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不登校情報センターの取り組み・1999年

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2020年5月19日 (火) 18:18時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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不登校情報センターの取り組み・1999年(手紙)

ボランティア、営利活動あるいは収益事業
鈴木君宛のメールのコピーを見ました。
奉仕活動(ボランティア)、営利活動あるいは収益事業について、これまでいろいろ考えてきたこと、教えてもらったことがあります。
それを2つの方向から提示します。
一つはボランティア活動に関する社会の到達点、二つ目は、不登校情報センターとしての活動の経過の点です。
その後で、不登校情報センターとしてこれからどうしようとしているか、を述べます。
まずボランティア活動の社会的理解の点です。
出発は、善意により各人の負担(資金的なことも、物品や材料など一切)で、社会的に必要な活動です。
これはたぶんずーっと続く原点だと思います。阪神淡路大地震の救援活動や、日本海でのナホトカ号難破事件のときなどの活動がそうです。
しかし今日では、このレベルの活動だけをボランティア活動としてはいません。ボランティア活動に個人として参加する場合には、それでいいのですが、ボランティア団体として、安定的・継続的にそれらを行うとなると困難だからです。
社会的関心が低い社会奉仕活動には、多くの無償ボランティアは集まりません。
10年、20年と継続して求められる社会的奉仕活動では無償ボランティアを集めつづけることはできないからです。
こういう社会的に重要であるけれども、参加ボランティアが少ないのを続けられるのは、たぶん公的な支援(すなわち税金の投入)、民間営利事業の慈善団体(例えばトヨタ財団とか日本財団)の継続的な支援が得られる場合です。
ただ、それだけに重要な社会奉仕的活動が続けられることを委ねるのは、別の歪みになるでしょう。
何が大事な活動であるのかは、それに直接関わっている人が判断していくしかなく、それが真に重要な問題なら、より多くの支援、さらには公的な支援を得られることになるでしょう。
しかし、そこにたどりつくまで続けていくことの重要さは欠かせません。
たとえばAIDS、HIV感染の重要な経過となった血友病患者への輸血問題は、公的な支援がないので、初めから始めていなければ、問題の所在自体が闇から闇に消されていったに違いありません。
それが大事だと感じた人が、始めるしかないのです。
それは大多数の場合は、最初は個人の負担によって、次にはそれを理解・共感する人々の負担によって、さらにはそれで苦しみや被害を受ける人々の負担も加えて…です。
ボランティア活動の社会的理解の今日の到達点は、ボランティア団体自体が、一定の収益事業部門をもち、継続的・安定的に活動をつづけられるようにすることです。
会場費とか、材料・宣伝費も出せるように、そしてボランティアスタッフには、原則として交通費と食費(宿泊がある場合は、それも)を支払えるようにすることが基準的なものになっています。
ボランティア個人によっては、交通費も食費も自己負担をする人がいると思いますが、それは受け入れるけれども、参加ボランティア全体の基準にはしない、ということになっています。
この人件費(交通費と食費)、そして運営費あるいは、それを専従的に行う人の生活費はどこから出てくるのでしょうか?
公的・民間慈善団体の支援がなければ、そのボランティア団体の活動自体の中から生み出すしかないでしょう。
それが収益事業とよばれるものです。
今日では、政府も自治体もボランティア支援部門に行くと、この意味での収益事業をしていることを理由に、それをボランティア活動と認めない、ということはありません。
ただこの点で私なりに理解できないこともあります。
たとえば病院(医療機関)は法律上は営利活動はできません。
病院で働く人の人件費、材料費、施設費、運営費あるいは将来の増築計画に必要な資金、それらを収入として得ることは、営利活動には入りません。
病院の収入の基本は、医療行為に対する患者と保険収入であり、これは決まっていて、収入を左右することはできません。
営利にならないようにしようとしても患者数が増えれば、支出を上回る収入があるでしょう。
逆に、患者減で支出に必要な収入がなくても、それは病院事業者の責任になります。
病院ほど安定的な(?!)事業体はないのですが、それは法律的には営利活動ではありません。
もっと不安定な小規模な事業所は営利活動をしていますが(?)、営利活動として成功するかどうかは保証されていません。
それも事業者責任のところで、結着がつけられます。
この営利活動の一つが、収益活動です。
ボランティア団体は当然営利活動は認められていません。
しかし収益活動、収益事業は認められています。
この収益活動が大成功して、営利といえるほどの収入を上げることになったらどうなるのか?
それは一直線の同一線上にあるもので、ここまでという区分はありません。
そのあたりは、たぶん何かがあるのでしょうが、私の勉強不足のせいもあって、よくわからない点です。

不登校情報センターの活動の経過
第2の点、不登校情報センターの活動の経過からこの問題をみることにします。
結論として、私は、ボランティア活動に関する社会的な到達点と同じ、または近いものだと思います。
私の収入源、生活基盤は、本の企画・編集です。不登校や高校中退やそれに関する本を企画し、編集することで収入を得てきました。
収入源としては、企画費、編集作業費、原稿料(または印紙税収入)、広告募集費、本の販売収入の5項目あります。
もちろん本によっては、企画費がなかったり、原稿料がなかったり、広告募集費がなかったり、いろいろです。
最初のボランティア活動は、これらの本の読者からの問い合わせや相談に答えること、あるいは悩みをきくことでした。
ボランティアという自覚はなく、ごく自然に始まり、今日までつづいていることです。
最初は電話だけでしたが、そのうち面談も入ってきました。
電話相談の中には、調べて回答する、という性格のものも出てきました。
調べて回答するものの中には完全に無償のものもありますし、(細かく言えば郵送料や電話・FAX料を負担する)少しお金を送ってもらうこともあります。
実際、調べるのに2、3日かかることもありました。
ただ、そういう調べる活動が要請されたおかげで、私なりにいろんなことがわかってきたものも多いのです。
それら回答は、コピーをとっておいて、ある時ふとながめてみると、次の情報出版物の企画を思いつく、ということになります。
面談の方は、今日では原則として有料にしています。
ただ、若者・子どもからの直接の相談、障害者からの直接の相談は無料にしています。
相談活動のつづきは、集会企画です。その場合、たいがいは講演会をし、その後に相談会をしています。
講師への謝礼と会場費などが支出であり、それに見合うだけの収入が必要で、それを参加費で集めます。
支出と収入のバランスはいつもぴったりというわけではなく、そういう催し物をすること自体リスクを持つことになります。
それでもせいぜい1万円程度のものなので、収益事業とはいかないまでも、ボランティア活動(無償の奉仕活動)といっていいでしょう。
しかし、合同相談会という事業活動も行いました。
大検予備校やサポート校にブース代を支払ってもらい、生徒募集の場として提供しました。
これには、多くの若者、特にこみゆんとクラブの参加者の応援を受けました。
彼らには、交通費、食費、それに時給800~1000円ぐらいを支払ってきました。
これらはたいがいは収入源になりました。ただこの合同相談会は、今後はやらないと思います―やったとしても規模も小さく、回数も少ないでしょう。
理由は一般参加者の数がすごく気になるし(少ないとブース参加校に申しわけない)、精神的負担が多く、また内容面でも気になることが出てきたからです。
これらの相談(活動)とは別に、ボランティア活動として始めたものに、サークルづくりがあります。
これは「しゃマール」を見ている中で、通信制高校生と大検生のサークルをつくろうと思ったのが最初でした。
現在、こみゆんとクラブと名称を変えています。参加メンバーは約60人です。
しかし、その「Friend Net新聞」の読者は約130人になっていて、新聞制作費と発送費で1回2万円ぐらいかかります。
集会もだいたいが持ち出しですから、無償の奉仕活動というよりは、持ち出しの奉仕活動です。
しかしより大きな目でみれば、私が登校拒否やひきこもりを理解することにつながっていますし、本業である情報出版物の企画につながっているはずですから、どこかで収支はとれているのかもしれません。
昨年の春ごろまでの不登校情報センターの活動は、(1)情報出版物の編集、(2)相談活動、(3)サークルづくり、の3つになっていました。
それは到達点でしたが、きわめて不十分でした。いまでも不十分な点では同じですが、さらに不十分でした。
相談してきた人は、どこかを紹介することで終わりをつけます。その後どうなったのかは…あまりわかりません。
