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居場所づくりと仕事おこし

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2020年6月23日 (火) 20:51時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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目次

居場所づくりと仕事おこし

2004.1・12 松田講演(福岡・早良市民センター)

こんにちは。不登校情報センター代表の松田と申します。
これから約2時間、お話しさせていただきます。よろしくお願いします。
みなさんのお手元に、今日お話しする内容のレジュメがあると思います。
タイトルは「不登校・ひきこもりからの旅立ち」です。
これをめくると、今日お話しする内容があります。
ここを中心にお話ししまずが、たぶんこのとおりに話は進まないと思います。
話しながら考え、考えながら話しをすることになると思います。
まず「はじめに」というところを考えてみたいと思います。そこだけでいくつか話すことがあります。

不登校情報センターをなぜ始めたのか
一つはなぜ私がこんなことを始めてしまったかということです。
これはよく人から聞かれます。実は私は元々は教育雑誌の編集者なのです。
それが、今は教育雑誌をほったらかして、編集というのは職業としてやってはいるのですが、それは年に数日やる程度です。
1年350日ぐらいは不登校情報センターにいて、そこに不登校・ひきこもりの経験者が来て、毎日なにかやっている。
なぜそういうことになったかを、まずお話ししたいと思います。
20年くらい前から、編集をしていた雑誌で「登校拒否問題」を扱うようになりました。
今はそれを「不登校」と言うようになって、「不登校情報センター」の名前もそこから取っています。
その雑誌の読者は、学校の先生が多いのですが、「登校拒否問題」の特集を組むと通常の読者以外のお母さんがたから、多くの電話がかかってきたのです。
そういうところから、私はこの問題にかかわることになりました。
詳しい部分は省きますが、1992年に、それ専門の雑誌を創刊しました。
もしかしたらご存じの方もいるかもしれませんが、『こみゆんと』という雑誌です。
1992年の4月に創刊したのですが、これは通巻50号で終わってしまいました。
それと並行して、不登校問題、高校中退問題にだんだんと取り組むようになっていったのです。
1995年には、編集の仕事を中心にはできなくなって、独立して今に至ります。
その95年に「不登校情報センター」は設立されました。
その翌年96年に初めて「当事者の会」をつくりました。
「通信生・大検生の会」の名称で初会合をやりました。
これ以後、名称は変わりましたがずっと当事者の会は続いています。
少し先回りをしますが、引きこもりの人たちが、自分たちで会をつくったのは、1997~98年頃です。
こういう言葉があるかどうか知りませんが、うちに来ている連中は「2000年が引きこもり元年なんだ」と言っています。
引きこもりが社会的に注目を浴びるようになったという意味で言っているのだと思います。
そういうことで、当事者の会ができてきたのです。

私は当時、引きこもり、あるいは引きこもりの人たちについて、本当はよくわかっていなかったと思います。
最近、古くから私と付き合いのある引きこもりの経験者に、「松田さんは、最初はわかっていなかったよ」と言われました。
ですから、今日会場に来られている引きこもりの子の親御さん、カウンセラーさんにしても、「最初から引きこもりをわかっていなくてもいい」と思います。
なぜかというと、私ができたからです。
では、知らなくてもできるのか、誰でもいいのかというと、そうでもないと引きこもりの人に言われます。
なぜ私にできたのかというと、「自然だったからだ」というのです。
私は、かなりずけずけものを言います。「お前ちょっとおかしいよ」とか、よく言います。
けれども、ある人は「自分の父親にそういうことを言われたらダメだったろうな。今でもダメだけど」といいます。
なぜ「自然であること」がいいのかというと、それは最近わかったことなのですけれど、「悪意がない」ということです。
あるいは「嫌な気持ちにさせない」というか、引きこもりの当事者としては、「むしろ自分に問題があることはわかっている。
わかっているけれども、それは否定的なふうに、ダメなことで、やめなければならないこと、そう言われるとできない、近づけない。
だけど、自然な感情で言われると、悪意がなければそれはむしろいいのだ。率直な意見を聴かせてもらえていいのだ」と言うのです。
この話を私の例として出しているのは、ややわかり辛いかもしれないので、言い換えましょう。
もしも、小さい子どもにそう言われたら、引きこもりの人たちは聞く耳を持つのです。
これは、今は元気に働いている人の例ですけれど、ボランティアで保育園にいった。
そこでは、子どもたちは自分について歯に衣着せずいろいろ言う。
でも、子どもの言うことは素直に聴けるというのです。
そういう感じで、松田さんの言うから、だから一緒に来れたんだと言うのです。
それが、ここまで続いてきた一つの理由だと思います。

不登校情報センターの活動分野
次に、「まえがき」の2番目にいきます。
今日は、フリースペース=当事者たちの居場所について中心に話します。
それは私がいちばん大事だと思っていることです。
その前に不登校情報センターの全体を話しておきます。
いくつかの活動分野があります。そのなかに当事者の居場所の役割が定着しているのです。
95年の情報センター設立当時の活動は、相談と情報提供でした。
相談相手はだいたい親でした。
情報提供は、私は雑誌編集をやっていましたので、フリースクールやサポート校、相談機関などの情報をまとめて、みなさんに渡していたのです。
そういう相談カウンセリング業務というのは今も続いています。
それから「訪問活動」というのもあります。
最初は中学生、高校生、高校を中退した年齢の人たちのところへ大学生が訪問に行っていました。
今は、引きこもりの経験者が行っています。特に20代30代の人たちのところには、引きこもりの経験者が行っています。
訪問先は新たに始まったり、中断したり、再開したりなのですけれど、今現在は約50家族に訪問しています。 訪問する人たちは、最初は学生だったのですが、学生の中でグループができて、よく勉強会をしています。
最初は早稲田大学が中心だったので、まず早稲田の中にひとつサークルができました。
その次に、千葉県にある順天堂大学にも「ジュンフレ」というサークルができています。
そのほかに、東京、もしくは東京近郊のいくつかの大学から、少しずつ学生が集まってきて、学生グループができています。
「Cocoro組」といいます。それはそれでひとつの広がりをみせています。これが訪問に関係することです。

3番目は、文通に取り組んでいます。
文通は、北海道から九州まで、全国で約600人参加しています。
3年前に不登校情報センターが編集を始めた『ひきコミ』という文通用の雑誌があります。
投稿を募って、読者同士が文通するという取り組みです。
NHKの「引きこもりサポートキャンペーン」のホームページでも紹介されました。
なぜ文通が始まったか。
かつての当事者の会の会報に、自己紹介を載せました。
当事者の会に登録はするけれども、実際には会合に来ない、参加しない、けれども知り合いになっている人たちがいました。
これを参考にして『ひきコミ』をつくりました。
2000年7月に『ひきコミ』準備号をつくり、その年の12月に第1号を発行しました。
このとき初めて文通用の雑誌、交流誌をつくり、今現在、20号まで出ています。

4番目は、親の会です。不登校情報センターの親の会は、実は2つあります。
なぜかというば、レジュメに「2001年6月、事務所移転・親の会(交流会)始まる」とあります。
実は、今の不登校情報センターの建物は第一高等学院という大検予備校の持ちビルです。
校舎の統廃合で今私たちが入っている校舎は、空きビルになったのです。
私は第一高等学院と親しくしていたものですから、「うちの建物を使ってみないか」と持ち掛けられました。
「こんな大きな4階建のビル、借りるにしてもお金がないよ」と言ったら、「お金はいらない」と言われまして、それで借りています。
1階と2階を借りて、3、4階は第一高等学院の倉庫になっています。
ここを借りるときに、引っ越しをしなければならない。
けれども私1人でその作業をやるのは無理なので、不登校情報センター(居場所)に来ている人たちに手伝ってもらおうと思いました。
「手伝ってくれ」と普通に声を掛けても、なかなか動いてくれませんから、引っ越しの前に親を集めて講演会を開いたのです。
その講演会を手伝ってくれと「居場所」に来ている人たちにたのみました。
引っ越しの準備でもあったのです。
その講演会には、親御さんが100人ぐらい来ました。
講演会が終わったあとで、母親など20人ぐらいが残って、相談会を開きました。
それが親の交流会のようになりました。
そのときに、どなたかが「これを毎月やってもらえないか」と言われまして、それが形を変えずっと続いています。
これが親の会の始まりです。
ところが、これとは別に、さきほどお話しした「訪問活動」で、訪問されている親御さんから「親としても、自分の子どもが訪問してもらっているけれども、訪問にはどんな意味があるのか、他の人たちがどうなっているのか聞きたい、知りたい」と言われました。
この訪問活動をしているグループは「トカネット」というのですけれど、この「トカネット親の会」というのが別に創立されたのです。
さきほどお話しした「引っ越しの準備として催された交流会から始まった親の会」ですが、「親同士で交流しているだけではダメなのではないか」という意見の親御さんたちがいました。
不登校情報センターには、7人のカウンセラーさんがボランティアで来てくれています。
その1人の方が学習会を始めました。
そうしたら、親の会の何人かの親御さんがそちらの会に定着するようになりました。
さきほど私は2つと言いましたが、実は親の会は3つあることになるかもしれません。
それらが毎月会合を持ちますから、3つも並行して親の会があります。

