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大阪府立西成高校となりカフェ

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2020年11月12日 (木) 17:08時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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大阪府立西成高校となりカフェ

西成高校内に「カフェ」 家庭や学校でない「第三の居場所」
  府立西成高校の校舎内にあるカフェ=大阪市西成区で2019年3月19日午後4時14分、芝村侑美撮影
大阪府立西成高校(大阪市西成区)には、生徒らが集まる「カフェ」が校舎の中にある。
その名も「となりカフェ」。
朝はモーニング、昼はおにぎり用のご飯、放課後はお菓子と飲み物を用意し、民間団体が運営を担う。
今年は初めて、入学前の中学生を対象にした「入学前となりカフェ」も開催。
カフェの現場を取材した3月下旬、西成高校に合格した中学3年生の生徒らが、教室に常設されたカフェに集まっていた。
運営スタッフや生徒同士でお菓子や飲み物を飲みながら楽しそうに話したり、音楽を流したり。
思い思いの時間を過ごしていた。
ここでは、誰かと話しても、お菓子を食べるだけでも、一人で過ごしてもいい。
家庭でも学校でもない「第三の居場所(サードプレース)」として存在している。
運営するのは一般社団法人「Officeドーナツトーク」(大阪市阿倍野区)。
2012年に府の委託事業として始まった。今年度は、府教委の「課題を抱える生徒フォローアップ事業」として実施する。
事業は、民間の支援団体と連携し、高校に「居場所」を設けることで、不登校や中退の防止などの予防支援、課題の早期発見をめざし、西成をあわせ14校で展開している。
カフェは週2回、無料で開催している。
モーニングはトーストやコーヒー、お昼休みはおにぎり、放課後のお菓子などのカフェと種類も豊富だ。
「第三の居場所」であるため、学校側と連携はしているが、基本的に「先生」は顔を見せないようにしている。
カフェにいるスタッフは20代の元教員や精神保健福祉士らで、同法人の田中俊英代表(55)は「学校で、先生ではない若手の大人とふらっと気軽に話すことで、打ち明けられることもある」と説明する。
入学前の生徒ら向けに開催したのも、早い段階で居場所があることを知ってもらいたいからだ。
田中さんは「高1の中退者は、4、5月に多い。教室で緊張しても、息抜きする場所があるよ、と知ってもらいたい」と話す。
カフェでは、学年やクラスを超えた交流も生まれる。
生徒らと談笑していた入学予定の女子生徒(15)は「居心地がよかった。これからも来たい」と笑顔。
スタッフで精神保健福祉士の奥田紗穂さん(29)は「何を話しても大丈夫な雰囲気で、困ったときに使えるというイメージを持ってもらえたら」と語る。
山田勝治校長は「カフェは、学校の中で息苦しくなった時に、外の空気にあたる窓のようなもの。人とつながり、ほっとする場所があることが必要。そんな場所を学校内に作りたかった」と話している。
〔2019年5/13(月) 毎日新聞〕
http://www.futoko.info/zzmediawiki/skins/common/images/button_bold.png


元不登校の青年 親に言えなかった学校での出来事
不登校の子の居場所についてリポートする本連載。
今回は中学1年生の時から1年半の不登校を経験し、現在25歳の浅見直輝さんに、居場所を求めていた当時の思いや、不登校に悩む親子に向けたこれからの活動について聞きました。
高校進学後、偏差値43から猛勉強を経て早稲田大学へ進学した浅見さんは、TEDにスピーカーとして登壇したり、数千名の不登校親子に向けた講演を行うなど、積極的な社会活動を行っています。
親からは見えにくい、不登校生の心の中はどのようだったのでしょうか。上下2本に分けてお送りします。
●学校が学ぶ場所ではなく傷つく場所になった
子どもが学校に行きたくないという様子を見せたら、大人はまずそこに必ず理由があるだろうと考えます。
その理由を子どもに確かめて、親が介入するべき原因があるならそれを解決して無事に学校に通ってほしい。
そう思うのは親として当たり前の感情でしょう。 ところが、学校に行けない理由を明確に話してくれる子どもはあまりいません。取材時、不登校時代の話をしっかりと語ってくれた浅見さんでも、当時はそうだったのだそうです。親に理由を言えない心理とはどういうものなのでしょうか。
「それは僕にとって学校が学ぶ場所ではなくて、傷つく場所になったことがとても大きく影響していたと思います。
子どもが学校に行かなくなると、大人は『どうして学校に行かないの?』と思い、子どもに問います。
でも、当時の12歳だった子どもの僕にとっては『傷つく場所に行く理由がどこにあるの?』といことだったのです」
浅見さんにとって、なぜ学校が傷つく場所になったのか。
発端は、中学一年前期の理科の授業にさかのぼります。
浅見さんが通っていた首都圏近郊の公立中学はやんちゃな生徒も多く入学する学校。
浅見さんは、入学してからしばらくはそんな彼らの標的にならないよう、どこかビクビクしながら学校に通っていたそうです。
そんなある日、理科の授業中に事件が起こりました。
クラスのやんちゃ者たちが、ひとつ間違えば大きな事故につながるいたずらをしでかし、理科の先生を怒らせたのです。
そのことはすぐ、厳しい担任教師の耳に入り、帰りの会で「ちょっとでも迷惑を掛けたと思うやつは手を挙げろ!」とカンカンに。
渋々手を挙げたやんちゃ者たちは、帰りの会が終わったら生徒指導室に来るよう命じられ、一件落着……となるはずだったのですが、そこからまさかの展開が浅見さんを襲ったのです。
●「おまえは一番の卑怯者だ!」という担任の言葉に耳を疑った
教室で帰りの支度をしていた浅見さんにやんちゃ者たちは「おまえもやっていただろ」と言いがかりをつけてきます。
もちろん、浅見さんは一切関わっていません。
浅見さんは、彼らの標的となったのです。
「心の中では『何も関係ないのに』と叫んでいたものの、学校にはヒエラルキー的なカーストがあります。
もしここで逆らえば、やんちゃ軍団に目を付けられて、この先の中学校生活の中でもっと嫌な目に遭うかもしれない、そんな予測も頭に浮かびました。
結局、僕は何も言い返せず彼らと一緒に生徒指導室に行ったわけですが、そこで先生から耳を疑うような言葉を浴びました。
『おまえだけはみんなの前で手を挙げずに、後からコソコソと来やがって。おまえが一番の卑怯者だ!』」
浅見さんは、生徒指導室で担任からの罵声を集中的に浴びせられ、やんちゃ生徒にも先生にも標的にされて、苦しい気持ちでいっぱいでした。
「今思うと、担任の先生は日々の業務量が多過ぎて生徒と向き合うゆとりがなかったのかもしれないし、教師として生徒を厳しく律するべきだと考えた結果だったのかもしれません。
僕にとっては理不尽な結果でしたが、弁明したところで担任に信じてもらうことは難しそうだったし、『僕じゃありません』と言えば、後からやんちゃ者たちに『チクっただろ!』と言われるのは目に見えていました。
心のどこかで担任に『分かってほしい』と思う気持ちはあったと思いますが、悔しさもむなしさも心の中に封印するしかなく、1年半にわたる僕の不登校はこの事件をきっかけに始まりました」
親に理由を言えないのは、拒絶されるのが怖いから 学校を休んで一人ぼっちで家にいる浅見さんの心には、「クラスの人になんて言われているのだろう、みんなに悪口を言われているかもしれない」と、ネガティブな考えが次々と浮かんできます。
学校や教室がさらに怖くなっていき、「学校に僕の居場所はないんだ」と思うようになっていました。
孤独で、自分には一人も味方がいない、世界中が敵だと思っていたそうです。
「あまりにも僕が変わってしまったので、親は僕が傷付いていることに気づいていたと思います。
今振り返ってみると、僕は一人で抱え込んでいた苦しさを親や周囲の人に気付いてほしかったのかもしれません。
とはいえ、親に心配をかけたくないのもあり、そこに至った理由はどうしても周囲に伝えることができませんでした。
