ボランティアと私
ボランティアと私
やることがなく、自主的にゴミ拾いを始めた
入江幸宣 (2016年11月)
ボランティアを始めたころは、髪を伸ばして結んでいました。
その所為か付けられたあだ名が竜馬、NHKの「龍馬伝」が放送されていた。
子どものころの夢は、漫画家になることで、15歳で専門学校に入学したが、現実は厳しかった。
16歳から24歳の間で、合計すると4年間はひきこもっていた。
その当時、無職だった僕は、図書館で本を読んでいた。
昔から文字を読むことは嫌いだった。
成りたい自分と現実は遠く離れていた。
気晴らしで秋葉原まで、よく散歩に出かけた。
生きていることに何の意味があるのだろうか? その意味を探して、礼儀の本を読んだり、散歩をしながら思索を繰り返した。
とにかくやることがなかった。
人に気を遣わずに役に立てることを探した。
そして、自主的にゴミ拾いを始めた。
今年で30歳の僕が、人のために何ができるのだろうか? と、自分に問いかける。
これまでに行ったボランティアは、高齢者の話し相手、障がい者スポーツのイベントのスタッフ、障がい児の修学旅行の同行、障がい者のクリスマス会などに関わらせていただいた。
5年間でいろいろなボランティアをやってみた。
自分にも、あれができるだろうか? と、挑戦させてもらったり、相手側に立って考えさせてもらった。
そのお陰で、人のために自分にできることの幅を広げてもらえた。
人との出逢いは、僕の財産であり、僕の成長になった。出逢った人たちは、僕の一生の宝であり、大切な友人である。
彼らのために、自分はどこまでできるのか? そう問いながら、5年間、悩み続けた。
きっとボランティアで出逢った人たちが、僕の人生を充実させてくれたと思う。
ボランティアは、働く人のお手伝い。
ゴミを、「捨てる神あれば、拾う神あり」、皆が同じ人間、だから僕も人のために生きる。