そういう、いろいろな取り組みの中で、私がいちばん大事だと思うのは、「引きこもり当事者の居場所がいちばんだろうな」ということです。
この内容は後で詳しく触れます。
居場所の次に欠かせないのが「訪問」です。これは本当に欠かせないと強く思います。
私はいろいろなところでお話しをしますが、昨日は愛知県の豊橋へ行ってきたのですが、相談するだけならいろいろあるのです。
豊橋の場合は、親の会もなかったので、どうやってつくろうかとこいうことから考えるしかないのです。
訪問と引きこもり当事者の会は、不登校・引きこもりに対応していく上で、基本的に必要なものだと思います。
いろいろなことが必要だと思いますが、当事者の集まる自助グループ、フリースペースというのは、まずつくって欲しいし、対応しなければならないと思っているところです。
最後の結論のところでもう一度言うかもしれないですが、私は相談をよく受けています。
だいたい親からの相談なのです。
彼らの子は、子どもといっても自助グループ、フリースペースにいる人は20代以上が中心ですから、いちばん年下でも15、6歳です。
もちろん訪問されている人の中にはもっと下の年齢の人もいます。
不登校情報センターのフリースペースに来るのは、下は15、6歳から上は40歳ぐらいです。
彼らはほとんど毎日来ています。ですから私は毎日彼らの横にいることになります。
彼らはいろいろなことを言っています。
親が言っていることと、彼ら(子ども)の言っていることは、どこか重なる部分もあるけれど、相当違う部分の方が多いですね。
どちらを本当にするのかというと、私はやはり引きこもり当事者だと思います。
当事者の意見を最大に優先して考えるわけです。
ことばに従うというのではなく、そこになぜそうなっているのか、深い訳を考えていくことになるのだと思います。
そういう意味で引きこもりについて考えるときも、親の意見で聞いていても、隔靴掻痒(靴の上から足の裏をかく)ということわざがありますけれども、そういう感じがします。
しかし、当事者の方は、もう少し直接的に、引きこもりとはどういうものかを見せてくれるように思います。
ですから、第一に当事者の方を見たいと思うわけです。
そこから、真実が見えて、それに対する解釈とか対応とかが生まれてくるのではないかと思います。

不登校と引きこもりの関係
「まえがき」には、もう一つありまして、私は今日、主に引きこもりについてお話ししますが、実は不登校と引きこもりはどう違うのか、どう同じなのか、そこのところを少しお話ししておきたいと思います。
社会の取り組みについては、不登校・登校拒否に関することの方が、引きこもりにくらべて先行していますから、いろいろな対応がある意味では進んでいます。
引きこもりについては、対応している所はまだまだ少ないわけです。
先ほど、福岡市内の4団体の方が発表されていましたけれど、やはり引きこもりについては、全体としても対応はこれからという雰囲気がしました。
そこで考えたのですが、ある意味、不登校の方が対応しやすいと思います。
それでも大変なんだということは承知の上です。
子どもの年齢が下であればあるほど、対応してきたことにたいする反応もあります。
反応も明確に出やすいわけです。
ところが20代、30代になってきますと、子どもの方もいろいろなことがわかっているわけです。
私は、毎日そういう引きこもり経験者という「先生」に囲まれていますから、彼らの言動の一つひとつが私の今まで思っていたのと違うことを見せてくれます。
彼(女)らがむしろ先生なんですね。
その立場から問題を見ると、ある意味では20代以上の彼らは深刻なんです。根が深い。
本当に本質的な問題を見ようとすると、引きこもりであった人たちの視点から見た方が、問題がよく見えるということです。
20代後半や30代になった人が、たとえば自分は小学校から不登校であったというような経験を語ります。
もし小学生や中学生の不登校の子であれば、自分の不登校経験を語れません。
語れないのは当たり前です。高校生ぐらいでもなかなか言えないのです。
ところが、20代後半、30代になったら、なぜ自分があの時不登校であったかということを、個人差や背景の違いはありますけれども、語れるんです。
語られる中で、いろいろなことを教えてくれるのです。
やはり時間が10年経った、登校拒否を始めたときから10年経ったところで振り返ってみると、自分はたぶんこういうことで学校に行かなくなったんじゃないか、というようなことを言います。
私はいま引きこもっている特に20代後半、30代の意見を鏡に映して見てしまえば、結局不登校の10代前半の小学生から中学生、高校生年齢くらいまでの登校拒否問題のかなりの部分はわかってしまうんじゃないかという感じはしています。
引きこもりと不登校にも、同じ問題はやはりあります。10代であろうと、20代であろうと同じ問題はあります。
しかし20代には10代にはない別の問題がそれに重なっているわけです。
そのところを考えようとすると、やはり20代から30代になった人が引きこもりのことを話しをすることが、不登校を理解する点でも、重要になってくるのではないかと思います。

取り組みのスタンス
そこで、今日のテーマはというと「実践とポリシー」に移ります。
日頃こういうことを考えないのですけれども、「実践」は毎日なにかをやっていますから、その通りだと思います。
特に「ポリシー」ってなんだろう? と思います。
私は今までお話しした中に、一つはあると思います。
例えば不登校情報センターになぜ3つもの親の会ができてしまったのかというと、そのことを言った人の意見を生かすということです。
すでに親の会はあるのだから、それと調整してはどうですか、とは言わないのです。
それは引きこもり当事者の会も同じです。
例えばいま当事者の間で「スポーツクラブ」というのができています。
その中にはあらゆるスポーツが理論的には入るのですが、ある人がスケートをやりたいと言いだしたとすると、それをやりなさいと私は言います。
そうすると、スポーツクラブとは別にスケート部ができてしまうのです。
今また、インラインスケート――昔流行ったローラースケートの仲間だそうですが――それをまた4人くらいがやっています。
これがまたスケート部とはまた別にインラインスケート部ができています。
私は、これをスケート部と一緒にやりなさいとは言いません。
それをやろうという人がいたら、勧めるんです。「やろう」と。
そのあと、どうやって実現するか、そう考えるわけです。
私のそういう姿勢をことばで表すと、よく言えば自然流、事実を言うと成り行き任せ。
これがもしかしたら、私の基本ポリシーの第一かもしれません。
成り行き任せにしろ、自然流にしろ、それを言った当事者の意見を最大限に生かすということを、いまの仕組みがどうであるとかは後に置いておいて、当事者がいま感じていること、意見をどう生かすかということを、最優先にして考える。
その結果は、組織としてはおかしなことも出てくるでしょう。
けれども、それは後で調整すればいいと考えるのです。
実は、親の会は複数あるものを統合しようという計画が出てきています。
このように、後で調整すればいいのです、ですから、スポーツクラブもそのうち統合しようという動きが出てくるかもしれません。
とにかく、そのことをやりたいという人がいたら、先にやってもらう。
それが大事だと思っています。
というより、当事者から、自分の方からこうしたい、という意見はただ待っているだけでは出てくることは、そうないですから、出てきたときには形になるようにしたいと思います。