親からすると、『どうして学校に行けない理由を話してくれないのだろう』と思うかもしれません。
子どもにとって親は一番身近な大人です。
親に『自分を認めて欲しい』という気持ちは、誰しもが持っています。
親に学校であった事を話して、もし反発されたり批判されたりしたら……。
ただでさえ深く傷つき、親が最後の頼みの綱なのに、その親にも拒絶や否定をされることは絶望的に悲しいことです。
だから、そうなることを恐れて、親に話すことができなかったのです」
仲良し家族が、僕の不登校によって暗闇の中へ
学校に行かなくなった浅見さんは、すべてを拒絶するようになり、自暴自棄になっていきました。
「子どもの僕にとって一番苦しいのは、親を傷つけてしまうことでした。
親が悲しむ原因のすべては、僕が学校に行かないことにある。
そう思うと、罪悪感がどんどん膨らんでいきました」
浅見さんの家は通学路沿いにあり、登下校時には外から同級生の声が聞こえてきます。
そうなると学校を連想せざるを得なくなり、つらい気持ちが湧き上がってきます。
学校に行かないとダメだと思うものの、浅見さんにとって学校は傷つく場所になっているので、行くことができません。
すると、親が悲しむ。親の悲しい表情を見るのはつらいので、自分が学校に行くしかない。
でも、怖くてやっぱり行けない。そして親も落ち込み、自分もさらに落ち込む。
その悪循環にはまっていた、と浅見さんは当時を振り返ります。
「以前は親子の会話がたくさんあったし、休日の度に皆で出掛けるなど、とても仲がいい家族でした。
けれど僕の不登校が始まってからは、家族も暗闇の中に陥り、いつからか両親がけんかをしている光景を目にするようになりました。
両親のけんかの声が聞こえてくるたび、僕は自分を責めました。
当時の僕は、『自分が生きているだけで、周りの人がどんどん苦しんでいく、僕がこの世の中からいなくなったほうが家族のためになる』と、心の底から思っていました。
●「もう一度生きてみよう」と思うことができた、母の言葉
ある日のこと、浅見さんは生きることへのつらさに耐え切れず内服薬を摂取し過ぎて、ひと晩中嘔吐が止まらなくなります。
5分おきに台所の流しに駆け込み、苦しんで横になっている浅見さんの背中をずっとさすってくれたのが、お母さんでした。流しに行くときも、そっとついて来てくれました。
「このときの感覚は、今でもはっきりと覚えています。その時僕は初めて、『お母さんは何があっても僕の味方をしてくれる』と心から感じました。
また、不登校の間、母に『直輝が生きてくれているだけで、お父さんとお母さんは幸せだよ』と言われたこともあります。
心の中では、その言葉を聞いてとてもうれしく感じました。
ところが、僕は『思ってもねえことを言うな、くそ!』と返してしまったんです」
これまで2000名以上の親子に出会ってきた浅見さんは、不登校児の中にはうれしいと感じているのに暴言を吐いてしまう「あまのじゃくな子」が多いように感じているそうです。
「実際、僕自身もそうでした。しかし、『もう一度生きてみよう、生きていてもいいんだ』とそう思えるようになったのは母のこの一言がきっかけでした」
「直輝が生きているだけで幸せだよ」という言葉は、25歳となった今でも浅見さんの勇気の源となっているそうです。
親も子も冷静な判断ができないとき、第三者の存在はとても重要
不登校を続けていた浅見さんが、自分以外の人に心を開くきっかけになったのは、教育支援センターの女性相談員Sさんとの出会いです。
「それまでの間に出会った大人は、僕が学校に行っていないことを知ると『なんで学校に行かないの?』とか、『どうしたら通えるようになる?』などと言って、原因を突き止めようとする人が多数でした。
その場しのぎで僕が『学校に行く』と言えば喜ぶし、『やっぱり行けない』と言うと怒られたり、諭されるのです。
ところが、Sさんは違いました。
相談室での会話中、僕が『学校、行ってなくて』と言うと、Sさんはこう言いました。
『へえ、そうなんだ。でさ、きのうの巨人対阪神戦、見た?』。
僕が『……あ、はい、見ました』と答えると、Sさんは『そっか、直輝くんは野球が好きなんだね!すごい試合だったよね!
