大分高等学校の適応指導コース
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30代半ばになった第1期生と再会し、「覚えちょるぞ。たくましくなったなぁ」と声を掛ける元教諭の林和明さん(左)と首藤宣幸教諭=大分市(写真)<br> | 30代半ばになった第1期生と再会し、「覚えちょるぞ。たくましくなったなぁ」と声を掛ける元教諭の林和明さん(左)と首藤宣幸教諭=大分市(写真)<br> | ||
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不登校は今でも大きな社会問題。<br> | 不登校は今でも大きな社会問題。<br> | ||
「悩みを抱える生徒がいる限り、このコースは続いてほしい」と願った。<br> | 「悩みを抱える生徒がいる限り、このコースは続いてほしい」と願った。<br> | ||
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2017年5月17日 (水) 20:58時点における版
大分高等学校の適応指導コース
所在地 | 大分県大分市 |
---|---|
TEL | |
FAX |
不登校生徒と向き合い20年 卒業生と恩師再会
30代半ばになった第1期生と再会し、「覚えちょるぞ。たくましくなったなぁ」と声を掛ける元教諭の林和明さん(左)と首藤宣幸教諭=大分市(写真)
中学時に不登校だった生徒を受け入れている大分市の大分高校(小山康直校長)の適応指導コースが本年度、開設20周年を迎えた。
学校生活になじめない子どもたちに居場所をつくり、これまで400人近い卒業生を送り出した。同市内で同窓会があり、恩師と卒業生が再会した。
「みんなのこと覚えちょるぞ」。
20年前、同コースの発足に尽力した元教諭の林和明さん(70)=同市上田町=や首藤宣幸教諭(51)らが満面の笑みで卒業生を迎えた。
「あの頃から考えると、すっかり立派になったなあ」と声を掛けると、教え子は照れくさそうに表情を崩した。
集まった卒業生は18~35歳の約100人。
中学校で不登校だった子どもたちは今や警察官、美容師、精神保健福祉士など各方面で活躍している。
4年前に広告制作会社を立ち上げた越田晃央さん(30)=同市猪野=は中学3年の1年間で、わずか5日しか学校に行っていない。
この日は胸を張って、恩師に頭を下げた。
「今の僕がいるのは先生のおかげです」
1997年4月、第1期生約30人が入学し、同コースの歴史はスタートした。林さんらにとっては「生徒にどう接すればいいのか」「子どもたちは何に悩んでいるのか」と自問自答の日々だった。
不登校といっても、中学時代の欠席日数は人それぞれ。学力や社会性に個人差があった。
学校では楽しそうに過ごしているのに、いきなり欠席がちになる生徒もいた。
家庭を何度も訪ね、保護者と一緒になってマイペースな子どもたちを支えた。
1期生の山脇直祐さん(35)=北九州市=は「不登校の生徒だけで一つの学級をつくった。難しいチャレンジだったと思うが、先生たちが一生懸命にやってくれた」と感謝する。
卒業後、27歳で博士号を取得し、現在は北九州市立大学の非常勤講師を務めている。
山脇さんらの担任を3年間務めた林さんは「この子らを無事に卒業させたいという一心だった。不登校の子どもたちの成長を見られ、教員として多くのことを学ばせてもらい、幸せだった」と振り返る。
不登校は今でも大きな社会問題。
「悩みを抱える生徒がいる限り、このコースは続いてほしい」と願った。
〔大分合同新聞2017/5/13〕