次期の家族制度を思う
次期の家族制度を思う
『凍りついた瞳2020』は、乳幼児虐待の発見、予防対応策の一層の改善などを具体的に詳しく現場の様子から描いたきわめて優れた著作であると認めなくてはなりません。
なぜこのような事態が続出している社会になっているのか。私はそこにも目を向けなくてはならないと考えたのでした。
この虐待およびマルトリートメントの数年後、数十年後にひきこもりの形で表面化している、という私の仮説では、なぜこのような虐待が生まれているのかを説明する必要性を感じたのです。
私の結論的な意見は既に述べました。子どもを育てる家庭・家族の機能、すなわち世代継承機能が低下している、それは夫妻と子どもの二世代核家族の広がりと、地縁的な結びつきの低下です。
そこに目に向けることは、かつての三世代家族やより大家族的な大家族を回復することではありません。
なぜなら二世代核家族は家族制度としては家族構成員のより平等な関係を条件づける達成でもあるからです。
しかしそれは家族の世代継承機能を低下させる不全性をもっていた。その表われが子どもへの虐待・マルトリートメントの多発だからです。
ふり返って歴史をみたとき、家族制度にも変化の歴史がありました。ここ数十年の間に広がった二世代核家族の広がりもその歴史の変化の一部でした。
思うにそれは、旧い家父長的な大家族制制度に代わる家族構成員が公平に存在できる次の家族制度が必要であることを告げる予告の時期、移行期の始まりだったのです。
では次の新たに迎える家族制度はどんなものでしょうか? 少なくとも相当に長い期間は、現在の二世代核家族制度の片方に生まれた広がり、共存していくものと思います。
100年とか200年以上かもしれません。というのは家族制度の変化は、人間に必要な物品生産およびサービス産業の変化に比べるとより穏やかなものになると想定できるからです。
二世代核家族制度の下で発生する子どもへの虐待・マルトリートメントの発生は高くなっているとはいえ、全体状況からみれば小さな部分でしょう。
もっともそれ以上に世代間の生活スタイルの違いは、二世代核家族の制約を感じさせるかもしれません。
それでいながら、三世代以上の人がそれぞれの世代の人が2人以上いる複合的な家族はこの世代間の生活スタイルを衝突(?)を緩和する役割をもつはずです。
血縁的構成員中心から地縁的関係・生活協力的な関係による人の割合が増えていくのが、この複合的家族といえるでしょう。
将来の複合家族について具体的内容を詳述するのは、これ以上は適切ではないのでここらでやめておきます。

