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フードバンク飯塚

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特定非営利活動法人 フードバンク飯塚

種類・内容 子ども食堂
所在地 〒福岡県飯塚市
代表・運営者
連絡先

〔座右の銘〕真実一路
特定非営利活動法人フードバンク飯塚理事長・飯塚市婦人会会長
飯塚市女性防火クラブ会長・飯塚市赤十字奉仕団委員長
井上節子さん
〔所属団体〕
特定非営利活動法人フードバンク飯塚
飯塚市婦人会
飯塚市女性防火クラブ
飯塚市赤十字奉仕団
◆これまでのご活動について
私は28歳の頃、運送業の会社を立ち上げました。
その頃の運送業界では女性社長は私ぐらいのもので、業界内部では女性蔑視がありました。
会社は15年くらい経営したのですが、その間、他の運送会社の男性の社長たちから「女で運送の仕事ができると思っちょうと。」と人前で言われるなど、数々の嫌がらせを受けてきたのです。
そんな悔しい経験も経て、男女共同参画に興味をもった私は、50歳で「福岡県女性研修の翼」に自ら応募し、ドイツに研修に行くことができました。
そのときにヨーロッパの先進的な環境、教育、福祉などを勉強することができたのですが、私が最も印象に残ったのは、ドイツは女性の権利が尊重されているということでした。
当時、私が住んでいた地域は特に男社会で、男女共同参画の面で大きく遅れをとっていると感じていたので、この現状を何とか改革しなければと決意した私は、飯塚女性ネットワークの副会長と筑穂女性ネットワークの会長を兼任し、ジェンダー平等のために様々な活動をしてきました。
どの活動もとても勉強になりましたが、やはり当時でも先進的なドイツの事例を学べたことが、何よりも私の宝となっています。
◆特定非営利活動法人フードバンク飯塚について
6年前に飯塚市婦人会で、コスモス食堂という子ども食堂を作ったのですが、フードバンク飯塚は婦人会の組織を基に始めたものです。
昨今は、食堂に来られた方から「生活が苦しい」という話もよく聞くようになりました。
3年間のコロナ禍を経た今、貧困な家庭が増えたと感じています。
フードバンク飯塚を始めたのも、「明日食べるお米がない」と訴える人たちに、子ども食堂を閉めた後、ひっそりお米を配っていたことがきっかけです。
最初はお米しか配れなかったのですが、そのうち配布用の食材を提供してくれる人が現れて、野菜なども配るようになりました。
フードバンク飯塚の立ち上げのためには、多くの方々のご協力をいただきましたが、一番大きなきっかけはメディアの力です。
3年前の4月、子ども食堂に来たお母さんたちが、「明日食べるお米がない」というので、私の自宅用に買った米まで渡してしまい、いよいよ配布できる食べ物が底をつき、最後のお米を困っているご家庭にお届けした際、ある新聞社の方が取材にきて、私たちの活動を新聞に掲載してくれました。
そこからボランティアの人々、サポーター企業・団体となってくださる方々が現れ始め、皆さまのご協力のおかげで、今のようなフードバンク飯塚となっていったのです。
◆女性へのメッセージ
女性みんなで力をあわせて、臆することなくさまざまな活動にたずさわっていくべきだと思っています。
誰一人取り残さない、生きづらさのない社会を築くため、私もまだまだ頑張っていきたいです。
11月12日から25日は、「女性に対する暴力をなくす運動」期間です。
飯塚市では、国際ソロプチミスト飯塚様が、本庁1階エレベーター前に、毎年女性に対するあらゆる暴力をなくしていこうというメッセージがこめられた、パープルリボンツリーを飾っています。
〔広報いいづか 令和5年11月号〕

特定非営利活動法人フードバンク飯塚について
6年前に飯塚市婦人会で、コスモス食堂という子ども食堂を作ったのですが、フードバンク飯塚は婦人会の組織を基に始めたものです。
昨今は、食堂に来られた方から「生活が苦しい」という話もよく聞くようになりました。
3年間のコロナ禍を経た今、貧困な家庭が増えたと感じています。
フードバンク飯塚を始めたのも、「明日食べるお米がない」と訴える人たちに、子ども食堂を閉めた後、ひっそりお米を配っていたことがきっかけです。
最初はお米しか配れなかったのですが、そのうち配布用の食材を提供してくれる人が現れて、野菜なども配るようになりました。
フードバンク飯塚の立ち上げのためには、多くの方々のご協力をいただきましたが、一番大きなきっかけはメディアの力です。
3年前の4月、子ども食堂に来たお母さんたちが、「明日食べるお米がない」というので、私の自宅用に買った米まで渡してしまい、いよいよ配布できる食べ物が底をつき、最後のお米を困っているご家庭にお届けした際、ある新聞社の方が取材にきて、私たちの活動を新聞に掲載してくれました。
そこからボランティアの人々、サポーター企業・団体となってくださる方々が現れ始め、皆さまのご協力のおかげで、今のようなフードバンク飯塚となっていったのです。
〔広報いいづか 令和5年11月号〕

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