カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


外出の先になにがあるのか 〔独白調〕

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2017年7月10日 (月) 19:02時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内, 検索
Icon-path.jpg メインページ > 不登校・引きこもり質問コーナー > 外出の先になにがあるのか 〔独白調〕

外出の先になにがあるのか 〔独白調〕

2016年11月13日「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)のテキスト
家から外に出たい気持ちは強いです。しかし、出ようとすると恐怖心がわき起こります。
外出の準備をする、玄関に行く、ここまではできます。玄関先で家の周りの様子を探ります。
近所の人の声がするかどうかです。玄関のドアを少し開けてみます。
外に人影があるとどうしようかと迷います(この時はあきらめていいのです)。
誰もいないと確認できれば大急ぎで飛び出し家から離れます。ここが最初の難関です。
誰かに出会うとパニックです(家に戻るか脱兎のごとく離れるかで対応)。

家から出てどこに行くのでしょうか。
これという行き先がないと外出は繰り返せません。
行き先探しが大事になります。自分の場合はある公園です。
人はあまり多くはなく静かなところでトイレがあります(使えるトイレがあるのは大事な要件です)。
他の人の例では、「図書館、書店(書店は減ってきています)、コンビニなど、少しは人の気配を感じながら、人とのコミュニケーションをとらなくてもいい場所」が多いようです。
しかし、そういう場所はやがて不十分感がでます。
必要なのは“人”です。
行きやすい“人のいる場所”ができると、外出しやすくなります。
自分を受け入れられる感じがするところです。あまり話さない自分、静かにしている自分が認められる場所です。これがなかなか見つけられず苦労をします。
最近はカフェがはやりですが、混雑は苦手で行きたくはありません。
単純にボーっとその空間を味わいたいのですが、不自然に思われるので本をもって行ったりします(本に集中できるわけでもありません=個人差あり?)。
これは「周囲に人がいる状態で人に影響されないでいられる練習」をしているのです。
とにかく人がいると、特に顔を知っている人がいるとその人を気にして落ち着きません。
これが他の人に影響されている自分です。その状態から抜け出さないと何もできそうにないのです。

自分のなかにこれというものがないので、周囲に自分を引き付けるものがないのかと探している自分の反応です(自分探しの自分)。
もしごく単純な手作業があるとそれを繰り返しているだけでいいので楽にその場におれます。
ただし、そういう場にうまく出会うことはほとんどありません。
そういう場所が見つかれば行き先にできます。それにより生活にリズムができると思います(毎日でなくても週単位や月単位)。
家の外に行き先があるから外出が繰り返せるのです。
そうでなければすべてを家の中で自分の意思で律して暮らすという芸当をしなくてはなりません。
そんな芸当を数年も続けてきました。
手芸や工芸などの創作活動はそれができます。やっている人はいます。
それを一人の状態で続けられるときはいいのですが、自分は「人のなかにいられる」ことも求めているのでその状態をズーッと続けることができません。
何かこれという興味・関心があり、それにより人とつながればいいと思うのですが興味・関心がまるで見つかりません。
人に話すと「何でもいいから」という答えが返ってきますが、「その何でもの何って、何ですか」と聞き返したくなります。
しかし問い返す気にもなりません。答えは自分のなかにあるのでしょう。
B.ディランさんなら「答えは風のなかに舞っている」とでもいうのでしょうか。

振り返ると子どものころから、自分の興味・関心を自分で消してきた歴史です。
遊びよりも勉強がいいと言われてきました。
一人でいるのが好きだったので無理をして遊びを避けていたのではありません。
だから一人が好きで友達がいないのを誰かのせいにするつもりはありません。
だけど勉強したからと言って自分の興味・関心には結びつかないのです。
いまさら遊びが大事と言われても手遅れ感があります。
それに対しては、経験することでしかわからない、経験を重ねなさいという答えが返ってきました。
勉強も経験の一つですが、この場合は自分のからだを動かし、人と接触し、自分の頭を使うという形の経験です。
子ども時代なら遊びですが、20代や30代になるとそう単純ではありません。
最近はなるべく映画や美術館などにかぎらず、集会的な普通の人が話をしている場に行きます。
もし自分にも話せそうなら話しても不自然ではない場所に出かけてみようと考えて、行動しています。
高い壁がありますが少しずつの試みです。それでも家から外に出る一瞬のドキドキ感はまだ残っています。

もう周りの人間は就職とか仕事に就く話を勧めなくなりました。さしあたりは楽になっています。
しかしそれに代わるものが必要でしょうが、それが何なのかはわかりません。
いまのところはリズムのある生活を確立することが目標です。
その生活が充実すれば自分が理解でき、人との関係ができるかもしれません。
その先に友人的な人ができるかもしれません。
そういう人との関係のなかで自分がわかるのではないでしょうか。
勉強しても私にはそれは抽象的なレベルにとどまり、本物の自分は理解できません。
生きた人間と接触しコミュニケーションをとれることが自分にはリアルな世界です。
いえ、そこはあまりにもリアルすぎる世界でまだそこに入っていくかどうかを戸惑っているのが現状です。
そのあたりをわかってください。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス