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Center:(3)編集実務のある文通サークルの誕生

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(3)編集実務のある文通サークルの誕生

不登校情報センターの取り組みには、さらに別の動きもありました。
文通サークルです。
これは『じゃマール』という隔週発行の個人情報誌をながめているなかで思いついたことです。
そこには、対人関係が苦手、内向的性格であるという若者たちが「友だちがほしい、友だちになって」というメッセージを毎号のように載せているのです。
「こみゆんとクラブ」の会員のなかでは、会合には一度も顔を見せていないのに、お互いに文通をし、友人関係になっている人たちがいます。
多くは女性です。
この当事者の会は、人生模索の会を生み出したもともとの会です。
自己紹介を書いた個人情報を入会申込書にしています。
この入会申込書を会員間に渡しているので、体験や関心が共通すると手紙の交換をする人がいるのです。
この文通の実例と『じゃマール』の個人メッセージを見て、不登校情報センターに関わって、「何かの形で活動したい」と言っている人に、文通に取り組んでみようと持ちかけてみました。
それが1999年の暮れのことです。
いくつかの曲折があり、「心の手紙交流館」と名称をつけ、文通サークルへの参加よびかけを始めたのが、2000年の4月のことです。

自己紹介をかねた文通のよびかけ文を集め、それを一冊にまとめ、呼びかけた人たち同士で文通をする仕組みです。
同時に通信スタッフというメンバーを募り、積極的に文通にこたえていく体制も準備しました。
この取り組みでは、冊子を作る(編集する)という独自の作業が発生しました。
この作業をする人を編集スタッフとすることにしました。
通信スタッフと編集スタッフは片方だけの人もいますし、両方を兼ねている人もいます。
しかし最大の特色は、その大部分が、自分自身が対人関係に不安を持ち、引きこもりや不登校の経験をもつ人になっていることでしょう。
女性の参加が多い取り組みです。
その冊子には『ひきコミ』という雑誌名をつけました。

この雑誌名を決める編集会議、文字入力の分担、版下を完成する作業などを通して、集まったスタッフに一つの勢いを感じました。
同じ引きこもり体験者の集まりと言っても、話し合いを続ける人生模索の会の場とは違うのです。
注意深く見ると、編集スタッフの会議は、目的が明確にされ、作業とその分担があり、それに必要な会話があります。
それは会議です。
人生模索の会は、目的が決まらず、お互いが知りあい、体験を語り合う場であり、それは会合なのです。
それが違いになって表われているのです。
もっとも人生模索の会の会合も、何かをさがし求める人には、欠かせない場であることに違いはありません。
私は、この『ひきコミ』編集スタッフのもっているエネルギーに注目しました。
要するに「これはいける」という感じです。
この編集スタッフの集まりを恒常化することを考えてみました。
それは人材養成バンクの構想の、私が直接にタッチできる形での復活になると思いました。
それは滝城君が述べた、「トレーニングも兼ねて、収入につながる、会社みたいなもの」の1つの実現をめざすことになると思いました。
編集プロダクションという養成所を、そう位置づけてみると、また新たな広がりが出てきます。
要はこの編集委員会(?)は、『ひきコミ』を編集するだけではない、一般の編集プロダクションのようできるのではないか、と考えたのです。
その場合、一般の編集プロダクション二つの面で大きく違ってくるでしょう。
一つは、訓練(または養成)を兼ねた機関になることです。
編集会議、文章作成、編集実務(レイアウト、公正)、見出し付けなど初歩からの基本的な編集実務のできる人(編集者)を養成する役割です。
もう一つは、編集の周辺実務と言える仕事です。
イラスト(絵)・デザイン・写真あるいは、文字入力(パソコンによる文章作成)がそれです。
不登校情報センターのホームページにブックストアを開設していますので、その運用をこのメンバーに任せてみることも考えました。

このように「ひきコミ」編集にかかわって、それをすぐに「収入につながる」場にしようと考えていたわけです。
しかし、実はこの“編集プロダクション”は、実現しませんでした。

入金がなく、そこに関わった人たちに支払うべき「収入」がなかったのです。
滝城くんの提示した「収入につながる」面が欠けたままでは前に進めないのです。
2000年3月のことです。

〔3〕「人材養成バンク」の経験
(1)人材養成バンクの不燃焼体験
(2)訓練と収入につながる場が必要
(3)編集実務のある文通サークルの誕生

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