Center:通所者スペースのデメリット④
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+ | 子ども時代からの対人関係が通常範囲であれば、それは青年期までに最低限以上の力はつきますが、 <br> | ||
+ | 子ども時代から青年期の間に対人関係が少ないとそこからの成長には努力、工夫、時間を必要とします。<br> | ||
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2019年1月1日 (火) 19:45時点における最新版
通所者スペースのデメリット④
〔2010年05月25日〕
「デメリット」として書いたことへの意見の続き。第5、6項のところです。
ウィキぺディアへの記載者はT=、私の感想・意見はM=の形にして分けています。
T=松田理事長以外に常駐のスタッフがいないにも関わらず、上記にあるように“フリースペースを常時設定”してしまっているため、通所者にのしかかる負担が大きい。
T=スタッフ不足を見かねて、比較的元気な通所者がスタッフの代役を買って出るケースもあるが、
他の通所者や松田理事長からの徐々に高まる期待に耐えかねてバーンアウトしてしまうケースもある。
またそのような役割を果たした人も待遇はあくまで一通所者であり給与等は発生しないから、「仕事」として割り切って頑張るモチベーションも生まれにくい。
M=この状況は時に発生していると認めなくてはなりませんが、スペーススタッフとして「給与等は発生しない」「仕事にしない」方法をとってきました。
これでいいのかどうかは確定的ではありませんが、通所者をスペーススタッフにする方法は一般的には否定的に考えます。
可能性があるのはパソコンの技術的スタッフであり、仮に実現しても人数は数人以下に限られます。
アルバイト、小遣い程度の人とのバランスを考えながら進めていくものでしょう。
ここの記述は、フリースペースの開設に限定し、通所者の負担は別に記述したほうがいいと思いますがどうでしょうか。
M=この部分をデメリットにしているのは執筆者T=の個人体験による感覚としては事実です。
同時に人との関わりで何らかの負担を持つのが“修行”の意味です。
その負担の程度を大きく感じるのは本人の個人的な状態を示すもので一般論にはできません。
負担を重く感じたり、楽に感じたりする経験を繰り返すことがまさに“修行”なのです。
それを通じて耐えられる、やりすごす、粘れる…力がつきます。
人間関係を通して心が育つというのはこの事態です。
子ども時代からの対人関係が通常範囲であれば、それは青年期までに最低限以上の力はつきますが、
子ども時代から青年期の間に対人関係が少ないとそこからの成長には努力、工夫、時間を必要とします。