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Center:2004年11月ー対人関係に心の壁がある…

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2012年3月28日 (水) 20:17時点における版


対人関係に心の壁がある・・・・

『友情論』テキストによる第4回学習会
〔2004年11月〕

初参加者5人を加えて、合計8人による第4回しゃべり場的学習会を開きました(11月24日)。
今回読んだのは「つねに現在の関係」のところです。
はじめの部分は知人と友人の対比、その後につづく大部分は恋愛関係と友人関係が対比されるなかで友人とは何かを述べてありました。
各自の友人について語ろうとしたが「友人はいません」 「微妙なところ」というのが多くて、体験に裏づけられた友人論とか友情論は展開されませんでした。
そこで(たぶんそうなることは予測していたのですが) 、「なぜ自分には友人ができてこなかったのか、各自の思いあたることを話してください」という、本日のメインテーマに入っていきました。
「他人に気をつかう」「相手の反応が気になる。受け入れられていないと思うと話に入っていけない」「オープンになれない、親しい関係になるのがつらい」「一対一の関係ならなんとかできたが、グループになるとダメだった」「関係が一方通行だった。自分は相手を気遣いながら接したのだが、相手は自分勝手にふるまっているだけだった。そういうのが続いて人間関係がつくれなかった」「過剰に気を遣い、自然体で相手とつきあえない」「自分の領域に侵入されてくる感じがして、それに器用に対応できず、しばられてしまう感じがした」 「相手の気を悪くさせたくないと思ってきたが、それでも人間関係はできなかった」・・・・・
かなり実感があふれる、それでいて自分の子ども時代から今日の時代(?)状況を告発するような、深く鋭い意見や感想でした。
このようなところから出発して、「出る杭(くい)は打たれる」ので出ないようにした。
また、こちら側になにか負担になるようなことがあると、「それを弱みとして突いてくる」、だから弱みをみせられなかった、(それが自然体にふるまえなかったことにつながる)などの一歩ふみ込んだ情景も語られました。

私の受けとめ方、感じとしては、「自分をまもる」という潜在的な意識が底流にあり―そうしなくてはならない理由が、もの心のつく年ごろには既に経験していた―それが日常の対人関係づくりにおいて働くのです。
相手は攻撃してくるタイプではないことを確かめたい、相手の気分を害することのないように気遣う・・・・・それらが、自分の意識の表面に出ると、上記のような姿勢として、あるときは無意識に、別のあるときは意識して行動する、もちろんそれは個人的な色あいをおびざるをえないのですが。

そしてそれをさらに深く考えていくと、結局はいつも私が言っていること(学習会の第1回のときにも話した点)にまで、さかのぼるように思います。
1つは、天性としてもっている感性・感覚の繊細性によるもの。
もう1つは、育つ過程において自分のなかから伸びてきた芽を無視されたこと。
社会(?)が大事だと思うことを植えつけられようとしてうまくいかなかったこと。
いいかえると自分が尊重されなかった。自分を受けとめられなかった。自分が否定的に見られてきた経験の蓄積です。

学習会の終わりの15分ぐらいで、今回参加して感想文を書いてもらうことになりました。 全員が15分から20分かけて書いてくれたのですが、「公表してもいい」というのは1名です。 この意見が代表例というわけではありませんが、8人にある程度共通していると思えるのは、「大変だな、苦心しているな、心を壊さないで」という気持ちになることです。

感想文全体を読むと2系列の意見があると思います。
1つは、壁をつくって自分を守っていた。長年続けてきたことを変えることは難しい、自分は不可能に近いと思う。
もう1つは、守っているだけでは社会に通用しない、場数をふんで慣れなくては生きつづけることはできない。
どちらも一理あり、一人ひとりがこの両方を揺れ動いていると思います。 ある本の中に次の一説がありました。
「最初は、自己に対する破壊的な危害を予防するための守備軍あるいは防壁として作られたものが、ついには自己を閉じこめる牢獄の壁となりうる・・・。世界に対する自己の防衛は、防衛というもののもつ一次的機能さえ喪失するにいたる。つまり他者に物としてとらえられ操られるのを防げることによって、迫害的な力の侵入(内破)を防ぎ、自己を生きのびさせようという本来の機能を失う」。
自分の感性のよさを受け入れる人たちのなかで、安全に囲まれたなかで自分を少しずつオープンにし、その免疫力を高めながら徐々に対人関係の幅を伸ばし広げていくのがいいのではないかと思います。
でもそれは実にねばり強さ、忍耐のいる作業です。
そういう人たちが安心できる状況を社会全体に広げるのもまた(いろんな人の協力を得たうえで)、自分自身なのだと思います。

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