カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


Center:101-「無神論者の祈り」は方法論の追求

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(「無神論者の祈り」は方法論の追求)
 
(2人の利用者による、間の9版が非表示)
1行: 1行:
 +
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:About Us/不登校情報センター|About Us/不登校情報センター]] > [[:Category:五十田猛・無神論者の祈り|五十田猛・無神論者の祈り]] > {{PAGENAME}} }}
 +
 +
<htmlet>amazon_Karl_jaspers_book001</htmlet> <htmlet>04_am_freud001</htmlet> <htmlet>04_am_freud002</htmlet>
 +
 
==「無神論者の祈り」は方法論の追求==
 
==「無神論者の祈り」は方法論の追求==
 
〔2011年3月25日〕
 
〔2011年3月25日〕
8行: 12行:
 
私の理解では、フロイトの開いた無意識へのアプローチの仕方に、因果的関連の窮屈さから了解的関連を理論的に加えたのがヤスパースなのでしょう。<br>
 
私の理解では、フロイトの開いた無意識へのアプローチの仕方に、因果的関連の窮屈さから了解的関連を理論的に加えたのがヤスパースなのでしょう。<br>
  
共時的とはさらにその外側に“偶然の一致”のように見えて、何らかの関連を見出そうとするものに思えます。必然性とまではいえないけれども、単なる偶然性とか、意味不明とはいえないものがある。その探求でしょうか。<br>
+
共時的とはさらにその外側に“偶然の一致”のように見えて、何らかの関連を見出そうとするものに思えます。<br>
全体のイメージとしては、人間にとっての原始性Primitiveなもの、動物的なものや太古性のなかに意味をさぐっていく。たぶんJ.ルソーの「自然に還れ」はそれに関係するのかも。<br>
+
必然性とまではいえないけれども、単なる偶然性とか、意味不明とはいえないものがある。<br>
 +
その探求でしょうか。<br>
  
 +
全体のイメージとしては、人間にとっての原始性Primitiveなもの、動物的なものや太古性のなかに意味をさぐっていく。<br>
 +
たぶんJ.ルソーの「自然に還れ」はそれに関係するのかも。<br>
 
人間にとっての女性の役割や感情・感覚がもつ役割を見ていくことになりそうです。<br>
 
人間にとっての女性の役割や感情・感覚がもつ役割を見ていくことになりそうです。<br>
 
 
私は研究者ではないので現場のフィールドワーク的な条件のなかで追求していきます」。 <br>
 
私は研究者ではないので現場のフィールドワーク的な条件のなかで追求していきます」。 <br>
  
18行: 24行:
 
私にとっての方法論の追及とは、ほとんどこの言葉のなかに含まれています。<br>
 
私にとっての方法論の追及とは、ほとんどこの言葉のなかに含まれています。<br>
  
日本の精神文化の、特に美意識に関するものは、どのような条件で生まれてきたのか、それはどのような現われ方なのか、結局のところそれらは言葉で表現するしかないのですがどのように表現できるのか、言語表現できないものをどう扱うのか……その追求がこのページの目的です。<br>
+
日本の精神文化の、特に美意識に関するものは、どのような条件で生まれてきたのか、それはどのような現われ方なのか。<br>
 +
結局のところそれらは言葉で表現するしかないのですがどのように表現できるのか、言語表現できないものをどう扱うのか……その追求がこのページの目的です。<br>
  
  
ですから私が「共時性」を使うとすれば、ものごとのわかり方(認識のしかた)のためですが、言葉にしている部分が相互に関連し、全体として矛盾のないことが条件です。<br>
+
ですから私が「共時性」を使うとすれば、ものごとのわかり方(認識のしかた)のためです。<br>
 +
言葉にしている部分が相互に関連し、全体として矛盾のないことが条件です。<br>
  
 
それは論理の構成として整っていること(論理学)により果たされるでしょう。<br>
 
それは論理の構成として整っていること(論理学)により果たされるでしょう。<br>
  
認識の仕方と論理の構成を整えるのは弁証法、動的な弁証法になるはずです。弁証法により認識論と論理学を組み立てる作業が、この仕事の思弁的な面です。<br>
+
認識の仕方と論理の構成を整えるのは弁証法、動的な弁証法になるはずです。<br>
 +
弁証法により認識論と論理学を組み立てる作業が、この仕事の思弁的な面です。<br>
  
  
少なくともユング以降の人が語る「共時性(シンクロニシティ)」という言葉を、場当たり的や思いつきでなく使えるものにしていきたい、それがこのページの目的の一つにあります。<br>
+
少なくともユング以降の人が語る「共時性(シンクロニシティ)」という言葉を、場当たり的や思いつきでなく使えるものにしていきたい。<br>
 +
それがこのページの目的の一つにあります。<br>
  
 
共時性という言葉をある規則性のなかでゆがみなく使われる、その根拠を探すことと言い換えることもできまです。<br>
 
共時性という言葉をある規則性のなかでゆがみなく使われる、その根拠を探すことと言い換えることもできまです。<br>
  
 
+
[[Category:五十田猛・無神論者の祈り|むしんろんじゃ1103252]]
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・無神論者の祈り|むしんろんじゃ]]
+

2018年12月31日 (月) 19:44時点における最新版

Icon-path.jpg メインページ > About Us/不登校情報センター > 五十田猛・無神論者の祈り > 101-「無神論者の祈り」は方法論の追求

 

「無神論者の祈り」は方法論の追求

〔2011年3月25日〕

3月20日の「センター便り」に「C.G.ユングに関する本を読み始め」を書きました。

「ユングについては、たぶん共時性(シンクロニシティ)が私の関心の中心になると思います。

私の理解では、フロイトの開いた無意識へのアプローチの仕方に、因果的関連の窮屈さから了解的関連を理論的に加えたのがヤスパースなのでしょう。

共時的とはさらにその外側に“偶然の一致”のように見えて、何らかの関連を見出そうとするものに思えます。
必然性とまではいえないけれども、単なる偶然性とか、意味不明とはいえないものがある。
その探求でしょうか。

全体のイメージとしては、人間にとっての原始性Primitiveなもの、動物的なものや太古性のなかに意味をさぐっていく。
たぶんJ.ルソーの「自然に還れ」はそれに関係するのかも。
人間にとっての女性の役割や感情・感覚がもつ役割を見ていくことになりそうです。
私は研究者ではないので現場のフィールドワーク的な条件のなかで追求していきます」。


私にとっての方法論の追及とは、ほとんどこの言葉のなかに含まれています。

日本の精神文化の、特に美意識に関するものは、どのような条件で生まれてきたのか、それはどのような現われ方なのか。
結局のところそれらは言葉で表現するしかないのですがどのように表現できるのか、言語表現できないものをどう扱うのか……その追求がこのページの目的です。


ですから私が「共時性」を使うとすれば、ものごとのわかり方(認識のしかた)のためです。
言葉にしている部分が相互に関連し、全体として矛盾のないことが条件です。

それは論理の構成として整っていること(論理学)により果たされるでしょう。

認識の仕方と論理の構成を整えるのは弁証法、動的な弁証法になるはずです。
弁証法により認識論と論理学を組み立てる作業が、この仕事の思弁的な面です。


少なくともユング以降の人が語る「共時性(シンクロニシティ)」という言葉を、場当たり的や思いつきでなく使えるものにしていきたい。
それがこのページの目的の一つにあります。

共時性という言葉をある規則性のなかでゆがみなく使われる、その根拠を探すことと言い換えることもできまです。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス