カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


生きづらさ

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの置換「 {{topicpath | メインページ > メンタル相談 >[[:Category:対象者の症状・状態・訴え|対象者の症状・状態...」)
 
(1人の利用者による、間の1版が非表示)
1行: 1行:
<!--種類別から-->
+
 
 
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:メンタル相談|メンタル相談]] >[[:Category:対象者の症状・状態・訴え|対象者の症状・状態・訴え]] >  [[:Category:生き方|生き方]] > {{PAGENAME}} }}
 
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:メンタル相談|メンタル相談]] >[[:Category:対象者の症状・状態・訴え|対象者の症状・状態・訴え]] >  [[:Category:生き方|生き方]] > {{PAGENAME}} }}
  
 
===生きづらさ===
 
===生きづらさ===
===[[:カテゴリ:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
 
ページ名[[生きづらさ]]  (  )<br>
 
'''「日本にだけは住みたくない」“海外育ちの子”が感じる生きづらさ'''<br>
 
「海外で子育て」。この言葉を聞いてどのような印象を持つだろうか。<br>
 
私たち夫婦(共に日本生まれ日本育ち)は現在オーストリアで子供2人を育てているが、日本で子育てをする知人からは「子育てしやすそうでいいね」と言われることが多い。<br>
 
実際にこちらで子育てをしていると、国からの支援は充実しているし、以前、「子育てがつらい国、日本。皆を苦しめるその『空気』の正体」という記事にも書いたが、<br>
 
日本で子育てをしている時に感じていた「親は子供が社会に迷惑をかけないように管理すべき」という空気もなく、社会に望まれているという安心感の中で子育てができる。<br>
 
このような「親側の視点」からの前向きな海外の子育て情報はメディアでも近年よく取り上げられるようになった。<br>
 
しかし上の子が10代半ばに差し掛かった今、私たち家族は、日本ではまだ取り上げられることが少ない「海外で育つ子供側の視点」からの様々な悩みに直面している。<br>
 
中でも特に、海外で育つ子供に対する日本の「排他性」への悩みは深い。<br>
 
'''将来、日本にだけは住みたくない'''<br>
 
私たち家族は、上の子の就学前にアメリカに渡り約3年間過ごし、その後オーストリアに渡りもうすぐ6年になる。<br>
 
その間に上の子はアメリカとオーストリアのプリスクールや公立学校に通い、アメリカで生まれた下の子も今はオーストリアの幼稚園に通っている。<br>
 
オーストリアの学校教育では、Volksschuleという日本の小学校に当たる4年制の学校を卒業後、Gymnasiumという8年制の学校に通う。<br>
 
オーストリアのGymnasiumは日本の中学や高校よりも専門性が強く、必修科目を中心に学ぶ前半の4年間を終えると、残りの4年間で将来を見据えたより専門的な内容を自ら選択して学んでいく。<br>
 
また義務教育は前半の4年間までで、前半で卒業して具体的な将来に向かう人も少なくない。<br>
 
このようにオーストリアでは子供が10代前半の時点で自分の将来について真剣に考え始めるシステムになっており、その中で上の子もこれから何を学び、将来はどう生きたいのか考える日々を送っている。<br>
 
上の子のそんな姿を見て、親としても1人の大人としても嬉しく感じているが、将来という部分に関して私は一つ複雑に感じていることがある。<br>
 
上の子は、学業や仕事のために将来住みたい土地の選択肢として、日本だけはないと明言しているのだ。<br>
 
'''日本が好きでも耐えられない'''<br>
 
まず誤解してもらいたくないのは、上の子は日本の文化が嫌いではないという点だ。<br>
 
日本の漫画や小説はよく読むし、日本のアニメや映画もよく見る。<br>
 
大使館を通して配布される日本の教科書も読み込んでおり、今年はCOVID-19の感染拡大により実現しなかったが、ここ数年の夏休みはその大半を日本で過ごすのが通例となっている。<br>
 
最近では日本語の語彙力を増やそうと、不安な言葉が出てくるとその場で広辞苑を引くことを習慣とするなど、自分のルーツのある日本にとても強い興味を持っている。<br>
 
また同時に、学校教育の大半を過ごしてきたアメリカやオーストリアの文化に心酔しているという訳でもない。<br>
 
例えば、オーストリアを始め欧州ではまだアジア人に対する人種差別が残っており、以前「新型肺炎で、欧州にいる日本人が『感染より恐れていること』」という記事に書いたように、<br>
 