ときおり再び何かで連絡をもらうことがありますが「あそこはやめました」とか、「その後、とくに大きな変化はありません」というのがあります。
○○高校に入って卒業したとか、留学をして元気になりました、というのは、貴重な部類の事後報告なのです。
最初は誰だったのか忘れましたが、「サポート校みたいなところで働きたいので紹介してもらえませんか」という人もかなり以前からいました。
一昨年の後半からだと思いますが「フリースクール等就職希望者」というのを登録し、いろんな場で合うフリースクールや大検予備校に紹介するようになりました。
実際そのようにして数人が働いています。
しかし、フリースクールには人を雇って働いてもらうほどの経済的余裕のないところがほとんどです。
大手の大検予備校などは、求職希望者が多数います。
私の親しいフリースクールには、無償のボランティアスタッフが多数きていて、それらのボランティアスタッフの配置、その日どういう役割をするのかの担当者が手一杯になっている話をききました。
生徒数よりもボランティアスタッフが多い時間帯もあって、困った、ということもききました。
こういう「サポート校やフリースクールみたいなところで働きたい」、「家庭教師みたいなことをしてみたい」・・・という人が、少しずつ増えてきたことも経過の中にありました。
ただ私はそういうことはめんどくさがり屋のところがあって、紹介してあとはそれぞれでどうぞ、ということで終始してきたわけです。
それでも何人かは、そこで働くようになりました。
そういうときに、トカネットの藤原さんに会いました。
家庭教師の派遣の実現の過程は、それなりに大変です。出会いのところまでは、私にも出きるでしょう。あとのところはトカネットに任せればいい、と思ったわけです。
それは、たとえば大検予備校に任せたところで、後はお任せ・・・というのとは違って、その後も必要に応じてつながっていける関係になります。
これは不登校情報センターのこれまでの活動にとって、大きな前進になるものです。
トカネットの活動の現状は、まだ十分ではありません。
その内容、成果をあれこれ評価するには不十分です。
それでも、生徒一人ひとりのところ、訪問する一人ひとりのところで、いろいろな動きがあります。
それは紹介したところでそれきり、相談したところで一段落というのと違って、継続してきます。
そこに奥行きが感じられるのです。
トカネットの活動の中で、学生の学習メンタルフレンドに加えて、パソコン先生の発想が生まれました。
「フリースクールみたいなところで働きたい」「家庭教師みたいなことをしてみたい」という人のソーシャルパートナーという出口も見えてきました。
たぶんもっと活動がつづいていけば、違った事態が生まれるでしょう。
訪問活動に対置するのは、来所(通所)型活動や通信活動です。
サポート活動のこの発想の広がりは、訪問活動でともかく数人がそれを実行している事実があるからです。
来所(通所)活動、通信活動がどうなるのか、それはまだわかりません。
しかし空想で考えただけでなく、一つの事実に基づいて考えられただけのものもあるでしょう。
私はこれらは、事業活動として進めることにしています。
なぜか? ボランティア活動のスタイルで進めていく姿が見えないからです。
問題は一個人としてそれをするか、どうかではありません。
継続的・安定的に、しかも可能ならば首都圏のどこからその要望が出されても対応できるようにすることが、不登校情報センターには求められるからです。
交通費も食費も時給もすべて無償でいい、という人が一人いて、豊島区内で対応できる、と言ってくれても、それでは「やっています」と打ち出すわけにはいきません。
それに合致する人があらわれれば、そこにつなげることはできます。
でもそれは、不登校情報センターとして「やります」と表明していけるものではないのです。
首都圏ならば―いきなりそこまででなくても、少なくとも東京区内と周辺ならばともかく対応できる、というところからスタートするには、事業活動として進めるしかないように思えます。
