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ニセコ生活の家

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ニセコ生活の家

種類・内容
所在地 〒北海道ニセコ町
代表・運営者
連絡先

だれもが生きやすい町を目指して~ニセコ生活の家の取り組み
みなさんは、有島地区にある「ニセコ生活の家」をご存じですか。春・秋のバザーや道の駅ニセコビュープラザで販売している藍染め作品などで触れたことのある人も多いのではないでしょうか。
今月は、「障がい」を持つ人たちが、地域の中で家族や友人、地域の人たちと「あたりまえ」に暮らせることを目指し、ニセコ町で25年以上活動してきた「ニセコ生活の家」を紹介します。
◆ニセコ町にやってくるまで
「ニセコ生活の家」の前身は、昭和53年(1978年)発足の「札幌共に育つ教育をすすめる会」です。会では、
(1)地域で生きる
(2)障がいをもっていてもかまわない
(3)学校に対する働きかけを進める
の3点を共通基盤として、地域の中でどの子も共に育ち、共に学び、共に生きることを目指して、活動していました。
当時は、こうした運動は学校関係者から大変な批判にさらされ、また義務教育を卒業後も「しょうがい」が重いと言われていた人は行き場がなく、家庭や地域から隔絶された収容施設(当時の言葉)に行くのが当然のように思われていた時代でした。
そこで1983年、主に障がい児の保護者が中心となって、障がい児の義務教育終了後の生きる場として、札幌市西区に小規模作業所「生活の家」を設立。
古い借家を舞台に「そこにはさまざまな人たちが出入りするなんとも不思議な空間でした」(「生活の家だより」より)。 海水浴、宿泊研修会、クリスマス会などの行事を通じて、地域の人たちやさまざまな団体との交流を積極的に行っていました。
その後も多くの仲間が加わり、1985年には、北区の大きな持ち家に移転。札幌市の各区から親子で通い、西区同様に地域のみなさんとの交流を進めていました。
しかし、「しょうがいしゃ」や保護者自身も年齢を重ねる中で、札幌市各区から通う困難さを抱え、親亡き後の障がいのある「若者たち」の生きる場をどうするかという重い課題が突きつけられるようになります。
この課題について、全員で話し合いを重ねる中で、今まで同様に「家族や仲間と共に、地域社会の中で、いきいきと暮らす場を作る」「その形態として、生活寮(作業所)を中心に各家族や支援者が隣り合って、互いに助け合って暮らす」ことを確認しました。
こうした願いをかなえるため、「生活の家」は、活動と生活の拠点を自然が豊かで先駆的なまちづくりを進めていたニセコ町に移すことを決断します。
土地探しにあたっては、ニセコ町の協力も大きく、また設計・施工期間中には地域住民とも交流が深まりました。
有島武郎が農地を無償解放した相互扶助の地・有島に「ニセコ生活の家」が誕生した1997年末、仲間とともにニセコ町へ移住してきたのです。
ニセコ生活の家は、コーポラティブ方式(土地を購入する段階から、共用部分に関する設計や工事に至るまでの工程を共同で行う方式)で建設し、土地は当事者の親や支援者が購入(土地代の均等と共有の思想)、生活寮の建設費は親が共同で負担、各家庭の自宅は各自で負担しました。
◆「生活の家」「若者たち」に込める思い
「生活の家」という名前には、生活の中での「関わり」を大切に考え、管理されない関係性での生活の中で、お互い関わりあう…その中でお互いに気付くことを大切にしていきたいという思いが込められています。
「生活の家」を設立したとき、親や支援者で「生活の家」に通う人の呼び方もずいぶん話し合いました。
当時は通所者、入所者という呼び方が一般的でしたが、地域で当たり前に生活し、一人ひとりの存在を大切にしたいという気持ちを込めて「若者たち」と呼ぶことにしました。
この40年に障がい者の学校教育制度や福祉政策は大きく変わり、措置制度ではなく、サービスを選択し契約する流れになりました。
呼び方も「利用者さん」が一般的になりました。
しかし、生活の家は、そこに通う「若者たち」「親たち」が主体になり、それらを応援する人たちと共に設立し、運営してきました。
そのため、40年の年を重ねてもやはり彼らは「若者たち」なのです。
◇「生活の家」の原則
・地域のなかで、家族や仲間とともに生活する。
・「障害」の種類や程度により、分けない。
・生産性を問わない。生きることがその人にとって「労働」であり「仕事」である。
この原則が「若者たち」の呼び方に込められています。
◆ニセコ町での活動
生活の家は、地域イベントの参加や日常の往来など、住民との良好な関係を続けてきました。
1999年にはNPO法人の認証を受け、2006年には障害者自立支援法の制定により、「ニセコ町地域活動支援センター」となりました。
この間、親たちで「若者たち」の将来の「生活の場」について継続的に話し合いを進め、2012年には、「生活の場」建設の作成案をまとめ、町に提示しましたが、資金という壁が立ちはだかります。
そこでまずは、その手立ての一つとして、親の死後は各自の家を「生活の家」へ寄付する旨の遺言書を作成しました。
2019年、再度親たちの話し合いで「暮らしの場」を建設することで意見が一致。
地域活動支援センターでの日中活動時間以外の「暮らし方(居住の場)」や「建物の規模や施設」について何度も話し合ってきました。
町とも何度も協議を重ね、「暮らしの場」建設への協力を要請。と同時に、寄付やNPO法人「ニセコ生活の家」所有の土地売却により、一定の資金を確保してきました。
しかし、消防法や建築基準法による条件、また資材高騰により、建設費が大幅に高騰。現在、町と継続して話し合いを進めています。
2023年の今、親たちも高齢になり、共に暮らすのも困難な状況になりつつあります。
ニセコ町での生活を、今後も「若者たち」が続けていくには、彼らの「暮らしの場」づくりが早急に求められています。
◇「暮らしの場」のコンセプト
・既存のグループホームにとらわれない「生活の家」らしい「共生型の暮らし方」を目指す。
・生活の家の原則を基に、一人ひとりの「しょうがいしゃ」が普通の生活者として、個々の生活を尊重し、若者たちの思いを一番大切にする。
〔広報ニセコ 令和5年10月号〕

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