カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


不登校ではだれも悪くはない(⁉)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「 ==不登校ではだれも悪くはない(⁉) == ―『こみゆんと』を読み直す(1)<br> 1991年の春、『こみゆんと——不登校・...」)
 
1行: 1行:
 +
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:不登校情報センター|不登校情報センター]] > [[松田武己]] > {{PAGENAME}} }}
  
 
==不登校ではだれも悪くはない(⁉) ==
 
==不登校ではだれも悪くはない(⁉) ==
23行: 24行:
 
不登校やひきこもり経験した人、その親たちは、大部分がこの社会のなかで、相対的には弱い立場におかれているのです。<br>
 
不登校やひきこもり経験した人、その親たちは、大部分がこの社会のなかで、相対的には弱い立場におかれているのです。<br>
 
そこには小さな違いも間違いもあるけれども、共に社会をよくしようとする仲間なのです。<br>
 
そこには小さな違いも間違いもあるけれども、共に社会をよくしようとする仲間なのです。<br>
 +
 
[[Category:こみゆんと|ふとうこうではだれもわるくはない]]
 
[[Category:こみゆんと|ふとうこうではだれもわるくはない]]
 
[[Category:家族制度|ふとうこうではだれもわるくはない]]
 
[[Category:家族制度|ふとうこうではだれもわるくはない]]
 +
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|20250701]]

2025年7月21日 (月) 01:08時点における版

Icon-path.jpg メインページ > 不登校情報センター > 松田武己 > 不登校ではだれも悪くはない(⁉)

不登校ではだれも悪くはない(⁉) 

―『こみゆんと』を読み直す(1)
1991年の春、『こみゆんと——不登校・登校拒否の情報ネットワーク誌』を創刊しました。久しぶりにそれを引っぱり出して第1号から数冊を読み直してみました。
不登校・ひきこもりに関わる私にとっての初期をふり返るつもりでした。
これは多分に先に『SHIP!——ひきこもり・生きづらさ 社会課題を考える』創刊号(2025年4月。一般社団法人SHIPひきこもりと共生社会を考えるネットワーク・発行)を見て、その意気込みの熱さと内容の厚さに影響されたのです。
『こみゆんと』へのいくつかの投稿——とくに不登校の子ども本人、その父母の手記を読みながら……いやその感想は後編に回しましょう。
当時の私(40代でした)が大切にしたいと感じていたのは民主主義でした。
民主主義とは多数決でありますが、同時にそれを超えなくてはならない、と思っていました。
どう超えるのか、その集団(社会的集団でも血縁的集団でも)において弱い立場におかれている人が守られる形の多数の意思、それが民主主義ではないか。
それは今も私の中にある民主主義の理解です。そういう視点から不登校やひきこもりという人間の行動をみようとしていた、それを改めて思い起こしました。
集団の多数とその集団における弱い立場の人の利益を守る——この2つは自動的に両立するわけではありません。
とくにその集団が大規模になり自治体とか国レベルになるとそこには大きな違いと争いが生まれます。それを平和的で公平に行うのが民主主義です。
では小さな集団、例えば家族においてはどうでしょうか。
自動的に家族内における弱い立場の人の利益が守られているのか? 実情はそうなっていないことがある。
しかし、単純に利益が守られればいいと言えない事情もあります。子どもの不登校、子どものひきこもりの具体的事情を追い求めていくとこの複雑な事情がみえてきます。
複雑であるからわからないとするのか、そこをさらに合理的に解き明かしていくのか。私が実際に不登校やひきこもりの相談で出会ったのはここです。
その判断、その前にとらえ方には揺れがありました。より真実に近い解釈に近づいていく過程と私は理解することにしていますが、正直そうきれいに描かれるものではありません。
不登校のより直接的な原因は学校であった、教育であった。あるいは家庭の中にあった。
そういう言葉が交錯するなかで、『こみゆんと』を通して学んだこと、その後の不登校情報センターの設立(1995年)やその居場所としての取り組みを通してたどり着いたところは——「だれもわるくはなかった!」ということです。——いやいやそれはまた極端な言い方ではないかといわれるでしょう。
その通りで言い過ぎです。言い過ぎしょうが「多くの人は行きすぎ、間違い、すれ違い…をひきおこしたけれども、それは地盤になっている大きな社会的変動の揺れの上においては比較的小さな「わるいこと」になってしまう、それが到達した心境です。行きすぎや間違いは指摘し改善を図る、その連続です。
それ以上に大事なことは、社会の変動という個人の意識を超える事態に向き合うことではないのか——この現在の心境につづく私の意識はそこにあります。
不登校やひきこもり経験した人、その親たちは、大部分がこの社会のなかで、相対的には弱い立場におかれているのです。
そこには小さな違いも間違いもあるけれども、共に社会をよくしようとする仲間なのです。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス