熱意ある取り組みと共助の姿
熱意ある取り組みと共助の姿
20歳で生後9か月の子を育てる母親からSOSのメールを保健センターに送ってきたところから始まる『Story2 「親」って何ですか?』の記録はすばらしいものです。
椎名篤子(編・著)『凍りついた瞳2020』(集英社,2019)。
保健センター、家庭児童相談室、ファミリー・サポート・チーム(FAST)で対応する小児科のある病院、そこで働く医療スタッフの創意と知識と連携により、この20歳の若い母親が笑顔で子育てできるようになるまでを支えた2年8か月の記録です。
終わりごろには保健師の担当地域の町会長、民生委員や「手伝います」という人たちとの交流も深めていたといいます。
途中、小児科医がベテランの児童精神科医にこの子をつれて行ったときの言葉はこうです。
「僕らは、短期決戦型ですか」。この直観的な言葉に納得した私ですが、感想としてはこうも思いました。
このStoryは優れた専門職に恵まれた特別のケースでもあると。
孤立状態におかれ子育てに自信のない若い母親を助ける公的な支援環境のめざす方向を実現していますが、まだレアケースでもあります。
この「Story2」を読み終えて改めてすばらしさを感じた一方で、もう1つの感想も湧いていました。
自助、共助、公助の大切さを訴えたつもりらしいのに公助を後回しにしたい気持ちがバレてしまった政治家がいたのを思い出しました。
まだ十年にはなっていない比較的最近のことです。
この「Story2」で描かれていたのは「公助」でありますが、これを特にすばらしいと感じるのは、それが一般的に定着していない現実があるからです。
しかもここで関わっている人たちの熱意は、定められた制度のなかで特別に実現したものです。
不十分な制度のなかで、熱意と創意と協力関係をつくっている専門職の人たちの工夫によって生まれたすばらしさがあるためです。
20歳の若い母親の自助は、とても不安定なワンオペ育児でした。
それを熱意ある集団的な公助ができて2年8か月を支えたのです。
さて自助と公助の間にある「共助」はどうなっているのでしょうか?
共助とは地域的な取り組みをさすのでしょう。
もしかしたら保健センターや小児科医院も含まれるのかもしれませんが、私はそれを「公助」の枠で扱いました。
おそらく町会長や母親と交流する広場で「手伝います」と言った人たちが公助になるのでしょう。
この芽はあると思いますし、ここでは十分に描かれていないのかもしれません。
私は共助を、柔軟であるとしてももっと形のはっきりしたものが必要になると思います。
それが子育て条件には必要と思うのですが、私の使い慣れた用語では家族の世代継承機能が自助であり、それを支える周辺の人たちのかかわりが共助です。
それは夫を含む親和的な関係者を想定しています。
それは「短期決戦型」の取り組みではありませんし、専門的知識をもつ熱意のある職業集団でもありません。
普通に協力し合い、日常生活をくり返す周りの人たちです。
それは、「自助」の主体である母親または若い夫婦を囲む親和的な家族に準じる、二世代核家族に重なる集団です。
それが欠かせないというのがこのすばらしい記録を読んでの感想です。
〔2025年8月31日〕

