Center:2000年10月ー子どもの不登校が家制度を変える
子どもの不登校が家制度を変える
*「進路指導のはざまで」『中学教育』2000年11月号。
新幹線に乗って、東京の私の事務所を訪ねてきたのは3人でした。
和雄くん(15歳)と母親、おばあちゃんです。
約束の5分前にチャイムが鳴り、到着を知らせます。
家族は、父親、おじいちゃん、弟2人(中1と5歳)を加えた7人。
和雄くんは長男です。
初めはお母さんが話し始めました。
説明にちょっとよどんだときから、おばあちゃんが状況説明の中心になりました。
和雄くんは自分から話すことはなく、問いかけられたとき少し表情をつくる形でこたえます。
これだけでこの家族のおよその見当がつきます。
和雄くんは中学1年の2学期からずっと不登校です。
理由は「勉強ができないから」。
学校ではこれという対応はされず、教師は当てにできない旨がさらっと話されただけです。
今春、不登校のまま卒業し、調理師学校(高等専修学校)入学しました。
そこも行けなくなり、どうしたらいいか相談に来たのです。
たぶん地方の資産家(旧家)といわれる家でしょう。
その長男として、小さなころからしつけられてきました。
日常的に「長男として~らしく」と言われ続け、なのに自分がどんな人間なのか、さっぱりつかめないままき今日まできた、ということでしょう。
和雄くん本人の意思や資質を正面から見て引き出し伸ばすと言うことは少なかったでしょう。
家を継ぐ長男として、あるべき姿、求められる像に近づくことが中心になったようです。
言葉をかえれば、子ども本位の成長ではなく、家系を引き継ぐ子育てです。
このような家系を背負った子育てによっても伸びる子どもはいるでしょう。
しかし和雄くんの場合はその重圧に押しつぶされてきたのです。
和雄くんの不登校は、この家族のあり方の転機になっていると思います。
家制度を継ぐしつけ教育から、個人中心の子育てへの転換は、大きな変化です。
家族全体で和雄くんにとっての最善の方法が考えられた様子が見られます。
おばあちゃんが考えてきたことを次々に提示し、私の反応を見ようとします。
和雄くんがわずかな表情で、でも確かにOKの意思表示をしたものがあります。
家族の元を離れ、自然に囲まれた全寮制の施設に入ることでした。
私は大筋でこの方法がよいと思いました。
そこは、希望する入所生には通信制高校で学べるようにしていました。
将来、和雄くんもそれを利用できるかもしれないと思いました。
指導員に心配事があればメモを書いて渡してみよう。
自分にできることを探して、自分のペースで進んでみよう。
がまんが大事だよ。
……我ながらこれが老婆心というやつだなと思うはげましの言葉をかけて、そこへいくことを勧めました。
家制度を変える革命が始まっている。
和雄くんをめぐるこの家族の動きは、私にはそのように映りました。
成功を祈るという気持ちが、老婆心の言葉になって口を衝いたのでしょう。
連載「進路指導のはざまで」
(1)2000年3月ー進路先がフリースクール?
(2)2000年4月ー3つの選択に隠された転校処分
(3)2000年5月ー通信制高校に進学した理由
(4)2000年6月ーなぜ入学した後すぐ転校を望むのか
(5)2000年7月ー高校進学後に再発した登校拒否
(6)2000年9月ー私は中学校を卒業してないの?
(7)2000年10月ー子どもの不登校が家制度を変える
(8)2000年11月ー専門家一任でなく背後で応援しよう
(9)2000年12月ー国勢調査で大検合格は高卒では?
(10)2001年1月ー“兄貴分”にも相談相手の役割
(11)2001年2月ー自分さがしの機会がなく退学