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朝日訴訟の会

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NPO法人 朝日訴訟の会

所在地 〒700-0054 岡山市北区下伊福西町1-53 岡山県社保協内
TEL 086-255-1299
Mail info@asahisosho.or.jp

朝日訴訟の精神継ぐ 「会」が総会 提訴60年意義学ぶ
憲法25条を生かした政治を実現するために朝日訴訟から学ぼう-。NPO朝日訴訟の会は18日、岡山市内で第12回総会を開きました。
会長の岩間一雄岡山大学名誉教授が「朝日訴訟の精神を受け継いでいこう」とあいさつしました。
朝日訴訟は、岡山県の重症結核患者、朝日茂さんが低すぎる生活保護費は違憲だとしてその引き上げを求めて1957年に提訴したもの。
茂さんが亡くなる直前(64年2月)、健二さんが養子縁組し訴訟を承継しました。
元中央社保協副会長で元総評社会保障局長の公文昭夫さんが講演。
安倍政権が戦争法を強行し「共謀罪」法案の提出を狙うのと同時に社会保障を削減する現状が朝日訴訟提訴時に酷似していると指摘し、
「すべての人が人間らしく生きる社会をつくるために全国一律最低賃金制の確立と底上げと、社会保障の改善を車の両輪とする労働者の運動を広げよう」と呼びかけました。
生存権裁判を支援する全国連絡会会長の井上英夫金沢大学名誉教授は、茂さん、健二さんが運動のなかで「権利はたたかう者の手にある」と繰り返し訴えてきたと強調。
憲法12条(自由・権利の保持義務)と97条(基本的人権の本質)にふれ「私たちがたたかうことは権利で、たたかい勝ち取った権利は不断の努力で守らなければならない」と訴えました。
松山市から初参加した男子大学生(22)は「朝日訴訟は判例だけでは分からない。
『人間らしく生きたい』という意味について話を聞き感じてみたかった」と語りました。
則武透弁護士が新会長に選ばれました。
〔◆平成29(2017)年2月19日 しんぶん赤旗 日刊〕 

朝日訴訟:NPOに支援女性の知人、原告遺品を寄贈 社会保障問う 辞書など6点、北区で公開へ/岡山
憲法25条の「生存権」に基づき、当時の社会保障について問題提起した「朝日訴訟」の原告、
朝日茂さん(1913~64、津山市出身)が生前使っていたとみられる辞書など遺品6点が、NPO法人「朝日訴訟の会」に寄贈された。
朝日さんを身近で支えた女性(故人)が長年保管し、女性と懇意だった倉敷市の井上久仁子さん(79)が預かっていた。
遺品を寄贈した井上さんは「朝日さんを支えた女性の存在を多くの人に知ってほしい」と話す。
 生活保護の水準が生存権に反していると国を訴えた訴訟は「人間裁判」の名で全国的に注目を集め、社会保障運動に発展、生活保護費の引き上げにつながった。
朝日さんは1審では勝訴したが、2審で敗訴。
上告審の途中で他界した。
寄贈された朝日さんの遺品は、文箱、ペーパーナイフ、辞書、そろばん、虫眼鏡と、文字を書く際に使っていたとされる板の6点。
朝日さんは訴訟中、全国の支援者らと頻繁に手紙をやり取りし、その数は1万通に上るともされる。
辞書には結核患者だった朝日さんの喀血(かっけつ)とみられる跡も残る。
遺品は当初、朝日さんを支えた故足立初枝さんが保管していた。
朝日さんが入所していた早島町の国立岡山療養所(現国立病院機構南岡山医療センター)で知り合い、
足立さん自身の結核が治った後も患者を身近で世話する「付添婦」として療養所に残った。
同会事務局長の川谷宗夫さん(61)は「訴訟を戦い抜くことは大変なストレスがあっただろう。朝日さんの相談相手で、心の支えになった人だったと聞いている」と話す。
足立さんは3年前に亡くなったが、その数年前、井上さんに遺品を託した。
井上さんから寄贈を受けた同会は、記念展示室(北区下伊福西町)で公開する予定だ。
同会の会長を務める岩間一雄・岡山大名誉教授は
「朝日さんがどのように生きたか証拠づける品。社会保障を切り捨てるような動きがある今こそ、多くの人に訴訟について学んでほしい」と話している。
〔◆平成28(2016)年10月6日 毎日新聞 地方版〕 