それをボランティアで進めるという提案があって、それを誰がするのか、それにかかる最低限の経費がどこから生まれてくるのか—それが見当たらないのです。
地域(場所)的に、時間的に、内容的に限定して、かなり高度に限定されたボランティア活動をできる可能性がないわけではありません。
「私は、○○地域で、○○について、○○の時間でならばできます」という形でアピールできると思います。それができる人を私は待ち望んでいます。
たぶん「とびらの会」(引きこもり体験者の集い)や自助グループ「Stand-Up」はそれに近いものだと思います。
訪問活動でそういうボランティア活動をどうすればできるのか、それをだれかが、それを実際にやってみようとする人が、考え、具体化してほしいと思います。
私はそれに対して、できるだけの応援、できるだけのことをするつもりです。
荒川区内で、ある人から集会場として使える場所がある、という申し出を受けました。
私には、それをどうすればいいのかはわかりません。
そこを見、何かが発想できる人がいれば、私にも手伝うことができるかもしれません。
これからどうするのか
以上で不登校情報センターにおける収益事業についての考え方、経過の説明を一通り終わります。
ここまでで読み返してみたのですが、もしかしたらわかりにくいところがあるかもしれません。
書き直すのはやめて先にすすみます。
疑問の形で質問していただければ、別の機会に答えます。
最後のテーマである、不登校情報センターとして、これからどうしようとしているのかにすすめます。既に、これまでやってきたことを、より系統的に、整合性をとりながら、すすめていくことになります。
現在の活動内容は、(1)情報出版物の編集、(2)サポート事業活動、(3)サークル・自助グループの支援、です。
●ページ下段と対比してみて、それぞれを説明しましょう。
(1)の情報出版物の編集は、以前と同じです。
ただこれは、現在のレベルでは、私個人の活動であり、私個人の収入源であり、生活費であり、その一部が不登校情報センターの活動の資金にもなっています。
不登校情報センターが組織として確立すれば、基本的には、それは不登校情報センターの事業になり、私はそこから給与その他の支払いを受けて、私の収入と不登校情報センターの収入を区分していくことになるでしょう。
できるだけその方向に近づけたいものですが、まだその展望は見えません。
(2)のサポート事業活動は、昨年の相談活動から大きく発展するものです相談内容の広がり、訪問活動の開始、来所(通所)活動と通信活動の提示というところまで進んできました。
不登校情報センターが、ボランティア団体として独自の財政基盤(収入源)をもった組織として確立していく、その内容(の一部)になっていると思います。
(3)のサークル・自助グループの支援も、●ページ下段のときと同じですが、確かに広がっています。
しかし、これは「ボランティア活動」と言いかえるだけの内容になるには、たとえば、来所型、訪問型、あるいは通信型で、サークルや自助グループ以外の活動ができるのか、どうかにかかっているような気がします。
何かありそうな気がします。
私のいままでの発想、あるいは事実の経過として、私が考えるのではなくて、そのような考え方、提案をもっている人との出会いにあると思います。
いつかそういう事態が生まれるでしょう。
一つの問題は、サポートスタッフ会議です。
これが(2)のサポート事業活動に集中していることです。
いま考えているのは、テーマ別の会合の重視で、とりあえずは、英語の通信講座の実施について、関心ある人のグループ検討の場をつくることです。
このようなテーマ別の検討会を積み重ねることになると思います。
それとサポートスタッフ会議(全体会?)の関係をどうするのかは、事態の推移の中で、必要に応じたやり方を考えたいと思っています。
文章の書き始めに比べてかなりくたびれて、文字がくずれています。ごかんべんを。
〔1999年12月23日〕
                            

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