ひきこもり当事者の会

ようやく、不登校情報センターでは、当事者の会として何をしてきたのかに入ります。
当事者の会の経歴を、約8年半くらいですが、その略歴をレジュメに載せました。
こういうのをズラリと見せられても、わかりづらいです。
経歴として話すのではなく、内容・役割の面で要約して話します。
私は当事者の会の役割は大きく3つあると思います。
1つは「居場所」です。人によっては「行き先」であるとか、「逃げ場」であると言えます。
2つは「対人関係づくり」です。カッコ書きで「人間発見、自分探し、社会性」としてあります。
3つは「社会参加」です。これもカッコ書きで「収入につながる取り組み」としてあります。
このなかで、基本的に重要なのは「対人関係づくり」です。
対人関係づくりの居場所というのが基本だと思います。
不登校情報センターの居場所というのが、1996年8月4日に「通信生・大検生の会」から始まった当事者の会がまさにそれです。
私はこのとき、理想高くというか、格好良くというか、目標を3つ揚げました。
1つは「友達をつくろう」、2つは「一緒に勉強しよう」、3つは「情報交換(経験交流)」。
こういうことをしようと言っていました。
そのうち、勉強と言われるものは、この8年間に合計して数人が読書会をやっただけでしょうね。
この居場所のなかで、基本的に勉強は成り立ちませんでした。
そういうことじゃなかった、ということですね。
あまり高い理想を掲げてやっても、現実の重みは強いですから、こちらの思いだけではどうにもなりません。
現実は強いというのは、こうして欲しいと強く言ってくることはないですね。
絶対ないと言ってもいいかもしれません。
なぜ現実は強いかというと、彼(女)らは関心のないことには参加しないということです。
そういう現実が強いのです。
勉強しようと呼びかけても、関心がないことには参加しないのです。
誰も参加しない限りにおいては、始まらないわけです。
そういう事態は今もずっと続いています。
週に4、5人新しい人が問い合わせをしてきます。
当事者の会に行ってもいいですかと。そのうち実際に来るのは1人か2人ですね。
それからしばらくたって、2、3か月とか、人によっては2年後ぐらいに「この前電話したのですけれど」というので「いつですか?」と聞くと「2年ほど前」とか、そういう反応があるわけです。
私は参加者の人数を言いましたけれども、だいたい毎日10人くらいは来ています。
多いときには20人くらいです。正月は例外で、1月2日は2人しかきませんでしたが、3日には7~8人来ました。
絶対数では、1か月あたり60人から70人です。
これは、延べ人数ではなく、実数(個人の名前)がそれくらいの数になるのです。
同様に年間ではどうかというと、300人くらいです。
300の固有名詞の当事者たちが、不登校当事者センターに出入りするのです。
多い人で、週に3~4日、少ない人で年に2~3回です。
まるで織姫と彦星のように、ゆっくり回ってくる人もいるのですね。
少し話が脱線してしまいましたが、8年半の不登校情報センターの居場所の歴史を見ると、いまは第一高等学院の元校舎であるビルの1、2階に入っているのですが、最初は私の自宅でやっていたのです。
といっても、自宅に集まってきたわけではありません。
事務所を自宅に置いて、そこでは主に相談をやっていて、情報センターの開設から1年後に、初めて当事者の会を開くときは、いろいろな会館を借りたわけです。
1か月に1回くらい東京、横浜、千葉県の船橋、あるいは会に参加している人の中に大学生がいましたから、その人たちの通っている大学の教室を借りたりして、会場は首都圏を転々としていたわけです。
それが最初の3年間です。

その次に、98年の秋から小さい事務所をワンルームマンションの1室に構えました。
7坪くらいの、しかも、きちっとした四角ではない、でこぼこした空間でした。
そこに私は、仕事用の机2つ、一つはパソコン用でもう一つは作業机を置きました。
そこに不登校情報センターは3年間いました。
その3年間に、当事者の会の利用者が増えまして、多い日で30人くらいきました。
7坪半の狭いところに30人も入るとどうなるかといいますと、本当にぎゅうぎゅうで、うっかり足を上げれば、次に降ろすところもないような、まさに足の踏み場もない状態になってしまったのです。
とてもそういう場所で、私は仕事などできませんから、当事者の会は週1回ということにしていました。
その日は、5時になったら彼らに帰宅を促していました。
その後、彼らは行くところがないので、駅前のファミリーレストランやファーストフード店に行って、「二次会」をやっていたわけです。
それらの飲食店は夜10時くらいに閉まるのですが、私が偶然、彼らのいる店の前を通ると、ゾロゾロ出てくるんですね。
どういうことかというと、その当時の会の名称は「人生模索の会」と称していたのですが、午後1時に「人生模索の会」で私の事務所に集まって、午後5時に私に追い出されて、その後、ファーストフード店に行って、夜10時までいるのです。
都合9時間、会をやっているのです。そういうことが、3年間全部とは言いませんが、かなり続いていたのです。
「人生模索の会」は週1回でした。そうしませんと、私は仕事ができません。
事務所を借りる前は、月1回会館なり教室なりを借りて、主に日曜日にやっていました。
事務所を借りてからは、毎週水曜日にしました。どんどん参加者が増えました。
最終的にはそのつど30人くらい来るようになったのです。
この様子を見て、これは将来、参加者がもっと増えたらどうなるんだろうと途方に暮れていたら、さいわい第一高等学院から無償でビルを借りられるようになったので、そこへ移ったのです。
今の不登校情報センターは、かなり広いものですから、会の参加者たちがなにかをやっても、私は自分の仕事ができることになっています。
彼らはだんだん毎日来るようになりました。しかし、事務所を移ってからすぐに毎日来るようになったわけではないのです。
最初は水曜日が多かったですが、今日はパソコン教室をやるからとか、いろいろな名目をつけてだんだん水曜日以外も来るようになって、今現在は、1年365日誰かが来るような勢いになってしまったんですね。
そういう中で、彼らから、「ちょっと話を聴いてください」「相談があります」とひっぱりだされることがあるのですが、それでも一応は仕事優先ですし、情報センターにボランティアで来て下さっているカウンセラーさんに頼んだりしているのですが、それでも、どうしようもない事態が発生することがあります。
  その中で、レジュメの年表に、2002年1月23日人生模索の会「3月末まで中止を決定」(注①)とあります。
抽象的でわかり辛い表現かもしれませんが。この背景を説明しておきます。
要するに、当事者も、引きこもりの経験者といっても、私のところでは単純に引きこもり経験者ではなくて、例えば、最初のこの会の成立は「通信生・大検生の会」ということで始めたのです。つまり、通信制高校生や大検を受験しようという人たちのために始めたわけです。
ところが、そのうちに、通信生でもなければ大検生でもない人が来るようになった。
例えば、単に高校を中退した人、いわゆる引きこもり的だという人、対人関係に不安のある人、対人恐怖症的な人、醜面恐怖症の人などの精神科に通院している人など、いろいろな人が来るようになりました。もちろんそこには、男も女もいます。
そこで、いわゆる「あの人とこの人は馬が合わない」ということが起こります。
それは、人間と人間の関係ですから、どうしても避けられないわけです。
相性が合う人がいるということは、相性が合わない人もいるということです。
その人たちが、どうしたら同じ場所に、といっても以前と違って、部屋がいくつかあるようになったので、同じ場所とはいえ少し違う所、すこしずれた所に共存できるか。
そういう当事者の会をどうやって運営するかという問題が出てきたのです。
  人間関係というのは、すごく絶妙というか、すごく難しいものだな、と思います。
しかし、私のようにひきこもり経験のない人間は、そういうことに無頓着で過ごせるのです。
ところが、引きこもりの人たちの中には、それを無頓着でおれないという人がいて、そういうところから、人間関係がうまくいかないことになる。
無頓着でおれない人同士がそこにいたらどうなるかということを、配慮していかなければならないわけです。
私はそれを、ほとんど無頓着でやっていて、それを自然体だとか、行き当たりばったりだとか言いながら、なんとかやってこられたのです。
私がまだそこに関わっておれるうちはいいのですが、当事者同士だと、いわば抜きさしならない関係になってしまうことが、ときどき発生するわけです。
それが今からちょうど2年前に発生し、当事者の会を2002年3月末まで中止という決定をしたわけです。
これはあまり詳しく言うには時間がないのですが、私は五十田猛というペンネームで『引きこもりと暮らす』という本を執筆しました。
この中に、その2年前の顛末を書いているのですが、それで学んだことの結論をこの本に書きました。
この点が、当事者の会の運営という点でも、あるいは、引きこもりの人たちがなぜ引きこもりになっているのかという点でも、かなり重要なところを衝いているような気がするわけです。読んでみます。
「仲よくなければ人間関係はなりたたないのか?」。どうですか?実はその2人は、けんかをしたのですが、もともとその2人は仲がよかったのです。
でもあるところから決裂したわけです。続きを読みます。
「そうじゃない。仲よくなれなくても、それはイコールけんか状態ではない。仲よくはないけれども、けんか状態でもない。
しかし、けんか状態であっても人として相手を尊重することもまた、対人関係の重要な力だ。
できれば、そういう両者がお互いに相手を尊重し合うのが望ましい。その対人関係の力こそ、社会性の重要な内容だと思う」。
要するに、これが私なりに、気づいたことなのです。
これは今から振り返ると2年前なのですけれども、私は引きこもりについて自分なりに昔と比べてわかってきたかなと思うようになりました。
それでも、当事者から言わせると、「まだ違うよ」などと言われることもあります。
私は、2年前のこの事件から、中心問題に触れるようになった気がします。
そのときは、「みんな来るな。しばらく頭を休めなさい」と言ったのですが、ただ実際は、人生模索の会は水曜日にやっていたのですが、彼らは水曜日をさけて結局毎日来るのですね。
今日は○○くんと個人的に会う約束だからとか、今日はパソコンをやるんだとか、今日は新しい会を作るための相談だとか、いろいろな名目をつけてとにかく来たのです。
これは、本当はありがたかったのです。本当に誰も来なかったら、私は次の展望を示せなかった。
それ以来当事者たちは、水曜日を避けて来るようになったのです。
ただし、けんかの当事者の2人は、少なくてもそれから1年くらいは来ませんでした。
今現在、その2人とも就職しています。その2年前の出来事は、彼らなりに、両方とも男性ですけれども、ある意味では勉強になったというか、彼らなりのとても重要な経験をしたように思います。
1人は福祉関係の仕事につき、もう1人はコンピューターで絵を描く仕事をしています。
そういうことがあって、2人とも1年くらい来なくて、今では時たま顔をのぞかせる程度です。ただ、2人で会って話しをするということはないです。 たぶんすれ違ったままでしょうね。それは少し残念なのですけれども。
私はといえば、それを特に仲介しようという気もないのです。
それは、もう成り行きに任すしかないと思っています。

