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文通により一緒に悩ませてほしい

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目次

“いじめ”には強気に立ち向かってきたが

(1)名前:蒼井咲子(あおいさきこ)
(2)住所:北海道。
(3)19歳、女性。
〔2012年12月〕

(1)母にほめられたくて勉強熱心な子

「お前にお金を使うのは、あくまで先行投資だから、その分将来は給料の高い職業に就いてもらわないと困るからね」
私は、母親のこの言葉に縛られながら、この十八年間を過ごしてきました。
私は、小さい頃から勉強が好きな子供でした。
と言っても、将来なりたい夢や目標なんてものはなく、勉強が楽しいから、という理由だけで塾に通っていたのです。
そのうちある一つの思いが生まれていました。
それは大好きなお母さんにほめられたい、という思いです。
母が私のことをほめたり、周りに自慢したりするのが、当時の私の幸せでした。
母にほめられるために、嫌われないために、常に母の顔色を窺うように生活をし、勉強に力を入れ続けていました。
私がこのように生きていたのは、私を育ててくれた父親が本当のお父さんではないことが大きな理由でした(あくまでいま思い返すとですが)。
学校でも誰かにほめられたい一心で、テストで百点を取り続けていたのですが、私がその点数を取ることは、母の中では当たり前になっていました。
しかし、学年が上がるにつれて、いままでと同じような点数を取ることができなくなると、母は私を強く叱りました。
口をきいてもらえなくなったり、「お母さんと呼ばないでくれ」と突き放されたり。
不安でたまらなくなった私は、毎日必死に勉強をするようになりました。

(2)いい子ちゃんぶっていると見られる

これをきっかけに世間一般で言う「いじめ」が始まりました。
学校の先生にわからない問題を質問している私の姿を見た同級生が私のことをいい子ちゃんぶっていると言ったのが始まりです。
靴には悪戯をされ、時には机を蹴られた(もともと男子と仲が良く、勉強や運動ができた私は、それ相応の陰口を言われてはいたのですが)。
しかし、私はそんなことはお構いなしで、それを「いじめ」だとは思ってはいませんでした。
間違っているのはあいつらだ。
そう自分に言い聞かせていたからです。
相手の癇に障る行為ではあったかもしれないけれど、それで悪口を言うのはお門違いだと本気で考えていました。
その後何年もいじめに近い行為はありましたが、私はそれらの全てをいじめだと思っていませんでした。
いまでは、自分にも悪い点があったにせよ、さすがにあれはいじめと呼んでもよかったように感じています。
陰口を言われているのを聞けば、担任に報告して同級生を締め上げる。
比較的仲の良かった同級生がクラスでいじめられていれば、それを庇い徹底的にやり返す。
悪口を言われ、仲間外れにされ、靴を隠され、学校で居場所がなくなっても、私はそれに対抗する術を知っていたし、ごくわずかではありましたが友人もいました。
孤独を感じながらも、常に学校では足元をすくわれないように気を張り詰め、家ではひたすら勉強を続ける毎日。
それでも私はいじめられていないと自分に言い聞かせていました。
しかし、身体の調子が悪くなり、ひどい時は全身じんましんだらけになり、心よりも先に身体が悲鳴をあげてしまいました。
それでも誰に助けを求められるわけでもなく、母親は内申点のことばかり気にし、私をむりやり学校に連れて行きました。
その時に言われた言葉が冒頭のものです。

(3)いま思えばあれは母の虐待だった

私の母が教育熱心だったおかげで、私は不登校になることはありませんでした。
悪口を言われるから学校に行きたくない、もう勉強もしたくないと泣けば、当たり前のように叩かれました。
ひどい時は包丁を突き出されたこともありました。
私の家は金銭的に裕福な家ではなかったので、きっと母も心に余裕がなかったのだと思います。
あまりに生きていくことが嫌になって自傷をした時、それが母にばれてしまった時も、母は私を心配するのではなく、私を怒鳴りつけました。
「次同じことをしたら勘当する」「恥ずかしいからやめなさい」「死にたいなら死ね」と。
実際、衝動的に学校の二階から飛び降り、幸か不幸かただの捻挫で終わってしまったこともありました。
きっと、少しでも私を心配してくれたら、私もそこまで追い詰められなかったのかな、とふと思うことがあります。
いまだからこそ、当時のことはいじめだったのではないか、私の親がしていたことは虐待だったのではないかと思いますが、幼い頃の私はそれを最後まで許しませんでした。
勉強ができ、親の希望の星である私が、そんないじめや虐待などの被害者であるはずがないと本気で思っていたのです。
そのせいでいまは、当時の記憶のフラッシュバックに悩まされ、人混みや人の怒鳴り声を聞いて、過呼吸になることもたびたびあります。
そのたびに死にたくなるけれど、それでも私は自分を生かしています。
少しでも、自分と似たような思いをしている人の力になるために生きてみたいと思うからです。

(4)大きなことはできませんがお待ちしています

私は今、フリースクールの学習サポートボランティアスタッフとして、とある北海道のまちで活動をしています。
また、もともと文章を書くことが趣味で、少しでも人のためにそれを活かせないかと考え、このような文通ボランティアも始めました。
これらの私の活動を偽善だと言う人もいると思います。
たいしたつらい思いをしていないくせに生意気な女だと思う人ももちろんいるでしょう。
けれど、だからこそ一緒に悩ませてほしいと考えています。
死にたいと思うこともあると思います。
けれどその百分の一くらいだとしても、絶対に生きていたい、変わりたいと思っているはずです。
私は人の人生を大きく変えられるような呪文は唱えられません。
けれど、ほんの少しでも誰かの勇気や支えになるつながりを、文通を通じてつくれたら素敵だなと、生きていてよかったなと思えると思うのです。
この文章を読んで、少しでも私に興味を持った方がいたら、ぜひ文通をしませんか?
趣味は創作活動の他に、歌を歌うことが好きで、たまに喫茶店をお借りして、歌を歌わせてもらうことがあります。
この間は、老人介護施設に訪問し、歌や楽器を演奏するボランティアもやらせていただきました。
美術館巡りや写真展巡り、きれいなもの、きたないもの、人の思いに触れることが大好きです。
あなたからの連絡をお待ちしています。

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