「人間裁判」の原告、女性が支えた証し 故足立初枝さん、朝日さんの遺品守る /岡山県
1957年、早島町の療養所に結核で入所していた朝日茂さんが、憲法25条で定める生存権の意味を国に問うた「朝日訴訟」。
一審では主張が認められたが、高裁で逆転敗訴し、上告中の64年、朝日さんは50歳で亡くなった。
病床で闘う日々、朝日さんは、療養所で出会った女性と結婚を約束し、未来を夢見ていた。
「郷里の津山で民主的な本屋をやろう」
女性は3年前、98歳で亡くなった足立初枝さん。
朝日さんより1歳若く、同じように結核を患い、国立岡山療養所(当時)に入所した。
自らの病は5年あまりで治ったが、その後も付き添いとして療養所に残り、朝日さんの世話を続けた。
「肌着が2年に1枚、パンツが年1枚しか買えないような生活保護水準は低すぎる」と訴えた裁判は「人間裁判」と呼ばれた。
達筆だった足立さんは、東京地裁の勝訴で大量に届いたカタカナの祝電を1枚ずつ漢字で清書した。
自転車に乗れなかったので、「本屋をするのに困る」と療養所の中庭で練習し、朝日さんが病室から見守った。
だが、2人の夢はかなわなかった。
足立さんは、親族と一緒に、朝日さんの遺骨を東京・青山霊園にある「解放運動無名戦士墓」に葬った。
訴訟は死亡直前に養子縁組をした夫妻が引き継いだが最高裁は認めず、67年に上告を退けた。
死去から4年後の命日、療養所のそばに人間裁判の石碑が建立され、足立さんはその近くで暮らし続けた。
倉敷市向山の井上久仁子さん(79)は、夫が早島町のシルバー人材センター事務員だったことから、約10年前、足立さんと知り合った。
「とても魅力的な男性だった。男の中の男だった」と、足立さんは朝日さんの思い出を語った。
数年後、足立さんはインフルエンザで入院し、井上さん夫婦を頼った。
その後、倉敷市内の養護施設に入ることになり、持っていけない家財道具を夫妻が預かった。
その中に朝日さんの愛用品があった。
机代わりのミシン板、文箱、虫めがね、ペーパーナイフ、そろばん。
辞書には喀血(かっけつ)の染みがついていた。
亡くなって病室を片付けた時にもらったという。
2010年、足立さんは妹と一緒に暮らすため、広島の施設に移ることになった。
荷物を引き取りに来た親族は、足立さんと朝日さんの関係を知らなかったので、井上さんは遺品を渡さず、保管し続けた。
今年2月、NPO法人「朝日訴訟の会」が、岡山市北区下伊福西町の県民主会館に「朝日訴訟記念展示室」を開いた。
日記をつづったノートや肺のX線写真、裁判官手書きの判決原稿など約60点が並んでいる。
井上さんは、足立さんが守り続けた遺品も多くの人に見てほしいと、寄贈を申し出た。
「これは、ただの物ではない。朝日さんは天涯孤独ではなく、足立さんという女性が最期まで尽くしたことの証しです」
6点の遺品は23日、会に引き渡される。
事務局長の川谷宗夫さん(61)は「足立さんが朝日さんの病室に泊まり込んで献身的に看病したのは確かで、心の支えだったのは間違いない」と話す。
朝日さんは病床で1万通近い手紙を書いた。
「それに使った辞書は貴重な資料。書簡や愛用した万年筆と一緒に展示したい」と喜んでいる。
〔◆平成28(2016)年9月16日 朝日新聞 大阪地方版朝刊〕 

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