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体験手記と文学作品

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今回の体験手記を読み返して、これらは「優れた文学作品」の素材になっている、と確信できました。<br>
 
今回の体験手記を読み返して、これらは「優れた文学作品」の素材になっている、と確信できました。<br>
 
蛇足めいていますが、通信制高校、定時制高校、あるいは高校中退の経験者が混ざっていて、具体的なことを自分の言葉で語っています。貴重なものだと思います。<br>
 
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2025年4月27日 (日) 22:00時点における最新版

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体験手記と文学作品

今回の不登校情報センターが文学フリマ(5月11日、東京ビッグサイト)に出展する作品の中心は体験手記です。
体験手記とは実話です。実話とはいえ、記憶違い、感覚のとり違い、解釈の間違いにより“実話”からふみ外すこともあります。
また自分の肯定面の過大表現や否定面の過小表現により、“つくり話”レベルにまでふみ外すこともあります。
そういう部分を含むことを認めたうえで、全体として体験手記とは実話です。
すなわち自分はこのような体験をした、と自覚しているのです。
自伝というのもそういうものでしょう。
私は体験手記を読むのを大事にしています。すべてがよい作品とは言えないでしょうが、時に感動することもあります。
少なくとも「不登校情報センター」を表に出して何かをしている私への投稿などは、どうしようもないほどのものはありません。
何がしかのモノはありますし、それぞれが子ども時代や、青年期に経験したことを描いています。
そして時にはすごいと思うものに出会うのです。その確率は私の中では高い確率です。
ただ私は文学的なことや芸術的な内容を判断は出来ませんから、すごいとは言え主観的です。
高校3年のとき、数Ⅲの積分関数の問題で解を初めて得たとき、少し感動したのを覚えています。
しかし以来、数学や物理の方程式を見て、感動をしたことはありません。
また法令や行政文書を見て感動したというのもありません。
日本国憲法の前文はそれなりのものですが、感動とまではいきません。
そこに表現される数式や法令文によって得られる実像のイメージが鮮やかではないからでしょう。
文学作品はどうか。これはピンからキリまでさまざまではあるが、優れた文学というものは感動を与えてくれます。
それは確かな真実を示すものです。それを超えて自分の内側にある気づかないものに気づかせてくれるためかもしれません。
しかしこのレベルの文学作品であっても、必ずしも事実・実話ではありません。
例えば山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の最終作品「氷の下の芽」は、そのような事実があったわけではないでしょう。
誰かの体験を元にしているのかもしれません。
人間の心情と周囲の状況に“ありうる”可能性が整っているなかでストーリーは展開・構成されています。
これを虚構性というらしいですが、その詳しい説明はできません。
文学作品は、その高いレベルでは「つくり話」であっても、人はそういう場面、そういう状況におかれたとき、そういう動きをする可能性が納得できる形で描かれているのが条件になります。
そして、勇気とか愛情とか人間の真実、苦しみの実相をみせ、愉快な気分をひき出してくるものが、優れた作品と言えるのではないか?
体験手記は、それが事実である限り、文学作品のこの前半の条件を満たしています。それだけで文学の条件を少なくとも満たしています。
それを超えた「優れた」文学作品になるには、ストーリーの構成など省略と合理的な追加設定が求められるのでしょう。私にはそれを語る能力はありません。
今回、改めて数人の体験手記を読むことになりました。
私には「優れた文学」を感じるレベルのものもありました。
そこには基本的には虚構性はありません。細部の比喩にそれはあるのかもしれませんが、それは虚構性が導入されているとはいえないと思います。
今回の体験手記を読み返して、これらは「優れた文学作品」の素材になっている、と確信できました。
蛇足めいていますが、通信制高校、定時制高校、あるいは高校中退の経験者が混ざっていて、具体的なことを自分の言葉で語っています。貴重なものだと思います。

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