実践優位による理論と実践の両立をめざす
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実践優位による理論と実践の両立をめざす
〔ブログ 2022年3月28日〕
ブログ「ひきこもり居場所だより」2月8日に、「ひきこもり支援について」という記事を載せました。支援の現場では個人と家族が対象になっているけれども、それは大きな社会の流れや国の政策との関係で考えなくてはならない、という視点からのものです。福島創太さんの『ゆとり世代は、なぜ転職をくり返すか』(ちくま新書.2017)の主旨を生かした論旨によるものでした。
このブログについて〇さん(関西在住)からコメントが入りました。支援者が入って親子関係は落ち着くけれども、その後は親子間に共依存の壁があり、その対応策が必要というものです。当初のブログの主旨とはズレているわけですが現場の要請と認めて、少数の人がとる強力な親子が離れて暮らす形を紹介しました。
対応の多くは家族会や当事者の集まる居場所により、意識しないかもしれないですが、依存的な家族内の関係を相対化するという方法です。家族会や居場所もいろいろと聞いていると思いますが、対人関係の相対化というまでには意識が行っていないと思えます。そこで家族が離れて暮らすという方法を提示したのです。そちらの方がいいというのではありません。そこで何をするのか、しているのかを個人として目標にする・意識する必要があると思ったのです。
さて私はこうした現場の実践的なことばかりではなく、ひきこもりの社会的背景をとらえるために「ひきこもりパラドクス」という小論を連続して書き続けています(約50本)。それは支援現場のことは頭におきつつも重点にしないつもりでした。
しかしひきこもりの当事者にしても家族にしても、支援現場にいる人にとっても、その背景事情では役に立たないのか、「それはそれとして」という感じになってしまいます。いわば実践と研究の分離です。両立が必要だと思います。
支援は実践にならざるを得ませんが、研究がなくては効果的な支援は進まないのではないか―そう考え、いわば実践と研究の両立をめざし、「実践優位による理論の確立」をめざしたい、と改めて考えています。
ただし、言うは易く行うは難しいのも確かです。
この3回の回答は、会報『ひきこもり周辺だより』4月号に短縮して1回にまとめて掲載します。

