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Center:(1)人生模索の会のスタート

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===(1)人生模索の会のスタート===
 
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1996年10月16日(土)、人生模索の会の初会合が開かれた。<br>
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1999年10月16日(土)、人生模索の会の初会合が開かれた。<br>
  
 
よびかけ人の駒田くんが、「初会合報告」として不登校情報センターの当時の会報(11月16日発行)に書いている。<br>
 
よびかけ人の駒田くんが、「初会合報告」として不登校情報センターの当時の会報(11月16日発行)に書いている。<br>

2014年3月11日 (火) 22:25時点における版

(1)人生模索の会のスタート

1999年10月16日(土)、人生模索の会の初会合が開かれた。

よびかけ人の駒田くんが、「初会合報告」として不登校情報センターの当時の会報(11月16日発行)に書いている。
「当日は8名の方が参加していただきました。

ありがとうございました。
深刻な問題だけにやや雰囲気は重たかったかもしれません。
しかし、まずは同じ悩みを持つ人同士が出会い、知り合い、話を聞きにくるだけで意味があったと思います。
人生模索の会では、年柄年中参加者を募集しています。……」
もう少し詳しく書こう。

参加者8名は、駒田くんのほかに香畑、西山、飲田、飛弾沼、田入地、穀文くんの7名が男性、唯一の女性の絹田さんは“人妻さん”。
飲田くんはお母さんが一緒にきて、会合の間は近くの喫茶店で待ってもらうことになった。
彼が一番若くて20歳。
女性は絹田さん一人だったので、たぶん居づらかったかもしれません。
その彼女を含めて、共通の事態が浮かび上がってきた。
25歳をすぎ30歳を前にして、「このままでは、もしかしたらずっと社会参加できないのではないか」という心配、焦り……だったように思う。
駒田くんが「雰囲気が重たかった」というのはこのことが明確になったことをさしている。

〔2〕人生模索の会と『ひきコミ』
(1)人生模索の会のスタート
(2)第2回人生模索の会
(3)第3回人生模索の会
(4)引きこもりの体験発表と交流・相談会
(5)文通サークルの発足
(6)CHIEKOさんの参画
(7)『ひきコミ』準備号の発行
(8)取材はつづく
(9)文通誌『ひきコミ』の創刊
(10)居場所づくりを考えてみる

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