その後で、やはりより安定した居場所というのをつくらないといけないと思いまして、2002年3月30日の確か土曜日、ほんとうは4月1日からやりたかったのですが、ある新聞社が人生模索の会を取材したいということで、その前の3月30日から2つのことを始めました。
1つは「書店」をつくるということです。「あゆみ書店」というのですが、不登校関係、引きこもり関係、医学的なものもあれば職業訓練的なものもある、そういう周辺事情に触れている書籍を集めた本屋を始めました。書店員は情報センターに来ている当事者です。彼らが交代で勤めます。開店以来、何人かが加わって、何人かが辞めて、今は7人です。その7人が交代で店番等を担当しています。
それと同時に、「喫茶IINA(いいな)」というのを始めました。この「IINA」というのは、親の会の名称で、最初は親の会の人が始めたのです。今は、親は退きまして、全部当事者がやっています。「喫茶IINA」は5人の当事者が交代でやっています。
書店員と喫茶店員を兼ねている人が1人いて、実質は書店を喫茶あわせて11人です。そういう人が、不登校情報センターの1階にいるわけです。彼らは全員当事者であって、いわゆるスタッフではありません。
これが居場所づくりに、とても効力を発揮したのではないかと思います。そこにいけば、誰かがいて、その人がいることによって、その場が安定する。私がそこに顔を出すこともあれば、出さないときもあるし、とにかくそこに安定した雰囲気ができたということが、当事者たちが不登校情報センターに毎日来るようになったベースというか、一つの客観条件のような気がしています。
その後、2002年の秋に、それ以前からも少しあったのですけれども、「働きたい。けれども就職はできない」という意見が当事者の中から出ました。それは「社会参加(収入になる取り組み)」というのに含まれるのですが、そういうことに着手しました。
「あゆみ書店」も「喫茶IINA」も、働くと少しお金が出ます。と言うと、「おっ」と思われる方もいるかもしれませんが、それは全然違います。書店の方は出版社から本を仕入れてきて、出版社によって少し条件は違うのですが、売り上げの2割を書店員として働いた時間で割り振る形にしています。
そうすると、一人当たり月に数千円です。例えば、4日来るか、5日来るか、6日来るか、それによっても少し違いますが、けっこう時間に遅刻して来る人もいますし、多いときは同じ時間帯に3人くらい書店員がいます。月3000円~4000円というのが書店員としての「給料」です。これは給料というよりは一種の研修費として、とにかくお金は支払っています。
同じく、「喫茶IINA」も少しお金が入ります。
ただし、これはフリースペースのお茶で、お茶が1杯10円でおかわり自由です。全然お金が儲かる仕組みにはなっていません。
ですから「喫茶店員」の「給料」というものもせいぜい千円単位です。
ですから、これが「社会参加につながる」というのかといえば、ちょっと気恥ずかしいというよりも、ウソでしょ。ただ、単純にタダ働きでもないよというようなものです。でも居場所つくりには役に立っている、そういう性格のものです。

もっと働いて収入になるものをつくろうということで、2002年の10月に「あゆみ仕事クラブ」というのを成立させました。あゆみ書店ができてから2~3か月して、ある話し合いをしたのです。その当時「30歳前後の会」というのが月1~2回あって、男性が多いのですが女性も少しいて、30歳前後の人たちが集まって話し合いをしていたのです。
その中で、「働きたいけど就職はできない。この後の自分の人生はどうやって開いていくのだ」と、そのつど、ああでもない、こうでもないと、どうどう巡りの話し合いをしていたのです。それである時に、私は「同じことを毎月毎回話していても、行動とか、あるいはこうするとか、そういう方針的なものがないかぎり、なにも前進しないのだ。だからきみたちがいったいどういうことをしたいのか、1度まとめて話そうじゃないか」と機会を設けたわけです。
いろいろな意見が出たのですが、なぜ就職できないか、就職の形で働けないか。これは引きこもりの親の会の人ならたぶん誰かから聞いていると思うのですが、私のところにも何人か就職して辞めてきた人、もちろん就職してそのまま働いている人もいるのですが、その辞めてきた人たちのことばです。彼らが職場で上司や同僚からよく言われるのは「てきぱき」です。「なぜ、お前はてきぱきと仕事ができないのか」と。これを多い日には数回言われるのでしょうね。あるいは「臨機応変」です。決められたことは文字どおり陰日向なくやるのです。でも、何かの事情で事態に変更があったり、優先するものが今している仕事の間に入ってきたら何をしていいかわからなくなってしまう。こういうことがあります。そういう経験をしていていて、嫌な思いをしているわけです。
それから、もう一つ別の理由は、職場において仕事はできる。でも昼休みになったら非常にいたたまれない気持ちになる。あるいは、仕事が終わった後、同僚が連れ立って食事に行くというときに、とても行けない。去年か一昨年、「たそがれ清兵衛」という映画があったのですが、「人づきあいがない」といってもあれとはまた違います。人付き合いができないのですね。
それはなにかというと、決まったことでないとやれない。正直で、陰日向なくやるのだけれども、それが他の人のペースに合わないわけです。それで嫌な思いをしてきている。そういうのがありまして、自分はもう就職できないという感覚になります。
就職できた人は何が違うかといいますと、これもいろいろなのですが、とにかくある程度、選んだ仕事が自分に合った仕事だったとか、職場の上司がよかった、上司が自分のことをいろいろカバーしてくれたとか。それでも毎日、冷や汗をかきながら頑張ってますよと言う人もいます。本当にいろいろなのです。
そこのところが、引きこもり経験者だった人の、なかなか乗り越えられないところですね。それで出てきた結論は、「ここにいる人たちとだったら一緒に働ける」というものでした。この仕事さがし、仕事おこしについては、『不登校情報センター利用の手引き』の真ん中あたりで触れています。

この中で、いろいろなことをやっていますが、共同作業的なものもあります。たとえば、不登校情報センターでは「進路相談会」という相談会を開くのです。最近の私の土日曜日の予定には、高校に関する相談会の予定が入っています。そういうときに、彼らに手伝ってもらうわけです。例えば、受付をやるとか、そこで売る進路ガイド本を並べるとか、学校の案内書を並べる。そういう共同作業にしても、当事者の会にいる人たちとだったら一緒にやれる。
だから、「松田さん、情報センターで働かしてくださいよ」と言う人がいます。しかし、私の不登校情報センターは、「生産組織」ではありません。会社ではありません。不登校情報センターは、どこかから収入が出てくるかといえば、なにもないのです。
実は、当事者の会の参加費は無料なのです。今までは無料ですが、来月からは1ヶ月500円にするのです。先ほど触れましたように「家賃」がタダなのですが、光熱費とかはけっこうかかっています。光熱費などは1ヶ月当たり10万円までなら私が負担することで始めてきたのです。実際は月に20万円ほどかかっています。それで、いよいよもたなくなったものですから利用料徴収のはこびとなったのですが、それでも1か月60人きても3万円かと内心計算はしているのですが、とにかくそんな状態で収入源はないのです。
私自身の収入源は、本の編集をやっていて、それで収入を得ています。それを彼らに分け与えると私自身の生活が成り立たないので、それをやるわけにはいかないよ、と言ったら、「ここを、不登校情報センターを働ける場にするために、いろいろ仕事起こしをすればいいじゃないですか」と彼らは簡単に言い始めたのです。
そんなことから、彼らもその気になれば動くのですね。これがその話し合いをしたときの結論だったのです。そのときは、例えば内職みたいなことをしようかという話しになったのですが、誰も内職を探さないのです。区役所にでも問い合わせに行くかといえば、特に行くわけでもなく、アルバイト情報誌を持ってきて「こんなのどうですか」と言ってきたりして。「それを私の所でやるの?」と聞くと、「え、できないんですか?」と言われたり。私が不登校情報センターを運営しながら、自分の編集の仕事をしながら、このうえ第三の仕事をどうすればできるのだろう。それはとてもできないということです。

