぐっすりと。なのにどうなっているのだろう。超常現象であり、私は超能力者にでもなったのだろうか。私は覚えていないのではなく、試合での極度の緊張と疲労のために忘れてしまったのだろうか。 大きく例を挙げるとこの話になるがこれだけではなく細々とした記憶の障害は他にもある。話すのは省くがともかくこういうことは、昔からあったのだ。こういった体験は私だけではなく他の人も経験しとことがあると長年思い続けていた。 そんなことはめったにないことなのだと私は後になって知ることになるが、その真実を知るのを本能的に恐れていたのか、超常現象のことは誰にも打ち明けることはなかった。 意識が鮮明になったのは平成12年1月6日だった。全寮制の高校へ見学に行く日である。母は学校といっても私立なんだから、と言いながら風呂敷を持ってくると菓子をそれに包んだ。 「あんたねぇ、どうして学校へ行かなくてはならない日が迫ってくると問題起こすの。その茶色い髪」 はぁとため息を吐くふりをすると隣に突っ立ている父に同意を求めるようにちらりと見た。父はそれに答えるように言った。 「この不良娘が。親の生んでくれた黒い髪を茶色く染めるなんて。痛い目に合うまでわからん。今度やったらしばきたおしたる」 玄関先から引きずり込んで風呂場に私を連れ込んだときほど険しい顔つきをしていなかったが、母のひとことでそのときの感情がよみ返ったのか“怒り”の表情が私の瞳に映しだされた。一瞬また風呂場に連れ込まれるか殴られるかと思い身を縮こめたが「行くぞ」と父は言うと車に乗るためにキーをつかみ、外へ出ていった。 車の窓から見える景色は木々に囲まれ、山ばかりになった。家を出たのは約3時間前。 高速道路を通り、2か所ほどサービスエリアで休憩しながらここまでやってきたのだ。父はむっつりと黙り込んだままアクセルを踏み運転している。 そんな気まずい雰囲気を母はうち破るように、家から持ってきた“おかき”をあの日本人が好みするしょう油の臭いをただよわせながらぼりぼりと音をたて食べはじめた。 私は手にしていた地図をみながら、現在走っている地名と学校までの距離をはかるように見た。もうすぐじゃないか。私は慌てて足下に置いてある巨大なバックから携帯電話をとりだした。 巨大なカバンというのは母のものである。母はどこへ行くのでもこのカバンを手離さない。当然大きいだけでなく中身もしっかりと詰められぱんぱんになっている。 なにをそんなにいれて持ち歩いているのだろうとけげんに思うが母とっては、重い荷物ではあるものの持ち歩くに値するものばかりをいれているらしいのである。 私は本当に必要なものだけを入れればよいのにと説経じみたことを母に述べたことがあるが、母の方針は変わらない様子であった。 だが私はそんな説教じみたことを述べられるほど立派な身ではないし、その巨大なカバンに助けられたことさえあるのだ。正直に言うとカバンの中の物ということになるが。 ドラえもんの4次元ポケットを連想するほどそれにはいろいろな種類のものが詰められている。まず財布、化粧道具、ティッシュペーパー、ハンカチ、医薬品(胃薬、よいどめ、風邪薬等)、タオル、下着、袋そして半袖のTシャツ、ノート、ペンなどの文房具……。私の思い出す限りでもこんなにたくさんのものが入っている。 母はおそらく何かあったときのためにと思い持ち歩いているのだろうが、その重そうに肩がこるのをがまんしながら下げている様子を見るとときどき胸が締めつけられるような思いにかられる。 母はわかいじぶんからそうだったのだろうか。そうではないような気がする。おそらく“母”になってからなのだろう。母という責任を背負うようになってから、その責任と一緒に巨大なカバンを下げるようになったのだろう。母と呼ばれるカバンはそんなに重いのだろうか。 母と呼ばれるようになると同時に子どもが生まれた。夫は父と呼ばれるようになる。母が重いと思っているのは家族ではないだろうか。 私は物事を悪い方へ考え過ぎなのかもしれない。母は肩がこる、腰が痛むと文句をこぼしながらでも、その巨大なカバンを決して手離そうとはしないのだから。 その高校のパンフレットを膝の上に広げると携帯電話が圏外になっていないのを確認し、学校の事務局の番号を押した。数回コールすると職員らしき人が出た。 「こないだアポをとったものなんですが、もうすぐうかがいますんでよろしくお願いします」 ノイズが紛れ込んだので携帯電話からかけているのを察したのか職員は口早に言った。 「今どのあたりですか。冬休みなので生徒は誰もいませんが、どうぞお待ちしています」 「あっ、はい。かまわないので。それでは」 全く慌てる必要などないのに、お互いあわててしまい、1分も会話らしい会話もせず切った。会社でいう受付嬢と話ているようなものでむろん会話を成立させる必要もないのだが。