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心の帰る場所

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2016年12月13日 (火) 10:31時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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心の帰る場所

39歳・男性・O(オー)さん

私が引きこもり(一人で外出はするものの、学業就労など社会参加できない社会的引きこもり)になったきっかけは「大学受験の失敗」でした。
理不尽な校則で生徒を縛り付ける、綺麗ごとばかりヌカす教師達。
偏差値の低さもあってか、何が一体楽しいのかいつもヘラヘラして浮わついている生徒連中。
こんな高校と関わっている自分が嫌で嫌で仕方なかった私の卒業時の進路は「浪人」でした。
卒業前「俺、○○大学(5流大学)受かったぜ!」とか、
「私、推薦で○○短大受かった!!」などと、
生徒の合格の声を聞くたびに、「短大、5流大学ごときで喜んでるバカ連中」と思いきり見下していた自分を思い出します。
「自分はお前らとは違う」といつも思っていましたから。
「この高校、生徒連中を絶対見返す! 鼻を明かす!」
この一心で、有名大学入学を決意し、新年度はスタートしました。
この1年間はバイト、予備校、勉強と、ひたすら意地を張って、頑なに浪人生活を送っていたと思います。
予備校校舎で楽しげに戯れている男女にムカつきながらも。
それなのにです。まさかまさか、受験に全滅不合格。
要領の悪さか努力不足か日東駒専といわれる中堅レベルの大学すら受かりませんでした。
この時は本当に頭が真っ白になりました。
と同時に「自分は一浪しても大学に受からない、あの偏差値45の生徒連中より劣るダメ人間」という思いで愕然としました。
ここからです。私が強がりから脆さへ、心の闇へ、谷底へ、一気に突き落とされたのは。
強烈な「劣等感」「自己否定感」を生まれて初めて味わった19歳の私は、一応二浪を選択するのですが、すでに気力がなく5月には予備校に通わなくなっていました。
この年の成人式も逃げるように欠席です。
それから気付けば、二浪、形だけの三浪、22歳、23、24、25、26、27歳‥と延々8年。現実逃避、引きこもりを続けていました。
8年間通して仕事もろくにせず、酷い生活ぶりではあったのですが、22、23歳の時は特に酷かったと思います。
甘い母親に付け込み、運転免許代30万をもらって、そのお金をパチンコなどのギャンブルで散財したり、家に帰らず明け方までネットカフェでゲームをし、入り浸っていたり‥‥。
また、父親にはこうなった教育責任を擦り付け、「産んだのは親の責任だろ! だから一生俺を養え!!」などと、とんでもない悪態をついたり。壁を蹴って壊したり。
とにかく荒れていたし、逆に落ち込みも酷かったし、感情の波が凄かったです。この時期は。
この8年間、さんざん親に迷惑を掛け、社会の役にも立てず、どうしようもない生活ではありました。
でも、望んでそうしてた訳ではありません。
本当は、親に迷惑も掛けたくない。本当は、人生を充実させて人の役にも立ちたい‥。
でも、
「自分は人より劣っている」(劣等感)
「自分は駄目な人間」(自己否定感)
この思いが全身に、鉛のようにのし掛かって動けないんです。
実は先ほど書いた免許代30万使い込む話も、免許を取りに教習所の門の前までは行ったんです。
自宅から通える範囲の教習所三か所、入り口まで行きました。
でも、自動ドアを開けられないんです。受付まで行けないんです。
行こうとすると、劣等感、自己否定感という鉛が身体の動きを止めるんです。
「行動したい‥、でも怖くて行動出来ない」
ズーっと、ズーっと、こんな思いに悶々とする日々でした。
この8年、こんな苦しみを抱え続けていた私は、やがて心身が乱れ、自律神経も壊れ、26歳の時点で「パニック障害」という心の病気になってしまいました。
この病気の辛いのは、いつ起こるかわからないパニック発作を恐れるようになり、外出が出来なくなっていく事です。
パニック障害。
初めは医者に行けば治ってくれるものだと思っていたのですが、患者を機械的に流れ作業で扱う医者ばかり。
「診察などせず、自販機を用意してくれ」と思うほど薬だけ処方され、治っていく感覚なんてまるで持てませんでした。
心療内科なのに医者の心が冷え切っている。皮肉なものです。
1年くらいこんな状況が続き、薬漬けになっていた私は、
「27歳で死にたかないけど、このまままともな外出も出来ないんじゃ、死ぬしかないのか?」
と絶望感に駆られる日もありました。
ただ遠出が怖くて近場のクリニックに逃げている自分もいたので、どうにか評判の良さそうなところを見付けて遠くても行ってみないとやりきれない思いもありました。

そこで一念発起。電車に一駅乗るのも恐い自分にムチを打って、実家埼玉から都内の診療所へ行ってみたのでした。
心拍数180、血圧170。極度の緊張と不安の中、診察を受けると‥、
「よく頑張って、埼玉からここまで来たね」と声を掛けてくれる先生。
私の話にしっかり耳を傾けつつ、的確に診断を下すその姿勢に温かさと安心を感じました。
そして、先生は退室時「大丈夫、絶対治るから」と笑顔で私に手を差し出し、握手をしてくれたのです。
この瞬間は本当に嬉しかった。
この日の出会いがきっかけで、私が引きこもりから抜け出せるようになったのは間違いありません。
いま思うと本当によく拾われたなと思うし、「捨てる神あれば拾う神あり」まさにこの言葉なのかと思えます。
(この診療所にお世話になってから劇的に寛解し、12年経つ今でも繋がりを持たせてもらっています)
この出会いで、これまでの8年間私が本当に欲しかったものは、お金でも意地でも優劣でも地位でもなく、「大丈夫という安心感」だったことを思い知らされました。

思い返してみるとこれまで苦しい時に、この「大丈夫」という安心できる言葉を人から言われたことがあったか? と思います。
学校の先生や姉、何より親から。
父親は仕事をしない私を嫌みったらしく「しょうもない奴」と吐き捨てたり、「しっかりしろ」とプレッシャーを与えるだけだし。
母親は、優しい口調ではあるものの、「このままじゃ将来駄目になるよ」と不安感を煽ってばかり。
こんな親の思いを植え付けられれば、「安心感」など得られるわけがありません。
そもそも夫婦仲が悪かったので、いつも居心地悪く過ごしていましたし。
「俺の心は一体どこで安心させればいいのか?」
私は8年間、いや遡れば中学生くらいから心の居場所、帰る場所をいつも探していたのかもしれません。

何かの縁で見つけることが出来た私にとっての心の居場所、心が安心して帰れる場所。 「大丈夫」

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