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不登校は家族内の“おかしさ”の表現

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不登校は家庭内の“おかしさ”の表現

―『こみゆんと』を読み直す(2)
『こみゆんと』は私が発意し1991年3月に創刊し、10年を経た2002年1月、50号で休刊になりました。20世紀最後の10年間の発行です。
栗原志文くんが終始その編集を行いました。私は途中で離れましたが企画的に息切れした状態になった終わりに少し手伝いました。
さて改めて『こみゆんと』を読み返したのは、『SHIP!』の刺激によるだけではありません。
ひきこもり発生の基盤的要因は家族制度が変化の時代を迎え、その“おかしさ”を敏感にキャッチした若い世代の登場です。
「わが子の不登校は家族の大きな問題になったけれども、それは家族全体のゆがみを表面化させ、それを根本からただしていくことになった」という主旨の言葉を何人か述べていました。
その実例を引き出すためでした。
この方法は、自分に都合のよい実例をひき合いにして強引に結論を導こうとするためではありません。
それを直接に書いたものが特に多いわけではありません。とはいえ私がこの30年間、不登校やひきこもりに関わるなかでくり返し思い起こし、継続させてきた気持ちの根源はこれです。
内容のポイントを衝いていると信じられるからです。
『こみゆんと』初期の手記を読み返しました。不登校を経験した小学生、中学生、高校生、高校中退生、そして20代になった人たちの率直な言葉がみられます。
多くは学校の体制と教師のやり方への批判であり、そこに自分の苦痛と苦闘が顕われています。不思議ですが読んでいると重苦しさではなく清々しさを感じます。
苦闘の真最中ではこうは書けないでしょうが、その体験の途上であるとしても何かをつかみとった時点での心の動きが生きいきと描かれているのです。
編集の中心にいた栗原くんの努力もあり、実に多くの読者投稿があります。不登校の親の会やそれを支援するカウンセラーや教師の応援があったから、こういう投稿は集まったのです。
さて私がめざす主旨の投稿を1つ抜き出してみました。これは不登校の経験者ではなく母親の投稿です。
母親の手記「子の成長を支える親たちの育て合い」(松居公子/大阪府・仮名)で『こみゆんと』第4号 1992年2月)。
松居さんは親の会に集まる人の話をいくつか紹介しています。
《あるお母さんは、教育相談を受け、交流会にも参加して、娘はだんだん元気が出てきて、中学校の先生方の大きな援助で再登校し、高校へも進学しましたが、家のなかでのお父さんは“蚊帳の外”の存在でした。
お母さんから見れば、夫は何も理解してくれないので不満ばかりで、家庭内別居の状態でした。高校で再び学校へ行けなくなった娘が、「お父さんも変わってくれないと、私はもうやっていけない。お父さん、相談室へ行って」と頼みました。
そして、夫婦で教育相談を受けた帰り道、日ごろ無口なお父さんが、「子どもたちが巣立ったら二人になるけど、そのとき、一緒に暮らしてくれるか。二人で暮らすのイヤか」とお母さんにプロポーズ。
お母さんは涙が出て返事ができませんでした。その後、「まるで新婚みたいよ」と、お母さんの目は輝き、娘は大検を受けて進学めざしてがんばっています》(p24-25)。
《体験談を話される親たちは共通して、「私自身が成長しました。嫁姑や夫婦の関係がよくなりました。家庭が明るくなりました。
子どもは登校拒否を克服するという大きな仕事をして、ひとまわり大きく成長しました。あの子は親を成長させ、家庭をつくり変えるきっかけをつくってくれました。
私は一時は生きていく自信さえ失っていましたが、いまでは、私は私のままでいいんだと思えるようになり、とても楽です」と語られます》(p26)。
親である母が、妻として新しい家族づくりをしているのです。多く見られる学校批判はやがて学校と教師を変える力につながりました。
子どもの不登校・ひきこもりは家庭・家族の不正常に気づかせ、変えていく力になった…というのが私の推察です。もちろん道はこの先も長く続いています。
〔2025年07月06日〕

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