それでも、『利用のしかた』にならべているようないくつかのことは「収入につながる取り組み」としてやっています。
まず、不登校情報センターでは印刷物がとても多いのです。みなさんのお手元にあるレジュメなどもそうなのですが、私はほぼ毎日、なにかの文書を書いていて、その手書き原稿をパソコンに入力してプリントしてもらう。しかし、情報センターには印刷機しかない。かつては大検予備校の時代に使っていたコピー機がありましたが、度重なる酷使で壊れてしまった。
そこで社会貢献事業に力を入れている企業からもらおうと考えました。2002年の夏、あゆみ仕事クラブが成立する少し前の頃です。買うのではなく、もらうのです。
実はデジタル印刷機をもらえました。リコーという大手事務機器メーカーに、当事者を2人連れて行きまして、「私たちは引きこもりの経験があるけれども仕事をしたい。ついては印刷機が欲しいのでください」とお願いに行ったのです。そして、もらえました。今お手元にある資料もその印刷機で刷りました。ですから、印刷物はとても安くできていいのです。
しかし印刷機はもらったけれども、印刷の営業はなかなかできないのですね。ようやく最近、少し仕事をもらえるようになったのですが。営業とは何かといっても、よくわからないわけです。
その次に、パソコンについてです。これももらえました。本当に不登校情報センターはもらうことが多いです。私は、フリースクールであるとか、不登校生徒、中退者を受けいれている学校との付き合いがあるので、そういう学校では、パソコンは毎年何台か新機種に切り換えるのです。ある教育機関に「今まで使っていたのは捨てるのですか?」ときくと「そうですよ」という。「でも廃棄もこれからは有料になるらしいよ。だったら、私のところにください」というわけで2003年の4月に14台もらったのです。
いまは当事者たちが部品を買ってきて自分たちでパソコンを組み立てています。私はよくわかりませんが、古いパソコンの部品をつかって自分たちで組み立て始めました。それを将来は売ると言っていました。パソコンをよく知る人たちがそういうことをしています。
  その次に、2003年の5月から「月2回発行の生活情報誌『ぱど』の配布を開始」とあります。『ぱど』というのは福岡にもありますか?私はわからないですが、東京、関東辺りではあります。広告を冊子にしたようなものなのですが、これは全国で1千万部くらい配っているものなのです。普通は主婦などが配っているものなのですが、私の所ではこういう事情で集団でやるから配らせて欲しいと交渉したのです。そしたらO.Kが出まして。それで配っています。
2003年の夏からは「ぱど」に加えて、月刊の「江戸川タイムス」という新聞も配らせてもらえるように交渉しました。『情報センター利用の手引き』の6ページに地図がありますね。不登校情報センターは東京都葛飾区の南の端で、すぐ南隣は江戸川区です。私たちが冊子や新聞を配っている地域は約4.2平方キロの江戸川区と葛飾区にまたがっていて、人口は約7万人います。この狭い地域は人口密集地域です。
「ぱど」や「江戸川タイムス」を配るときは、ビクビクしながら配っているという人もいますが、とにかくこれで、定期的かつ安定的な収入源を得られたわけです。
ポスティングといわれる業種ですが、収入が全体で月5万円です。これを7人くらいで配っていますから1人当たり1ヶ月平均7000円です。といっても、一番多い人は1万5~6000円くらいで、少ない人は500円くらいです。
ようやくここまでこれましたが、ポスティングの収入を今年は20万円くらいいこう、と言っています。これで「あゆみ仕事クラブ」としてようやく定期的な収入につながることができはじめたところです。
その中で、ベースになるのは、当事者が居場所でお互いが親しくなっているということなんです。そういう前提があるから、なにか呼びかけたときに、これだったらできるというので参加し始めているわけです。
この「不登校情報センター利用の手引き」の中には、6ページに仕事さがし的なことがいろいろな項目が並んでいます。「情報センターでアルバイトができるんですか」と言われても、そんなに収入にはならないです。パートタイムとも違います。
私が考えても、東京辺りでは月10万円くらいではとても暮らしにくいです。家賃だけでも少なくとも5万円はかかるでしょう。残りの5万円でどうやって生活するのかということですから、それは非常にきついです。いずれ収入が10数万円になれば、例えば障害者手帳とか生活保護がなくても自分らでやっていける状態がくるんじゃないかと、考えています。
こういう取り組みにどれくらいの人が参加しているかというと、先ほど言いましたように、あゆみ書店や喫茶コーナーに参加している人も全て含めて40名くらいです。40名くらいがとにかく自分の収入になる取り組みについたというところです。これを広めていけば何かになるかなと思います。
それからもうひとつ、彼らは非常に創作タイプの人間が多いように思います。人にもよるのですけれども、例えばある時、こっそり「ちょっとすみません」と私に声を掛けてくるのです。なにかと思えば「ちょっとこれを見てください」というのです。
何を持ってくるのかというと、まず絵が多いのですが、他に詩であるとか、絵本とか、マンガとか。やはり絵の類が多いですね。そういうのを私にこっそり見せにくるのです。それを見ると、「あれ~、この人はこんなことをやっていたのか」ということがありまして。この創作能力というか、それを生かすことが大事になっていると私は思います。
そういう人の中にペンネームで諸星ノアくんという人が『ひきこもり、セキラララ』という本を去年、草思社から出しました。これがかなり売れているようです。
ただ、彼は本を出したことを親には内緒にしています。もし親にいろいろなことを言われたらこれを取り出して対抗するという雰囲気ですね。ただ、彼はこれで人生が広がったかというと、少しは広がったとは思いますが、自分なりに経済的な条件をつくるのに前進できるかというとまだそこまではいかないですね。
しかし、彼は動いて、私の知り合いのある編集者と会いました。彼の本は文章主体なのですが、彼はもともとマンガを描いていて、その文章の間に挿し絵的なものや短編マンガを織り込んで、この本を出したのです。体験記の発行は、彼のめざす方向からすると本道ではないのです。
その他に、絵本を描いたり、絵葉書をつくっている人がいます。私が見て、これはすごいなと思うものもあるのですが、ただ彼・彼女らは引っ込み思案です。それは引きこもりですから当たり前なのですが、確かにすごいのですが、私はほめべたなんです。誉めないとだめというか、評価してあげないといけないのですね。
私は以前に馬鹿なことをしました。私は編集者ですから、どうも編集者というのはなぜかしらないけれども、けっこうな事をズバズバ言ってしまうのですね。ある時、ある女性が絵を持ってきたのです。私は「ああ、これね。これは出版として使うにはまだちょっとだめだな」と言ったのです。そうしたらその人は、1年以上絵を持ってこなかったです。かなり経ってからもう一度持ってきたのですが。私はこれを深く反省しました。
すごい絵もあります。どうしてこういう才能を生かさないのかというのもあります。そういう創作的な意欲をどうやって生かすかということを今考えています。今年の秋に情報センターで文化祭をやろうという話しがあります。タイトルもだいたい決まって「創作フェステバル・未完成」というものです。未完成でいい、ともかくそれをやろうと思っているところです。
  ここまでで、当事者の会の流れについては、だいたいお話ししたと思います。(1)の①居場所(行き先・逃げ場)ということについては、「訪問活動」のところから話しませんと、詳しい話にはならないのですが、時間の都合で今日はそこまでいきなり逆上ることはできません。
引きこもりの人たちが集まってきていれば、その場に一緒に行こうという誘い掛けはできやすくなると思います。そういう意味で「行き先」というのは、そこに行けば人間関係、友達関係ができていくようなものができる。そうすればその人たちでできるのではないかと思います。
それから「逃げ場」に来ている人には、今日のような会に来られる親御さんであればいいのですが、親と戦争状態の当事者もいます。あるいは親に内緒で来ている人もいます。親に何か言われたら家にいずらくなって、行き先がなくなって逃げるようにしてここに来るということなんですね。
3~4日、ずっと情報センターに居っぱなしの人がいます。家に帰るのが恐くなっているのです。そういう状態の人もいます。当事者にとってそういう家との対応は大変なのです。そういう家に帰りたくない事態は、長いこと続けばおこるもので、最初からそういう状態になることはないと思います。
ともかく、そういう人にも行き先があるような状態になる役割が情報センターはそのうち大きくなるのではないかなと思います。
ここまでで、居場所の3つの役割についてお話ししました。

