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Center:(10)「引きこもりは自意識過剰なのだから」

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[引きこもりは自意識過剰なのだから、それははずせばいい・・]<br>
 
[引きこもりは自意識過剰なのだから、それははずせばいい・・]<br>
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自分のことで精一杯というのを超え、一歩外から自分を見る余裕ができるところまでたどりつくことが必要です。<br>
 
自分のことで精一杯というのを超え、一歩外から自分を見る余裕ができるところまでたどりつくことが必要です。<br>
 
その経路は、ほかの場面で述べたことと重なるでしょう。<br>
 
その経路は、ほかの場面で述べたことと重なるでしょう。<br>
[[Category『引きこもりと暮らす』|2-3-10]]
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[[Category:『引きこもりと暮らす』|2-3-10]]

2011年7月17日 (日) 11:50時点における版

(10)「引きこもりは自意識過剰なのだから」

[引きこもりは自意識過剰なのだから、それははずせばいい・・]
これはある人から聞いた言葉です。
当たってはいなくもないのですが、それを精神的依存の強い引きこもり状態の人に求めても無意味だと思います。
引きこもりの人には、周囲のだれもが自分に注目し、自分の一挙手、一投足を気にしていると感じる人がいます。
一人緊張し、結局は身動きできないでいる。
自分のちょっとした失敗(?)、たとえばスリッパを履きそこねたとか、本を手にするときにすべった・・というようなことをえらく気にします。
だれもがそれを見ていて、笑っているとか卑下しているとか・・。
こういうことが日常茶飯にあるのですから、これは自意識過剰といっても、間違っているわけではありません。
しかし、そういう事実が続いたとしても、それを自意識過剰や挙動不審という面で評価するのは、的はずれだと思います。
それは周囲の人の感情を受けとめる心のセンサー(感受性)の未成熟、未発達ではないかと私は考えています。
自意識の過剰というのは本人の意志ではどうにもならない、本人の力を超えたものであり、それは比較的長期の取り組みのなかで少しずつ解消していくのだと思います。
この対人関係のセンサーを『ひきコミ』第12号の「知人関係の反応感知能力」で取り上げました。
「それは主に、体験・経験によって蓄積された精神の作用で、五感から得られる情報を経由し、周囲環境と特に対人情報をとらえ、計測あるいは判断する能力です。
この対人関係における取捨選択を伴う反応感知能力が対人コミュニケーションの土台ではないかと思います」
『ひきコミ』17号で紹介した三島照雄さんは、LD児の特徴の一つとして、「②注意力(転導性)―『受けとめる注意力』を持っているが、興味のある刺激とそうでない刺激を瞬時に、ほとんど無意識の内にそれらをふるいにかけて行動することが難しい」という面とも一部が重なるように思います。
                                                                                                  周囲の環境、特に人間の言葉や動きのなかで、自分に関わるものとそうでないものを“瞬時に、ほとんど無意識の内に”選択するのではなく、自分に関わる関わらないに関係なく、ほとんど全部受けとめてしまい、脳内(精神)で処理しきれずに困惑している、それが自意識過剰で表現されることの、その人の体内、とくに脳内で生じていることではないかと思います。
自意識過剰的にみえる人がそれをはずせるのは、本人の意志の力によるのではないと思います。
自分のことで精一杯というのを超え、一歩外から自分を見る余裕ができるところまでたどりつくことが必要です。
その経路は、ほかの場面で述べたことと重なるでしょう。

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