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世代間ギャップと親世代の動き

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世代間ギャップと親世代の動き

親世代(団塊世代中心で1940~1960年生まれ)と、団塊ジュニア世代(1970年以降に生まれの人)との間の生活感の違いを、単的に表わすとどうなるのか。
親世代とは、日本の高度経済成長を支えた人たちです。
個人差や地域差や社会階層の違いがありますが、生活状態の苦しさを克服するために、勤労に励み、学び、苦楽をくぐり抜けた人といえます。
対する団塊ジュニア世代は高度な経済社会を達成した日本において、平穏で安定した子ども時代を経験し、自分の持つ力を発揮し社会に役立ちたいと考える人たちです。
これは親世代が子どもに望んできたことです。
この世代のおける感覚の違いを私は『ひきこもり 当事者と家族の出口』(五十田猛、子どもの未来社、2006)で、1つの例を示しました。(27-28p)
《あるとき電話で母親から相談が入りました。十代の娘(大学生?)がだらだらした生活をしている。どうすればいいのか、親としてするべきことを教えてもらいたい、という趣旨でした。
「この不況で、学校を卒業してもなかなか仕事につけない。なのにこれといって熱中するものがない。
何か一つのことをめざしてやればいいのにそれをしない。休日なんかは遅くまで寝ている。いつもどおりに起きて規則正しい生活をさせたい。学校の勉強もやっているのかどうかも怪しい。
放課後や休日になると友達と一緒にすぐにどこかに遊びに行って、ろくに勉強をしているとは思えない。
親として高望みをしているわけではない。本当は教師になってほしいと思ったが、いまは本人に任せている。
本人は英語が好きで英会話をやっているので、それを生かせばいいと思っている。でも、それも『とりあえずやっているだけ』とはぐらかされる。
おしゃれとお化粧がどうのこうのということに夢中になっている。このまま時間が過ぎていくことは親の躾放棄のように思える……」
私はこれが母親の干渉の根っこにある気持ちだと思います。しかし、子どものことは子どもをもっと信頼して、子どもに任せてあげてほしいのです。》

これは1つの例にすぎません。
娘さん(子ども側)には、親が知ること、考えることとは別に、多くのことを知っています。
子ども側の事情を、理解でき、あるいは予測すれば、両者のギャップは埋まるでしょう。しかしここで親側が強い立場で、子どもを責めると問題が生まれます。
幼児期の虐待やマルトリートメント(不適切な養育)には、これだけで説明がつくとは思いませんが、少なくとも子どもが思春期以降の親子関係においては、子どもの自主制をもっと尊重すべきものだと考えます。
しかし、私はこうも考えるのです。
親は反省すべきであるといっても、何を反省すべきことなのかがわかりません。
それまでの生活経験でつかんだことを、子どもに伝えようとしているだけだと考えている人が多いからです。
基本的には世代間ギャップにおける精神文化的な違いととらえるのがいいと思えるわけです。
極論をいえば親側にも言い分はあるし、それはそれとして尊重されるべきなのです。
当然、個人差もありますし、「これはひどい」という例も少なくありません。
したがって全体を見ればこれは断罪される対象というのではなくて、時代の流れ、子どもの自主制を尊重する精神文化の流れに沿って意識改革をするものなのです。
不登校にしても、ひきこもりにしても、全国各地に親の会、家族会が生まれています。
これは本当に子どもの成長を願う親の切実な動きの広がりというほかはありません。
発達障害や、性的少数者(LGBT)、ジェンダーをめぐる動きにも、同じことが言えます。

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