引きこもりとは何か―― 理解する視点

次にすすみます。基本的な理解として「引きこもりとは何か―― 理解する視点」ということで、4つのことが書いてあります。これらは、お互いに独立した4つの角度から見たもので、その視点にたってお話しをしたいと思います。
引きこもりにはプラスの面があるということです。また、マイナスの面もあるということです。対応しようとか、サポートしようとかいう場合には、マイナスの面に注目しているわけです。私は、まずプラスの面に着目しないといけないと思います。そういう視点を含む4つを挙げたわけなのです。
まず第一、「①発達の遅れ・偏り―― 教育的視点」です。その背景には「叱咤激励型(ACタイプを含む)、愛の過剰型」があると書きました。さきほど、個の会の方たちが、いろいろな相談に行くと、育て方がどうだとかこうだとかいろいろ言われて、とても納得しがたい、そこから親として先が開けてくるような気がしないと言われたのを私は聞いていました。
ただ私もそういうことを言っているわけです。ですがそこにとどまっていても仕様がないわけです。つまり、親にそう言っておいて、親の責任でどうにかしなさいと、親に荷物を預けたら、親がその荷物を抱えてどうするんだ。親だけでその荷物を抱えて歩くのはあまりにも重たいものです。そうすると親もまた崩れるしかないのではないか。
そこを親と一緒に開いていく、親と一緒に荷物を分担していく、そういうものがセットされていないと、単に一方的に「親がだめですね」と言い放つようなやり方は確かにまずいと思います。
しかし、子どもが引きこもっている理由の中にはこういうこともあると言わなければならないなと私は思っています。私は「発達の遅れ・偏り―― 教育的視点」について2つのタイプに分けました。分けてはいますが、本当は両者はとても似たようなものなのです。
極端な例を一つお話しします。小学校2年生の女の子でお母さんと2人でマンションに住んでいます。その人の家族は地方にいます。お父さんは田舎で仕事をしています。お母さんが東京の近辺で娘さんと2人でいるのです。なぜそういう暮らし方をしているのかというと、実は子どもの教育のためなのです。お母さんは子どもの教育をするために、小学2年の娘さんに家庭教師を付けています。子どもは学校から帰ったら、スケジュールがびっしりです。家庭教師は3人くらいいて、この話自体はその家庭教師の1人から聞いたのです。この他にもいろいろな習い事がありまして、朝から晩までびっちり日程が埋まっていて、しかも家庭教師が娘さんの勉強を見ている時に、お母さんも脇にいて一緒に見ているわけです。
そうすると、この娘さんはどうなるのかを私は考えます。つまり、お母さんは非常に一生懸命子どもを育てようとしているわけですが、これは子どもさんに対して、あるいは虐待に近いんじゃないかと思います。管理というより監視状態で、それこそ1日24時間監視と管理の子育てをされているお母さんです。
私はこのお母さんと、なんら関わりはないのですが、そういうやり方は、叱咤激励型と愛の過剰型を両方兼ね備えているように私は思います。
私のところに来ている20代後半の人たちの話しを聞きますと、このなかのどこか、あるいは両方になっています。その具体的実例を挙げると、叱咤激励型は20代に10年間引きこもりをして、29歳になったときに自分なりに動き始めた人の話なのです。 親が自分に対して言った言葉を引きこもって6~7年目に並べてみたそうです。そうしたら3種類に分かれた。というか3種類しかないというのです。1つは「指示命令」・・・学校に行きなさい、勉強しなさい、早くしなさいなど。2つは本人の言葉で言うと「人権無視の言葉」・・・いちばん多かった言葉は「出来損ない」という言葉だったそうです。他には、どうしてこんなことができないのだ、ばか野郎とか。3つめは親の自慢話だそうです。 その人はいろいろ考えてみたけれども、まず挨拶がないというのです。「おはよう」とか「いってらっしゃい」とか。この3つの分類の言葉しかないというのです。本人が言うには、どんなことばが欲しかったかというと、「そうだね」ということば。自分が言ったことに対する「そうだね」ということばは、未だに聞けない。今その人は30歳を超えましたけれども。そういうのが「叱咤激励型」だと私は思います。
この例は少々極端だとは思います。そこまでいくケースはそんなにはないでしょう。あるいは本人は忘れているかもしれない。それ以外のことばが掛けられたこともあったかもしれない。けれども本人の意識にはそれが残っていない。
別の例をお話ししますと、引きこもりの人は学校の成績のいい子は割と多いのです。その中の1人は、例えばテストで95点とって家に帰ると、だいたい親から「あと5点がどうして取れなかったんだ?反省しなさい!」と言われて育ったと言います。では、100点とれば何も言われないかなと思えばそうではなくて、「この町でこの程度の問題で100点をとったのは何人いると思ってるんだ だから気を抜くな」というようなことをずっと言われてきたわけです。
その人はいつまでたっても、達成感がない、何をやっても何が足りないか見てしまう。つまり自己否定感がとても強くなっている。これが「叱咤激励型」で育った子どもたちです。
いまの話は典型的すぎますし、たぶん子どもの方は、もっと違うこともあったけれども忘れてもいるんじゃないか。叱責された方の意識が強くて、親は誉めたけれども子はそれを見落としているのではないかと、私は思っているのです。でも、誉められたり、暖かいことばを掛けられた記憶が子どもたちにはない。あるいは少ない。
少し話が外れますが、私はときどき、親と子の仲介役的なことをします。そうすると、「どうして親の肩を持つのか!」と当事者に怒られます。さんざん怒られっぱなしです。責められます。そこで私は、子どもの立場、子どもが経験、意識したことは、相当に根深いものがあるように思います。もちろん、全員ではありませんが。かといって、1人2人がそうというわけではありません。けっこう多いのです。私が曖昧な立場をとると逆襲してくることは多いです。私も覚悟して言わないと、うっかり言ってしまうと、それで1時間くらい時間をとられたりします。
  「愛の過剰型」といいますが、「愛の過剰」または過干渉とは何か、どんな基準があるのかと思われるかもしれません。私が次に挙げる4つほどが、だいたい揃っていたら、「愛の過剰ですよ」「過干渉ですよ」と言います。 1つは、忘れ物です。小学校低学年くらいで多い事例ですが、子どもが学校に忘れ物をしないように、親が全部そろえてしまうのです。すると、子どもは忘れ物をしません。ただ、子どもにはそろえさせてくれない、必ず点検する。これは、子どもが忘れないのではなくて、親が忘れないということですね。
2つは、挨拶です。例えば、家に親戚の人が来たときの「こんにちは」とか、友達が遊びに来たときの「こんにちは!」とか。子どもが自分で挨拶する前に、親が「挨拶しなさい」と指図してしまうのです。先に言ってしまうのです。そうすると、子どもは嫌がります。子どもの時に、そういう経験がすごくあったと当事者たちは言います。
3つめは、買い物です。子どもの靴であるとか、帽子や洋服を買うときです。子どもは自分の欲しいと思う物を買うとき、まずお母さんの顔を見るのです。要するに、これを買ってもいいですか?というサインですね。合図を送るのです。いつからそうなったのかわからないけれど、とにかく小さい時からそうなっていたという人がいます。
どういうことかというと、親の顔色を見て、親が喜ぶものを買わされてきたのではないかということです。これは一種のマインドコントロールだと思います。つまり、親は自分の許容範囲のものは買わせる。これを親から言わせれば、「だって、あの子は自分から選んでそうするんですよ」ということになっています。でも、子どもは親の顔色を見て選んでいるのです。つまり、子どもは親の許容範囲の中でしか選べなくなっているということです。
4つは、家の手伝いです。世代的に、私が子どもの頃にやっていたような類の家の手伝いはないのですが、そもそも家の手伝い自体をさせてもらえないのです。もちろん、これは全員ではありません。
典型的な例を挙げますと、あるお母さんが相談に来て、どういうつもりで言ったのかはわかりませんが、「わが家では、家族の役割分担が明確です。父親は仕事です。母親は家事です。子どもは勉強です」と言いました。
それはそうかな、と私も一瞬思いました。ところが「それ以外はしないのです」とお母さんは言うのです。どういうことかというと、お父さんは家事をしないのです。お母さんは働かない、外で仕事をしてはいけないのです。子どもは勉強以外できないのです。
そうなっているというのです。これはちょっとおかしいのではないかと思います。
これも「愛の過剰・過干渉型」ではないかと思います。
それらの結果どういうことになるか。子どもが失敗できない環境をつくっています。失敗させてもらえない、また危険に触れられない環境です。
極端な危険は親の責任で避けねばならないと思いますが。
むしろ、軽い失敗、軽い危険は子ども時代にしておかないと、人間の能力としてまずいのではないかと思います。
どうなるかというと、子どもは失敗することをすごく恐れるようになります。
それは、失敗にとても弱い人間になるということです。
危険に弱い人間ができます。それは、消極的であるとか、受け身である人間になります。
先ほど言いました「自己否定感」と「受け身」、これが子どもの中に共存するようになります。
たぶん引きこもりの人たちの多くは、そうなっていると思います。
もちろん例外もあって、私のところにも例外の人は数人いますが、そうなっているのは、そういう背景の中で生まれているからだと思います。
では、これは全部親の責任かというと、そうも言えないわけです。
親以外のいろいろな責任を挙げれば、2つあります。1つは社会状況、社会のゆがみです。2つは、先天的な子どもの性格です。優しいとか、正直だとか、内向的だとか、几帳面だとか、おとなしいとか。こういうことを並べてみますと、どうでしょうか。当たっているのではないでしょうか。
自己主張が弱いというのも先天的なことかもしれません。
そういう性質の子どもに、親がきついというか、ちゃんとし過ぎた子育てを、学校でも地域社会でも枠を固めてしてしまうと、その枠に生真面目に収まってしまう生活用式に、あるいは性格が固定されていくのではないかと思います。
これが発達の遅れ、偏りにつながると思います。