コロナ禍においてこの差別意識が強められる傾向にすらある。<br>
 
先日も実際に家の近くを散歩中、現地の若者からすれ違いざまに差別用語を吐かれるという経験をしており、アジア人として欧州に住むことの難しさを日々実感している。<br>
 
それでも上の子が将来日本に住むことに否定的なのは、日本と関わる中でそう考えるに至る体験をしてきたからである。<br>
 
'''日本人は「言語」にしか興味がない'''<br>
 
例えば、アメリカからオーストリアに移ってまだ間もない頃のこと。<br>
 
日本にいる親族と久しぶりに会った際、挨拶してすぐに親族の1人が上の子に「アメリカではOopsって本当に言うの?」と聞いてきたのだ。<br>
 
上の子が戸惑いながら「うん」と言うと、「へー、そうなんだ」とニヤニヤ笑ってその会話が終わった。<br>
 
その後も、夏休みに日本に滞在する際などに、主に大人から「これ英語でなんて言うの? ドイツ語でなんて言うの?」と一方的に聞かれるという体験を繰り返している。<br>
 
そして多くの場合、そこから海外の文化や歴史またそこで何を考えどう生きているのかについて話が発展するのではなく、<br>
 
上の子への興味が外国語が話せるという部分にしかないかのように言語に関する話だけで終わってしまうのだ。<br>
 
一方、今住むオーストリアではこのような経験はとても少ない。<br>
 
例えば、上の子の学校には生まれてすぐにカナダに移住しオーストリアに戻ってきたオーストリア人のクラスメートがいるが、その生徒に皆が尋ねるのはカナダの文化や暮らしといった点ばかりだ。<br>
 
その生徒に質問する形でカナダについて皆で議論するという授業が行われたこともあるとのことだ。<br>
 
同様の授業は、上の子に質問する形で日本についても行われ、他の国にルーツを持つ生徒に対しても行われたとのことである。<br>
 
また、学校に限らず、こちらで出会った人が上の子に日本に関して尋ねてくるのはその多くが生活や文化についてであり、<br>
 
たとえその質問が言葉に関するものであっても、文化の一側面としての質問である場合がほとんどである。<br>
 
このように、国外で育つ子供にその土地の言葉の質問ばかりしたり、子供が国外で育つということへの意義を外国語が話せるようになるという部分に強く偏って見出そうとするのは、日本特有の現象なのである。<br>
 
'''「サードカルチャーキッズ」の苦悩'''<br>
 
この日本特有の現象には、私含め多くの日本人が持つ言葉へのコンプレックスや国際意識の低さが関わっているように思うが、<br>
 
私がここで強調したいのは、海外で育つ子供に外国語が話せるという部分に偏って興味をぶつける行為は、人生を左右するレベルでその子供を傷つける危険があるという点だ。<br>
 
これは決して私たち大人が、知らなかったからで済ませていい問題ではない。<br>
 
まず前提として、子供は大人と違い、自身のアイデンティティを形成する人生の極めて大切な段階にある。<br>
 
そして日本で見落とされがちなのが、日本にルーツを持ちながら海外で育つ、といった多文化間で育つ子供は、日本で日本人の親の子供として育つ、といった単一文化内で育った子供に比べて遥かにそのアイデンティティの形成過程が複雑という点だ。<br>
 
このように多文化間で学齢期を過ごす子供は、サードカルチャーキッズ(TCK)とも呼ばれ、単一文化内で育っただけでは成し得ないレベルで多文化間を柔軟に行き来できる大人に成長する可能性を持つことが知られている。<br>
 
しかしその一方で、自身を取り巻く異なる文化をそれぞれ独自に消化し、文字通り「第三の文化」を自身の中に築くようにアイデンティティを形成しなければならないため、アイデンティティの形成に苦労するという特徴も合わせ持つ。<br>
 
例えば上の子の場合は、家の中では日本人感覚の生活がある一方で、一歩家の外に出ればオーストリアの文化が広がっており、感謝や謝罪のタイミング一つ取っても全く異なる文化の間にいる。<br>
 
そして現地の友人も、既に日本人として確立されたアイデンティティを持つ親も自身のモデルにはなりえない中で、双方の文化の混ざった自分独自の文化観を築き上げ、アイデンティティを形成していかなければならない状況にある。<br>
 
このようにアイデンティティの形成に苦しむ子供に対し、言葉を話せることにしか興味がないなど、ルーツのもう半分を置く文化に無関心でいることは、その子供のアイデンティティの形成に混乱を与えるだけでなく、その子供の存在の半分を無視するような排他的な行為なのだ。<br>
 
その結果、上の子は深く傷つき、将来日本に住んでもTCKである自分は受け入れてもらえないと思うに至った訳である。<br>
 
'''排他性を「放置」する日本の問題'''<br>
 
ここで、欧米など海外でも人種差別によって日本人というルーツを否定しているのに何が違うのかという疑問があるかもしれない。<br>
 
確かに実際、上の子も人種差別には苦しめられている。<br>
 
しかし同時に、こちらでは上述したように、日本について言葉以外の質問を多くされたり、異文化を理解するための授業が学校で行われたり、多様な背景を持つ人を受け入れる動きも目に見えて強い。<br>
 
このことが上の子にとっては、差別はあっても自分の居場所もどこかにあるという希望につながっているのだ。
 
どの社会にも排他性はある。日本の問題は、その排他性を軽視し社会として放置しているところにある。<br>
 
そしてこのように排他性を放置する社会は、外から見ると社会全体が排他的であることと同義なのだ。<br>
 
海外での子育てを通して私は、子供に海外生活を強いて多くの苦労を与えている自分の身勝手さや親としての責任を痛感すると同時に、海外で新たな可能性を育む子供達を「異質なもの」として排除する日本の排他性に危機感を覚えている。<br>
 
グローバル化の進むこれからの時代、私たちは持てる想像力を最大限に働かせ、多様な背景を持つ未来ある子供達に希望を与える存在でなければならないと強く思う。<br>
 
'''中川 まろみ(研究者、ライター)'''<br>
 
〔20200902現代ビジネス〕<br>
 
  
===[[:Category:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
 
ページ名[[生きづらさ]]、(死亡関係、事項百科) <br>
 
'''若者の死因1位が「自殺」の日本、なぜそんなに生きるのが「辛い」のか'''<br>
 
日本では10歳~39歳までの死因1位は「自殺」(厚生労働省自殺白書H30年度版)であり、<br>
 
世界で比較してももロシア・韓国とともに「若者の死因自殺率」が高い<br>
 
(厚生労働省「諸外国における自殺の現状」)。<br>
 
'''なぜ日本は「自分の容姿満足度」が最下位なのか'''<br>
 
日本ではそんなに生きるのが「つらい」と感じてしまうのだろうか。それはなぜだろうか。<br>
 
22歳まで日本に生まれ育ち、ドイツにわたった雨宮紫苑さんが自身の体験を踏まえて検証する。<br>
 
'''なんでそんなに「つらい」のか'''<br>
 
ここ最近のトレンドなんだろうか。<br>
 
どうにも、「生きづらい」という言葉を見かけることが多い。<br>
 
「生きづらさを感じる人にエールを贈る」「生きづらい人のサポートをしたい」「生きづらさに負けずにがんばろう」……。<br>
 
いたるところで気軽に使われている「生きづらい」という言葉は、改めて考えるとなかなか衝撃的だ。<br>
 
仕事がつらいとか人間関係がつらいとかそういうレベルを通り越して、「生きる」のが「辛い」のだから。<br>
 
実際のデータでも、悲しいことに「生きづらさ」を抱える人の多さがうかがえる。<br>
 
たとえば厚生労働省の統計によると、15~39歳の各年代の死因第1位が自殺だ。<br>
 
内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』では、自分の将来のことについて心配している日本人は78.1%で、心配していない人は21.8%。<br>
 
ちなみにドイツは56.1%と43.9%、アメリカは63.4%と36.6%、スウェーデンは49.1%と50.9%。<br>
 
『世界幸福度ランキング』では、156か国中日本は58番目。<br>
 
また、以前書いた記事でも紹介したとおり、自分の容姿への満足度は22ヵ国中最下位だ。<br>
 
こういう統計を見ると、国民性もあるとはいえ、たしかに「人生楽しくてしょうがない!」「充実してる!」「自分が好き!」と迷わず言える人はかぎられているのだろうと思う。<br>
 