直輝くんはどっちを応援してたの?』こう続けました」
たった数十秒の会話でしたが、浅見さんは大きな衝撃を受けたといいます。
Sさんは浅見さんが学校に行ってようが、行っていまいが、態度がなんら変わらない人でした。
学校に通っていても通っていなくても、浅見さん自身と会話をして、どんなことを好きなのか、何に興味があるのかを見てくれました。
浅見さんは、自分の存在そのものを認めてくれたような気がして、心の底からうれしくなったと思い返します。
「子どもはみんな自分のことを認めてほしいと思っているので、一人でもそういう人に出会えると心が大きく変わっていきます。
生きる希望が湧いてくるんです」
そしてSさんと出会った教育支援センターは、浅見さんだけでなく、家族にとっても大きな支えになっていきました。
「子どもが学校に行けず苦しんでいたら、親だって苦しい。
苦しいのは、子どもだけではないはずです。
また、当事者であればあるほど冷静な判断ができなくなるので、家族を支えるためにも親以外の第三者の存在はとても重要だと思います」と浅見さんは外部支援の存在意義について話します。
「ちなみに後から聞いたのですが、両親は僕に何度も優しい声掛けをしてくれていたそうです。
でも、僕は気付いてすらいなかった。
子どもはなかなか親に心を開けないですし、親に認めてもらいたいと思いながら、なぜか親の愛を拒否してしまうこともあります。
そういう意味でも第三者による家族の支えはとても大事だと思います」
●楽しそうな母の姿を見て、心が楽になった
学校に通わず心を閉ざす子どもと、どうすれば会話できるようになるだろう? どうすれば子どもが外に出られるようになるだろう? と悩む親に向けて、浅見さんは「子どもの好きなことを起点にするのが特に重要な鍵だ」と話します。
「ゲームでもなんでも構いません。その子が興味を持っていること、好きなことに親も興味を持ち、それに向き合ってくれたら、子どもはすごくうれしい。
そこから途絶えていた親子の会話が再スタートした例をいくつも知っています。
好きなことをエサにして何か別のことをさせるのではなくて、親御さん自身が一緒になって子どもが好きなことに興味を持ってくれることがポイントです。
僕の場合も、一緒になって興味を持ってくれる姿勢が本当にうれしかったです。
親が、自分の存在を肯定してくれたような感覚になるんです。」
親子で楽しむだけでなく、親自身が人生を楽しむことも大切にし、親が笑顔でいてほしいと浅見さんは話します。
それは浅見さんが、お母さんから学んだことなのだそう。
「母は、あるときからやけに外出するようになりました。
それは『直輝を笑顔にするには、まずは自分が笑顔にならないといけない』と思ったことがきっかけで、好きなアーティストのライブなどに行っていたようです。
母がそんなふうに考えて、行動に移してからは、確かに家の中の空気が大きく変わっていきました。
表情が柔らかくなっていく母を見て、僕もまた心が楽になっていったんです」
子どもが苦しい思いをしているのは親にとってつらいことですが、逆もそうです。
親が苦しい表情をしているのは、子どもにとって一番苦しいこと。
苦しみをお互いに感じ合い、負のスパイラルにとらわれてしまいます。
しかし、親が元気になることが、子どもが元気になる鍵になるのでしょう。
「母が何かを楽しんで、母自身の心が元気になることが僕にとっては一番励みになり、元気になる鍵でした。
親が元気じゃないのに子どもを元気にするのは難しいことです。
今、悩んでいるお母さんやお父さんはぜひ心から何かを楽しんでください。
これは親自身の想像をはるかに超えるほど、子どもにとって、とても大きいことです。
僕の母の場合も、わが子が不登校なのに、笑顔になるなんて難しいことだったと思います。しかし、その、難しいながらも元気になろうとしている母の姿からも、僕は勇気をもらいました。親の笑顔は子どもにとって最大の幸せだと思います」
〔2019年5/13(月)取材・文/小山まゆみ 写真提供/浅見直輝 日経DUAL〕

スクールカウンセラーが「一人となりカフェ」を
■中学生からイメージ
少し前に僕は当欄で、支援としては成功しているものの、その数が一向に減らない日本の不登校問題について「高止まり現象」と表現した(「不登校の高止まり」は「学校」の終わり)。
不登校支援は、たとえば大阪市では、10ヶ所以上も公的な「居場所」(サテライト事業)を設け、行政サービスとして居場所を小中の不登校生は利用することができる。
これは一定の効果をあげており、学期はじめや学年が変わる4月の「学校への再デビュー」はそれほど珍しくはない。
居場所(サテライト)を中心とした不登校支援は大阪では(おそらく全国的にも)一定の成果を上げている。