次に引きこもりの基本理解の2番目、心身の成長――「心」は何で育つのか(対人関係)のところをお話ししましょう。
思春期は、小学校の高学年から中学生にかけて始まるのですが、その時は人間の心身の成長が著しいといえます。
心身とは心と体なのですが、両者の成長が著しい。体の成長はわかりますね。外見でわかりますから。
体の成長は、よく食べて、よく寝て、よく運動しての3大要素で、他にも要素はあるのですが、これで体はだいたい成長します。
心はどうでしょうか。心の成長に必要な要素はなんでしょうか。心は物理的には外から見えません。
心はどうやって育つのかといえば、実は人間関係によってです。特に同世代の人間関係によるところが大です。
同世代の人間関係があることによって心が育つのです。
これが不登校・引きこもりによって、友達との関係が途切れてしまうと、心の成長が止まるわけです。
止まるといっても、停滞ですが。ゼロ成長とはなかなか言えません。これが対人関係ができないことによって不足するのです。
それがまた対人関係づくりを難しくしている。悪循環になるわけです。
引きこもりの基本的理解の視点の③に「社会性(思春期の遅れ、継続)」というのがあります。
社会性というのは対人関係を積み重ねることによって身につくわけです。
社会性というのは、世の中のいろいろな仕組みを机上で勉強してわかったとか、そういうことでは身につかないのです。
そういう要素が全くないとは言えませんが、人間と人間の関係があって、そこにいわゆる知識、情報、そういったものが積み重なって社会性というのが育つのだろうと思います。
ですから、人間関係のない中では社会性は育ちにくいということです。
引きこもりの人たちの表情を見ると、実は全体的に幼っぽく見えます。
よく年齢の7掛けくらい、つまり30歳であると、21歳くらいがこの人たちの精神的な年齢だよと言ってもいいくらいのものなのです。もちろん個人差はありますが。
今日は成人の日です。成人の日は20歳になったら祝うことになっています。
近年、成人の日はあちこちで新成人が、大きくはめをはずして荒れていますが、あれは20歳になっても、実は成人していないからじゃないかなと私は思っています。
実は、不登校情報センターも伝統に則り1月15日に「成人の日」をするのです。
ただし、それは必ずしも20歳ではないです。自分が成人になったと思う人が成人になるのです。そういう「成人の日」をやることにしています。
20歳になったら自動的に成人になるということではないのです。
自分が成人になったと思えるかどうか、ということが問われる世の中ではないのでしょうか。
つまり30歳になって自分が成人になったと思えば、そこがその人の成人式だという感じがするのです。
実際に私のところに来ている人の中には、31歳のある女性は「自分は今が思春期です」と言っていますし、20代後半のある男性は「僕の思春期は遅くやってきたんですよ」と言いました。たぶん同じことを指しているのだと思います。
そういうことを見ますと、大人になるということが時間的にずれてくることがある。それを左右するポイントが実は社会性なのです。そこが問われていると思います。

次に、引きこもりの基本的理解の視点の前後の項「引きこもり期―― 反抗期の別種(自立を求める期間)」についてお話しします。
人間は子どもから大人になるのですが、実はその間に思春期と反抗期があります。
どういうことかと言いますと、子どもから大人にいきなりなるわけではないのです。
まず子どもは女になり、男になる。そして大人になるのです。
その大人になる前の子どもの最後のところに反抗期があります。
反抗期というのは、大人になるためには必要なことなのです。つまり親を自分より低く見るのです。親を低く見ていろいろな言動をするわけです。
私の息子はちょうど今年成人なのですが、確かに中学校の2~3年くらいから、高校1~2年くらいまでは反抗期で、見ていてなかなかおもしろかったのです。親御さんの中には、反抗期を悪いことのように考える人がいます。
親に刃向かうとはなにごとだ、どうして親にそんなことをするのだと。でもそれは、親離れをするための表現でして、むしろいいことなのです。
ところが、引きこもりの人たちは、反抗期がないのです。
あってもかすかな反抗か、かすかな反抗期が10年くらい長く続くとか、あるいは第3反抗期という20代後半で「僕はどうも“第3反抗期”で親と戦争状態だ」と言う人もいます。
これはいったい何を示しているのか。大人になるための葛藤なのです。もし反抗期がなければどうやって大人になるのだろうか。
大人になるとは、そこに何があるのかといえば、実は親の意思というか極端に言えば親のマインドコントロールを脱して、自分の意志、自分の気持ちで自分の人生を歩むようになるのです。それが出来難いということを示していると思います。
引きこもりは、いろいろな意味で、親にいい意味でも悪い意味でも、あれこれあれこれされてきた、それを断ち切る方法なのだと思います。それを断ち切って自分のペースをつかむ。マイペースをつかみ取ろうとする期間であると思います。
けれども、引きこもり期型の成功率は反抗期型に比べて低いと思います。まだ低いのです。
将来はもう少し高くなるかもしれませんが、現状ではまだ低いです。
実はこの「親の意向によって動いている」、つまり子どもが自分の意志で動いていないということが人間関係をつくり難くしているのです。それは社会性の土台になるものを育てそこね、弱くさせていると思います。自分が自分であることによって、自分らしさを身につけることによってはじめて人とうまく関わることができるのです。
今の言い方は、実は引きこもりの人たちに言わせると、もっといろいろな細かい描写をします。極端な場合、対人恐怖であるとか、自分は常に否定されているような気がするだとか、そういう形で言ってきます。その前提の中には、自分が自分でなくなっている、自分が十分に自分になりきれていない、自分のものになっていない自分がいる、そういうところが人間関係づくりの土台を弱めているのではないかと思います。

家族と社会的支

「家族と社会的支援」というところにいきます。
親はどうするのかということです。私のところには親の会がありますが、実は親子の間でまともな会話ができていないという人がかなり多いわけです。だいたい3分の1くらいはそうです。これでも親の会の参加者は、親が意識している分まだいいのかもしれません。お母さんとは話しができるけど、お父さんとはできないという人がその中で一番多いケースです。逆に、お父さんとはできるけど、お母さんとはできないという人もたまにいます。まず、親子で話しができるというのが家族としてどうするかということの第1のポイントです。
例えば不登校にしても引きこもりにしても、よくあるのはまず、お母さんが一生懸命になっていて、お父さんは「子育てはお前(妻)に任せたんじゃないか。お前の責任じゃないか」となっているケースが多いのです。
子どもの方から見ると、主たる原因はお父さんの方にあることも多いのですね。お父さんにしてもお母さんにしても、まず子どもにやって欲しいことは、結局一つです。本人を認めるということです。ちゃんと子どもの話しを聴くということです。だいたいこういう話を当事者から聞きます。
自分は親に言おうとした。けれども最初からはうまく言えない。特に子どもの頃はうまく言えなかった。そうすると、親は先取りしてどんどん自分で解釈していってしまう。そういうことが多いと言うのです。
親にどうして欲しいか、受とめて欲しいということの中に、親は早合点が非常に多いという気がします。親としては一を聴いて十を知ったつもりでいるのかもしれません。例えば子どもがお父さんの悪口を言う、するとお母さんが離婚を考えたという人もいるのです。
それから、子どもが「近所に小学校時代の誰かがいて、外に出難い」と言っていたのを聞いて、引っ越しを考えた親もいます。もしかしたら子どもにもそういう期待もあるかもしれないのですが、ちゃんと聴いてないですよね。早合点が多いのです。
今のこの2つの例はさすがに極端な例だとは思います。例えば子どもがうまく言えなかったら、親は待って聴かなければならない。よく子どもの話しを聴いてあげるということです。
私はえらそうなことを言ってきましたが、私の子どもに言わせると「親父はおれの話しを聴いていなかったんじゃないか」とこの間の成人式の前に反省を促されました。私は聴いていたはずなのになと思っていたのですが、それでもやはり聴いていないのだな、ということです。
大事なのは口で言うよりも耳です。70歳近くのお母さんなのですが、息子がいま35歳で「この年になってはどうにもならないけれど、どうしたら私の言うことを子どもが聴くようになるか教えてください」と私に相談に来ました。それは時間がかかりますが方法は簡単です。まずお母さんが息子さんの言うことをちゃんと聴くようになることです。そこから始めることでしょうね。
息子さんは、自分の言うことをちゃんと聴いてくれたら親の言うことも聴くようになるのではないかなと思います。自分の言っていることをいい加減に聞いたら、親の言うこともいい加減にしか聞かないのではないかと思います。
今までは、一方的に親の方から子どもの方にシャワーのようにことばを浴びせているということがあるので、それはやめる。そこから始まるのです。

