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親が望む“この道”でなく子どもが選ぶ“その道”を体験させたい

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2017年7月10日 (月) 15:21時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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親が望む“この道”でなく子どもが選ぶ“その道”を体験させたい

ある人と話していましたら、不登校情報センターをサポートステーション(サポステ)にしてはどうですかと提案されたことがあります。
そのとき、「いまの自分がしていることを土台にし、それを強化するか活動の幅を広げること」、これができることではないかと思いました。
取り組んでいることに近いものがあるからといって、現状から離れる方法は上手くいかないと思ったものです。
このことは引きこもっている個人にも言えることではないでしょうか? 
「引きこもっていてもしょうがないので、自立をしてほしいんです」という親からの相談を受けます。
親の気持ちとしては当然かもしれませんが、自立のための手がかりをどうつかむか考えるとき、上のことばはこうなるはずです。
「子どもがいましていることを評価し、そこからどう伸ばすのか」になります。
そのとき親からは「子どもの現状で認められるものは何もありません。ゲームをしているだけです」という答えを聞くことがよくあります。
そこで「どんなゲームですか? どんなテレビ番組ですか? どんなネットの内容を見ていますか?」と聞いてみます。
「知りません・わかりません」という答えが多いです。それはわるいことではないでしょう。
子どもの状態を事細かにわかっていることは、子どもの自立の条件ではありません。
私の子どものことを考えても、十代に20代に何をしていたのかは本当のところは知りません。
ただ「自分の道を行け、聞きたいことがあったら聞きに来い」という気分だったように思います。
これは一つのパターンでそれがベストとは思いません。
親の思いを優先させて、「この道を通れ、その道に行くのは禁止」パターンがうまくないと思います。
反発をしないタイプの子どもがそうされるとやがて引きこもりになるように思います。
「この道」は親の望む道、「その道」は子どもの選びそうな道です。
「その道」を禁止されると、子どもは何かを経験し、試してみる機会を失います。
親の望む「この道」は自分のなかに動機らしいものがないのです。
子ども時代にこういうことが繰り返されていたと思うのです。
最近あった相談を思い返して文章にしてみました。

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