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いなべ市立立田小学校

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いなべ市立立田小学校

明治8年に古田と篠立の寺院で2カ月交代で教育を始め、明治15年に校舎を新築し、清水学校と称しました。
明治23年に清水尋常小学校と改称し、その当時の校歌は、明治の御代(みよ)を歌ったもので戦前まで歌われました。
昭和23年に立田小学校と改称されてから、新しい校歌になりました。
作詞の藤田市男さんは深尾地区(※)の出身で、中里ダム内の丘に建てられた「離郷の碑」の銘文を残した人です。
作曲の岸本喜久一さんは坂本の出身で、校長を務めていたときに全校鼓笛隊を編成するなど、当校の教育に尽力しました。
人口流出により過疎化が進む中、昭和63年には山村留学制度、平成3年には「家族ぐるみの留学制度」を実施することで、子どもだけでなく大人も一緒に教育に取り組む地域となりました。
平成6年から始めた「ほたるの里」もそうした地域性から生まれた環境学習です。
(※)深尾地区 藤原町鼎にあった集落の1つ。中里ダムの建設に伴い、全住民が立ち退き、集落はダムに沈みました。
問合せ:ふるさといなべ市の語り部の会 伊藤忠
【電話】090-3583-2827
〔いなべ市情報誌 Link 2020年3月号(vol.195)〕

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