特に子どもにとっては嫌な問題がありますね。それは、不登校の子どもであれば「学校に行け」であり、20代、30代の引きこもりの人であれば、「早く働け」、「将来の人生設計を聞かせろ」ということばなのです。それを続けると子どもとのコミュニケーションがとれなくなります。
子どもにしてみれば「ああ、また言ってるな」ということで、親から逃げます。「もう話しをしたくない」となります。そういう経験があるから、親子の間でも話しができなくなるわけです。
その状態をどう回復するのか。まずそういうことを話題にしないことです。では何を話題にするかというと、まず挨拶です。「おはよう」とか「行ってきます」とか。他には、衣食住について。これはお母さんがしやすいです。さらに日常生活、健康について、遊び、娯楽について話すのもいいでしょう。例えばプロ野球とかサッカーとか、お父さんだったらパソコンとか車とか、あるいは麻雀とかパチンコでもいいかもしれません。趣味とか。そういうのがいいと思います。
引きこもりの人たちの趣味は実はある意味では子どもっぽいといえば子どもっぽい傾向があります。いま不登校情報センターでは鉄道ファンが多いですね。これは全国的にそうなのではないでしょうか。鉄道・地理の話、それから筋力トレーニング、いわゆる健康フェチですから。彼らは健康を気にしています。健康だとかサプリメントだとかにけっこう詳しい人がいます。それから、ゲームとかアニメとかですね。
他には、クラシック音楽に詳しい人がいますね。それから、哲学的なことに詳しい人もいます。哲学的な話に付き合うのはお父さんにとってはお母さんにとっても大変かもしれませんね。けれども、今まで述べた中に、日常的なことで子どもと話しができることはあると思います。そこで共通点を見つけて話しをする。そうすると、いずれは話しができるようになると思います。
お母さんは日常会話を通して、比較的早く話しができるようになると思います。

次に、「心の傷への無意識の攻撃」です。「学校に行け!」とか「将来どうするんだ!」とか「仕事に早く就け!」などというのは、これはすごく攻撃になるわけです。
親にすれば、当たり前のことを普通に言っているつもりなのですが、子どもの側にとってみれば、いつも自分が考えていることを言われるのです。まるで、傷口のカサブタをもう一度引っぱがされるような感じですね。こういうことは、子どもの側から言ってくるまでは言わない方がいいです。
親はこの会話、コミュニケーションができた後どうなるのか。「精神的・肉体的な限界まで、社会生活上支障のない限り」という項目があります。これは何かというと、子どもの頃、本当の意味で子どもは親に甘えていなかったかもしれないということです。子ども時代がない子どもだったのではないかということです。 表面上はちゃんとしていたし、親もちゃんとやっていたと思うのですが、登校拒否の親の方であればある程度わかると思いますが、不登校中のある時期に子どもが甘えてくることがあると思います。例えば料理をしていると、用もないのにまとわり着いてくるとか、なかにはお母さんの布団に入ってきて一緒に寝るなど、そういうことがあると思います。それから夜中に親を起こして「ちょっとおれの話しを聴いてくれ」と切り出して、未明まで話しに付き合わせるとか、そういうことがあると思います。
これはいちばんひどい状態ではなく、子どもが少し元気になってきた時におこるのです。本当に親は大変だと思いますが、私も、私にそうしてくる当事者に対して付き合っていますから、これが何年も続いていくと大変だということはわかります。それに対して私はこう言います。精神的、肉体的な限界まで子どもに付き合って欲しいと。あるいは社会生活上支障がでるまえまで、それに付き合って欲しいと私は思います。
要するに、子どものこの行為は「依存」なのです。これが「甘え」なのだろうと思います。「甘え」があって「依存」になるのだと思います。
カウンセラーさんの元へ行けば「それは共依存だからやめなさい」と言われる人もいると思います。けれども、子ども時代に甘えることができなくて、20代、30代にも甘えることがなくて、それは共依存だからやめろと言われて、はたしてそういう人が自分の気持ちを誰かに受けとめてもらえない状態のまま、一生を送るということはできるのかなと考えると、私はそれは耐えられないのではないかと思います。
程度にもよるかもしれませんが、ここまで言ったら言いすぎかもしれませんが・・・。私は共依存になっても仕様がないと思っているところです。これはいろいろ意見があるかもしれません。
私のところに来ている30代の女性でも男性でも、そういう関係の本をかなり読んでいますから、共依存とは何かということは私よりも知っているくらいです。人によってはわかっているのです。
私はそういう意味で、共依存もある程度認めるわけだけれども、彼(女)らはどう思うかと聞いてみたら、何人かは「(共依存を)否定できないです」と言いました。その人も求めていることです。
ある30代の男性は、お母さんと2人暮らしなのですが、30代になった男がお母さんに甘えるのはものすごく難しいわけです。そのお母さんに聞くと「うちの子は、ときどき私が寝ている部屋に来て、横には並ばないけど、T字型になって寝ている」というのです。私は、これが彼にできるせいぜいの甘え方かなと思ったりします。
そういうものもあるのでしょう。一般的にいえる、「精神的な、肉体的な限界まで」、あるいは「社会生活上支障をきたすまで」、少なくとも私は、ある期間はそういうことをして欲しいと思っています。

「親同士の協力」について話します。これは先ほどこの会場で発表された中に、地域に開かれた、不登校、引きこもりに限定しないで取り組んでいるというものがありました。私も本当にその通りだと思います。
私のところは、ポスティングをしていますが、この対象地域は「営業想定地域」でもあるのです。例えば文書入力だとか、チラシを作ろうとか、印刷をしようという場合に営業をしなければならない。それをポスティングでチラシを配っていますが、ついでに不登校情報センターの、あゆみ仕事クラブの営業案内の印刷物をそれと一緒に配っているのです。この「営業想定地域」の中に、いろいろなことを呼びかけていこうと思っているし、いろいろな取り組みに参加しようと思っているわけです。
この地域の中から引きこもりの経験者が情報センターに来ているわけではないのです。数人は来ています。先ほど言った250~300人の中には非常に遠くから来ている人もけっこういます。群馬県、栃木県、茨城県などです。首都圏の東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県から来るのは当然といった感じです。広範な地域から来ているのですが、それでもやはり地域、情報センターのある地元は大事だと思います。
実は、親や家族が孤独に、単独で子育てをやっているところに、私は引きこもりが多くなっている社会的な背景があると思います。いわゆる新興開発地域では引きこもりの割合が高いわけです。私のところは、相談者の名簿を地域別に分けているのですが、その名簿を市区郡単位で見ていったときに、重要な新興開発地域からの相談者が多いのです。それが顕著に出てきていると思います。そういう意味で地域的な人間関係の結びつきが大事だと思います。
私はこれは引きこもりについて言えることと思っていたら、ある新聞記者の方が「いや、介護の問題でもそうなんですよ。いろいろな福祉の面でそういうことが、地域共同体的なものが必要なんですよ」と言われました。
しかし福岡もそうでしょうが、東京のような街では、地域共同体といってもすごく漠然としたものになりやすいので、やはりまずは親の会とか、いわゆる当事者同士の会のネットワークがある程度大事ではないかと思います。
  最後に、私のものの見方です。「子供には真実がある。親が言っているのはその解釈です」。ですから、相談者のところに親しか来られなければ、親のことば、それは親の解釈を通したことから子どもの状態を想像していくしかない。そういう子どもの状態の洞察力が必要なのではないでしょうか。
もう一度言いますが、真実は子どもにあるのだ。子どものところに対応することを考えていかなければならないのではないかと思います。
以上で私の話しを終わらせていただきます。長時間ありがとうございました。

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