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風見穏香

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2019年3月6日 (水) 19:33時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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風見穏香

不登校に寄り添う「生きづらい系シンガー」 就活で会社訪問して気づいたこと 平成元年生まれ、私のリアル
「勉強なんてできなくていいから 深い深い悲しみわかる人でいたい」。
1月下旬、京都市内の町屋に設けられた小さなライブ会場を、やさしい歌声が包み込んだ。声の主は自称「生きづらい系シンガー・ソングライター」のしーちゃんこと、風見穏香(しずか)さん(29)。
不器用でも、ありのままの自分でいい、と語りかける曲「ひとでいたい」は、彼女の代表曲だ。
不登校や引きこもりで悩む親子らに支持され、芸能事務所に所属しないフリーの活動ながらユーチューブのライブ配信などを通じて全国にファンが広がっている。
今回のライブは、不登校で悩んでいた滋賀県の中学3年生たくみ君が企画。
定員の20人を大きく超える申し込みが集まり、たくみ君は「ぼくを救ってくれたしーちゃんの歌を、一人でも多くの人に知ってほしかった」と話した。
▽生きづらさ救った音楽
風見さんは1989年、茨城県生まれ。自身も小6で不登校を経験した。
クラス替えなどの環境変化が重なり、学校で涙が止まらなくなったのがきっかけだった。
「苦しくて自分ではあまり覚えていないけど、ベッドに頭を打ちつけながら『死にたい』と泣き続けていたそうです」と振り返る。
責めることなく見守り続けた家族や友人の支えもあり、数カ月後には登校を再開。
その後は不登校になることなく大学まで進んだが、常に漠然とした違和感は抱えていた。
その原因に気付いたのは後になってからだ。
「学校では集団で同じ方向を向いて動くことが求められる。わたしはそれが苦手だったんです」
生きづらさを隠し持った少女時代の唯一の救いが、音楽だった。
人気デュオのゆずに憧れてギターのコードを覚え、口に出せない思いを自作の歌に託していった。
それでも「評価されるのがこわい」と、家族や友人にも聞かせたことはなかったという。
転機は大学3年の就職活動。会社訪問での質問はどれも組織への忠誠を問われているように感じた。
「自分に組織は向いていない」。
大きな失望と同時に芽生えたのが「でも、そういう人間もいてもいいはず」という強い信念だった。
ばかにされたってかまわない、自分らしさを忘れないでいたい―。
当時の思いをそのまま歌にしたのが「ひとでいたい」だ。
初めは、やり場のない怒りに任せて叫ぶように歌っていた。
でも、ゆっくり歌ってみるとふしぎと心が癒やされ「同じような生きづらさを抱える人にも届けたい」という思いが沸き上がってきた。
▽届けたい人に届くように
届けたい、でも、こわい―。
長い逡巡の末、勇気を振り絞って路上ライブに立つと、自身の弱さをさらけ出しながらも前向きに生きようとする歌詞に、立ち止まって耳を傾ける人が少しずつ増えていった。
ギターを抱えて全国を回り、自主制作したCDに一枚一枚手書きのメッセージを添えて販売。
「部屋から出ることすらできない人にも届けられる」とライブ配信にも力を入れる。
悩みを抱える人たちからのコメントには「大丈夫、わたしも一緒だよ」と語りかける。
活動範囲は、不登校の子どもの居場所づくりや不登校経験者による座談会の開催など、音楽以外にも広がっている。
「さまざまな事情で学校に行けなくても、才能あふれる子どもがいっぱいいることを実感した。不登校は悪いことじゃない。つらかったら逃げてほしい」
ライブでは、風見さん自身が悩みを吐露して涙を流すこともあり、目標とする「生きづらかった系への進化」は「まだまだかなあ」と笑う。
それでも「わたしの歌に支えられたと言ってくれる人にわたし自身が支えられている。これからも、届くべき人に届く歌を歌い続けたい」と話している。
  風見穏香のおふぃしゃるほーむぺーじ
〔2019年2/22(金) 47NEWS(共同通信=角南知子)〕

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