『ひきこもり国語辞典』の誕生
『ひきこもり国語辞典』の誕生
会報『ひきこもり居場所だより』9月号(第29号)に掲載したエッセイの内『ひきこもり国語辞典』の誕生の部分です。
手づくりの小冊子『ひきこもり国語辞典』を手に、「これを出版社から発行するつもりで働きかけている」とある人に話しました。
その人もこの辞典にいくつかの言葉(題語)を提供しています。
「かなり暗いし受けるかな~」と戸惑い気味であり、積極的な賛成ではありません。
ひきこもりが、特に中高年のひきこもりがかなり大きな社会問題と認められるようになった時期です。
事実・実情がわからないと、不安感が付きまとうのが世の常です。
『ひきこもり国語辞典』の出版をひきこもりの理解を進める一助になるのではないかと考えるのですが、一筋縄ではいきません。
『ひきこもり国語辞典』は明るいか暗いかと言えば暗い部類でしょう。
ですが明るいものだけが受け入れられているわけではないし、暗いものの中にこそ大事なことが含まれます。
私がたどってきた小冊子『ひきこもり国語辞典』作成までの過程で感じたこと、理解してきたことからそれを紹介しましょう。
もう17、8年前のことになります。
教室の壁に1枚の張り紙を見つけました。A4版の白紙にこうありました。
「難しい」と「恥ずかしい」は類似語です。
なんかうまいこと言うな、と感じたのを思い出します。
2つの形容詞が類似語であるとは普通は認められないでしょう。
でもこれを書いた人にとっては類似語。そう感じる意味が何かわかるような気がしました。
書いた人が誰なのかはわかりません。
その居場所にしている教室に来るのはひきこもりの経験者であり、その感性を示しているのです。
私はその居場所に来る人が何かにつけて、自分の意見を言うこと・言えること、表現することは大事だと考えていました。
自然発生した手紙の交流(文通)を意図的に進めたのはその実現方法です(5年間に約600名が参加しました)。
その文通の過程で絵を描く人が表われ、持参したイラスト絵なども教室の壁に並べていました。
そこにこの張り紙が出てきたのです。
しばらくしたらノートを切り取った1枚の紙が張り出されました。こうあります。
<イブニングフォール症候群
引きこもりなんだから家に居て当たり前かもしれないけれども逆のこともあります。
あの家から出てきて、なんとなく楽しい時間を過ごした日なんかはとくにそう。
夕闇がせまりそろそろ家に帰らなくてはならない時間になると落ち込む気分におそわれます。この状態をさします。>
ボールペンで書かれた筆跡により私は誰が書いたのかわかりました。
意味は問わなくてもわかります。
この2枚をみて、ひきこもり経験者の感覚から出たこれらの言葉を集めたら彼ら彼女らの感覚のおもしろさ、
繊細さ、鋭さ、独特な感性、生活感、モノの見方や考え方…が表れてくるのではないか。
そういう気持ちになって、その居場所に来た人たちが交わすことばに注意を払うようになりました。
これは鋭い、おもしろそうというのに出会うとメモをしていきます。
どこかで見聞きした言葉もあるでしょうが、ある場面でその人から出たものです。
私には一次的発見の言葉です。
彼ら彼女らの感覚の純粋性、気持ちの飾らない表現に引き付けられたのです。
しかし、その場の雰囲気を知らないとわかりづらいもの、当人の感覚だけでは他の人には伝わらない言葉もあります。
共通に伝わるような翻訳(翻案)も必要になります。
それを気にしながら少しずつ増やしていきました。
だいぶん数が多くなったのは、5~6年経ったあたりです。
まとめようとしたのですが問題もありました。
話した人はそれぞれの言葉を主語にするわけではありません。
イブニングフォール症候群とつけたのは珍しい例です。
それぞれの言葉が何を表すのか、いわば題語をつけなくてはなりません。
この作業をしながら題語を五十音順に並べていきました。
そう難しくはなかったのですが、題語をつけたために話した当人が感じたのとは違った意味合いになったのもあるかもしれません。
初期にメモした言葉はどれが原言葉の中心の意味がわかりづらいものもあります。
2011年ごろにそれらの最初のことば辞典にしました。
100語は超えていたはずで、ネット上に「ひきこもり生活事典」としました。
いったんそれができると伝えやすくなります。
何人かが関心を示し、おもしろがって、それぞれの人の感覚と経験により言葉はどんどん増えました。
手づくりの冊子にしたのはそれからおよそ2年後です。
そう呼びかけながら必ずしも賛同の意見ばかりではないとわかりました。
茶化されている、親身に感じられない、反発する気持ちの人もいるのです。
考えてみれば当然でしょう。
ある表現に対する受け止め方はいろいろです。
特に自分の状態を表現されていると感じるときはそうでしょう。
肯定するにしても反発するにしても強くなるのは当然です。
そんな受けとめ方をされているのかと、それに納得したり、違和感を覚えたりする。
私の主観的な印象では肯定的30%、反発5%、多数派がそれ以外という感じでしょうか(?)
2013年に手づくり冊子『ひきこもり国語辞典』を作成しました。
その時点で採用した題語は278語です。
このときにまえがきで書いたのはこの辞書の意味です。
言葉、ふるまいなどからひきこもりの彼ら彼女らの感覚、感情、意識、生活感などを理解する手掛かりになるという趣旨です。
手づくり冊子『ひきこもり国語辞典』をあちこちの持ち込んで広めたのはS君です。
S君が冊子発行してから宣伝販売を続けていなければ、出版にはつながらなかったとさえ思います。
ひきこもりをテーマにした1000人規模の全国集会がありました(2017年2月)。
その時は〔増補改訂版・313語〕100部作成して出かけ、S君と私でほぼ完売です。
彼は宣伝販売者の役割をしただけではありません。
冊子購入者の、読者の、当事者や行政の担当者を含む支援者の反応というか声を聞かせてくれました。
招かれていくつかの集会や学生向けのセミナーでひきこもりの理解を進める話をしてきました。
これはひきこもりを理解するテキストになるというのは、そういうかかわりの中でわかってきたことです。
2018年、S君が、ある集会に来ていたNHKの人に渡しました。
そのNHKの人から取材があるかもしれないとS君に聞いた数日後、連絡がありました。
夏に取材を受け、1か月後に「ひきこもり文学」という1時間ぐらいの長い番組に挟む短いコーナーで紹介されました。
何度も再放送され、多くの人の目に留まったのです。
それが手掛かりになって『ひきこもり国語辞典』は手づくり冊子から通常の出版物になりました。
しかし、これで終了とは思えません。
出版した後も、『ひきこもり国語辞典』に関係する取り組みは続きます。続けたいと思います。
さしあたり2つの取り組みが想定できます。
1つは引き続き関連する語彙を集めること。これには編集上の工夫を含む学習と、挿絵を生かすことがあります。
もう1つは販売すること。おそらくS君がしたように支援団体や家族会などで話し、理解を勧める活動があります。
これをひきこもり当事者のかかわる取り組みにしたいと思うのです。