けれども不登校は減らない。これはもうシステムとして今の教育制度が疲弊しているのだろうとしたのが上の引用記事なのだが、最近になって現在の状況を突破するかもしれない考え方と僕は出会ったような気がしている。
それは、前々回に当欄で取り上げた「中学生ライフプランニング」という概念で(中学生ライフプランニング ~生活困窮エイジのための、新しい中学生支援)、従来の不登校支援でもなく対児童虐待支援でもなく発達障害支援でもない、中学生たちが自分の人生90年を自分自身でイメージし具体策を考えるというものだ。
僕もまだ模索しているのだが、これは従来の「支援」とは違う。
また、高校の総合学習などで行なわれている人生設計のためのワークショップとも若干違う。
まだ「親の支配」が強いローティーンのうちから、自分の長い人生すべてについてイメージしていく。
これは従来の中学生教育にはおそらくなく、日本の教育システムが苦手とするジャンルかもしれない。
が、10代の早いうちから、自分が将来、親のもとを出て独立し家族を形成する人はし(ひとりの人はひとりの生き方で)、仕事を確定し新しい住居を見つけ50才になり更年期になってそれもスルーし、年金受給年齢となりそれでも働く人は働き、やがて75才あたりになると徐々に身体も言うことを聞かなくなり、そして80才になっても案外くだらないことで身内と喧嘩し、やがて徐々に社会のオモテ舞台から消えていくが自宅ではそれなりに粘って人生に臨む……そうした「ライフ」のあり方を中学生からイメージしていく。
■ティーンエイジャーは学校での1対1面談を嫌う
これは今ある専門職のなかでは、キャリアカウンセラーが最も得意とするジャンルかもしれない。
が、キャリアカウンセラーはまだ公的には中学には入っていない。
次に適切なのは、10代の「サードプレイス」の代表格である「居場所カフェ」の仕事かもしれない。
が、居場所カフェは、当欄の読者であれば御存知の通り、現在はまだ高校内にそれをシステム化している段階であり、中学はだいぶ先の話だと思っている。
できるだけ早く中学にも、大阪府立西成高校となりカフェや神奈川県立田奈高校ぴっかりカフェのような居場所カフェを設置し、そのサードプレイスの住人であるスタッフたちとコミュニケーションすることで、生徒たちにそれぞれの「ライフプランニング」をたててほしい。
けれども今はまだ難しい。
となると、誰がそれを行なうか。
僕が気軽に考えるには、全中学に配置されているといわれるスクールカウンセラー/臨床心理士がそれを行なえばいいと思う。
教育業界のような保守的でリジッドな世界では、新たなシステムを導入するには早くて数年単位の時間がかかる。
それよりも、現在ある仕組み、たとえばスクールカウンセラーによる面談支援の枠内で、ライフプランニングを生徒とともに考えていけばいい。
それも、できるだけ閉鎖的なカウンセリング的なものではなく、数名の生徒たちとお菓子でも食べながらわいわいとそれぞれのライフプランを空想していほしい。
よほどお勉強できる生徒以外は、現在のティーンエイジャーは学校での1対1面談を嫌う。
それは、教師による「指導」の悪夢がどこかに残っているためで、密室での教育専門家との時間は、多くの生徒たちにとって拷問だ。
また、僕が知る範囲では、現在のスクールカウンセラーは学校にとって「お客様」であり、そのお客様がくる月1回の面談日にどの生徒をあてがおうか、教師たちは頭を抱えている。
一言でいうと、学校現場にとってはその存在は「お荷物」でもある。
■不登校の高止まり現象を予防する決定打 そうではなく、複数の生徒と外部の大人であるスクールカウンセラーがお茶を飲みお菓子を食べながらオープンに生徒たちの人生全般について語る。
その語りには、恋愛トークやそれにまつわるセクシュアリティのシェアや、仕事イメージやそれにまつわる仕事の馬鹿らしさと素晴らしさ、家族イメージの窮屈さやそれを突破する10代らしいアイデアが交錯するだろう。
つまりは、スクールカウンセラーが一人で、となりカフェのような居場所カフェのマイスターとなっている。
そんなトークの中に、中学の息苦しさに穴をけるヒントがたくさん埋もれている。
これは、従来の心理的支援でもないし福祉的支援でもない。中身は単純なものだけれどもなぜか今のリジッドな教育業界にはない、「人生すべてを語る」ために必要なオープンな価値を前提としている。
こうした自由な価値が、中学時代に体験できたら、生徒たちにとって「学校」の比重が軽くなる。
これこそが、不登校の高止まり現象を予防する決定打のように僕には思えてきた
〔2018年1/9(火) 田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表〕

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