社会再生面からみる人口構成
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2026年2月17日 (火) 11:30時点における最新版
社会再生面からみる人口構成
〔2026年2月17日〕
私が今住む家に引っ越して間もなく8年になります。
前のここよりも広いアパート時代に作業する居場所に来ていた数人が、働き場を見つけていき、居場所の役割はほぼなくなり、小さなスペースがあればよかったためです。
それから約8年、私はほぼ毎日、主に朝に“仕事”をしています。
学校休日の校庭開放と始業前の早朝見守り、それに週3回地域内でのメール便を配達しています。配達はほぼ午前で終わります。
何もせずじっとしているのが大の苦手な性分なので、これらの“仕事”があるのは生活リズムとしては好都合です。
前田信彦「高齢期における多様な働き方とアンペイド・ワークへの評価——男性定年退職者の分析」(国立女性会館研究紀要.2003年8月.7巻)を読みました。
はじめの関心はアンペイド・ワーク(非支払い労働)としての家事労働・家族内ケアを考える材料として読み始めたのです。
その論の中に「定年は高齢期の多様なライフコースへの『分岐点』と捉える」としている点が気になりました。
この見方は長期のひきこもりの人が、20代後半~40代にかけて「ひきこもり生活状態」から、非正規のアルバイトなどの社会的活動に入ること、女性が結婚して新しい生活をはじめることも、「ライフワークの『分岐点』ととらえられる」と考えたのです。
高齢者の退職が「社会から半歩退く」とすれば長期ひきこもりの人は「社会への半歩進出」、人によっては「社会参加」の形といえるでしょう。
退職男性において「社会から半歩退いた状態」はいくつかに分かれます。
欧米の社会学者の研究を引用して「ペイされる労働のほか、ボランティア労働、家族や親族への支援の労働(relatives time)、自助活動(self-help work)など、支払いのない労働(unpaid work)を取り上げ、引退期の仕事のキャリア・パスにジェンダー差のあること」を挙げています。
前田さんの論の中心部分はまた別にして、私はこれらの支払いのない労働を考えてみたいのです。
GDPにカウントされる活動セクターでは、これらは「0(ゼロ)」評価です。しかしそれは社会的に有用であり、ときには不可欠な活動です。
それはGDP基準による社会評価の限界を示すのですが、GDPに代わる(少なくとも補足する)何らかの評価基準を導入すべきではないかと思います。
それはGDP基準のセクター(企業社会の商業取引、政府系の予算支出など)とは別ものになります。
いくつかの自治体・政府系の取り組みに、特に「子育て/少子化対策」——「家族や親族への支援の労働の1つ」として認められますし、種類(項目)も増えています。
これらはGDPにも算入され、金額に換算されます。
推測ですが「家族内ケア」に関することは、政府・自治体の施策として徐々に増えていき、GDPにカウントされそうです。
では「家族内ケア」の全部がそうなっていくのか? それはかなりかけ離れています。この問題の今回はここまででとめます。
次に、長期ひきこもり状態にいる人に対しては、心身の状態で可能な範囲で、「社会への半歩前進」になるようにすすめます。
その際、男女に関わらず、「家族内ケア」(=家族や親族への支援の労働)は注目すべき項目です。
数か月前に「家族の介護をサポートする家族の働き」を、介護職に準じる評価をしてはという考えを紹介しました。それはその1つです。
主婦業(≒家事労働)はアンペイド・ワークの代表例でしょう。
それをペイ労働とする方法はわかりませんが、社会的には必要不可欠なものです。
社会を継続していく活動(社会の再生産)です。これを論拠に女性の結婚を強く勧めるものではありませんが、現状の働きの評価のしかたと考えてもいいでしょう。
少し将来が見えてきた気がしています。
国民は①生産的場面(各種の広範なサービス産業を含む)で働く人。
②社会を再生産するために働く人(自然環境を守る取り組みも入る)。
③心身状態において①②に該当しない人も、一部は障害者として、一部は役割を終えた人として処遇を受ける。
そして④未来の社会を形成する新しい世代=子どもたち。これが私に見える将来社会の人口構成の姿です。

