好きなことで生きていけるか
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+ | 当時すでに何人かの中高生への訪問は経験していましたが、小学生を受け持つのは初めてのことだったので勝手の違いに戸惑ったことを覚えています。<br>< | ||
+ | ある日、その子のお父さんから「最寄りの駅まで車で送りますよ」と言われ、ご厚意に甘えることにしました。<br> | ||
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+ | この続きは次号でお伝えしたいと思います。<br> | ||
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2023年3月25日 (土) 23:46時点における最新版
好きなことで生きていけるか
会報『ひきこもり周辺だ2022年12月号
十年ほど前のことです。
当時、私は小学4年生の男の子のお宅へ訪問していました。
当時すでに何人かの中高生への訪問は経験していましたが、小学生を受け持つのは初めてのことだったので勝手の違いに戸惑ったことを覚えています。
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ある日、その子のお父さんから「最寄りの駅まで車で送りますよ」と言われ、ご厚意に甘えることにしました。
すると車内でこんな相談を持ちかけられました。
「息子はゲームのプロになりたいと言っている。そのことについて清水さんはどう思いますか?」と。
その時私がどう答えたかは細部までは思い出せませんが、「現実的ではないです。
いずれはそのことに自分で気付くでしょうから、あえて親御さんから積極的に何か言う必要はないかと思います」というようなことを言ったはずです。
その子は当時Wiiの「マリオカート」にハマっていて、タイムアタックでコンマ一秒を縮めることに血道を上げていました。
たしかに私の目から見て彼の腕はなかなかでしたし、一部ワールドレコードに近い記録も出していました。
そして自分の得意なこと、楽しいことでお金を稼いで生きていけたらいいなと思う気持ちは私にも理解できるものでした。
ですが、自分の得意なこと、楽しいことがそのままお金に繋がるわけではありません。
自分だけではなく、誰かを楽しませたり、新しい発見や知識を提供したりといった形で他人を満足させなければいけません。
その満足の対価としてお金が得られるのです。
そこへ至る過程では自分の好きなことだけをやるというわけにはいきません。
実績を積むには大会で人前にも出なければなりませんし、海外の大会に出るのなら語学力も必要になるでしょう。
対価を得るためにそういった努力を積み重ねていく覚悟はあるのか?
また、積み重ねていっても結局届かない可能性のほうがずっと高いということも覚悟しているのか?
そう問うには当時の彼はまだ幼すぎましたが、その道を歩むのであればすぐにそういったことが問われることになるはずです。
また、あるいはプロゲーマーは無理でもYouTuberとかストリーマーとして動画配信で多少の収入を得ることはできるかもしれません。
YouTuberであれば世界トップレベルのゲームの実力は必要ありません。
ですがその代わり、企画力、トーク、編集、投稿頻度の高さといったものが求められます。
それらすべての条件を満足させようとすると、結局かなりのスキルや労力を要求されることになります。
もちろん収入はお世辞にも安定しているとは言えませんし、ライバルはネット上に掃いて捨てるほどいます。
そう考えていくとあるいは普通に働いたほうがよっぽど楽かもしれません。
結局、そうやって考えていくと楽にお金を稼げる方法なんてそうそうあるわけがないよね、というごくごく当たり前の事実に突き当たるのです。
好きなことをして生きていくなどというのは所詮現実逃避のための妄想に過ぎないのでしょうか。
ただ、彼はどうか分かりませんが、私自身についてはっきりと分かっていることがひとつだけあります。
それは「嫌なことをして生きていくことはできない」ということです。
これを単なるワガママだと断じることのできる方はそれで良いのです。
その方は、人は社会に適応して生きていかなければならないという考えを持っていて、かつそれを実践できているという方でしょうから、それを否定するつもりはありません。
ですが、きっとこう考えるのは私だけではないはずです。
そうであってほしいです。
ひきこもり経験者であるか否かにかかわらず、死んでしまいたいと思ったことのある方は多いでしょう。
私もかつてはその一人でした。
ですがいろいろあって、今は自分から死にたいとは思いません。
生きていればそれなりに楽しみはありますから。
そう考えられるようになった今でも、その生を継続するために働くというのがどうにも納得し難いのです。
どう言われようと構いませんが、私はただ、自分の心を殺してまで生きていたくないだけなのです。
こんな私にもありがたいことに友人はいます。
そのうち何人かは働いています。
彼らは私の友人をやれているくらいですから、類は友を呼ぶということで私と一部近い気質を持っています。
そうなるとやはりと言うべきか、彼らは会社での対人関係や激務に苦しんでいます。
彼らの愚痴を聞いていると、私と近い感覚を持ちながらもギリギリの所で踏ん張っている姿に尊敬の念を持たざるを得ません。
もっと言ってしまえば彼らだけでなく、私は働いている全人類を尊敬しています。
生きるために己を殺して働く、それは私がどうあっても至ることのできなかった境地であり、それができているというだけで私には眩しすぎます。
まとめると、好きを仕事にするのは難しいが、嫌なことを仕事にするのはどうあっても無理ということになります。
それなら少しでも可能性のある方に賭ける以外に道はありません。
というわけでそろそろここでも宣言してしまいましょうか。
一部の方には直接伝えていますが、私は2023年にひきこもり訪問支援を行う組織を立ち上げます。
自分にとっての好きとは何か、その中でも現実的に仕事にできるものは何かを考えていった結果です。
と言ってもまだ何も決まっていないに等しい状態です。
たぶん一番決まっていないのは私の覚悟です。
覚悟はあるのかなどと問うていた私がこのザマです。
まさかここまで来てなおウジウジしているとは自分でも呆れるばかりです。
それでも宣言をすることで一歩前には進めたと信じるしかないですね。
この続きは次号でお伝えしたいと思います。
現時点でこれ以上お伝えできることなど何もないのですが、それは来月の私が頑張って上手いことやってくれるでしょう。