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Center:生きると死ぬは表裏の関係

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生きると死ぬは表裏の関係

〔2010年07月08日〕 「生きることと死ぬことに関する日ごろの感覚、考え方」を紹介します。考え方とはいえ支援活動の姿勢や考え方に関係しますから、急に思いついたものではありません。  ある引きこもり経験者が仕事につくようになったとしましょう。だれが考えてもそれは本人の力、努力や苦心の結果でしょう。本人は「~さんのおかげです。みなさんの力によって…」と言うこともあるでしょうが、本人にそれを受けとめる要素がないと実現しません。その意味で「本人の力」こそ、なしとげる最大の要素です。次の記述はそれに関連したものです。 「患者と医師の関係もまた人間関係なのです。信頼関係づくりが前提になります。医師が患者に一方的に「私を信頼しなさい」というのは、信頼の一般原則に反しています。あなた病む人、わたし治す人ではないのです。治すのは患者自身であり、医師はその援助者なのです」。「相談相手として広く考えましたが、心理カウンセラーとおいてみれば、イメージしやすい人もいるでしょう。これらの人は自分の成長の援助者、伴走者であって、成長の主体は自分自身であることがわかるはずです」〔出典『社会へのアプローチの時期――脱引きこもり期(その1)』2006年10月〕。  これは病気の治療(患者と医師)、心理相談(クライアントとカウンセラー)の関係ですが、働くことに関する当事者と支援者の関係にも共通します。死について書いていませんが、支援においては切り離せません。「生きること・死ぬこと」は裏表の関係にある同一概念です。治療する、働くという“前向きのこと”について書いた同じ原理が、死ぬこと、“後ろ向きのこと”にも共通する原理になります。

 上記の働き始めた人にとって最大の要素は周囲の支援者ではなく、働き始めた本人にあるといっているのです。そうすると支援とは本人に生きようとする力をつけることになります。特に青年期以降の人には、その人のなかにある潜在的な要素を引き出すことに向けられます。思春期以前であれば、支援者が教えていくことも効果を発揮することも多いのですが、人の能力を引き出す本質的な方法は本人がそうすることです。

 ある教師が「教育においては、教よりも育が大事であり、難しい」といっていました。言葉を変えれば上から目線ではなく、横目線・下から目線となるでしょう。支援活動が長くなり私もその意味が実感できるようになりました。

 引きこもり経験者がそうなるには自己肯定感が大きな作用をします。周囲の人と比較して自分の○○はみすぼらしい、と感じていた人が、周囲との比較ではなく自分の独自性を肯定的に思えるようになること、それが自己肯定感であり、“育”によって強くなります。

   「自分にはそんなものはない」「そんな気休めをいうのはやめろ!」という人が、「それでいいのか」「自分にはこれならできる」と思えるようになることです。言葉で教えても伝わりません。生活や人のなかで自ら感じ、身につけるだけです。その人らしさに秘められたものを認められる感覚が自己肯定感です。スーパースターの要素ではなく、誰しもが内奥にもつ普通のものです。  私が場の設定者を自認するのはこのためです。手抜きに見る人がいるようですが、忍耐力がそれ以上に必要です。自立している人を見てください。どこにスーパースターがいますか。自分にはこれならできるささやかなことで、社会の一隅に位置を占めているのです。私の支援の考え方はこれです。  ここまでは、死について書いていません。また引きこもり状態の人や引きこもり経験者にも自分の身近に迫る問題意識とはならないかもしれません。次回は“死”とその周辺のことを書きます。

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