では、いったいなにがそんなに日本人を生きづらくしているんだろう? <br>
 
それはたぶん、「こうすべき」という固定概念だ。<br>
 
'''日本に生まれ育った私が初めてドイツへ'''<br>
 
大学2年生の夏休み、わたしははじめてドイツを訪れた。<br>
 
現地の大学が提供する1ヶ月のサマーコースに参加するためだ。<br>
 
それまでわたしは、日本人両親のもとに生まれ、日本で育ち、日本語を母語とする日本人としか関わったことがなかった。<br>
 
わたし自身も日本生まれ日本育ちだ。<br>
 
そんなわたしが、ドイツ滞在の1ヵ月間で、世界中からやってきたいろいろな人と出会うこととなる。<br>
 
就職回避のために片っ端から奨学金を申し込んで各国を留学ハシゴしているオーストラリア人。<br>
 
5ヵ国語話せる中国人。<br>
 
留学はカモフラージュで将来の出稼ぎ準備で来たルーマニア人。<br>
 
留学中でも週末は実家に帰って恋人と会うフランス人。<br>
 
家賃と生活費が安いドイツに留学するかたちをとって、大好きなスイス旅行に行きまくり授業にまったく来ないアメリカ人。<br>
 
テストに遅刻するのがイヤだから、大学の駐車場で車内泊をしたというチェコ人もいた。<br>
 
出身国を紹介する授業で「チェコのお酒をもってきました」と振舞ったお酒のアルコール度数は、なんと40%! 何気なく飲んだわたしは酔っ払って早退することに……。<br>
 
そうそう、日本語がとても上手なブルガリア人女性とも仲良くなった。<br>
 
舌ピアス、葉巻を咥え、腕にはがっつりタトゥー。<br>
 
日本だったら絶対に関わらなかったであろうタイプだけど、なぜか気があったのだ。<br>
 
ブルガリアでは誕生日の人がまわりの人にプレゼントをする文化らしく、彼女の誕生日に手作りクッキーをもらった。<br>
 
「就職活動は当然するもの」。<br>
 
ドイツのサマースクールに行くまで、雨宮さんはそう思っていた Photo by iStock <br>
 
'''世界は広かった!''' <br>
 
年齢も、母語も、文化も、宗教観も、なにもかもがちがう人たち。<br>
 
そんな人たちと出会ったことで、わたしのなかの「こうあるべき」は、たった1ヵ月でことごとく崩れ去った。<br>
 
なーんだ、大卒でそのまま就職しなくても死にはしないじゃん。<br>
 
海外でも住んでみりゃどうにかなるじゃん。<br>
 
年齢や偏差値なんて日本を出たらだれも気にしないじゃん。<br>
 
いろんな人がいて当然! そう思うようになったのだ。<br>
 
サマーコースに参加する前のわたしは、「高校を卒業していい大学に行き、大手企業に就職し、結婚して子どもを産む」という未来を漠然と思い描いていた。<br>
 
でも、世界は広い。そういう生き方だっていいけど、そうじゃない生き方だっていい。<br>
 
どうやって生きていくかは、自分で選ぶもの。<br>
 
大学2年生のわたしは、そんなことすら知らなかった。<br>
 
日本にはわりと明確な人生の規定路線があって、気がづいたら「多数派」という流れるプールのなかでみんなと一緒に流されていくことが多い。<br>
 
受験生なら塾に行って勉強しましょう。大学生は早いうちから就活をしましょう。<br>
 
新卒入社したらできるだけ3年は勤めましょう。<br>
 
わたしのようなアラサーの女性は、「結婚」「出産」という使命を果たすことを期待されることも少なくない。<br>
 
そうやって「当然」を刷り込まれていくうちに、いつのまにかそれ以外の選択肢を削り取られてしまうのだ。<br>
 
まるで、ほかの選択肢なんて存在していないかのように。<br>
 
'''押し付けるの、やめませんか'''<br>
 
日本は年功序列がいまだ根強く、学校生活から年齢による上下関係を叩き込まれる。<br>
 
そんななかでは、「一度勤めて大学に入りなおす」「40歳で転職、ゼロからキャリアをスタート」ということはむずかしい。<br>
 
でも問題は、そういった制度的なことだけでなく、自分のなかの「こうあったほうがいい」を他人に対して「こうすべき」と押し付ける人が多いことだと思う。<br>
 
たとえば学校の黒髪強制。<br>
 
「30代なのにミニスカートを履くなんてみっともない」と他人のファッションに口を出したり、「結婚したなら旦那さんにおいしい料理つくらないとかわいそうでしょ」と首を突っ込んだりするのもそうだ。<br>
 
自分は多数派に所属するごくふつうの人間だから、自分の価値観は正しい。<br>
 
そう信じて疑わず、平気な顔で他人に「こうすべき」と言ってくる人が多すぎる! <br>
 
「多様な価値観を認めます」というスタンスの人も、このご時勢だいぶ増えてきてはいる。<br>
 
でも、自分のなかの規格から外れた人をどう扱っていいかわからず持て余すことはあるだろう。<br>
 
'''「60歳で東大合格」'''<br>
 
という見出しを見ればみんな「すごい!」と誉めそやすが、実際同じゼミにいる60歳の学生に声をかける人は少数ではないだろうか。<br>
 
小学生不登校youtuberを応援したとしても、採用面接で「ずっと不登校で動画を上げていました」と言われたら採用をしぶる人が大半じゃないだろうか。<br>
 
現実なんてそんなものだ。<br>
 
「こうあるべき」論が強いから、そこからはみ出た人は異物として扱われ、浮いてしまう。<br>
 
だから少数派は、いつだって生きづらさを抱えることになる。<br>
 
'''「異端者」は「裏切者」じゃない'''<br>
 
じゃあ多数派に所属すれば万々歳かというと、そうでもないのもまた問題だ。<br>
 
多数派に所属しているからって、仲間と手を繋いで仲良しこよし、というわけではない。 <br>
 
「この場で自分は異物じゃないか?」と常に不安が付きまとう。<br>
 
お互いを牽制しあって「異端者はいないか?」と目を光らせていることも結構ある。<br>
 
多数派という枠から飛び出すときは、よっぽどうまくやらないと「裏切り者」かのように言われがちだ。<br>
 
だから、多数派からこぼれてしまわないよう、できるだけ目立たず平凡に生きようと、自分の自由を自分で縛らざるをえない。<br>
 
というのも、ドイツで暮らすようになってから、「こうだったらいいのになぁ」と口だけで言う日本人がとても多いことに気がついたのだ。<br>
 
「もう少し若ければ」「お金があったら」「家事を手伝う夫と結婚していれば」「5キロやせていれば」「いい大学を出ていれば」……。<br>
 
ドイツに移住後、「いいなー。わたしも海外住みたい!」となんどもなんども言われた。<br>
 
でも、「住めば?」というと「わたしには無理だよ」と言う。<br>
 
「フリーランスとして働けば楽しいだろうなぁ」と言う人に「じゃあ独立すれば?」と言えば、これまた「現実的には無理だけどね」と返される。<br>
 
ソの気になれば実現しそうな理想ですら、「いやいや無理だよ~」「そこまで本気じゃないし(笑)」と諦めて、笑いながら「いいなぁ」と言い続ける。<br>
 
多数派への忖度に慣れすぎていて、自分の可能性を信じられない思考回路になっているみたいだ。<br>
 
諦めることがあまりにも当然だから、「なんであいつは能天気に夢を追いかけているんだ」「そんなの失敗するに決まってるからやめておけ」と他人の可能性も奪いたくなるのかもしれない。<br>
 
自分だって諦めたんだから、お前も諦めろ、と。<br>
 
だから多数派も少数派も、みんな息苦しい。<br>
 
'''他人と比較して「つらい」なんてナンセンス'''<br>
 
ありきたりな着地点ではあるけど、やっぱり「こうあるべき」を減らすことが大切だと思う。<br>
 
というか、「こうありたい」ならともかく、「こうあるべき」なんてだいたいの場合が個人の好みや希望、気のせいでしかない。<br>
 
世の中には、大学を中退して起業した人、20代半ばから大学に入り直した人、40歳で単身海外移住に挑戦した人がいる。<br>
 
もっと広い世界を見てみれば、自分の固定概念が幻想だとも気づけるのだ。<br>
 
もちろん法律やら公衆道徳やらは気にしなければならないし、生まれ育った環境によって選択肢も変わるだろう。<br>
 
それでも未来はもっと柔軟に選べるものだと思うし、そうであってほしい。<br>
 
青臭いかもしれないけど、20歳までまともに海外に行ったことがなく、出版社やメディア関係で働いたこともないわたしが、ドイツで文章を書いて生活できているのだ。<br>
 
ちょっと外に目を向ければ、自由に楽しくやってる人だって案外いるし、テレビで取り上げられるような「オモシロイ人生を送っている人」にあなたがなっちゃえばいい。<br>
 
「生きづらい」が出発点の社会なんてまっぴらごめんだ。<br>
 
「こうすべき」とお互いの首を絞めてないで、「こういうのもありだよね」「こうなりたいな」という気持ちが尊重されるようになってほしいと思う。<br>
 
〔2019年8/10(土)現代ビジネス 雨宮紫苑〕 <br>
 
  
 
[[ひなぎく心理ルーム]] (京都府京都市左京区)<br>
 
[[ひなぎく心理ルーム]] (京都府京都市左京区)<br>
180行: 9行:
  
 
[[Category:対象者の症状・状態・訴え|いきづらさ]]
 
[[Category:対象者の症状・状態・訴え|いきづらさ]]
[[Category:生き方|いきづらさ]]
 

2021年1月11日 (月) 23:29時点における最新版

生きづらさ

ひなぎく心理ルーム (京都府京都市左京区)
のぞえ総合心療病院 (福岡県久留米市)

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス